-3-
ヴィルフレドとの感動的(?)別離のあと、大神殿へと移された私は『フィア・ルクス』という歴代聖女に与えられる大層仰々しい姓を賜り、ひたすら聖女としての修行に明け暮れることになった。
否、半分は嘘である。
神殿というからには神父とそれに仕える修道女との禁断の恋とか、そういう主従を見ることが出来るのではないか?それ即ちビッグなラブでは?と期待していたというのに、いざ蓋を開けたらそんなものはどこにも存在していなかった。
何故なら神父も修道女もみな敬虔な神様推しの、おまけに過激派だったからである。人間様が付け入るスキが本当にまるでなかった。あまりに強火担すぎて、信仰と狂気は紙一重だということを肌で感じることになった。
ちなみに聖女の地位は伊達ではなく、(それでも超えられない壁を感じるが)神様の次ぐらいには私のことも信仰してくれた。
つまり実質全員私の従者なのでは?と思ったし実際そうなのだけど、自己投影型夢女の素質は残念ながら持ち合わせてなかったので何も始まらなかった。
私は壁になって推したちの幸せを見守りたいタイプなので、自分が当事者になるのは解釈違いなのである。まあ代理型なら床になって推しに踏ませるのも吝かでもないのだけど。
なんにせよ、そこになければないのである。
そしてないなら創ればいいじゃない、というのが前世からの私の家訓である。
なので聖女としての修行の傍ら、ひたすら私好みの従者が登場する主従カプ話を妄想しては日記のガワを被った本に認める生活を送った。
正直なところ、主従カプになりそうな人物が身近にいればくっつくける方向で手を貸すのも吝かでもなかったが、流石に神様ガチ勢のお膝元で解釈違いを発生させるのは悪手だと判断したので、あくまで個人で楽しむ創作のみにとどめることにしたのである。
実際修行は中々辛いので、趣味のひとつでも持っていないとやってられない。
前世でも辛い社畜生活の中、正気を失わずにいられたのはひとえに推しカプの存在が大きかった。今世でもそれに生かされているのだからやはり推しカプは万病に効くし、布教が成功すればそのうち回復魔法がなくとも人は怪我や病気を克服できるに違いない。
もっともそうなった場合、別の意味で神殿関係者を敵に回しそうではある。回復魔法や浄化で民からの信仰とお布施を稼いでる彼らとしては堪ったものではないだろう。やはり私が死んでから効くようになってほしい、あの人たちを怒らせると本当に怖いから。
そのような生活をする中で、うっかり自分付きの侍女に日記を読まれ、性癖が白日の下に晒されるなどのトラブルもあったが、それがきっかけで彼女も主従沼に落ちてしまったので特別問題にはならなかった。それどころか、彼女自身が厳密には神殿関係者ではなかったことも幸いし、いつしか同志と呼べるまでの間柄になれたのだ。
ヴィルフレドに続いて二人目の理解者が誕生した瞬間である。私は久しぶりに聖女の業務以外で神に感謝の祈りを捧げることになった。
同志となった彼女とは主従関係について熱く語り合い、時には宗派の違いで殴り合い寸前まで陥ったりもした。その度に私はヤンデレ従者村、貴女はメンヘラ従者村で暮らそう、たまにであれば推し語りをきいてやらんこともない、などの和解協定を締結したり破棄したりしている間に十年の月日が経過していた。
いくら同志ができたとはいえ、せっかく従者のバーゲンセールな世界に転生したというのに、リアル方面では主従カプを見ることも叶わない生活が十年も続くと流石に我慢の限界も近くなっていた。
あまりの禁欲生活に『神様×神父ないし神様×修道女もある意味主従関係なのでは?いやもういっそ神様じゃなくて悪魔×神父ないし修道女もアリなのでは?もちろん逆にしてわからせ展開でもいい』など、万が一強火系神殿職員に聞かれたら即日火刑に処されそうな妄想をし始めた頃、魔王の封印が遂に破られたとの凶報が神殿内に飛び込んできた。