魂の在り処で巡り合う恋
――二日後。
鬼の里に、異様な静寂が降りた。
春を告げる風が一瞬で止み、
庭の桜がまるで呼吸をやめたように凍りつく。
縁も、蒼真も、紅蓮も、誰一人声を発さなかった。
その理由はただ一つ――覇王、始皇帝が降臨したからだ。
白を基調とした衣に金の龍の刺繍。
黒曜石のような瞳は、光も影も飲み込み、
その存在一つで、天地がひれ伏すような威を放っていた。
その場にいた全員が自然と膝を折る。
たとえ鬼の総領であっても、
この覇王の前では一人の子に過ぎぬ。
「久しいな、鬼藤大河。」
静かに告げる声は、まるで空そのものが語るような響き。
風の音も、炎の揺らぎも、その声に従う。
大河はゆっくりと頭を垂れた。
「始皇帝……。遠き地よりわざわざありがとう御座います」
始皇帝の視線がゆるやかに横を向く。
そこには千佳――大河の番。
まだ畏れと驚きに満ちたまま、正座していた。
覇王の瞳が彼女を射抜く。
その一瞬、空気が張り詰める。
「星の娘よ。」
深く、静かな声が降る。
千佳ははっと顔を上げる。
「……ほし、の……?」
始皇帝は一歩、彼女の前に進む。
その足音だけで床が震え、灯籠の火が揺れる。
「お前の中には、まだ眠るものがある。
それはこの世の理さえ変えるほどの力。……星を導く光。」
千佳の唇が震えた。
何かに呼ばれるような、懐かしい声が胸の奥でざわめく。
始皇帝はゆっくりと右手を上げ、
千佳の額にその指先を置いた。
「――お前の中で眠るものと、語らえ。」
その瞬間。
世界が、反転した。
千佳の視界が白に塗りつぶされる。
耳の奥で鼓動が轟き、息ができないほどの光が全身を包んだ。
「っ……う、あ……!」
喉から声が漏れる。
足が崩れ、千佳は膝から床へと崩れ落ちた。
「千佳!」
大河が叫び、駆け寄る。
その身体を抱きとめた瞬間、
千佳の肌から淡い光が溢れた。
始皇帝の表情は、微動だにしない。
ただその瞳の奥に、一瞬だけ哀しみのような影が揺れた。
「……触れるな、大河。」
「黙って見ていられるか! 千佳が……!」
「これは宿命だ。」
覇王の声は絶対だった。
その力が空間を震わせ、大河の体が一歩も動けなくなる。
千佳の胸の奥から、誰かの声がした。
――わたしは……
――誰を……護りたいの……?
光が千佳の身体を包み、
髪がふわりと浮き上がる。
その中で千佳の唇がわずかに動く。
「……大……河……」
声は震え、涙が一筋こぼれ落ちた。
その涙が畳に落ちた瞬間、光が収まり――
静寂だけが残った。
始皇帝は、ゆっくりと目を閉じた。
『お前の中の中で眠るもの――それが、この世の均衡を変える。』
春の風が、ようやく里に戻る。
桃の花びらがひらりと落ち、
千佳の頬に触れた。
大河はただ待つ事だけしかできなかった…………




