第2話:冷酷皇太子との政略婚――のはずが、なぜか優しくて混乱しています
煌びやかな王宮の回廊を、私は緊張で背筋を張りながら歩いていた。
昨日まで私は、公爵家の落ちこぼれ令嬢で、婚約破棄された哀れな女。だというのに今朝になって、突然の皇帝勅命で皇太子妃として王宮に呼び出され、着の身着のままここへ来た。
(これは……義妹セリーヌが本来嫁ぐはずだった相手の代役、ということよね?)
王命とあらば逆らえない。父も母も、眉をひそめながらも私を送り出した。もちろん、セリーヌは泣きながら叫んでいた。
『どうして姉さまが!? 皇太子殿下と婚約するのは、私のはずよっ!』
――いや、叫んでいたというより、周囲に聞かせるための芝居だった気もする。だが、私が代役である以上、いつか正妃の座を奪われる可能性は高い。
それでも、もうどうなってもいいと、私は心のどこかで諦めていた。
(……ただの政略結婚。皇太子殿下に愛されるなんて、望んでない)
そう、思っていた――その時だった。
「アリシア・グランフォード。こちらへ」
衛士のひとりが扉を開ける。王宮の謁見の間。その中央に、彼はいた。
銀の髪。琥珀の瞳。冷ややかな光を宿した瞳が、まっすぐにこちらを見ていた。
第一皇太子――シオン・ヴァルディウス殿下。
噂では、冷酷非道、笑った顔を見た者はいない。過去に侮辱された貴族を一瞬で左遷させたなど、武勇と恐怖の逸話に事欠かない存在。
(この人と、私が……夫婦に?)
思考が追いつかぬまま、私は礼を取った。
「アリシア・グランフォード、参上いたしました。僭越ながら、皇太子妃としての任を――」
「よい。顔を上げよ」
その声音は、噂に違わず冷ややかで、圧倒的な威圧感を伴っていた。
だが、次の瞬間。
「……思った通りだ。お前が来て、正解だったな」
彼は唐突に、そう言った。
「……え?」
「顔、見せろ」
シオン殿下は私に一歩近づき、そのまま真っ直ぐに目を覗き込んできた。怯えて目を伏せそうになったが、私はなんとか堪えた。
「……変わっていない。お前のその目の色。あの時のままだ」
その言葉の意味はわからなかった。
(あの時? まるで……私と面識があるような口ぶり――?)
「何を……仰せですか?」
「いや、気にするな。とにかく、俺の妃はお前で構わん。それで決まりだ」
「……は?」
あまりにあっさりとした決定に、思わず間の抜けた声が出てしまう。
しかし彼はそのまま、私に背を向けながら告げた。
「従者を付けさせている。宮中のことは、徐々に教え込め。必要なものは遠慮なく申せ。……不満があれば、俺に直訴しても構わん」
「…………」
「――ただし、泣くのは禁止だ。俺は、女の涙が苦手でな」
そう言った彼の横顔は、どこか居心地悪そうで、噂に聞く“冷酷な皇太子”とは全く違っていた。
(……え? なんか、優しい……?)
混乱しながらも、私は言葉を返す。
「……では、あの、私は……妃として……」
「そうだ。お前が俺の妃だ」
断言するその瞳には、揺るがぬ意志と――どこか懐かしい光が宿っていた。
(――なに、この人……)
こうして私は、訳も分からぬまま、冷酷皇太子との政略結婚に突入した。
けれどそれは、“政略”というにはあまりに甘く、優しく、混乱するような日々の始まりだった。