光に俯く
バクシガに拾われた子供から見た、バクシガとジュンファの話。
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ルーファンが胡蝶閣の主に拾われたのは十の年齢だ。
何かの用事で帝都に来ていた主は、ついでに都の公娼宿街を見学して回っていた。自分の城である胡蝶閣の方が衛生的にも、環境的にも格段上だとわかって興味を失ったらしい主は、宿街でも一等うらぶれた娼宿の暗がりの隅に打ち捨てられていたルーファンを見つけた。
店の売り物にもならないと誰にも見向きもされないみすぼらしい子供。ルーファンには生まれながらに、顔半分を覆う痣があった。
「ふん。まあまだな」
しばらく食べ物を口にしていなくて、水さえも取れていなかったルーファンはその時死にかけていたのだと思う。魂の抜けかけた子供を見て「まあまあ」とは、主の人となりはどうなっているのかと今のルーファンならツケツケ本人に言っていることだろう。
まあルーファンが十六になる今日まで生きてられたは、主の気まぐれによってだ。生命を救われたのだから感謝している。
たとえ与えられた仕事が、素っ裸のおっさんの面倒を見るというものでも。
「ジュンファさま。おっしゃってた帳簿が来ましたよ」
「ああ、ありがとうルーファン」
「あとこちらがここ数年の消耗品の領収書です」
「それは固定費になるものと変動費になるものに分けておいてもらえますかね」
「かしこまりました」
素っ裸のおっさんこと、主の愛人のジュンファが今のルーファンの直接の上司である。付き合いは五年ほど。
最初に引き合わされた時は、正気かと疑った。
前も隠さぬ全裸のおっさんを直視しなければならないなんて冗談だろうと、ここまで連れてきた主を見上げた。主はすでにルーファンの事など頭になく、嬉しげに素っ裸のおっさんに抱きつき頬擦りをしていた。おっさんの目が死んでいたような気がするが、それはもうルーファンの記憶の捏造かもしれない。だってこんな境遇、ルーファンなら耐えられない。とんでもねぇ変態に拾われた自分はよほど前世で悪行を働いたのかと、こんなことならあの娼宿で死んでいた方がよっぽどマシってもんだと世を儚んだ。
実際に働き初めてみると、ジュンファが素っ裸なのは主の希望がある時だけで、それ以外の時は薄絹を羽織っていたのでいつも目をやらないように気を付けなくても良くて助かった。それでも体の線はうっすら見えるし、おっさんに着せて良いもんではないとルーファンは思ったが。
だってあんなキラキラして上等な薄絹、お姫様が着るもんだ。
干からびたおっさんに着せていいもんじゃない。
そう思っていた時期がありました。
この五年間でルーファンはすっかり変わった。腹一杯食べられるお陰で身長はすくすく伸び、体重も健康的に増えた。胡蝶閣の一員として見苦しくない身嗜みを整えられて、皮脂で固まっていた髪の毛はサラサラになびき、ボロボロだった手足はふっくらと白い。いまやどこぞの商会の子女と勘違いされるほどに滲み出る教養ってものもある。
五年の歳月は死にかけていた棄てられ児をここまで変えた。
そしてそれは、おっさんにも適応されていたのである。
領収書を仕分けながら、おっさんことジュンファさまを盗み見る。
亜麻色の髪がさらりと薄絹の上を走り、背中に広がっている。
帳簿を確かめるのに邪魔なのか、落ちてきた髪の毛をしきりにかきあげる仕草が妙に艶かしい。その手はしなやかで、磨かれた爪が美しい。
これがあのおっさん……。
引き合わされた当初はほんとーに、ほんとーに、ただのおっさんだった。
目は落ち窪んで疲れた感じがバシバシ出ていたし、髪の毛は艶の無い黄褐色。爪には白く縦に線が入っていた。手の皮膚なんていかにもゴワゴワしてそうで、青い血管が見えていた。
そんなおっさんをどんな美女でも選り取り見取りな主がこの世の何よりも慈しんでいて、正直ドン引きだった。
基本的にジュンファの世話は主がしていて、他の誰にもさせない。丁寧に髪を梳けずり、自らの掌で化粧水を刷り込み、爪を整え、風呂に入れ、食事を口元に持っていき、抱いて眠る。
主がどうしても屋敷に居られない時だけ、侍女に役目が回ってくるが、それだって必要最低限の事だけだ。
ジュンファは自分の世話は自分で出来た。当たり前だ。いい歳したおっさんなんだから。自分の世話ぐらい出来なきゃ困る。
当たり前の事なのに、ルーファンは驚いて狼狽えた。
え、この人自分のことできるの?あれだけ全部主にさせといて、息すら自分で出来ないんじゃない?だって自分で歩かないぐらいだよ?広いったってたかが知れてる屋敷のなかを主に抱っこされて移動してんだよ?大丈夫なの?
