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外堀とは埋めるもの
「やあ聖女殿、今日もご機嫌麗しゅう。そして相変わらず護衛騎士はべったりだねえ、仲が良くて何よりだよ。」
肩肘で頬杖を突きつつ、私よりもよほどご機嫌麗しそうなレーヴェガルド王国王子、レナート・ルツ・ルーンレーヴェ殿下が小首をかしげながら問うてくる。
交戦中でもない限り、昼下がりにティータイムを行うのは遠征から3か月を経た現在でも特別変わりはない。
今までと違う点を上げるならば、何故か殿下も目の前で茶をしばいているところである。
私の背後にヴィルフレドが控えているように、殿下の背後には殿下の護衛騎士と女性秘書官が佇んでいるが、それ以外は概ね今までのティータイムと同じような光景である。
「殿下もご機嫌麗しそうで何よりです。ところで私たちとお茶しててもいいんですかね?もしかして暇なんですか?」
「暇ではないけど、息抜きも大事だからねえ。そんな時にたまたま君たちが目に入ったから、ちょっと揶揄いついでに邪魔してあげようかなって思ってたわけじゃないよ?」
背後からあからさまな舌打ちが聞こえてくるが、あくまで聞こえなかったことにする。
ヴィルフレドの気持ちはわかるけど、大変不敬なのでなるべく控えて欲しい。
なお殿下が穏やかなティータイムに乱入してきたとき、ヴィルフレドは殿下の椅子を影から出すのを大変嫌々こなしていた。
私共々前線送りがよほど不服だったのだろうか。気持ちはわからなくもないが、例えド天然鬼畜生でも一応やんごとなき身分で、かつ我らの仕えるべき王子様なので表情と態度に出すのはやめて欲しい。
なお秘書官イリスリンデと護衛騎士のウォルトリンドにも座るよう勧めたが固辞されてしまった。殿下とふたりきりでテーブルを囲むのも中々気まずいのだが、彼らの従者としての誇りを思えば致し方ない。むしろ従者好きとしては100点満点を与えたいので許した。
イリスリンデとウォルトリンドは双子の姉弟で、どちらも名前が長ったらしいのでイリス・ウォルトと周囲から呼ばれている。
王族の護衛騎士を多く輩出しているウォリック子爵家の出身であり、レナート殿下の乳兄弟でもあるので幼少の頃から親交があるらしい。
一卵性双生児なのだろう、見た目は瓜二つなのだが、男女故の体格差の他、細かいながらも微妙な違いにより判別ができる。
双方ともに涼やかな濃緑色の切れ長の瞳にツリ眉を持ち、その片側を隠すように掛かる同色の長髪をゆるく肩辺りで結んでいるが、イリスは右側、ウォルトは左側といった具合に左右対称で揃えている。
性格はイリスは冷静、ウォルトは熱血なので完全に真逆である。双子だからといって中身まで似る訳ではないらしい。
ウォルトは双剣の使い手で、強い風の加護と併せた剣筋は殿下に襲い掛かる魔物を一瞬で小間切れに変えてしまう。魔導士の割にやたら前線に出たがる殿下を護る剣として、極めて優秀な護衛騎士なのである。
イリスの役職はあくまで秘書官だが、弟と同様に強い風魔法と暗器を用いた護衛術も習得しており、己の身だけでなく殿下を護る盾としても機能している。
戦闘中に姉弟の姿を何度かお見掛けしたが、秘書官と護衛というよりは無邪気に無茶を重ねる殿下のストッパー役の方が正しいように思えた。パーシヴァル将軍以上の苦労人らしい。
どうにも隠し切れぬお疲れな雰囲気を僅かに醸し出す姉弟に同情の視線を送った後、目の前の殿下に視線を戻す。相変わらず今日も顔が良い上に生き生きとしていらっしゃる。これで性格まで聖人君子だったら文句のひとつもなかったのだが、天は殿下に見目の良さと魔導の才という二物を与えても、それ以上は与えなかったらしい。双子にとっても私にとっても誠に残念なことである。
