第百五十九話 一旦の安寧と動悸
目の前の魔人を完膚なきまでに排除して来たイオナから、このような珍しくも考えられない提案がされるのにはいくつかの理由がある。第1に、おそらく魔人が御影の地での戦闘が全力を発揮可能という点に惹かれたから。
それは間違いなく正解。内心では忌み嫌うのは、憎悪として現れているのだから。でも、理由はそれだけではない気もした。他国も含めての魔人の襲撃を止めさせる。この意味は少なからず、そこに倒れるリフェンの影響だろう。
長年の付き合いだからこそ、それが分かってしまう。
「もしそれで5ヶ月後、俺が御影の地へ入ったのが確認出来なければ、全王国へ攻め入ってくれても構わない。どうだ?契約を結ぶか?」
結ばない。そう言えば、その言葉が最期の言葉となり、ボグマスは2度目の死を迎えるだろう。殺意は隠せない。だから殺気が薄っすらと漏れている。イオナの殺気は薄っすらとでも、そこらの剣士を恐怖で包むことは可能。毒だ。
実質1つの選択肢。無感情のように、何も気にしない猛者の圧を放つイオナに、ボグマスは魔人ながらも本能が働いたようだ。
「良いでしょう。こちらにデメリットは人間を襲えないという点。それらは5ヶ月程度我慢出来ます。あの御方の望む貴方が必ず来るのならば、それは承諾一択でしょうし、喜ばれること。ならばその提案に頷かせてもらいます」
「そうか。それは助かる」
「ですが、1つその契約では私たちでも不可能なことがあります」
「簡易的な魔人だろ?それは仕方がない。誰かに抱く負の感情は止められないし、前もって抑制することも出来ない。だからそこは気にするな。そもそも簡易的な魔人は敵じゃない」
「流石です」
「なら今すぐに立ち去れ。サントゥアルは復興に忙しい。お前たちは邪魔でしかない。同時に他国の魔人も退けろ。この瞬間から後に知性を持つ魔人によって被害が出たのなら、契約は破棄だ」
基本、魔人と呼ばれる生き物は負の感情に駆られたバケモノ。負の感情を原料に動くただの屍であり、対象を殺すまで歩き回る殺戮の兵器。簡易的な魔人がそのほとんど。
だが、知性を持つ魔人とは御影の地を経由しての存在。簡易的な魔人に喋るなんて高性能はない。つまりは、知性を持つ魔人に殺される=御影の地からの魔人。契約を破ったことになるというわけだ。
「もちろんです。貴方の気が変わらないうちに、引かせてもらいましょう」
「ああ」
「では今度は御影の地で」
「会えるといいな」
会いたくないことはない。むしろ出会って万全のボグマスを殺したいとまで、イオナの気持ちは言っている。だが、会えるとは思っていないその隠れた気持ちに、私は不思議と喉に小骨が引っかかったように、もどかしさを感じた。
サッとその場から消えるように立ち去ったボグマス。結局、刀を抜くことはなく、イオナの突然変異のような言動に救われた形となった。
疎らに倒れる死体は15は超える。それほどの残った神託剣士や、守護剣士がこの王国のために命を盾にしたということ。どこかの剣士とは違い、サントゥアルの剣士は王国への忠誠心がそれなりに高かったよう。
隣で倒れる、意味も分からずに死んでしまったリフェンも、その1人。
「リフェンには申し訳無く思う。もっと早く提案をしていればって。だが、守る約束もしていない。自分から死を覚悟で隣並ぶ剣士と共に果てることさえも望んでいた。ならば、決して悪いだけの最期では無かったとも思う」
リフェンの死体に顔を向けることはせず、少しの後悔と共に仲間と死ねたことを、最低限の最期としての美しさとでも捉えるように上を向いていた。
晴れていく空は、雲が陽光を遮ることはない。暗闇にまとわりつかれることも、不安を掻き立てられることも。一旦の安寧が戻って来たということ。
「同時に、狙われたのがルミウじゃなかったことも、正直安堵してる。あの一撃は回避出来なかっただろ?だから、ここに生きて立つのがお前で良かった。――失わなくて」
「……本音なんて珍しいね」
大切な人を失ったことがあるような言い方。冗談を言う雰囲気でもなく、偽りだって毛頭。心底思うように、私に向けてその輝かしいほどの瞳を向ける。
「ヒュースウィットの国民はもちろん大切だ。守るべき我が王国の民。だが本音では、神傑剣士とニア、シルヴィアが俺にとって国民よりも大切。神傑剣士の中でも特にルミウとテンランは、何よりも、命よりも守りたい人だ。だから、本当に良かった」
先ほどとは全く変わって、爽やかで年下とは思えない、優しくて包容力も感じさせるその声音と相好。自然と胸の鼓動が高まるのを感じる。
拠り所を見つけた時の安心感を匂わせるその瞳。失ったものを手に入れ戻したような歓喜を、今伝えてくれているような気がした。
今の私は、イオナにどう見えているだろう。ただの足手まとい?場違いの妙な動悸に頬を赤らめる乙女?認められるに値する剣士?
そのどれもが当てはまるのかもしれない。確かなことは本人に聞くしかないけれど、きっとどれを言われても、私は頷く。
「私も、君が君のままで居てくれて良かったと思うよ。ボグマスを逃すのは驚いたけど」
「流石にもう十分だ。情報も必要ないし、ここで無駄に争って被害を増やすのも得策ではない。だから、この残りの5ヶ月を有意義に、実力向上と少しの安らぎに使う。面倒はもう何度も繰り返したからな」
フッと軽く鼻で笑う。
「そうだね。君がそう言うならそれに従うよ。序列隠しの最強さん」
「それ、久しぶりにシルヴィアにも言われたな」
「刀鍛冶とは相性が良いからね」
「それもそうだな」
徐々にいつもと同じに戻る。私がイオナの拠り所ならば、それで私は満足だ。1人で背負わせず、たまには吐き出すことも、最強にだって必要。
「それじゃ、戻るか。王城に」
「うん。そうしよう」
大して動いてない。でも疲れを感じるこの身を、優しくも急いで動かし、私はイオナの横に並ぶ。照りつける陽光も、身の回りで復興に急かされる民も、今だけは場違いの私を許してくれているようだ。
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