180度回頭
「艦隊回頭180度!」
「受信に関する広範な障害により任務の継続が不能と判断する、と発信してくれ」
第3護衛隊群以外の誰かがこの発信を受信できるとは思えなかったが、手順に従う必要はあった。
「了解です」
「みょうこう、まきなみ、おうみ宛にも発信を頼む」
通信士が複雑な視線を向けてくるが命令には従うしかなかった。
この3隻と連絡が取れなくなってすでに24時間近くが過ぎておりその間一切連絡がつかないままだった。今また発信してもそれら3隻から返答が入るとは思えなかったし、受信しているかすら怪しかった。
3隻が同時に通信が途絶えるなどということは護衛艦の性能から考えてありえないことで、何らかの異常事態に襲われて通信不能の状態になったと考えていた。
ただ、どういう事態であろうと発信はしておくべきだということだけは誰もが一応理解はしていた。
この24時間、3隻のことも含めていろいろな意見の具申がなされた。最終的に松下が選んだのは他の多くのものが選んだように日本に戻ることだった。確かに、米軍との演習を命じられて出向してきた第3護衛隊群だったがその往路で3隻もの友軍艦艇を失うなどということは当然のことながら想定していなかった。
海難事故の可能性もあるのだ。その可能性は、ほとんど否定されてはいたがハワイに向かうということはその現場から遠く離れていくということでもあった。
現状は全く外部からの情報が得られないままだった。
飛来してくるはずのF35は、結局の所姿を現すことはなかった。レーダーに捉えることはおろか緊急通信も受信することはなかった。F35、はステルスではあるが有事でなければレーダーに対する発信によってスコープ上に現れる。それもなかった。F35は『ひゅうが』と邂逅することなく失われてしまったと判断する以外はなかった。着艦できなかったF35が滞空できる時間はとっくの昔に過ぎ去っていたからだ。
邂逅できなかったことは単にF35を失った以上の意味が第3護衛隊群にはあった。F35のパイロットから何らかの情報が得られるかもしれないという淡い期待が見事に打ち砕かれてしまった。
結局の所、第3護衛隊群はなんの情報も得られず孤立したままだった。
この状況に対して色々な推論が議論された。
いわく、中国が何らかの軍事行動を起こした。巨大な地震が起きた。太陽フレアが電波障害を起こした。だが、どれもがこの完全な孤立状態を説明することはできなかった。
何か、予想だにしないことが起きていると仮定して、例えば日本だけが壊滅的な何かに襲われていると想定したとき、ハワイに入港してしまっては身動きがとれない状況になってしまう、日本に戻れなくなってしまうのではと思えたのだ。また、戻れるにしても想定される民間救助に要してしまう時間を考えればハワイから取って返すタイムロスは致命的なものになることは間違いがなかった。この『ひゅうが』を初めてして残った第3護衛軍がいるといないとでは雲泥の差が生じる。
3隻もの味方艦とはぐれてはしまっていても第3護衛隊群は、それなりのまとまった数を有しているのは間違いなかった。しかも、残った全艦が健在である。その何かがたとえどんな種類の未曾有の事態であっても日本に戻りさえすれば何らかの役に立てるはずだった。
艦橋の窓越しに見える風景はなんの変哲もなかった。
太平洋の名に相応しく水平線を見渡せる限り濃いシーブルーとも言える碧さが広がっている。空もどこまでも雲ひとつなく蒼さが広がっている。これらだけを見れば平穏そのものだった。
だが、間違いなく異常事態は継続していた。
「副長」
「はい?」
「昨日からの異常事態で今まで気が付かなかったが…」松下は、声を潜めて言った。「昨日から、旅客機が1機も飛んでいないような気がする」
「はい、私も今朝から感じていました。この天候で1機の旅客機も空を横切らないのは不思議なことだと」
「他の艦からもそのような具申は入っているかね?」
「いえ、気がついているものはいるかも知れませんが、口に出して言えないのかもしれません」
それを聞くと松下はさり気なく艦橋の窓から視線を流した。
先刻と同じように空はどこまでも蒼かった。
これだけ、見渡す限り空の蒼さが続いているというのに、そのどこにも飛行機雲が一切ないのは異様なことだった。船舶を見ないのは、商用航路を外れているから説明がつく。しかし、空を旅客機が横切っていかないのは首を捻らざるを得なかった。
事態の異様さで気が付かなかっただけかもしれないと思いたかったが、副長も同じことを感じていたのだから間違いがないとも言えた。通信・電波が一切途絶え、GPSさえ反応がなくなったことと関連すると考えたほうが良かった。
やはり、何らかの異常事態が起こっており、それはかなり深刻で、広範囲に起こっていると考えるしかなかった。
「電波発信はやめる。受信だけに専念させよう、各艦に通達してくれ。何らかの受信が有るまでは本護衛隊群から発信は停止とな」
「承知しました」
それだけいうと松下は再び視線を空へと向けた。
空は、ただ蒼かった。
最新鋭の護衛艦の艦橋にいるにも関わらず松下は、自分たちだけが太古の世界に放り出されたような感覚に包まれていた。