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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

元ヤン令嬢、キレる。

作者: 牛飼山羊

あまりにも腹がたったので殴ってしまった。

この国の王子を、グーパンで。


「ふごっ?!」


王子は間抜け面で間抜けな声出して後ろに吹っ飛んでいった。


ああ、やっちまったなあまじで。

この18年間、男爵令嬢として淑やかに慎ましく生きてきたのになあ。

まあでもこいつの侮辱が度を越してたのは確かだし、やむなし。


でもせめて飲み物かけるとか平手打ちとかに収めておけば、まだギリ淑女ってことで、挽回できたかもしんないのに……グーパンて。

鼻っ柱ストレート1発KOって!

言い逃れのしようもねえわ。

ってか一国の王子に手出した時点で私の人生おしまいだけど。

国外追放?終身刑?修道院送り?


「こ、殺せ!」

と、まるで私の心を読んだかのように、鼻血まみれの王子が叫ぶ。


「は、は、反逆罪だ!この女!私を殴ったぞ!いますぐ処刑しろ!!」


ま、そうなるか。

ふつうそうなるわな。

でもそれなら、もう遠慮はいらねえな。

どうせ死ぬならその前に、溜まった鬱憤全部晴らさせてもらうぜクズ王子。


いやこの国全てのクソ野郎ども!


「この女だけじゃない!サフィアもだ!従僕の罪は主人の罪だぞ!お前も――――ほげっ?!」


うん、男を黙らすには、やっぱこれが1番効くな。

股間を蹴られた王子は悶絶し、死にかけの魚のように口をパクパクさせている。

アタシは気色悪い感触の残る右足をさすりながら、吐き捨てる。


「従僕じゃねえよ」


ただのお友達役、話し相手だっつーの。

それ以上でもそれ以下でもない。


そう、だからこれは、全部アタシが勝手にやったこと。

自分の意思で、自分のために、やったことだ。


「よーく覚えておきな、クズ野郎」


アタシは不敵に笑う。

追放だろうが、死刑だろうが、もうどうにでもなりやがれ。


今この場で胸を張ることより大事なことなんて、ねえだろ!


「アタシはアンバー・パンクハースト。てめえの3歩前を歩く女だ!」






***






前世でのアタシ名前は三浦杏。苗字はあったけど、親のモンではない。産まれてすぐ捨てられたアタシは、乳児院に入れられて、そこで三浦って苗字を与えられた。

乳児院がどんな場所だったかは覚えてない。けどその後に移った養護施設のことは、こっちの世界で16歳になった今でも、よおく覚えている。


本当にクソッたれな場所だったから。


揃いも揃って加虐趣味の暴力指導員ども。それに影響された粗暴なガキども。住む人間を表したような、不潔でオンボロの施設。

風呂には週に二回しか入れなかった。服も玩具も、中古品しか与えられることはなかった。

アタシあそこにいる間、いつも腹が減ってて、生傷が絶えなかった。

いつも腹を立てていて、ずっと最低の気分だった。


アタシは年々荒れていって、施設でも学校でも問題児として扱われるようになった。それでもなんとか中三までは施設で暮らしてたし、学校にも通ってたけど、中三のとき施設の指導員に犯されそうになって、ついにブチギレた。

その変態ジジイと止めに入った職員を半殺しにして、アタシは施設を飛び出した。


最初は自由になったと思った。

一線を超えたからな。怖いモンなんかなんもなくなって、無敵だった。

同じように荒れてた中学の先輩の家に転がり込んで、その先輩の友達だった地元の半グレ連中とつるんで、恐喝とか万引きとかスリで小銭を稼ぐようになった。

でもだんだんそれがエスカレートしていって、わりがいいからって受け子とか、運び屋もするようになった。深みにハマっていったんだ。やめたい思ったけど、戻る場所はなかったし、やめたあとどうすればいいのかもわからなかった。

そのうちウリとか薬を強要されるようになって、本当に抜け出せなくなっちゃって、気づいたら施設にいた時以上の地獄にアタシはいた。


バカだよね。

自業自得なんだどさ。


最後は強盗の実行犯をやって、そこでヘタこいて死んだ。

クソったれな人生にふさわしい、クソったれな末路だったよ。

バイクで逃げてたんだけど、焦って電柱にぶつかっちまったんだ。


路上に吹っ飛ばされて転がったアタシを、近くを歩いて親子連れが助けようとしてくれた。(まあもう手遅れだったんだけどさ)

そこの娘に見覚えがあったんだ。

そいつは施設で一緒だった女だった。


あんなクソみたいな施設で育ったとは思えない、大人しいいい子ちゃん。正直アタシはぶりっ子だって嫌ってた。

でもいい子ちゃんなだけあって、そいつは里子に貰われていった。裕福な家庭だって聞いたけど、そのときはちっとも羨ましくなんかなかった。


アタシは親も家も知らない。

アタシの周りにあったのは肥溜めみたいな寝床と糞以下の大人だけだったから、金持ちのところにいったって大して変わらねえと思ってた。

里親の顔色伺って、ぶりっ子し続けて生きより肥溜めの方がマシとさえ思ってた。

でも死に際に見たそいつを見て、それ間違いだったことを知ったよ。


だってさあ、その子、すげえ幸せそうだったんだもん。


お姫様みたいなキレイな服きてさあ。里親と楽しそうに肩並べて歩いて笑ってた。それでアタシが倒れてるのに気づくと、慌てて駆け寄ってきて、きれいな服汚れるのも気にしないで、必死に介抱してくれた。


いいなあって思ったよ。

すげえ羨ましかった。


アタシもちゃんといい子にしてたらこうなれたのかなあって。腐らず我慢してれば、アタシも金持ちにもらわれて、絵本に出てくるお姫様みたいなれたのかなあって。

もし生まれ変われたら、今度はちゃんといい子にしてよう。ぶりっ子でなんでもして、絶対金持ちの家の子になって、それでいい暮らししてやる……。


なんて思いながら、アタシ死んだんだ。


それで、神様がその願いを叶えてくれただか知らねえが、アタシは本当に生まれ変わった。




生まれ変わった先は日本じゃなかった。というかたぶん世界が違う。近世のヨーロッパみたいな場所でアタシは目を覚ました。


アタシは5歳のガキで、孤児だった。


ボロい孤児院で、小汚いガキどもと一緒に身を寄せ合って暮らしていた。

そう、生まれ変わっても孤児だったんだよ。

ふざけてるよな。

転生ガチャ爆死してんの。

でもまあ気楽でよかったけどな。前世の記憶あるし、親とかいても正直どう接していいかわかんなかったからさ。


それに今世の寝床は、前より貧乏だったけど、前よりはマシだったから。


暴力振るってくる大人いなかったし、孤児院は貧乏だったけど清潔だった。面倒見てくれる修道女のオバさんたちも町の連中も同情的で、たまにウザイけど、まあ悪くなかったよ。

