魂の在り処で巡り合う恋
――静まり返った広間に、
ただ火鉢の火が、かすかにパチリと音を立てていた。
外では春の風が吹き、桃の花が舞い散っている。
だがその柔らかな景色とは裏腹に、
この屋敷の中には、張り詰めた空気が満ちていた。
千佳がゆっくりと目を開ける。
だがその瞳は、確かに“千佳”でありながら
―違っていた。
そこには、千年の時を超えて魂を繋いだ“もう一人の彼女”が宿っていた。
「……大河様。」
名を呼ぶ声は、優しくもどこか懐かしい響きを持っていた。
まるで、遠い過去の月夜からそのまま響いてくるような―そんな声だった。
大河が息を呑む。
その呼び方。
その声音。
そして、その瞳に宿る確かな意志。
「……刀を。」
千佳―いや、千姫の声に反応するように、
空気がわずかに震える。
始皇帝がその場に立ち、
静かに、けれど抗えぬ威をもって口を開いた。
「冥黒を。」
その言葉に、大河は無言で立ち上がる。
膝元に置かれた刀を手に取り、両手で千佳の前に差し出した。
――冥黒。
かつて坂上田村麻呂を討ち、その魂を封じた黒の刀。
鬼の憎しみと誓いを呑み込み、千年の間その身を黒く染め続けた刃。
千佳は、静かにその刀を受け取った。
その指先は細く、血が通っているのに透き通るように白い。
「魂を喰らう刀よ――」
声が響いた瞬間、空気が変わった。
重く、神聖で、まるで天地がひれ伏すような気配。
「主を宿す器として命ず。
次が生まれし時まで――汝の主は、鬼藤大河。」
言葉が終わると同時に、
千佳は冥黒をゆっくりと自らの腕へ滑らせた。
刃が皮膚を裂き、赤い血が一筋流れる。
その血は、黒い刀身に落ち、まるで焔のように光った。
「――千佳!!」
大河が声を上げようとするも、始皇帝が手で制す。
「見るがよい。それは“魂の誓約”だ。」
千佳の腕から流れた血が、
まるで白い舞の花弁のように空中で弧を描く。
その動きはまるで――舞だった。
静かに、しなやかに、命そのものが歌うように。
千佳の髪が風に揺れ、
その口元がふっと笑った。
「これで―冥黒が、大河様の魂を喰らうことはありません。」
冥黒が、低く鳴いた。
黒い刃が白へと変わっていく。
闇を抱いたまま、光へと溶けていく――矛盾のような美しさ。
大河はその光景を、ただ見つめることしかできなかった。
彼の中で、胸が焼けるように熱くなった。
千佳は振り向く。
瞳には涙が宿っていたが、微笑んでいた。
「大河さん……はい、もう大丈夫です。」
息を整え、彼の胸に寄り添うように囁いた。
「これであなたは……自由になれます。
あなたの魂はもう喰われない。
……二人分の愛を込めて。」
その瞬間、冥黒の白光がふっと消え、
刀はただ静かに膝の上に沈黙した。
大河はは、崩れ落ちた千佳を抱きとめた。
その体は小さく、温かく、
まるで春の陽だまりのようだった。
「……馬鹿野郎……」
声が震えた。
頬に触れる指が、かすかに震える。
「お前は……どうしていつも……俺より強ぇんだよ。」
千佳はその胸に顔を埋めながら、
かすかに唇を動かした。
「……だって、あなたのこと……守りたかったから。」
彼女の声は微かで、それでも確かだった。
その言葉とともに、部屋を包む気配が穏やかに変わっていく。
春風が障子を揺らし、
遠くで鳥が鳴いた。
鬼の屋敷には誰の声もなく、
ただ大河の腕の中で眠る千佳の微かな息づかいだけが、春を告げていた。




