第一話 放課後、神社という寄り道
受験生の放課後は、まっすぐ家に帰るべきだ。
それは分かっている。頭では、ちゃんと。
――でも、今日も俺は鳥居をくぐっていた。
「……はあ」
息を吐くと、夕方の空気が少し冷たい。
山のふもとにあるこの神社は、学校から家とは逆方向だ。完全な寄り道。それなのに、足は勝手にここへ向かう。
「こんにちは」
その声を聞いた瞬間、胸がきゅっと鳴る。
境内を掃いていた巫女さん――白石澪さんが、箒を止めてこちらを見た。
白い上着に朱色の袴。夕焼けを背にした優しい笑顔。
「今日も来たんだね」
「……はい」
“また来ちゃいました”と言いかけて、飲み込む。
常連みたいに思われるのが、少し恥ずかしかった。
「受験勉強、ちゃんとやってる?」
心配そうに覗き込まれる。距離が近い。近すぎる。
「やってます……たぶん」
「たぶん、はダメだよ」
くすっと笑われただけで、心臓が早くなる。
この人の優しさは、受験生にとって毒だと思う。
澪さんは紙コップにお茶を注いで、俺に差し出した。
「少し休んでいきな。息抜きも大事だから」
「……ありがとうございます」
紙コップ越しに伝わる温度が、妙にあたたかい。
それだけで、ここに来てよかったと思ってしまう自分がいる。
「志望校、もう決まってるの?」
「一応。でも……」
「でも?」
「落ちたら、どうしようって」
本音が、ぽろっと零れた。
言うつもりなんてなかったのに。
澪さんは驚いた顔をしてから、少しだけ柔らかく微笑んだ。
「大丈夫。今、ちゃんと悩めてる人は強いよ」
「……そうですか?」
「うん。頑張ってる証拠だもん」
その言葉に、胸の奥がじんわりする。
誰かにそう言ってほしかったんだと思う。
風が吹き、拝殿の鈴が小さく鳴った。
静かな音が、時間をゆっくりにしていく。
「ここに来ると、落ち着く?」
「……はい」
正直すぎる答えに、澪さんは少しだけ困ったように笑った。
「でもね。ここは“逃げ場所”じゃなくて、“戻る場所”だから」
「戻る場所?」
「ちゃんと頑張るために、戻っていく場所」
その言葉が、胸に残る。
帰り際、澪さんは小さなお守りを差し出した。
「合格祈願。まだ早いけど」
「……大事にします」
受け取った瞬間、手が触れて、心臓が跳ねた。
神社を出て、家への道を歩きながら思う。
――巫女さんが優しすぎて、受験に集中できない。
でも、その優しさがあるから、もう少し頑張ろうとも思える。
この気持ちが恋だと気づくのは、もう少し先のことだった。