でもアタシはいつまでもこんなところいるつもりはなかった。

前世の反省があるからな。このまま孤児院にいても、女のアタシじゃ洗濯女になるか娼婦になるかしか道がない。まあ男だったとしても、日雇い労働者にしかなれなかっただろうけどさ。


この世界は前の世界でいう近世ぐらい文明で、だからか知らないが、超階級社会だった。

成り上がるのはほぼ無理ゲー。金持ちになりたきゃ、金持ちの子になるしかない。


だからアタシは努力した。


前世の反省を生かして、ひたすらいい子でいた。誰にも愛想良くして、常にお行儀良くして、死ぬほど勉強した。

徹底的にぶりっ子し続けた。

それが功を奏して、アタシは里親ガチャで大勝利を納めた。

転生ガチャには爆死したけど、ここで取り返したってワケよ。


お利口な孤児のアタシは、10歳である男爵家養子になった。

男爵がアタシを引き取った目的は、娘の身代わりにするためだった。


男爵の娘はつい最近流行病で亡くなったんだけど、婚約中の身で、お相手は格上の子爵家だった。数年がかりでこじつけた良縁を無駄にしないために、男爵は娘の死を隠して、アタシその代わりにしようとしたってワケだ。

アタシとその娘は背格好は同じくらいだったけど、顔はそこまで似ていない。でも二人は婚約してからまだ日が浅くて、顔合わせをしていない。もちろん親同士は知り合いだけど、当人は肖像画でしか知らない。

だから誤魔化せると思ったらしいし、実際誤魔化せた。


アタシは貴族としての教養とマナー叩き込まれて、その婚約者、ピーターに会った。男爵家の娘、アンバー・パンクハーストとして。


ピーターはアタシよりひとまわり上の、見た目こそ王子様みたいな美形だけど中身はスネ夫の煮凝りみたいな嫌な奴だった。

小心者のくせにプライドが高くて、ガメツくて、親の金と威光で生きてるろくでなしだった。


そいつは初対面の婚約者のアタシ前にして、まったく遠慮のない品定め視線を浴びせかけてきた。それが済むと今度は品評はじめやがった。

もう少し太った方が自分好みだとか、その髪型は古いだとか、いまはまだいいがもう少し成長したらドレスは胸元開いたデザインを着ろだとか、歩く時は三歩後ろをついて歩けだとか、とんでもねえハラスメントの嵐。


何様だくそ野郎と、前世のアタシだったら茶をぶっかけてやっただろう。

それも手にしたカップではなく、執事の持つポットの中身を、ポットごとぶん投げてやっただろう。

でも今世の、品行方正で慎ましいアタシは、ただにこにこと笑って甘ったるい茶を流し込むだけだ。

ここで手を出せば前世の二の舞だし、なによりこの程度の無礼は日常茶飯事だったからだ。


孤児院時代、つまり下層階級に属している時はさほど気にならなかったが、どうやらここひでえ男尊女卑社会らしい。

特に上層階級では、女は完全に男の所有物だった。周辺諸国への配慮からか、建前上は女にも参政権はあるし、公職に就く資格もあるが、実際にやるやつなんて誰もいない。

男に歯向かう女は軒下のドブネズミよりタチが悪い。そういう女は同じ女からも嫌われる。

出る杭は打たれるってやつだな。

大人しく従順ででしゃばらない。これがこの世界におけるいい女の三大要素。

令和の日本を生きてたアタシからしてみれば、カビ臭え腐った価値観だけど、郷に入っては郷に従え、だ。


アタシはここで金持ちの子としていい暮らしをしていくと決めたんだ。

くそ男どもになにを言われようが関係ない。

訳のわからないルールばっかりの貴族生活だって耐えられる。

もとの暮らしに比べたらへでもねえ。


清潔な寝具は羽みたいに軽くて雪みたいに真っ白だし、風呂だって毎日好きな時に入れる。服もアクセサリーも選びたい放題で、当然ぜんぶが新品だ。毎食とんでもないご馳走を腹いっぱい食える。

なによりメイドや出入りの商人の女がアタシに向ける羨望の眼差しがあった。

今まで誰からもあんな目で見られたことはなかった。哀まれたり、蔑まれたり、馬鹿にされたり、見下されたり、アタシに向けられる目はそんなんばっかりだった。

でも貴族になってからは違った。

みんなアタシを羨んでる。嫉妬まじりのキラキラした目でアタシを見る。孤児から貴族の娘に成り上がったアタシを、いいなあって、私もああなれたらなあって思いながら見てくる。

死に際に、アタシがあの子を見たのとおんなじ目で。


アタシは夢をかなえたんだ。


いまの生活を続けるためなら、なんだって耐えられる。どんなクソ男の相手だって耐えられる。


……そう思ってたんだけどねえ。



**



子爵家に嫁いで6年目、アンバー・パンクハーストとして16歳になった時のこと。

アタシは王城からお呼びがかかった。

この国のお姫様、サフィアのお友だち役として。


その頃アタシは、社交界でも評判の、できた娘だった。

子爵家の娘なってからも、その立場を守り続けるため、アタシは努力した。

もし粗相をして婚約者に見限られるようなことがあれば、家を追い出されることは間違いない。なにせ子爵は娘の葬儀をせず、墓も立てずにアタシという代わりを家に入れた薄情者だ。

権威と利権、金にしか興味のない男なのだ。

やつにとってアタシの価値は、スネ夫の煮凝りの婚約者であるという一点だけであり、その価値を失えば、家を追い出されるどころか口封じに殺される可能性の方が高いくらいだ。

アタシは今の生活と自分の命を守るためにも、研鑽を重ね続けた。


大っ嫌いな勉強を、血反吐を吐く思いでがんばった。完璧な礼儀作法を身につけて、自分を1番美しく見せる化粧を覚えて、流行のチェックを欠かさず、いつも最先端の、それでいて出しゃばりすぎないドレスを選んだ。

おめでたいピーターはアタシが自分に似合う女になるために努力しているんだと勘違いして、超上から目線で褒めてきたりしてウザかったけど。

とにかく16歳のアタシは男爵令嬢ながら社交界の花として燦然と輝いていた。


我ながらよくやったと思う。

お姫様のお友だち役に選ばれたときは、なんか金メダルもらったみたいでちょっと泣きそうになったし。

ピーターが自分の手柄みたいに周りに自慢してたのにはマジで腹が立ったけど。


そんなわけで、16歳からアタシは王城に通うようになった。




最初の頃は順調だったよ。

サフィアすごく引っ込み思案な女の子で、アタシ以外にもお友だち役はいたんだけど、大人数でいるとどんなにみんなが話を振っても全然喋れなくて、正直いつも場を白けさせてた。

