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千年の約束〜恋綴り風に舞う夢  作者: 愛龍
終章 千年の約束

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君を想う僕の声

千姫の死から数年後……


夜風が鎌倉の海から吹き上げていた。

波の音が遠くに響く。


月は雲に隠れたり、顔を出したりを繰り返し、

まるでこの世の罪を見ようか見まいか、迷っているようだった。


邸の奥、広間には誰もいない。

灯の揺らめきが、白い衣を纏う北条政子の頬を照らしていた。


彼女の膝には一振りの短刀――頼定の血で染まったまま、乾ききらぬ刃があった。


「……この血を絶やせば、あの子の魂は救われる。」


声は震えていた。

だがその瞳には、涙ではなく、決意の炎が宿っていた。


千姫。

頼朝と政子の次女。

あの子の婚礼の前夜、

兄・頼定に辱めを受けたと知った瞬間――政子の中の“母”が音を立てて壊れた。


刀を握った手が震える。

己の息子を討った感触が、まだ掌に残る。

血の温もりが、いつまでも消えない。


「……母である前に、人であることを捨てねばならぬのね。」


政子は立ち上がる。

夜の廊下を、音もなく進む。

向かう先は、頼朝の寝所。


障子の向こうには、

この国を支配した男――頼朝が静かに眠っていた。


かつては愛した男。


夢を語り、共に戦った男。


けれどその手は、娘を殺し、弟を追いやり

己の欲で天下を穢した。


政子は枕元に立ち、しばしその顔を見つめた。

やせ衰えてはいたが、どこか穏やかな寝顔だった。

愛おしさと憎しみが交錯し、胸が締めつけられる。


「あなたが夢見た天下は、血でしか築けなかった。」

「その血が、私たちを滅ぼしたのです。」


静かに短刀を抜く。

刃が月光を反射して白く光った。


「頼朝。

 あなたの天下は、ここで終わる。」


刀が振り下ろされた瞬間、

灯がはぜた。

炎が大きく揺らぎ、夜気に血の匂いが満ちる。


政子は刀を落とした。

膝から崩れ落ち、

震える唇から一筋の嗚咽が漏れる。


「……ごめんなさい。

 でも、あなたの血を絶やさなければ、

 あの子たちは、未来でまた苦しむの。」


やがて朝が来た。

頼朝の死は「落馬による事故」として伝えられた。

誰もその真実を知らない。

政子の衣に染みた血も、祈りも、誰にも気づかれない。


――数年後。

鶴岡八幡宮の石段で、実朝が倒れた。

背に深く突き刺さった刃は、公暁のもの。

その公暁もまた、政子が密かに命を下した者だった。


息子たちは皆、政子の手でこの世を去った。

血の系譜は断たれた。


それでも政子の瞳は、泣かなかった。

涙の代わりに、空を見上げて祈った。


「……この国に、平穏を。

 この呪いを、終わらせて。」


あの日…義経の追手を頼朝が出したとき逃したのも政子だった。


義経を見送る時、政子は微笑んだ。


「義経……

 あなたの兄は、間違った。

 愛を知らぬ男だった。

 でもあなたは違う。

 あなたには“静”がいる。

 彼女と共に生きなさい。

 未来を見届けて。

 千姫の魂は、必ず巡る。


 ――その時、笑って見届けて。」


政子の頬に、初めて涙が伝った。

それは後悔ではなく、祈りの涙だった。


義経は深く頭を下げ、

政子のその祈りを、静かに受け止めた。




血に塗れた母は、一人で静かに座禅を組み、目を閉じた。


「この血の代わりに、未来を守る。」


その言葉が、鎌倉の闇に溶けて消えた時――

北条政子は、ただの人ではなくなった。

“血を絶やし、愛を遺した母神”となった。


――――


夜風がやわらかく、桃の花びらが月明かりに照らされながら舞っていた。


春の香が酒に溶け、遠い記憶を呼び覚ますように淡く流れていく。


縁側に並んで腰を下ろした義経と大河。

盃の中で、月がゆらりと揺れた。


「政子ちゃん……」

義経は小さく呟き、空を仰ぐ。

「千年経っても、あんたの祈りは生きてるよ。


 ……あんたの娘は、今、幸せそうだ。

 だから―俺の声が届くなら、護ってやってくれ。」


その言葉に呼応するように、桃の花びらが風に舞い上がる。


月が静かにその花を照らし、夜空に淡い輪を描いた。


大河は義経の隣で無言のまま杯を取り、

そのまま高く掲げる。


「……政子。

 お前の願いは、確かに繋がってる。

 あの娘の中で、今も息づいてる。」


二つの杯が、月光を反射してかすかに鳴る。

静寂の中でその音だけが、春の夜に透き通るように響いた。


桃の花びらが頬をかすめ、酒の香とともに宙へと溶けていく。


――春の月は、すべてを見ていた。


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