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千年の約束〜恋綴り風に舞う夢  作者: 愛龍
第一章 恋千夜廻り
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太陽の下の約束

第一章第二話太陽の下の約束(千佳目線)

クローゼットを開けても、並んでいるのは5着しかなかった。

どれも色褪せ、流行から外れたものばかり。


従姉妹から「いらないから」と投げ捨てられるように渡された服たち。

袖も丈も合わず、裾は擦れている。

どれを見ても胸がちくりと痛む。


けれど――。


千佳はそっと、奥に掛けてあった一着に手を伸ばした。

淡い桜色のワンピース。

祖母の形見。


「………形は古いけど、お婆ちゃんのワンピースがいいよね。やっぱり…」


布地を指でなぞる。少し色あせているけれど、縫い目は丈夫だ。

祖母がよく「千佳にはこれが似合う。おじいちゃんとデートした時に来たワンピースなの」と微笑んでくれたのを思い出す。


(お婆ちゃん、見ててね。私……楽しんでくるよ)


鏡に映る自分を見て、ぎこちなく笑った。

決して華やかではない。

けれど、精一杯の「自分らしさ」だった。


少し震える手で鞄を取り、千佳は深呼吸をした。

これから向かうのは、夢のような約束の場所――。


昼少し前。神楽坂の駅前。

人の流れに紛れながら、千佳は落ち着かない気持ちで向かった。


(来ないかもしれない……)


昨日の約束が夢のように思えて、心臓が痛いほど高鳴る。


けれど――。


視界に入った瞬間、空気が変わった。

人混みの中、ひときわ目を引く長身の男性。

黒髪に鋭い眼差し、整った顔立ち。

ただ立っているだけなのに、周囲のざわめきが一瞬止まったように感じた。


(……来てくれてた)


大河はすぐに千佳を見つけ、僅かに口元を緩めた。

その笑みは柔らかく、けれど何よりも力強い。


「おまたせしました…」


「…いや、今来たところだ」


震える声を必死に抑えながら言うと、大河は笑って自然な仕草で歩き出した。

千佳も少し遅れて、その背を追う。


案内された先は――想像していた定食屋でも和食の小さな店でもなかった。

重厚な木の門をくぐり、石畳の先に見えたのは格式高い料亭。


「……えっ……ここで?」


戸惑う千佳の表情に気づいたのか、大河が振り返る。

「昨日、お前が鯖味噌が好きだと言っただろう」


「で、でも……」

料亭なんて、テレビや雑誌の中だけの世界。

鯖味噌を頼むような場所じゃない。


「いいんだ。ここならうまいものを出してくれる」

低く響く声に、ただ頷くしかなかった。


胸の奥で小さな不安と、温かい期待が入り混じっていた。


隣を歩く大河の姿が、その迷いを少しずつ溶かしていった


畳の廊下に静かな個室。窓から望む庭園。


息が詰まるほどの緊張で、千佳は膝の上で手を固く握りしめていた


頭の中が真っ白になる。


そんなとき――。


入室してきた仲居に


「鯖味噌を」と


当たり前のように告げる大河の低い声。

驚いて顔を上げた千佳の目に、うやうやしく深々とお辞儀をする仲居さんの姿が映る。


「かしこまりました」


本当に、ごく当然のように。

誰も笑わない。誰も馬鹿にしない。

それどころか、仲居さんの所作はとても優雅で、当たり前に鯖味噌がこの店にふさわしい料理であるかのように扱われていた。


(……すごい。どうして、こんなに自然に……)


千佳は胸の奥が熱くなるのを感じた。

昨日、鯖味噌が好きだと言ったとき、笑われるかもしれないと怯えた自分。

けれど大河は、そんな不安を打ち消すように当たり前の顔で注文してくれた。


ちらりと横を見ると、大河は何事もなかったかのように落ち着いて座っている。

優しくて頼もしくて――なぜか涙が零れそうになった。


(……なんだろう。こんなに安心するなんて……)


「お待たせいたしました」


しばらく大河と話をしていると仲居さんの柔らかな声とともに、朱塗りの盆に乗せられた膳が目の前に置かれる。

鯖味噌は照りを帯びた味噌だれを纏い、ふっくらとした身がほろりと崩れそうに輝いている。

横には季節の小鉢が三つ。胡麻和え、炊き合わせ、香の物。

さらに、最後に運ばれてきた小さな器には鮮やかな果物――透き通るような水菓子が光を受けていた。


千佳は箸を取る手が震えそうになる。

(……こんなに綺麗に整えられた膳。食べてもいいのかな)


恐る恐る箸をのばし、鯖の身を少しだけ口に運ぶ。


――ほろり。


味噌の甘みと塩気が舌に広がり、柔らかな魚の身がすぐに解けていく。

思わず目を見開き、息を止めてしまう。


「……おいしい」


小さく洩れた声は震えていた。

頬が熱くなる。胸の奥がじんわりと温かくなる。

食べるほどに、何かが満たされていく気がした。


「こんな……贅沢、初めてです」


俯いて笑う千佳に、大河は黙って膳を見守っていた。

ただ、その横顔はどこか安堵したようにも見える。


小鉢の優しい味が、長い空腹と孤独を慰めるようで。

水菓子の一口の甘みが、まるで未来の小さな約束みたいに感じられた。


千佳は胸に手を当て、深く息をつく。





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