もちろんアタシ含め周りはすぐフォローに入って何事もなかったことにしたけど、まあやっぱそういうのって本人もわかっちゃうモンだよね。


だいたいお茶会のあと、サフィアはしょげてた。

さすがのアタシも、アレは心配になったよ。


だってサフィアはアタシと同じ16で、2年くらいしたらよその国にお嫁に出ることが決まってたから、自国の令嬢に対してもそんな感じで、果たして外でちゃんとやっていけるのかって。

(ちなみにアタシも18でピーターと結婚する。本当はもう少し早くする予定だったけど、ただの茶飲み友達とはいえ、王家との関係を最優先するべきという両家の意向でちょうどお役御免のタイミングに合わせることになったんだ)


まあアタシなんかが心配になるくらいだから、王城の連中なんか気が気じゃないみたいだったよ。わざわざお友だち役に評判のいい令嬢をかき集めるくらいだからね。

でも、サフィアが弱気すぎるってのもあるけど、周りも悪いって、はたから見ててすぐにわかった。


なにせここは超男尊女卑王国の中枢。

女なんて駒だし、抱き犬くらいにしか思われてない。

はっきり言って奴隷みたいなもんだった。


お妃様なんてこの国で1番煌びやかな人たちのはずなのに、まるで中身がすっかすか。

にこにこしてるだけで、自分からなにも話さない。

頭ピンク沸いた王様が、還暦のくせして女を何十人も囲んでいたり、白昼みんなが見てる前でお妃様を愛人の名前で呼び間違えたりされても、文句の一つなし。

女だけのお茶会でも、そんなくそ色ボケクソジジイの悪口は一才口にしないで、茶がうまいとか天気がいいとかそんな上品だけど上っ面しかない会話ばっかしてる。

それでいてサフィアがちょっとでも粗相をしたり、父親や兄のことを話そうとすると、それが例え悪口じゃなくても、射るように睨みつける。


怖ええよ。

父親といい、毒親にもほどがあんだろ。


でもそんな両親も、あのくそ兄貴に比べたらまだマシだった。

ピーターでさえ霞んで見えるほどの、のぼせあがったオレ様くず野郎。


それがこの国の王子で、サフィアの兄、次期国王の、メイソンだった。




ピーターがスネ夫の煮凝りならメイソンは発酵したジャイアンだった。

ピーターと同じく外見は整っている。イケメンだといってもいい。

だけど中身はやはり腐っている。

どういう教育をしたらこうなんだよと、親の顔が見てみてえよ、となる。

(事実この子にしてこの親ありといった感じだけどな)


クソ親に甘やかされて育ったクソ男。

親傍若無人、厚顔無恥、唯我独尊の勘違い野郎。

それがメイソンという男だ。


なまじ顔が良くて、仕事ができるからなおたちが悪い。

性格は終わってるけど、めちゃくちゃ優秀なんだ。

あいつがコレといった政策は必ず成功するし、外交もうまい。努力して身につけたとかそういうんじゃなくて、勘がいいタイプ。

国を動かす才能は自他ともに認めるところで、現に国王なんかは政務のほとんどを王子任せにしちゃってる。

それで国の景気がよくなったときたもんだから、もう誰も王子に口を出せる者はいなくなった。


わりを食ったのは、アタシたち女。

なぜって王子はこの国の全ての女が自分のものだとおそらく本気で思ってる。

まあたしかにあの顔があれば絆せる女も多いだろう。

でもあいつは相手の気持ちなんかかまってない。女を全員見下してるし、なにをしてもいいと思ってる。

だから平気で女を殴る蹴る。欲しいと思ったら誰の妻だろうが結婚間近の生娘だろうが関係なく組み敷く。


人間の屑だ。

令和の日本ならただの犯罪者だ。

それでもこの国で一番権力を持った男のやることだから、誰も文句は言わない。


あいつは実の母親に平然と暴言を吐くし、ドレスが若作りだとかいうふざけたイチャモンをつけて舞踏会から皇后を退席させたこともある。

当然妹のサフィアも例に漏れない。

というか最もひどい被害者だといっていい。


身内だからか、妹だからか、メイソンはなにかとサフィアをイジメた。

殴る蹴る暴言を吐くは日常茶飯事で、挨拶はすべて無視。

話しかけられても、それが自分を褒めたたえる言葉でない場合はすべて無視。褒められたとしても、内容が気に食わないとまた手が出る。

止める人間は誰もいない。

アタシは逆にサフィアに感心する。

あれだけのことをされて、よく手が出ねえな、と。


アタシだったら口の中にグラスを突っ込んでからこれでもかってぐらい顔面を殴打してやる。

あいつが喋れなくなったら吐かれた暴言そっくりそのまま全部返してやる。

それで城の中の金目のモンありったけかっぱらって隣国に逃亡する。

何度アドバイスしてやろうかと思ったことか。やるなら手伝うよ、と、何度口にでかかったことか。

(もちろん全部飲み込んだけどな)


お淑やかなお友だち役のアタシは、ただ静観してるだけ。

モヤモヤするけど、わが身が大事だし、アドバイスしたとこで、きっとサフィアはなにもできないから。

アタシは黙って、火の粉が自分に飛んでこないことを祈るばかりだった。


でもそんなアタシに、サフィアはなんでか懐いた。

お友だち役は他にもいたのに、なぜかお茶会の席はいつもアタシの隣だったし、庭園を

散歩するときも、アタシについて歩こうとした。


「サフィア様、どうか前をお歩きください」


アタシはそうこっそり注意したこともあった。


「サフィア様が主催のお茶会ですし、ここは王城、サフィア様が主です。サフィア様が皆さんを率先してご案内しませんと」


ふつうなら男爵家の人間が王女に助言なんてありえないことだ。それこそ不敬だって社交界締め出しをくらってもいいレベルの。

でもこの王女ときたらなぜかさらに助言を求めてきた。

それも子犬みたいに目を潤ませて。


「どこに案内すればいいのかわからなくて」


勘弁してくれ。

アタシはそういう顔に弱いんだ。


「見頃の花を教えて差し上げては?」


と、アタシはついたまらずまたアドバイスをしてしまう。


「いまはなにが見頃なのでしょうか」


おいおい、庭園は貴族にとって第二の顔みてえなもんじゃなかったのか?

花の種類や見頃はおろか、間に置いた彫刻の数から噴水の高さまでなにもかも把握しておいて当然だろ。知ってれば話のネタになるし、知らなきゃ恥をかく。

そんな常識も知らないのかこのお姫様は?


いやでも逆にお姫様ともなれば、そんなもんは周りの召使連中が勝手に喋ってくれるもんで、自分では知らなくて当然なのか?