「ところで殿下、自分でやっといて何ですが敵陣の至近距離で優雅にティータイムって正気の沙汰とは思えないのですが。神殿暮らしの長い私が無知なだけで、これがグローバルスタンダードだったりします?」
「レーヴェガルド王国以外についてはよくわからないけど我が王国に限ってのことであれば、ここ最近ではよくあることだね」
「よくあるんですね……」
そう、優雅にお茶を飲んでいるが、ここは魔王がおわす封印地点からそう離れてはいない。
故に魔物たちも犇めき合っている為、今回は本隊の他に別動隊を結成し、私もそこに参加しているわけだが。その別動隊が特に身を隠すわけでもなく大きな湖の畔で優雅に休憩を取っているのである。
良くあったらダメなのでは?魔王側あまりにも舐められ過ぎでは?本当にいいのかそれで。
「今は『水籠』の魔法を行使しているからね、例え我が部隊の目の前に魔物が来たとしても、僕たちには気付けないから心配しなくても大丈夫だよ」
「『水籠』ですか?初めて聞く魔法ですね」
「僕が最近発明した魔法だから知らなくても当然だよ。水の高位魔術で、かなり強い認識阻害効果があるんだ。僕らはここに堂々と陣を引いてるけど、魔物からはただの湖畔が広がってるようにしか見えてないし、ここにいる僕たちを認識できない。だからこうして秘密裏に進軍したい時や、ちょっとした小休憩を取りたい時に便利なんだ。
その代わりに水辺でしか使えない欠点があるけどね。あと魔力消費が結構エグくてね、今は魔導士10人がかりで魔法を組んでるよ」
まあ僕ならひとりでもいけちゃうんだけどね、と優雅な仕草で紅茶を飲みつつ殿下が付け足す。流石大陸一の魔力持ちは伊達じゃないらしい。
なんとまあ便利な魔法を開発したものである。これさえあれば魔王も暗殺できたりしないのだろうか?と良からぬことを一瞬考えたものの、水辺でしか使えない制限がある以上それも難しそうだ。
「それだと『幻影』の属性違いみたいなもんですね、殿下の発明した『水籠』の方が効力は強そうですけど」
「『幻影』?聞いたことがない魔法だけど、もしかして聖女が扱う神聖魔法かな?」
「はい、それですね。かなり強い認識阻害効果があります。『水籠』と違ってどこでも使える代わりに、効果範囲が自分ともうひとりか二人ぐらいな上に光の加護持ち限定なので今はあまり使いどころがないというか……。仕方がないので戦後は壁になるのに使おうかなって思ってます。」
そう、この魔法さえあればこっそり推しカプを見守る壁になれるのである。
推しを見守りたい全オタク女子の悲願の集大成とも言えよう。聖女になって本当に良かった。
まあ本来は緊急回避とか敵の裏をかくとか、そういう用途に使うんでしょうけどね。肝心の私に戦闘能力がまるでないので、本当に推しカプを見守る壁にしか使えないのが残念なところである。
しかし殿下の発明した魔法があれば、別に聖女でなくとも推しカプを見守る壁になりたい系オタクが全員救済されるのでは?と思ったが水辺限定な上に高位魔法故に使いこなせる人間にだいぶ限りがあるので難しそうではある、残念。
「壁……?壁になるの?なんで壁!?ははは!本当に聖女殿は面白いねえ!!」
殿下が文字通り腹を抱えて笑っているが、その姿すら美しくみえるので本当にイケメンはずるい。笑い事じゃないんですこちとら前世からの悲願なので至って真剣なんです。推しカプを暖かく見守るのは決して遊びじゃないんだわ!
