終わりを告げる刻
第一章 第3話(千佳目線)
好きなときに休んでいい。……いや、来なくてもいいんだ
支配人の言葉が耳に残っていた。
借金のことを思えば信じられなかったし、そんな優遇があるわけないと思った。
でも――
(約束、したから……)
あの人は、来てくれる。
胸の奥に小さな温もりが灯っているのを感じながら、千佳は店に足を運んだ。
「……こんなの、初めて」
客を迎える準備をしているはずなのに、不思議と心は重くなかった。
むしろ、落ち着かない鼓動が早くなる。
着慣れた安いドレスを直し、髪をまとめる。
ふと鏡の奥に、昨日の駅で見送ってくれた大河の姿が浮かんだ。
(……また会えるんだ)
自分でも信じられないほど、その思いが胸を高鳴らせていた。
やがてスタッフが「お客様がお見えです」と告げに来る。
千佳は落ち着かせるように深呼吸して立ち上がり、扉の向こうに歩き出した。
隣に座ると大河の手が重なる。
そっと触れられた手が、熱い。
壊れ物でも扱うように優しく触れる大きな手。
「いつまでここで働けと言われてた?」
「……嫌な客はいなかったか?」
低く響く声。
その優しさが、逆に胸を抉った。
嫌な客なんて、数え切れない。
殆どが嫌だった。苦しくて、怖くて、それでも逃げられなかった。
それを――大河さんに知られたくなかった。
(知られたら、きっと……嫌われてしまう)
込み上げる涙を必死に押しとどめて、千佳は笑顔を作る。
縫い止めるように、笑顔で声を出す。
「……10年って。きっとあっという間に終わりますよ」
わざと明るい声で。
自分でも不自然だと思うくらいに。
その瞬間、大河さんの気配が変わった。
無言で立ち上がり――何も言わず、扉を開けて出て行ってしまった。
「……っ」
耐えていた涙が、一気に零れた。
頬を伝い、落ちて止まらない。
「……嫌わないで……」
ぽつりとこぼれた声は、誰にも届かない。
ただ、静かな部屋に吸い込まれていった。