風の翼
女王リオナ
帝国ホテルのラウンジに漂う香り高い紅茶。
その空気を切り裂くように、リオナが真紅の唇を微笑ませた。
「改めて自己紹介するわ。私はリオナ・A・マデリィア。
ハリウッドで俳優をしているけど本当の姿は――セイレーン。」
千佳は思わず息を呑む。
セイレーン――伝説に語られる歌姫の一族。
目の前の華やかな女優が、その現代の生き残りだとは思いもしなかった。
リオナは頬を染める千佳を抱き寄せ、囁く。
「だから今日から、あなたは私の妹よ。呼んでみて……“お姉様”って。」
「……リオナお姉様……」
千佳が恥ずかしそうに声を出すと、リオナは目を細めて頬に口づけた。
「So lovely… 大河、この子やっぱり可愛いわ。
I’ll take her home with me. ❤」
「Don’t be ridiculous! She’s my mate!」
大河の低い声が響き、ラウンジの空気が凍りつく。
だがその緊張を、ひときわ優雅な声が和らげた。
天海が微笑みを崩さぬまま、カップを置いて言う。
「Please refrain from taking our lady home without permission, Queen Liona.」
二人の男の英語の応酬に、千佳はきょとんと目を丸くする。
「……えっと……え?」
リオナはそんな千佳の髪を撫で、甘やかすように微笑んだ。
「Don’t worry, darling. お姉様が全部守ってあげる。」
そして、大河と天海のため息が重なった。
「……嵐だな。」大河がぼそりと呟き、天海はただ肩をすくめるだけだった。
「……あの、どうして……?」
千佳はそっとリオナを見上げた。
「どうして、私を妹と……?」
問いかけは戸惑いと、少しの不安を含んでいた。
リオナは一瞬だけ目を細め、やわらかな笑みを消した。
その表情は、華やかな女優ではなく、セイレーンとしての女王の顔だった。
「――あの時のことを聞いたわ。」
低く、美しい声がラウンジに響く。
「女としての尊厳を踏みにじられようとしても、あなたは逃げなかった。
自分を捨ててでも、大河を守ろうとした……その強さに、私は惚れ込んだの。」
千佳の胸がきゅっと締めつけられる。
あの夜の記憶――恐怖と痛み、でも同時に大河と共に立った誇り。
リオナは優しくその手を取り、指を絡める。
「だから、あなたは私の妹。
泣かせない。泣かせたら、世界を敵に回してでも、守る。
――それがセイレーンの誓いよ。」
「リオナ……お姉様……」
大河は黙って千佳の肩を抱き寄せ、天海は静かに目を細める。
リオナはカップをそっとテーブルに置き、組んだ指を胸の前で重ねた。
その瞳には、舞台女優の華やぎではなく、セイレーンの女王としての冷たい光が宿っていた。
「千佳。――なぜ私がケルベロスを倒すのか、教えてあげる。」
千佳は不安そうに身を正し、その声に耳を傾ける。
リオナの声は低く、美しい旋律のように、だがどこか痛みを帯びていた。
「セイレーンの娘たちは、いま世界の闇に囚われている。
喉を潰され、涙を値札にされて……性奴隷として取引されているのよ。」
千佳の指が小さく震えた。
「……そんな……」
「彼女たちは私の“妹”たち…
ケルベロスは、表ではカジノ王を気取り、光の舞台で人々を酔わせている。
けれど裏では、無数の命をただの“商品”にして笑っているの。」
リオナは強く言葉を刻む。
「だから潰す。これは復讐じゃない。
セイレーンの誇りを取り戻し、鎖を断ち切るための戦いよ。
泣かされてきた妹たちを――二度と黙らせはしない。」
千佳は胸に込み上げるものを抑えきれず、声を震わせた。
「リオナお姉様……」
リオナは千佳の両手を包み、真っ直ぐにその瞳を覗き込む。
「だから、あなたも私の妹。泣かせない。
もし涙を見せることがあったら、その時は――世界を敵に回してでも、守るわ。」
沈黙の中で、大河は目を細め、天海は微笑を崩さぬまま紅茶を口にした。
嵐を告げる言葉は、確かにここに誓われた。