あれこれ考えても仕方がねえかと、アタシはこの季節に見頃を迎える花をいくつか耳打ちしてやった。


サフィアはまんまるい目を輝かせながら頷いて、アタシが挙げた花のものへ、ぎこちなく令嬢たちを率いて行った。

それからというもの、サフィアはなにかとアタシを頼るようになった。




今までもアタシの傍によく寄ってきてはいたが、もう近頃では隠そうともしなくなった。

困ったことがあればすぐにアタシを頼ってきた。


今度のお茶会ではどんな茶葉を用意するべきか。

席順は?机に添える花は?皇后の生誕祭にはなにを着て行けばいい?祝辞はどうすればいい?

はては婚約者である隣国の王子と交わす文通の内容まで相談してきやがった。


まあでも、嫌な気はしなかったよ。


男爵令嬢相手にいいのかよって最初は思ったけど、サフィアの態度に裏はなさそうだったからな。

男爵令嬢だから、逆に気楽だったんだろうな。

なんにせよ、サフィアは純粋にアタシを慕ってくれてた。


アタシもアタシで、次第にサフィアに気を許し、砕けた態度をとるようになった。

もちろん分は弁えてる。

あくまでお友だち役だってことは踏まえた上で、二人きりのときだけは、サフィアをかわいい妹分として扱った。


「サフィア様はどうして私と仲良くしてくださるんですか?」


ある日、思い切って訊ねてみると、サフィアはまるで恋する乙女のように顔を真っ赤にして答えた。


「かっこよかったからです。――――アンバー様は、お淑やかでお優しくて、お手本のようなご令嬢なのに、ときどきすごく凛々しい表情をされるので……私の憧れです」


「かっこいい?凛々しい?私が?」


「はい。私がぶたれているときや、他の女性が理不尽な目に合っているとき、それが例えメイドであっても、アンバー様はとても厳しいお顔をなさっています。まるで、自分のことみたいに、怒っておられますよね」


「……それは誤解です、サフィア様。私はいつも、目を逸らしているだけですよ」


「目を逸らすその一瞬の間に、お怒りになられています。私は何度もそれを見ました」


アタシがまさか、と否定するのを聞きもせずに、サフィアはうっとりと続けた。


「それを見た私は、アンバー様はとてもお強くて、同時にとてもお優しい方なのだと思いました。そして私の想像通り、アンバー様はとても親切な方でした。ずっとお近づきになりたいと思っていたんです。ですから最近こうやって仲よくして頂いたり、なにかと手助けしていただけることが、私、本当に幸せです」


「……光栄です」


としか言えなかった。

なんかすごい美化されちゃってた。

っていうかアタシそんな顔してたの?睨んだりとか全然そんなつもりなかったんだけど……。

マジで気をつけよう。こんなふわふわした子に気づかれるくらいだ、他のやつに見られてたっておかしくない。


それに、ただ睨んだって、なにも状況は変わらないし。

そんなことしたってなんの意味もない。

ムカつくのに舌打ちひとつできないやつが、カッコいいわけない。




アタシはその日からなんとなく、アンバーから向けられる羨望の眼差しが、キツくなった。

前はむしろ嬉しかったのに、いまはなんか居た堪れない。

金持ちの家の子になれて、順風満帆で、夢叶ったはずなのに、前世で憧れたあの子みたいにはなれてない気がする。

キレイな服が汚れるのも気にしないで、アタシを助けようとしてくれたあの子みたいには。


――――なんかダサい。今のアタシ。



**



それから2年が経って、アタシは18歳になった。サフィアとのお友だち関係は良好――――というかサフィアのアタシに対する視線は、年を追うごとに熱烈なものになっていった。

サフィアだけじゃない。

他の令嬢も、アタシにキラキラした、熱っぽい目を向けてくるようになった。


この2年で背がかなり伸びたから?顔つきが同世代よりかなり大人っぽくなったから?

理由はよくわからないけど、でも相変わらずその視線を、アタシはやりきれない気持ちで受け止めていた。

向けられる視線の数が増えるごとに、アタシのモヤモヤした気持ちは膨らんでいった。


モヤモヤの正体はもちろん、男ども対する苛立ちだけど。




18歳になったことで、アタシとピーターの結婚もいよいよ秒読みとなった。

ピーター出会った時となんら変わらない屑だった。人の容姿にあれこれとケチをつけ、やれ顔がキツすぎるだとかドレス安っぽいだとか口うるさくてしょうがない。それでいて財布の紐は固いんだから本当に腹が立つ。

そんなピーターに、アタシも変わらずニコニコ愛想を振り撒いてやっていた。


18歳のアタシはピーター好みの豊満な女でなかった。

胸もケツ小さい。良くいえばスレンダー、悪く言えば貧相な体型だ。

あいつ好みの聞き分けのいい女を演じ続けた結果、身体はあいつの好みとは正反対の方向に育ったのかもしれない。

よくやった自分。

特に背なんかはピーターとほとんど変わらないほど大きくなった。

あいつはそれを気にして近頃底上げの靴ばかり履いている。仕方ないからアタシは底の浅い靴を履いて、その惨めな抵抗に屈してやる。


本当はピンヒール履いてハイウエストのドレスを着たいんだけどね。


でもピーターのためじゃなくてもそれはできない。なぜならこの国の上流階級の女はみんな小柄だ。女で背が高いのは庶民以下の下層階級の奴らだけ。

これ以上背が高くなったらいろんな意味でまずい。ましてや背の高さを強調する服装なんて論外なのだ。


それにしてもあいつの好みにそぐわない外見なったのに、あいつが婚約破棄を求めてこないことは意外だった。


アタシは今や社交界の華で、ご令嬢たちの憧れの的だ。数

年前だったらピーターに見限られたらアタシの人生はおしまいだったけど、いまは例えコイツに捨てられても、いくらでも他に縁談があるだろう。

まあそれでも一応は婚約が続いているから、アタシはピーターに従順でいてやってるけど、焦りがない分、余計に不思議だった。


なんでこいつアタシを捨てないんだろう、って。


この婚約は男爵がほとんど無理やり漕ぎ着けたもので、正直子爵家のメリットは薄い。

ピーターはいつでも自分好みの女に乗り換えられるはずなのに、なぜかアタシとの婚約を続けている。

よくわからない男だ。


まあ大方、アタシ社交界の華で、王女様のお友だちだからだろうけど。

見栄っ張りな男だから、そばにおく女も目立つほうがいいんだろうな。


とにかく、いろいろあるけど、概ね順調に、アタシ貴族暮らしは続いていた。

このままピーターと結婚して、子爵家のご婦人としてこれまで通り慎ましく暮らしていく。子供を産んで、育てて、おばあちゃんになって穏やかな老後を送る。

アタシがこの先過ごすのは、つまんないけど、なに不自由ない。

そんな人生だと思ってた。


いや大人しくしてれば実際そうなっただろうな。


でもダメだった。

アタシは、やっちまった。


ピーターと結婚した時点でめでたしめでたしって終わるはずだったアタシの二回目の人生は、ある事件を境に波乱万丈なものとなってしまった。

アタシはお利口さんの、凡庸な令嬢として誰の記憶に残ることもなく埋没していくはずだったのに、とんでもない女として歴史に名を残すこととなってしまった。


こんなはずじゃなかったのに!


