第4話 朝起きたら影がないって何事??
朝。
今日も我が家は
――パンケーキの香りと、悪魔の紅茶の香りがしていた。
「母上、焼き加減は昨日より20秒早い。理想的だ。」
「お前、悪魔なのにパンケーキの理想タイム測ってんのかよ……」
「焦げを防ぐのは、世界を焦がさない第一歩だ。」
「いちいちスケールがでけぇ!!」
母さんは笑いながら皿を並べる。
「ルキくん、本当に几帳面ねぇ〜。レオンも見習いなさい。」
「母さん!?悪魔を家事の基準にすんな!!」
「家事は理の縮図だ。整ってこそ世界が動く。」
「お前も真顔で言うな!!」
そんなツッコミを入れながら、いつもの朝を迎えた――はずだった。
……が。
「母さん、その足元……」
「ん?」
俺は固まった。
母さんの足元に、“影”がなかった。
・
「……影、なくね?」
「え、あらほんと。照り返しのせいかしら〜」
「そんな仕様ねぇよ!?太陽、今日バグってる!?」
ルキがすっと紅茶を置く。
その瞳がわずかに揺れたようにも見えた。
「……理が、喰われているな。」
「また出た理シリーズ!?朝からやめてくれよ不穏!!」
「影は光の副産物だ。光が過剰になれば、影は存在することすら許されなくなる。」
「説明が怖いんだよお前!!」
ルキは立ち上がり、窓の外を見る。
陽の光は確かに射している。
けれど、地面に“人の形”が落ちていない。
「……この村全体の“光の理”が、ズレている。」
母さんは不思議そうに首をかしげた。
「理がズレると、影が消えるのねぇ。」
「そういう理解やめて!!普通に怖がって!!」
ルキは顎に手を当てる。
「マスター、朝食は中断だ。調査に出る。」
「え!?まだパンケーキ一口しか……!」
「腹が減って死ぬより、理が崩れて死ぬ方が愚かだ。」
「お前ほんと怖い名言多すぎ!!」
・
外に出ると、村はざわついていた。
「見ろよ、影がねぇ!」
「これは祟りだ!」「誰かが禁忌を犯したんだ!」
ざわめきは恐怖に変わり、すぐに“犯人探し”の形を取る。
「悪魔を飼ってる家があるって話だ!」
「無魔のガキが何かやったんだ!」
……俺の家の方を見るなぁぁぁ!!
「おい、やめろって!俺たちは何も――!」
ルキが肩に手を置いた。
その手は静かで、でも確かに止める力があった。
「放っておけ。恐怖に支配された群れは、理すら読めなくなる。」
「でもよ……!」
「怒りは理を曇らせる。まず観察だ。」
そう言って、ルキは目を細めた。
その視線の先――村の北側。森の方向が、わずかに“白く光って”いた。
・
昼過ぎ。
森の近くまで来ると、空気の匂いが違った。
土が焼けたような、焦げた光の匂い。
「なぁ、これ……なんか空気、薄くねぇか?」
「理の“影”が抜け落ちている。光ばかりが膨張している。」
「簡単に言え!“影がない世界”ってことか!?」
「そうだ。」
足元には、鳥の影も、草の影もない。
すべてが“平面”のように、のっぺりと明るい。
「……気持ち悪い。」
「光だけの世界は、生命を焦がす。影があるから、呼吸はできるんだ。」
「やめろってその詩的説明!怖いだろ!!」
ルキが膝をつき、地面を撫でる。
指先に淡い青の光が宿る。
「……焼け焦げの跡。これは“太陽石”の波長だな。」
「太陽石!?あんな高位の魔鉱、村にあるわけ――」
言いかけて、ハッとする。
頭の中に浮かんだのは、数日前、喧嘩したあいつの顔。
リオ。
「……まさか。」
ルキが立ち上がる。
「心当たりがあるな、マスター。」
「……いや。ただの憶測だ。」
「時には第六感を信じてみるのも良いと思うが?」
「くそ!なんでもお見通しかよ!!」
「後悔したくないのならば行くぞ。光は放っておけば世界を焼く。」
「焼き物の話みたいに言うなよ!」
・
村に戻ると、昼の喧騒が一段とひどくなっていた。
「井戸の水が蒸発した!」
「作物が影焼けして枯れた!」
「陽が落ちねぇ!これは呪いだ!!」
「ママ、ぼくの影どこ?」
――そんな声が聞こえた。
背筋が、光より冷たくなった。
誰もが、誰かを責めるための理由を探していた。
まるで影を失ったぶん、他人を焼こうとしているみたいだった。
「おい、やめろよ!村のもん同士だろ!」
俺の声は、空っぽの空に吸い込まれる。
光ばかりの世界は、叫びさえ熱に溶ける。
「……お前、怒っているのか。」
ルキの低い声。
俺は拳を握ったまま、うつむいた。
「当たり前だ。……誰も、何も見ちゃいねぇのに。」
「見ない方が楽だからな。理も、人も。」
ルキの言葉は、少しだけ優しかった。
「なぁルキ。理って、そんなに脆いのか?」
「人間の心と同じだ。怯えた瞬間に歪む。」
「……そういう言い方ずるいんだよ。」
ルキはふっと笑う。
「怖いか?」
「怖いに決まってんだろ。……でも、行く。このまま光だけの世界なんて熱くてたまんねぇっつーの」
「あと俺、焦げるのとか日焼けとかマジで似合わねぇんだよ。」
「ほう。」
「それにお前が言ったろ。“焦げを防ぐのが、世界を焦がさない第一歩”だって。この村がきっかけで世界のバグ大量発生なんかさせてみろ、後が怖いわ。」
「……引用の仕方が雑だが、よしとしよう。」
ルキが微笑む。
風が止まる。
村の外れ、森の方で――また“光”が脈打った。
その光の中に、一瞬だけ見えた人影。
眩しさの向こうで、確かに誰かが笑っていた。
それは、リオの声に――あまりにも、似ていた。