「殿下、こちらにおられましたか!」
内心で抗議の声を上げていると、殿下の笑い声が耳に届いたのか、遠くからパーシヴァル将軍が文を携えてやってくる。
連日の戦闘のせいか、かの双子同様に殿下に振り回されてるせいなのか、端正なお顔にやや疲労の色が見える。
「やあパーシヴァル、何かあったのかい?」
「本隊より連絡がありました。先程目標地点に無事到着したようです。一日後に敵本陣と交戦予定となりますので、我ら別動隊も予定通り、その4時間後に側面から切り込めるよう準備を進めたいと思うのですが構わないでしょうか?」
「うん、その方向で進めてほしいな。僕も今夜までには本隊に戻るよ。ああ、伝達はウォルトにお願いするとして、将軍も少しお茶でも飲んでいくといい。最近あまり休めていないでしょ?」
「いえ、殿下や聖女様とご一緒などと、私には恐れ多く……。それにウォルトには殿下の護衛任務がございますし」
「ここにはカーライルもいるし守りの面では大丈夫だよ。それに僕と将軍の仲じゃないか、聖女殿もかまわないよね?」
「大歓迎です!」
「……お二方がそう仰るのであれば。喜んでご一緒させていただきます。ウォルト、申し訳ないが伝達を頼む」
「御意に」
命を受けたウォルトが足早に去っていく。ヴィルフレドに将軍用の椅子とお茶を出すよう頼むと、殿下の時ほどではないがやはり不本意そうな顔で用意してくれた。
殿下はともかく将軍も嫌なんだね……。でも同じ従者好きとしては彼もそのうち沼に落ちそうな気がするんだけどなあ。今度布教しておこう。
などと考えながら殿下と将軍の話に耳を傾ける。内容は現在の状況故にどうしても今回の遠征についてになってしまうが、十年に渡る準備期間中の出来事は神殿暮らしだった私には知りようがないところでもあったのでなかなか新鮮である。
「それにしても騎士たちが頑張っている中で、私たちが贅沢にお茶をしているのも少し申し訳ない気持ちになりますね」
そのような話をしている中で、ヴィルフレドがお茶とお菓子のおかわりを出してくれるのを見たとき、以前から心の裡で思っていたことをうっかり呟いてしまった。
勿論自分も交戦時は支援に回復にと頑張ってはいる。いるのだがヴィルフレドや将軍も含めて、文字通り命を懸けて魔物たちを屠り、また護ってくれている騎士たちの方がよほど頑張っていると思う。確かに今は周囲に魔物もいなければ戦闘中でもないが、そんな彼らを差し置いて呑気にお茶を飲んでいるのも正直どうなのかと常々思ってはいたのだ。
「聖女殿は優しいなあ。でもその心配は不要だよ。兵士たちも三交代制でしっかり休ませてるし、食事はもちろん嗜好品の配給も抜かりないからね。その辺りは平民も貴族も隔てなく、かつ一切の不平等もなく、だ。この辺りを疎かにすると士気に影響するからね、妥協はしていないよ。
僕としてもこんな面倒な戦争はさっさと終わらせたいし、その為にも騎士たちには頑張ってもらわないといけないからね。ねえ、パーシヴァル?」
「ええ、戦争が長引けば長引く程、騎士たちはもとより、民たちにも負担を強いてしまいます。かつて封印に10年もの歳月を要した際は国土が疲弊し、危うく隣国に吸収されそうになったこともありますので。殿下はそういった過去の反省を生かし、今回の討伐は可能な限り早い封印を目指しているのです」
「とはいえ焦りは禁物だから、可能な限り迅速に、でも確実にね?それに聖女の回復や支援のお陰で重傷者は出ても死者は出てないんだから、その最大の功労者たる君が少し羽を伸ばしていても罰は当たらないさ、ねえ?」
レナート殿下が茶目っ気たっぷりにウインクを交えながらそう答える。
性格と行動こそアレだが民を想う心はしっかりと持ち合わせているらしい。周囲も振り回されこそすれ、それでもなお付いていくのは殿下が王族としての責任をしっかり果たしてくれていることを理解しているからであろう。
そしてこのギャップ故に殿下のファンクラブが王国一と呼んでも良いほどの栄華を誇っているのである。
「それに戦争が長期化すると兵士だけでなく、その家族も精神が安定しなくなるからね。出陣式の風景を聖女殿も見たでしょ?愛する人を戦場に送り出す側の心労は計り知れない。
僕の開発した『通文』の加護法具で以前より文を出しやすくはなったから、少しは心労も軽くなったとは思うけど」
