第4話:社交界の舞踏会――“冷酷皇太子の寵姫”と噂されて
「……なぜ、わたくしがこの舞踏会に?」
思わず口に出してしまった問いに、侍女のローナは控えめに微笑んだ。
「皇太子殿下のご命令です。“妃としての初舞台だ、堂々と出ろ”と」
そう言って差し出されたのは、淡い藤色のドレスだった。
繊細なレースに縁取られたシルエット。背中をやや開いた大胆なデザインでありながら、上品さを失わない仕立ては、まさに王宮の至宝そのもの。
(……これ、本当に私が着るの?)
いまだ信じられない。
つい一週間前、私は公爵家の宴で婚約破棄され、捨てられた身だったのに。
その私が今、皇太子妃として、王宮の舞踏会の主賓となる――?
王宮の大広間に足を踏み入れた瞬間、空気が変わった。
美しく着飾った貴族たちの視線が、一斉にこちらを向く。だがその視線は、驚きと、恐れと、そして――嫉妬に満ちていた。
(当然よね。“悪役令嬢”だった私が、皇太子妃に?)
以前なら、居心地の悪さにうつむいていたかもしれない。けれど今の私は、あの人が言ってくれたから。
――「堂々と出ろ」
その一言が、背中を押してくれた。
だから私は、顔を上げて歩く。誰にも臆せず、誰にも媚びず。
そのとき――
「――お迎えに参りました、妃殿下」
場のざわめきの中、静かに歩み寄ってきたのは、黒の軍装に身を包んだ第一皇太子・シオンだった。
「殿下……自ら、わたくしを?」
「当然だ。お前は俺の妃だ」
周囲の貴族たちが一斉に息を呑む音が聞こえた。
冷酷と噂される皇太子が、女性に手を差し出した。しかも、婚約破棄され社交界から落ちたと噂された“悪役令嬢”に。
それは、社交界における宣戦布告にも等しかった。
「……よろしいのですか? 私を連れて出れば、ますます噂になりますよ」
「いいや、むしろ狙い通りだ」
「狙い……?」
シオンは微笑んだ――それは鋼の仮面を脱ぎ捨てたような、柔らかく、けれど圧倒的な自信に満ちた笑みだった。
「“冷酷皇太子が、平民上がりの令嬢に心を奪われた”――それくらいの噂が広がってくれれば、都合がいい」
「なぜ……?」
「お前を狙う虫どもが、自ら身を引くだろう。俺が自ら護っていると分かればな」
まるで、当たり前のように。
それが当然だとでも言うように。
(……この人は、どうしてこんなに私に優しいの?)
でも、その問いはもう何度も浮かべて、答えのないまま。
「――行くぞ。主役が臆してどうする」
差し出された手を取り、私はシオンと共に舞踏会の中央へと歩き出す。
その瞬間、音楽が変わった。
オーケストラが奏でるのは、王宮でしか聞けない格式高い“第一舞踏”。これは、王族とその正式な配偶者だけに許された演目。
――私は今、正式に“皇太子妃”として、王都の中心に立っている。
(これが……私の新しい居場所)
誰の顔色も伺わず、誰の手も借りず、ただこの人に手を取られて――堂々と踊る。
「……美しいな」
シオンがふと呟いた。
「わたくしが、ですか?」
「ああ。だが、もっと本音を言えば……お前を誇りに思う」
胸の奥が熱くなる。
冷酷皇太子の“寵姫”。
――そう噂されようとも、私はこの人の傍にいられるのなら、それでいい。
その夜、私は初めて社交界の中心で“微笑む”ことができた。
もう、何も怖くはなかった。