そう思っていたのはルーファンだけのようだった。
主が居ない時は、ジュンファが主。
屋敷の勤め人はそうわきまえていて、お伺いはたてるが必要以上にジュンファに触れたり世話をやいたりはしなかった。
主が居なければジュンファは自分で歩いたし、食事も自分の手でたべた。髪や肌の手入れは侍女に任せていたが、それだってやる気になれば自分でやれるのだろう。
ジュンファ付きの侍女に聞いてみたところ「ジュンファさまは必要最低限さえしていれば良いというお考えの方だから、私たちでお手入れしないと主様がお帰りになられたときに悲しまれます」とのことだったので、本来はものすごくズボラなおっさんなのだろう。普通の。
それが一体何があって主の愛玩人形をやっているのか、世の中は不思議で一杯すぎる。
「ジュンファさま。仕分け終わりました。こっちの束が固定、こっちが流動。これはどっちか解らなかったやつですね」
「はい、ありがとさん。この辺のはずいぶんとどんぶり勘定してたんですねぇ」
ルーファンに笑いかけるジュンファの目尻には皺がある。しかし皮膚は柔らかそうで艶がある。薄い唇はほんのりと朱く、ふっくらとしている。まばらではあるがそこそこ長い睫毛がゆっくりとしばたいて、琥珀色の瞳に影を落とす。
今のジュンファをみてあの草臥れたおっさんを思い出す者は居ないだろう。
どうみてもおっさんではあるのに、妙にしなやかな体つきと手入れをされているという空気が、恐ろしく艶めいた男に見せてくる。きっと色事など日常茶飯事なんだろう。そうなんだろう。
だからつい、聞いてしまった。
「ジュンファさま」
「なんですか」
「愛されるって気分良いですか」
「ぐほっ」
「ちょ、なんすか! 誤飲でもしましたか!? 勘弁してください!!」
「ゲッホ、カハッ」
「水? 水のみますか? オウハさーん!! ジュンファさまに水っ」
「如何されましたっ? ジュンファさま? しっかりなさって下さいませっ」
「ゲホ……、だ、ダイジョブ。あー、ビックリしたね」
カホカホむせながら、ジュンファは駆け寄ったオウハに大丈夫だと手を振って見せる。
「そんなにむせこんで何を仰いますの。ルーファン、何があったの」
「いや、主に溺愛されるのってどんなかんじかなーって聞いてみただけっす」
ルーファンが正直に有りのままを伝えると、オウハは微妙な顔をした。
「溺愛でございます、か……」
「あー、いいよ。オウハさん。世間さまにはどう見られてるか、あたしだってわかってますよ」
「なんだよ、違うのかよ」
「ルーファン」
「なんですか、違うのですか」
「まあ、違うっちゃあ違いますかねぇ。あたしらの間ではそうなんですが。世間さまにはー……、溺愛と取られても仕方ないんですかねぇ」
妙に歯切れの悪いジュンファとそのお付きの侍女であるオウハは、「溺愛……」と砂を噛んだような顔をしている。
二人の様子を見てルーファンも、何だか違うようだぞと気付き始めた。
だが私生活の全てをジュンファの手入れと世話に費やしている主の姿に対して、ルーファンは溺愛という言葉しか思い付かない。それが違うとなると、主とおっさんは一体何だというのだろうか。
愛など無くてもあれほどまでに大切にされる事があるのだろうか。
主がジュンファに触れる時、それはそれは柔らかく掌で包み込む様にゆっくりと滑らすように触れてゆく。己の皮膚でジュンファの肌を味わうかの如くに余すこと無く触れる姿は、何だかわからないくらい荘厳で、それを見る時ルーファンはいつも鳩尾の上の辺りがキュウと縮こまるように痛む。そこだけ柔らかな光に包まれているようで、ルーファンは二人を見ていたいのに顔をあげていられない。
初めてあったときのおっさんは草臥れてはいたけれど、ルーファンのように大きな痣はなかった。主が触れる度に濁りは消えて清水のように透明に清んでゆくジュンファが、羨ましいように思った。
おっさんは本当はあんな風に美しくて仄かな光を放つ人だから、痣の持つ自分とは違うのかも知れない。
どんなに綺麗にされても自分は本当には透明になれないのかも知れない。
そんな考えがどうしても消えない。
「愛で無いとは言いませんが、愛であるとも言いたくないですねあたしからは」
「何すかそれ」
「性癖ってやつです」
「はぁ」
わからないなりに主たちは複雑なようだぞと察したルーファンは、愛があるのか聞くのは金輪際やめとこうと心に決めた。
ルーファンはある意味純粋培養。
色街の棄てられ児なので自分では擦れてると思い込んでいるけど、何だかんだできちんとした教育と常識を胡蝶閣で身に付けさせられていて、しかも引き取られてから胡蝶閣の主の屋敷からほぼ出たことがない箱入り。
ルーファンの教育はジュンファと屋敷の人たちがしたので、今のアレはともかく割りとまともで世間一般的なものです。
屋敷の勤め人は女性が多く男は少ないために、男性の基準がバクシガになっている危険。おっさんのことは男だとは思っていないなんとなく。
痣のことは気にしてはいるけど(棄て児時代に刷り込まれた無意識)、普段は忘れているぐらいには気にならなく育っている。特に隠したいとも思っていない。でも他人に指摘されたらムカつく。
本人は使用人のつもりだが、世間さまには胡蝶閣の養い子と認識されているし、屋敷の人は主の養い子のつもりで育てている。
ジュンファからは年の離れた弟ぐらいの認識。
ルーファンのことはそのうちまともな男に溺愛させようと思っている。