って嘆きたいところだけど、ハッピーエンドをかなぐり捨てて、嵐を巻き起こしたのは他ならぬアタシ自身なんだよね。


堪忍袋の尾が切れたってやつだ。

自業自得。

でもって意外と、後悔はしてない。



**



アタシの二度目の人生が波瀾万丈になった発端は、あのクソ王子だった。


うちの国では結婚前に当人同士が顔を会わせるのは婚約式くらいなものだけど、お隣さんはそうでもないらしく、サフィアの婚約者であるアレキサンダーは結婚まで一年を切ってから頻繁にサフィアの顔を見にやってきた。


これがまあできた男だったんだよ。


うちの貴族にはいないタイプの、質実剛健で無口な若者。

王子というよりは騎士ってかんじだ。

一見すると愛想がないんだけど、口数が少ないだけで、ふとした所作にすごく思いやりがある。

サフィアもはじめは緊張していたみたいだけど、歳がそう離れていないせいもあって、二人は次第に打ち解けていった。


というかサフィアはアレキサンダーにメロメロになってた。


なにかといっちゃあアレク様アレク様つって、見てるこっちが恥ずかしくなるくらいだ。

アレキサンダーもまんざらでもない様子で、この子犬みたいな婚約者をいつも眩しそうに見てた。


まったくお熱いことだ。


なんでアタシが二人の事情に詳しいかって言うと、サフィアから逐一詳細の報告を受けるのはもちろん、なにかと二人の逢引きに同席してたからだ。


自分でもどうかと思うよ。


っていうかアタシ、男爵令嬢って貴族の中でもけっこう身分低いんだけど。王女のお供とはいえ、他国の王族とお茶したりなんかしちゃダメだと思うんだけど……。

そもそも逢引きに友だち呼ぶなよな。

って文句は死ぬほどサフィアに言ったけどまるで聞き入れられなかった。

「私の一番はサフィア様ですから」

とかなんとか訳のわからない答えが返ってくるばかりだった。


アレキサンダーにのぼせ上ってるからか、最近のサフィアは今までにも増してふわっふわだった。

今からこんなんで、いざと嫁いだ時大丈夫か?

明るくなったし、よく喋るようになったのはいいことだと思うけど。


……いや母親かよ。


アタシも大概だ。

サフィアにつられて浮ついてるのかもしれない。

しっかりしなきゃ。

結婚っていう人生のゴールは目前なんだから。


とか思ってた矢先に、事件は起こった。




その日もアレキサンダーが結婚式の打ち合わせ(という名目のデート)に来るっていうんで、アタシはサフィアと一緒に出迎えの準備をしていた。


「東方の珍しい紅茶が入ったからお出ししようと思うんですけど、もしお口に合わなかったらどうしましょう。香りがかなり強いもので、クセがあるんです」


「口直しがあれば大丈夫ですよ。それより花を入れ替えた方がいいかもしれません」


「花を?」


「カサブランカは芳香がありますから、その紅茶とは相性が悪そうです」


「そうですね!ではなにか代わりの花を……」


「庭園のダリアはいかがですか?香りはありませんし、ちょうど満開を迎えているので、ぴったりですよ」


「摘みにいきましょう!」


お喋りに夢中になっていたアタシたちは、廊下の先を、メイソンが歩いていることに気づいていなかった。

それどころか庭園に急ごうとしたサフィアは、それがメイソンと気づかないまま、追い越して行ってしまった。


くず野郎メイソンがなによりも嫌うこと。

それは自分の前を女が歩くことだった。


「おい」


メイソンの声を聞いて、サフィアははっと我に返った。

そしておそるおそる後ろを振り返った。


「何様のつもりだ」


アタシはメイソンの後ろにいたから、やつがこのときどんな顔をしていたか知らない。

でも見なくてもわかる。

メイソンはぶちギレてた。

サフィアを、それこそ殺さんばかりの勢いで。


「あ、あ、あの、お兄様、申し訳ありません、わた、私は――――」


「誰が口をきいていいと言った?」


サフィアは弁明の余地すら与えられない。

ついさっきまで上気してた顔はすっかり青ざめて、この世の終わりを前にしたみたいになってる。


バカな子。

いまにも死にそうな顔してるサフィアを見て、アタシはついそう思ってしまう。


メイソンにやらかしたこともそうだけどさ、それ以上にあんなに怯えるのはバカだって。

隣国に嫁ぐことが決まってて、さらにいえば今これからその王子を接待するっていう妹に手をあげるほど、メイソンは馬鹿じゃない。


そう、メイソンは屑だけど馬鹿ではないんだ。


政治的価値がある以上、サフィアにはなんにも手出しできないんだ。せいぜい無視するとか暴言を吐くとかそんなことしかできない。

だから怯える必要なんてないんだ。

サフィアは堂々としていればいいんだ。


そもそもなにも悪いことなんかしてないしね。叱責される筋合いすら、本当はないんだから。

情けない泣き顔は、いますぐひっこめるべきだ。

でも所詮アタシは男爵令嬢。二人が話している間に割って入ることはできない。


アタシはただ黙って見ていることしかできない。

サフィアがなにを言われようとも。どれだけ侮辱されようとも。

壁の花になって、ただ笑って、王子に賛同しなくちゃいけない。


……アタシのほうこそ、今にも死にそうな気分だよ。


「まったく貴様と同じ血が流れていると思うとぞっとするよ。こんな愚かな妹を持つことより不幸なことがあるか?なにひとつとりえのない、愚かなグズ。私が玉座に就いた暁には、この城からお前のようなドブネズミは一匹残らず駆除してやる。よかったなあ?貴様はその前に、運よく隣に逃げおおせられて」


いまの台詞、そっくりそのまま返してやれ。

アタシはサフィアに向けてそう念じたけど、サフィアは俯いたままぽたぽたと涙を落とすだけ。

拳のひとつも握らない。


しっかりしろよ。

泣いたって、相手を喜ばせるだけなのに。


「だが貴様のようなドブ鼠を后にとるようでは、隣国もおしまいだな。我が国より資源が豊富というだけの理由で大きな顔をしているような連中だが、うちから追い出した鼠のために滅びるとなれば、さすがに胸が痛むよ。アレクサンダーもかわいそうに。責務とはいえドブ鼠を抱かなくちゃいけないなんて、私なら初夜の前に自害するね」


アタシだってお前と寝なきゃいけなくなったら自殺するよ。

いやその前に殺すけどな。

そんなことを思いながら、アタシはいつの間にか、拳を握りしめてた。

血管が浮き出るくらい、固く。


「ああまったく、もう少しの辛抱で貴様の醜い顔をこの城で見ることがなくなると思っていたのに。最後まで本当に煩わしい女だな。兄への心づかいはどうした?これまで誰が貴様を躾けてやったと思ってる?誰のおかげでいまのお前がある?なにひとつ価値のない貴様のようなグズを隣国に嫁がせてやったのは誰だ?すべてこの私じゃないか!」


メイソンの雷みたいな怒鳴り声に、サフィアは悲鳴をあげて、しゃがみ込んでしまう。


ダメだって。

立てって。

こんな野郎に屈しちゃダメだって!