「『通文』の加護法具、殿下が発明されたんですか?!」
「そうだよ聖女殿。僕は魔法以外にも加護法具開発が趣味でね、こう見えて結構色々と作ってるんだ」
加護法具とは、魔法の加護を受けた道具類の総称である。
魔法は個人の加護の強さや魔力量に比例して使えるものだが、加護法具は魔法の加護を受けているが誰にでも使えるよう調整されている。
多様な種類があり、前世で言う掃除機や冷蔵庫などに近い働きをする生活向けの法具もあれば、魔物向けの護身に長けた法具もあったりとこの世界で生きていくには必需品とも言える道具である。
『通文』は文字通り文を相手に届けることができる加護法具だ。距離によって届くまでの時間差はあるが、ここから王都までなら1日も掛からないだろう。通文無しでは通常1週間は掛かるので、まさに連絡手段の大改革と言えよう。
ただし法具自体が使い捨てかつ若干値が張る為、急ぎの要件は通文で、そうでないものは今まで通り人力でといった具合に使い分けるのが一般的ではある。
2年前に開発されたばかりと聞いていたが、まさか殿下が発明者だったとは。新しい魔法の開発だけでなく加護法具にまで造詣が深いなんて、本当にハイスペックな王子様である。
最も、殿下の開発した加護法具や魔法は全てが有用と言う訳でもなく、使用用途の怪しい法具や挙動のおかしい魔法は九割九分、殿下謹製だと後に嫌と言うほど知ることになるが。
殿下の発明の数々の功罪については後世の歴史家に評価を丸投げするとして、通文自体は極めて良い加護法具であることは間違いない。
「今回の通文にかかる費用は王国が全て支払うことになってるからね、気軽に出すといいよ。ところで聖女殿は誰かに文を送ったのかい?」
「神殿と、そこでお世話になった侍女ぐらいですね。レナート様やパーシヴァル将軍は誰かに送ったりしたんですか?」
「僕は両親と妹に出してるよ。全員心配性だからねえ、出陣前にもちゃんと送るよう念を押されたし。僕も良い大人なんだからそんなに心配しなくてもいいのにね?」
己の身を心配をされているというよりも、周囲を振り回す性格について心配をしているのでは?と確信に近い思いを抱いたが大変不敬なので心に留めておく。口は禍の元と言うからね、余計なことは言わないに限るのだ。
「……私は国王陛下宛に定期的な戦況報告を送っているぐらいです」
たぶん同じ事を考えていたであろうが、賢明にもやはり口には出さなかった将軍が、その代わりに通文相手をやや答えづらそうに述べる。
それは文とは言わないんだなこれが。そして将軍の性格故に予想はしていたが、一番待っているであろうお方にはやはり出していなかったか。
「え、王女様に文を送ったりしないんですか?」
「レティシア姫に、ですか?しかしいち臣下でしかない私が王女様に文など……」
なんでそんなに意外そうな顔してるんです?あの時見せた臣下以上親愛未満の熱はどうした?そこは遠慮するところじゃないんですよもっとぐいぐい行け。とは言えど臣下だし身分差もあるしやっぱり出し難い気持ちもわかるよ、従者好きの私はその辺りも詳しいからね。
故に助け舟を出すことに関しては吝かでもないのだ。
「出陣式の際にお姿を拝見してましたけど、王女様は殿下のみならず、将軍の身も大層案じているように私には見えました。だからせめて一言だけでも無事であると認めてあげたら安心するんじゃないですか?」
『四の五の言わずに文を送れ』をオブラートで厳重に包みつつ助言を与える。
正直長文恋文でも送って差し上げろと思わんでもないが、このとてもかわいくて健気で堅物な騎士様には流石に難易度が高すぎるので、まずは一文から始めて徐々に練度を上げていく方向でいくことにする。
将軍はその役職故に魔物や賊の討伐から警備巡回等々遠征が多いので、これを機会に通文の習慣を二人に定着させたいところだ。いわゆる推しカプ成就への先行投資というやつである。
恋の障害は多ければ多いほど、そして壁が高ければ高い方が私的には正直興奮するが、推しカプにはそれを乗り越える力と飛び越える意志も併せて育んでもらわねばならないのだ。決して片方の努力だけではダメなのである。推しカプには一蓮托生であってもらわねばならぬ。お姫様の方にはその意志を感じられたが、将軍の方はまだまだと見える。
