第百五十四話 契約の代償
謁見の間。いや、ここは王族の長、国王が寝室とする部屋。そこに私は1人で足を踏み入れた。既に最強がこの地を去って3日以上。失われた神傑剣士2名という甚大な被害を受けたが、それでも安寧が保たれるのは紛れもなくブニウ様のおかげ。
淡々と足を運び続けて、私はベッドのすぐ隣で止まる。睡眠をすることも叶わず、イオナと会話を交わしたあの日から衰弱を始めた現国王。
不思議だとも、自分の精神状態がおかしいのかとも思わない。あるのは、ただ満足しきれない、自分の手で始末をつけられない可能性のある不安と悔しさ。
片腕を失い、それでも尚生きることを許された間接的な大量虐殺の首謀者。全ての話を把握し、それがどれもこれも正解だと言うのだから、間違いなくこの男は死ぬべきだ。
血の繋がった唯一の家族。否、家族ではない。繋がっただけの紛い物の家族。私はそれを認めない。
「貴方はこのまま死にゆくのですか?」
相手は腐っても王族の頂点。その下を支える者としては最悪のしきたりというものは存在する。
静寂。寂寥さえも感じない、ただ読み取れないほど弱りきり、顔すらも表情では何を示すのか理解不可。人生に、満足したとは到底思えない。まるで屍に問いかけるような。
「最期に遺すべき言葉は無いのですか?」
聞く必要はない。だが、母を殺した、私を見捨てた、国民を餌にした、歴代最低の国王として、最期の言葉を言わせる必要があった。
3日ほどこの場から動くこともなく、食事すらも。私の特異な左目に見えるは、それを余儀なくされる理由。心臓付近に途轍もない契約を交わされているのが見える。呪い人とは違う、誰かと結んだ破棄不可の。
喋ることすら難しいか。そう思った私の、予想なんて破壊するのがこの男だ。
「……あいつは……」
あいつは。何故かそれがイオナだと分かってしまった。突然の声に、驚くことはない。それを待っていた私には、これは僥倖なのかもしれないのだから。
バルガンは続ける。
「……どこだ?」
「サントゥアル王国へ」
「……そうか。あいつは……」
ゴホゴホっと咳き込むが、それを助けようとも動かない。部屋の前に護衛を立たせることも無くなり、国王としての王国統制に関することを全て私へ譲渡し終えたという。まさに敢死。
私は勝手に死にゆくバルガンという男に、特別な善の感情は持ち合わせていない。助けることは、延命の処置にもならない。それを左目で悟った。
「……向かったか」
「はい」
受け答えを簡単に。だが次の瞬間、ほんの少し空気感が変わった。
「……フィティー……お前は」
久しぶりに呼ばれた名前にも感動はない。逆に呼ぶなと、そう憤りを感じるほどには、私はこの国王を嫌っているのだと心底理解した。
「あいつを……知っているか?」
「どういう意味で?」
「イオナという存在が……どれほどなのかを」
この状態で、状況でなぜそれを聞くのか、私には分からない。でも答えはすぐに迷いなく出てきた。
「いいえ。彼は未知であり底が知れない。何に於いても知り得ることは不可能です」
「……そうか……ならばお前は……僥倖に出会えた」
徐々に聞こえなくなる声に、私は比例して近づく。知らないことが僥倖。どのような意味を込めて言うのか、それすらも知らない。理解なんて不可能。それでも端的に伝えようとするバルガンに、耳を澄ますことは変わりない。
「今頃……御影の地を統括する猛者の1人が……サントゥアルに居る。きっと――」
ボソッと、最後だけあやふやで聞こえたとも言えない声。私の耳には正確には届かなかったが、それでも不安を煽るようなことではなく、どこか安心していた。
きっとサントゥアルに魔人の猛者が向かおうと、イオナが居るなら安心だと思っているからなのだろう。暖かくも優しい気持ちを胸に感じる。
同時に心臓付近にも、高まる質度の高い気派。迫るのは死。
「強いのですか?それらは」
「……ああ。マークスですら……手も足も出なかった。魔人の……最上層だ」
苦戦を強いられたザーカス。その上に座したマークス。それが手も足も出ないほどの相手が、今サントゥアルに押し寄せている。今向かっても足手まといになるのは確実。
見るからに嘘はついてない。
「お前は……鍛えなければ勝てない」
「ええ。もちろんです」
「……強くなったな。その目は……いや……なんでもない」
弱りきり、肉体的精神的な苦痛は常に感じているだろう。呼吸すらままならない地獄のような時間。制裁が下された今この時、まだ生きようとバルガンは抗わない。
更に強まる契約の代償。結ばれた、命とその条件。誰も助けることは叶わない。
「…………」
力の入らない、動くことすら許されない体に反してバルガンは首を私へ、無理矢理向ける。痛みが伴うことすら関係ない。そして吐き出すように、肺に残った僅かな空気とともに。
「……すまなかった……」
心底思っていた。決して自分の過ちを許してくれと、そう言うことはなく。これまでの歩みを否定されても、その姿で有り続けた自分を褒め称えることもなく。無理を強いられた結果の果て、従うしかなかったのかと思うほどバルガンらしくなかった。
聞こえる声はない。足も、腕も、鼻も、瞼も、どこも動かない。そう。心臓だって。禍々しく重い気派も消え、どことなく私と似たその濁りだらけの黒眼とともに、永訣した。
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