「こんなところで座り込むなんて、なんて下品な女だ。立て。床が汚れてしまうじゃないか!」


メイソンに促されても、怯えたサフィアは立ち上がることができない。

自分の言うことをきかないサフィアに業を煮やしたメイソンは、声を荒げて周囲の人間を呼び集める。


「おい、お前たち!こいつを見ろ!」


アタシと同じように、二人のやりとりをすぐ傍で静観していた従者や衛兵、執事たちがメイソンの周りに集まってくる。


「このドブ鼠は神聖な城の廊下をその汚い四肢で汚した。与えるべきはどんな罰だ?」


周囲に集まった野郎どもは、メイソンの意図を察し、にやにやと下品な笑みを浮かべた。


「ご自分の汚れは、ご自分で落としていただかないと」


野郎どもの最低な提案に、メイソンは満足そうに頷いた。

それからサフィアに向けて命令した。


「服を脱げ」


「……え?」


「二度も言わせるな馬鹿が。服を脱いで、それで床を磨くんだ」


サフィアは呆然としながらも、そのときはじめて、小さく拳を握りしめた。


そうだよね。

さすがに我慢できないよね。


だってそのドレスは、今日のために特別に作ったものだ。

この前アレキサンダーが来た時、サフィアはプレゼントに花を模した髪飾りをもらった。

サフィアはめちゃくちゃ喜んだし、当然今日もそれをつけてる。

ドレスは、その髪飾りに合わせて特注したものだ。

それをこんな野郎どもの前で脱いで、雑巾にしろって?


ありえねーだろ。

ふざけんじゃねーよ。


今日のサフィアはヘアスタイルからドレスまで、全部今までにないくらい可愛かったのに。

堅物のアレキサンダーだって、さすがに目を瞠ったはずだったのに。

それなのに、もう台無しだ。

髪は乱れてるし、泣いて化粧は落ちるし。

なにより笑顔じゃないし。

ぜんぜん可愛くなくなっちゃってんじゃん。


「サフィア」


あれ、なにしてんだろアタシ。

そう思ったときには遅かった。


「立ちなよ。――――ドレス、汚れるよ」


気付いたら、アタシは野郎どもの前に出て、サフィアを助け起こしてた。


野郎どもは絶句する。

まあ、当然の反応だろうな。


だって、ふつう誰も、こんなことしない。


サフィアがこうやってみんなの笑いものにされるのは日常茶飯事だ。

サフィアはお姫様だけど、それ以前にメイソンのサンドバッグだから、誰も助けない。

飛び火しないことを祈るだけ。

メイソンを気持ちよくさせるために囃し立てるだけ。

同じ女である母親やメイドも、ただ目を背けるだけ。

もちろんアタシも、今日までそうだった。


「なにをしているんだ貴様?」


メイソンは宇宙人でも見ているかのような顔で、アタシを見る。


「行こう、サフィア」


アタシはメイソンを無視して、サフィアの肩を抱く。


「花はさ、アタシがとってきてやるから、アンタはそのひでえ顔なおしてきな」


「ア、アンバー様……」


「ほら、しっかり歩けよ」


アタシとサフィアは、野郎どもに背を向けて歩き出す。


「待て」


怒りに震えるメイソンの声が後ろから聞こえる。

サフィアはびくりと震え、足を止めそうになるけど、アタシはそれを許さない。

肩をさらに強く抱いて、行こうと促す。


「待てと言っているだろう!聞こえないのか!?」


聞こえてるよばーか。


アタシは心の中で中指を立てる。もちろん止まったりはしない。


「この――――っ!」


怒りが頂点に達したメイソンが、後ろからおいかけてきて、サフィアの髪をつかもうとする。


「女のくせに、私の前を歩くな!!」


メイソンの手は、サフィアの髪飾りに伸びていた。

それを見たアタシは、反射的に拳を握って、突き出した。


ゴッ!