ここまで言っても「いやしかし……」と若干まごついている将軍にトドメの追撃を与える。
「いいですか?レティシア姫を安心させるためにも文を送りましょう。陛下に送るついでではなく当人に、直接です」
「聖女殿の言うとおりだよパーシヴァル、君からもレティシアを安心させてあげてほしいな。そうすれば僕への小言の文の数々も少しは減るかもしれないしね」
そこは減らさないでほしいです姫様。
しかし殿下の口添えもあってか、渋々ながらもパーシヴァル将軍が折れた。
「……わかりました。殿下と聖女様がそうおっしゃるのであれば。しかし武骨者故、一文と言えどもどのような言葉を送ればいいのか……」
「そこは私にお任せください!アドバイスならいくらでもできますので!」
「聖女殿なら妹と同じ女性だし、その辺は安心できそうだね。僕はどうにも女ごころがわからなくてね、レティシアにはよく呆れられてたからあまり助言はできそうにないけど。でも面白そうだから出来上がったら是非見せて欲しいなあ」
なにはともあれ善は急げである。早速背後にいるヴィルフレドに『通文』の加護法具とお手紙セットを用意してもらおうとしていると、殿下の背後に佇んでいたイリスが始めて口を開いた。
「殿下、そろそろ『水籠』の交代のお時間です。準備をお願い致します」
「もうそんな時間?行きたくないなあ……。パーシヴァルの書く文が気になってそれどころじゃないし、何よりも面倒くさいし。彼らにはこれも試練だと思って、もうちょっと頑張ってもらおうかな」
「いいえ代わって差し上げてください、このままでは魔力切れで皆死んでしまいます」
「イリスさんの言う通りですよ殿下、お茶ならいつでもお付き合いしますから、ね?」
イリスと口を揃えて殿下を説得する。魔力の枯渇は即ち死を意味するので面倒くさいでは済まされないのである。
うっかりお付き合い宣言をしてしまったものの正直付き合いたくはないのだが、殿下の作る新しい魔法や法具は中々に魅力的である。推しカプを見守る為にも、手段はひとつでも多く持っておきたいところなので、そこは必要経費と割り切ることにした。
それにさっき三交代できっちり休ませてるって言ってましたよね?有言実行ですよ殿下。
ここにきて一連のやり取りを黙って見守っていたヴィルフレドがまた舌打ちをしていたが、そこまで殿下とお茶するのが嫌なのか。大変申し訳ないけどこれも推しカプの為なので我慢してほしい。
「もう、しょうがないなあ。『水籠』が終わったら本隊に戻らないといけないし、将軍の文は今度改めて見せてもらうことにするよ」
心の底から残念そうな表情を浮かべる殿下が、渋々ながら立ち上がる。見送る為に私と将軍も席を立つと、「ああそうだ、聖女殿」と殿下が思い出したかのように声をかけてくる。
「君が壁になりたい理由はよくわからないけれど、面白そうだからもし何か困ったことがあったら相談してね?僕も出来る限り協力してあげる。それと君とカーライルにはこれからちょっと頑張ってもらう予定になったからそのつもりで。それじゃあごきげんよう」
手のひらをひらひらさせながら優雅に去っていく殿下に、背後のヴィルフレドが今日一番の大きな舌打ちをしていたが当人の耳には届いていないようだった。
それにしても、私もヴィルフレドも充分過ぎるほど頑張ってると思うのだが一体何をやらされるのか。なんとなく嫌な予感を覚えたが、まずやるべきは将軍の恋文指導である。遠征も終わりが見えてきたので一刻も早く姫に将軍の文を届けねば。
どうにも機嫌の悪いヴィルフレドにお茶のおかわりを頼みつつ、目の前の難題に取り組むことにした。
☆『水籠』
水魔法のひとつで、レナート殿下が発明した割と新しい魔法。
そこにあるものをないものに見せる、強い認識阻害効果を持つ。効果範囲は魔力に比例するので、一つの軍隊を丸ごと隠すとなると膨大な魔力が必要になる。
殿下曰く「大気中に存在する水の中に隠れているようなものかな?でもそれだけだと水分が足りないから水辺じゃないと使えないんだよねえ」とのこと。
なお『水籠』展開領域にうっかり足を踏み入れた魔物は全て秘密裏に屠られている為、使用場所近辺は"不帰の沼"として魔物たちから恐れられているらしい。