夢と現のあわいに立つ者
陽明の心が揺れます
「マカロン♪」
千佳が小さな手で宝石のようなお菓子をつまみ、護衛の若者たち──犬ころ四匹と侍女達も呼び一緒に食べようと配っていた。
「ありがとうございます!」
「千佳様、やっぱり優しい!」
頬を染めて喜ぶ護衛たちの姿を、大河はじろりと一瞥する。
(……犬ころどもめ。腑抜けやがって)
心の中で低く吐き捨てるように呟いたあと、狙いを外さずに狐を睨んだ。
「……マカロン届けに来ただけじゃねぇだろうな」
陽明は口元に指を添えて、くすりと笑った。
「流石ですね。総領に余計なごまかしは通じませんか」
飄々とした調子のまま、しかしその瞳には鋭い光が宿っていた。
「……猫と狗。二つの一族が手を結び、何かを企んでいます」
その言葉に、大広間の空気が一瞬で張りつめた。
縁が片眼鏡を押し上げ、牡丹はそっと手を腰の小太刀へ。
睦月と燈夜も視線を鋭くする。四天王達も呑んでいたお茶を膳に置いた。
千佳だけは事態を飲み込めず、目を丸くして陽明と大河を見比べていた。
大河は深く息を吐き、低く応じる。
「……詳しく話せ」
陽明は微笑を崩さぬまま、猫と狗の動きを語り始めた。
「……おそらく、鬼藤大河。あなたの失脚を狙っています」
場が凍りつく。
陽明はさらに言葉を継いだ。
「その鍵となるのは番。千佳様を使って……あなたを崩そうとしている」
千佳が思わず肩を震わせる。
すかさず大河が隣から腕を伸ばし、その肩を抱いた。
「……くだらねぇ真似を」
そして狐を睨み据える。
「で? お前は敵か、味方か」
問いかけは重く、大広間の空気をさらに張り詰めさせる。
その声音には、かつての宿敵に向ける容赦のなさがあった。
しばし沈黙の後、陽明は小さく息をついた。
「……懐かしいですね。その目。私が妖狐の長になる前によく見た目だ」
薄く笑みを浮かべ、だがその瞳だけは哀しみに濡れていた。
ゆっくりと視線を千佳へ移し、柔らかに告げる。
「私は……味方ですよ
…あなた方の結末を、見届けたいから」
その言葉に、大河はほんの一瞬だけ目を細めた。
狐の笑みに隠された影を見抜きながら。
大河の目に陽明は肩を竦め、わざと軽薄な笑みを浮かべた。
「まぁ……私は所詮、道具ですから。上手いこと使ってくださいよ」
その場に漂った緊張を和らげるための軽口のつもりだった。
だが――
「駄目です!」
鋭く、けれど震える声が大広間に響いた。
千佳が一歩進み出て、陽明の頬を両手で包み込む。
「そんなこと……言っては駄目です」
茶の瞳には涙が滲み、揺れる光が陽明を射抜く。
「まだ会ったばかりですけど……林原さんは、優しい人です」
真っ直ぐな言葉。
道具と呼ばれ、利用され続けてきた陽明の胸を突き破った。
(ちょっと前まで……
自分こそ道具のように扱われていたはずなのに。
なぜ、この娘は……俺に涙を流せる?)
掴まれた頬が熱い。狐の仮面の下で、陽明は不覚にも息を詰めた。
「……千佳」
低い声が割って入る。
大河が千佳を陽明から離すように抱き上げる
その鋭い眼差しが陽明を射抜く。
「こいつの言葉を真に受けるな」
静かに、だが確かな怒気を孕んだ声音だった。
陽明は口の端を歪め、いつもの飄々とした笑みに戻ろうとする。
「やはり……あなたは怖いですね、総領」
「当然だ」大河の瞳は揺るがない。
「俺の番を泣かせるような真似は、誰であろうと許さねぇ」
一瞬、張り詰める空気。
「大河さん…林原さんは嘘はつかない人だと思います」
千佳のその言葉に、陽明は苦笑した。
飄々とした仮面の奥、胸の奥底が熱く軋むのを自覚しながら。
(……本当に、あなた方の結末を見届けたくなる)