振り向きざまに放った一発は、我ながら見事に、メイソンの顔面のど真ん中を打ち抜いた。


あーやっちまった。

やっちまったよこれ。


いや野郎どもの間に入った時点でけっこうおしまいだったけど、これはもう言い逃れできない。

でもひどく胸はすっとした。

爽快感がすごい。

……よし。

こうなったらもう、やりたいだけやってやろう。




――――で、冒頭に戻る。




「アタシはアンバー・パンクハースト。てめえの3歩前を歩く女だ!」


本当は三歩ってか百歩くらい前にいたいけど。

っていうか視界にすら入っていたくねえけど。


「……殺せ」


鼻だけじゃなく、股間まで潰されたメイソンは、鬼の形相でアタシを睨み付ける。

内股になって股間をおさえた格好じゃあ、どんなに凄んだってマヌケにしか見えないんだけど。


「今すぐ、そいつの、首を刎ねろ」


命じられた衛兵は、すぐさま剣を抜く。

鏡みたいな刀身を見て、さすがにアタシも、びびる。


怖え。

死にたくねえ。


でも逃げようにも、周りはすでに城内から集まってきた野郎どもに囲まれちまってる。


ここまでか。


まあ、少なくとも男爵令嬢になってからの十三年間は、いい暮らしできたしな。

最期に言いたいことも言えたし。

あの子と同じことができた気がするし。

前世と合わせたら40年近く生きたことになるし、充分だろ。


そう、アタシが覚悟を決めた、そのときだった。


「やめてください!」


そう言ってアタシの前に立ちはだかったのは、サフィアだった。


「今すぐその剣をしまってください。――――しまいしなさい!」


泣いてぼろぼろの顔で、震える声で、サフィアは命じた。


「この人を傷つけてはいけません!」


衛兵はたじろいだ。

もちろんサフィアに命じられたからじゃない。

王子と姫がそれぞれ与えた命令は相反するものだったけど、でもこの城にはメイソンの命令を蹴ってまでサフィアに従うやつなんていない。

衛兵がたじろいだのは、サフィアがアタシにぴったりくっついて盾になったからだ。

万が一サフィアを傷つけるようなことがあっては、アタシの首を刎ねたあとに自分の首も刎ねなくちゃいけなくなる。

そんなの誰だって御免だ。


「なにをしている」


だけど股間をおさえた暴君は半狂乱になって叫ぶ。


「殺せといっているだろ!早く斬れ!」


「で、ですが、サフィア様が――――」


「ドブネズミを気にかける馬鹿がいるか!そいつごとたたき斬れ!」


メイソンに言われて、衛兵たちは剣をかまえなおす。

……やべえ。


「サフィア、離れろ」


「嫌です」


「逃げろ、お前まで斬られるぞ」


「絶対離しません」


「ばかが――――っ!」




「人の婚約者をバカ呼ばわりはやめてもらおう」




そう言って、アタシたちに振り下ろされた剣を薙ぎ払ったのは、サフィアの婚約者、隣国の王子――――アレキサンダーだった。


「――――あ?」


「いかなる状況であろうともばかなどとは……王女に対する口の利き方ではない」


堅苦しい説教をほざきながら、アレキサンダーはあっという間に衛兵をのしてしまう。


どうなってんだ。

こいつ、いつの間に現れやがった?


メイソンも、周囲の連中も、同じアタシと同じように唖然としてアレキサンダーを眺めていた。

アレキサンダーは説明を求める視線を完全に無視して、アタシからサフィアをひっぺがした。


「怪我はありませんか?」


「は、はい……」


「すみません、もっと早く助けにはいるべきでした」


「い、いえ……。あの、えっと、アレク様、いつからここに……」


「たった今です。――――予定よりはやく城に着いたのですが、どうも騒がしかったので、案内をおいてこちらにきてのです。そしたら、貴方が襲われていた」


こんなに肝が冷えたことはありません、という低い呟きを聞いて、サフィアは顔を赤らめた。


「それで、いったいこれはどういう状況ですか?」


サフィアはアレキサンダーに、経緯を説明してやる。

ところどころ、メイソンが口を挟もうとしたが、アレキサンダーがそれを許さなかった。


「誰が口を開いていいといった?」


そう凄まれては、メイソンも取り巻きの連中も閉口するしかない。

まあ目の前で手練れの衛兵瞬殺されてるからな。無理もねえ。


それにしても虎みたいなアレキサンダーの威嚇に比べると、メイソンなんてチワワだな。

怖くもなんともない。

耳障りなだけだ。

こんなのにビビってたのかと思うと、心底自分にうんざりする。


「――――そうか、わかった」


サフィアから事情を聴き終えたアレキサンダーは、アタシに向かって深く頭を下げた。


「貴君の行いに感謝する。我が婚約者の名誉を守ってくれて、どうもありがとう」


呆けるアタシをそのままに、アレキサンダーはすぐメイソンの前に移った。

メイソンは未だに股間を押さえたままで、立ち上がることもままならない様子だった。

威厳の欠片もない。

そんなメイソンを氷みたいな目で見下しながら、アレキサンダーは言った。


「貴様の行いは、到底容認できるものではない。貴様は我が婚約者を貶めるばかりか、その親友である女性を手にかけようとした。これは我が国に対する宣戦布告に等しい暴挙だぞ」


「せ、宣戦布告!?」


冷や水をぶっかけられたメイソンは、マヌケな姿勢のまま必死にとりつくろう。


「どうしてそうなるんです!これは我が王城内の、ごく内輪のもめ事に過ぎません。割り込んできた殿下の行動の方がよほど暴挙でしょう!」


「よろしい、ならば戦争だ」


と、どっかで聞いたことあるような台詞を吐いて、アレキサンダーはサフィアを抱き上げた。


「ア、アレク様!?」


突然のお姫様だっこに、サフィアの顔はこれ以上ないくらい真っ赤になる。

いまなら額で湯が沸かせるだろうな。

なんて、このめちゃくちゃな状況で、アタシはもうそんなことしか考えられなくなる。


「どうせ勝つのは我が国だ。傷をつけられては困るからな、先に戦利品として彼女は頂いていく。――――サフィア様、貴方が嫌でなければ、だが」


サフィアは真っ赤な顔で、アタシに助けを求める。

いや断る理由ないだろ。


アレキサンダーはモノ扱いするとみせかけて、サフィアの意志をちゃんと汲もうとしてる。

サフィアをひとりの人間として見てる。真摯に向き合おうとしてる。


いいじゃん。

いっちゃいなよ。


アタシが親指を立てて頷くと、サフィアは嬉しそうにはにかんで、アレキサンダーに返事をした。


「嫌では、ないです。私は、アレク様と一緒に参ります」


しかしその返事に、アレキサンダーはなぜか不満そうな表情を浮かべる。


「アレク様……?」


「いえ……自分は案外嫉妬深かったのだなと思いまして」


「?」


首を傾げるサフィアに微笑みかけてから、アレキサンダーはアタシを一瞥する。


……なんだその目は。

アタシはサフィアの背中を押してやったんだぞ。

感謝しろよ。なんでちょっと睨んでくるんだよ。


「ちょ、待て!いや、待って――――待ってください!」


サフィアとは対照的に、真っ青な顔になったメイソンが叫ぶ。


「じょ、冗談ですよね?本当に戦争なんて――――」


「本気だ。以前から貴国の女性蔑視には辟易していたが、実の妹までこのような扱いをするようでは、この国に未来はない。いやむしろ早いところ潰しておいた方が、後世のためになる」


まったく同意見だ。

こんな国、さっさと潰れちまった方がいい。


「……お許しください」


メイソンは死にそうな顔で呟いた。


「非礼をお詫びします。どうか穏便な対応を……」


まあそうだわな。

こうなればもうメイソンはひたすら謝ることしかできない。どうにか発言を撤回してもらうしかない。


なんでかって、うちと隣国とじゃ国力に雲泥の差がある。

国土は似たようなもんだが、お隣さんは資源が豊富で、重工業が発達してる。一方うちは商売はうまいけど資源は全部お隣さんからの輸入だより。金なんていくらあったって、もの売ってもらえないんじゃ石ころ同然だ。


まあつまり、実際に戦争なんか起きたら、うちは百パー負けるってこと。


メイソンは屑だけど馬鹿じゃない。

だから恥も外聞もなく、相手の靴を舐めてでも、ことを収めようとする。


「謝る相手が違うんじゃないか」


本当に靴を舐める勢いだったメイソンに、アレキサンダーは冷たく言い放った。

メイソンは腹でも割いてるのかっていう苦悶の表情で、サフィアに頭を下げた。


「……すまなかった。もう二度と、このようなことはしない。どうか、許してはもらえないだろうか」


……いやまじで謝りやがった。

すげえな。明日槍でも降るんじゃねえか?


それくらい、メイソンがサフィアに――――女に頭を下げるなんて驚天動地の出来事だった。

ギャラリーは全員石になってる。

頭を下げられたサフィアも、完全に硬直しちまってる。


「どうしますか、サフィア様」


アレキサンダーはサフィアに優しく問いかける。

サフィアははっと我に返って、ぎこちなく首を振る。


「も、もう充分です。ですから、お、お兄様、お顔をあげてください」


メイソンは引きつった笑顔で感謝を述べる。

周囲の野郎どもも、アタシも、ようやくほっと息を吐く。


一応決着。円満解決。


このどさくさでなんとなくアタシのやらかしも不問にならないかな。

ってかあの屑王子が女に謝ったって歴史的大事件の後じゃ、みんな忘れてくれてたりしないかな。

なんてまあ、そう都合よくはいかない。


「まだもう一人、謝るべき相手がいるだろう」


蒸し返したのはアレキサンダーだった。


「彼女にも、貴様は謝罪をするべきだ」


メイソンはもういっそ殺してくれと書かれた顔をアタシに向ける。

それからマグマの中に顔を突っ込むみたいなぎこちない動きで頭を下げた。


「……すまなかった」


ギャラリーは、サフィアに頭を下げた時以上に凍りついている。

そりゃそうだ。

サフィアは女とはいえ、まだ実妹、同じ王族だった。

アタシはしがない男爵令嬢。しかも直前に、鼻と股間を潰すっていう死罪もんの暴行を働いている。


まったくやってくれたな……くそ王子め。


どうすんだよこの空気。

もう逃げられないじゃん。

アタシは王子を殴った上に王子に謝罪された令嬢として絶対誰の記憶からも消えない人間になっちまったじゃん。


「……いいよ。気にすんなよ」


でもこうなったらもう、腹をくくるしかないよな。


「アタシこそ、殴って悪かったな」


開き直って、このかんじで生きていくしかないよな。


「お互い様ってことでさ、水に流そうぜ」


アタシはそう言ってメイソンの肩を叩いた。

メイソンのひん曲がった鼻から血が滴り落ちる。


「おわ、きったねえな」


アタシはドレスのリボンを解いて、メイソンの鼻につっこんでやる。

それから羨望の眼差しでこっちを見つめるサフィアと、不服そうなアレキサンダーに向かって言った。


「ねえ、お二人さん。頼みがあんだけどさ、今日からアタシの後ろ盾になってよ。――――アタシ、この国変えたいからさ」



***



あれだけやらかしたあとじゃあ、もうぶりっ子に意味はない。

そう思ったから、アタシはいい子ちゃんをやめた。

いい子ちゃんじゃなくても生きていけるように、この国自体を変えることにした。


まあひらたくいえば、女性の地位を向上させる運動家みたいなもんになった。

半ばやけくそになってはじめたことだった。

隣国王太子っていう最強の後ろ盾があるし、まず失敗しても死ぬことはない。いざとなったら隣国に亡命すればいいし、まあやれるだけやってみよう。

そんなノリだったのに、これが意外とうまくいった。


やっぱり女たちはそれなりに不満を抱えていたみたいで、アタシを担ぎ上げて(というか半ば盾にして)邁進していった。


先陣を切ったのはアタシだけど、途中からアタシはほとんどなにもしなくなった。

まあいわゆる革命の象徴みたいな扱い。

王城でのあのすったもんだが、なぜかすっげえ美談?英雄譚?として流布したせいだ。

アタシは姫を悪の王子から救った騎士として、ご令嬢たちの間でファンクラブができるまでになった。


いやあのときサフィアを救ったのはアレキサンダーなんだけどね……。


サフィアはあの後隣国に嫁いでいって、アレキサンダーと仲睦まじく暮らしている。

しょっちゅう手紙がくるし、遊びにやってくる。それどころかアタシのファンクラブの会長までつとめてたりする。


アタシのこと好きすぎるだろ。

まあ、まんざらでもないけど。


ただアレキサンダーはそれがおもしろくないらしく、たまに会うとすげえ牽制してくる。


なにを心配してんだよ。

とったりしねえっつうのに。


アタシもアタシで、サフィアの結婚とほぼ同時期に、ピーターと結婚した。

――――そう、アタシが女性運動家になってもなお、ピーターは婚約を破棄しなかったのだ。


男爵家としてはアタシの存在そのものが隣国とのパイプになるから、アタシが生涯独身でもかまわない様子だったし、相手側の子爵家に至っては、女性運動かなんて際物と結婚してもトラブルを抱え込むだけだと、婚約を破棄するよう動いていたらしい。

だけどピーターはそんな実家の意向を一切無視して、アタシとの結婚を強行した。


本当に、なんでそんなにアタシにこだわるのか、さっぱり謎だ。


アタシは今では淑やかでもお利巧でもない、粗暴で図々しい女だ。

ドレスはハイウエストの苛烈なデザインのものばっか着てるし、十センチのピンヒールで床を蹴りつけてる。

化粧もキツイし、髪なんかこの前ばっさり切って社交界じゃ前代未聞のショートカットにしてやった。

ピーターに対しても、あけすけなくものを言うようになった。

へりくだったり、世辞言ったりもしない。暴言は吐かれたら十倍にして返してやる。

いい加減親の脛をかじるのやめろてめえで稼いでこいって領地の運営もやらせてる。


なんていうかまあ、完全に尻に敷いてる形だ。


別に離婚されても痛くも痒くもないから一切遠慮してないわけだけど、意外とピーターは音をあげなかった。

いつも文句言ってるし、相変わらず女を舐めた口を叩くこともあるけど、前よりは少しマシになった。

そんなピーターのことを、アタシは最近、犬みたいだなって思ってる。

サフィアもそうだったけど、アタシは犬みたいなやつにどうも好かれがちだ。


まあ、悪い気はしないけど。




相変わらずこの国は男尊女卑だ。女は男の所有物で、発言権なんかほとんどなくて、生物として劣ると思われてる。本当にくそったれな場所だ。


けどちょっとずつ変わってる。

変えようと、努力してる人がいるから。

時間はかかるだろうけど、これが続けば、きっとこの国はマシになる。

男と女が肩を並べて歩ける、ふつうの場所に。


いつかくるその日まで、アタシはせいぜい、前を歩いてやろうと思う。

犬みたいな伴侶引き連れて、人の三歩先を。


胸を張って、堂々と!



最後まで読んでいただきありがとうございました!


(5/3追記)

誤字修正しました。

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― 新着の感想 ―
ピーター....男のツンデレに需要はないぞ.....
[気になる点] 最後の最後で重要なところで、男尊女卑の後の、男と女、逆じゃねえ?
[良い点] 主人公のアンバーが魅力的で好きです。 特に、「あの子」を羨んだアンバーが、我が身を顧みず誰かを助ける美しさも含めて「あの子」のようになってみせたところが素敵でした。 [気になる点] アレキ…
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