98話 一方その頃 東京
伊那 菜々子が岡谷とともに北海道へ行っている、一方その頃。
JK妹あかりは、喫茶【あるくま】でバイトをしていた。
からんからん♪
「いらっしゃーい……って、なんだるしあじゃん」
開田るしあ。岡谷が担当するラノベ作家だ。
白い髪に赤い瞳が特徴的な、小柄な少女である。
いつもは季節関係なく着物を着ていた彼女だが……。
「あれ? 珍しい。今日は随分と可愛らしいお召し物で」
あかりが言うとおり、るしあの今日の服装は、かなり軽装だった。
白いワンピースに大きな麦わら帽子と、清楚な装いだ。
「ああ。おかやがな。普通の女の子らしい服も着た方が良いっていうからな」
るしあの後ろからスーツ姿の大男が現れる。
「ども、贄川さん」
「おひさしぶりでさぁ、あかりさん」
ターミネーターのような見た目の大男、名前を贄川 次郎太という。
贄川姉弟は開田グループでボディガードをしている。
その日その日でシフトが違い、今日は次郎太がるしあを護衛する日だったらしい。
贄川が椅子を引くとるしあがそこに座る。
すかさずあかりがお冷やを二つ分持ってくる。
「お気遣いどうもでさぁ。ですが、あっしは護衛ですゆえ」
「あ、そうなんだ。大変だねー」
贄川はそう言うと店の外へと出て行く。
「このくそ暑いのにあんな格好してるんだ」
「ワタシも別にくーるびずでもいいといってるのだが、やつは聞かなくてな」
「まじめー」
るしあの前にメニューを置く。ぺらぺらとめくるるしあを見て、あかりが言う。
「ねえ、るしあ。おかりんと……やったの?」
それはるしあは一瞬目を見張る。それだけであかりはすべてを察した。
すなわち、岡谷がるしあと寝たのだろうと。
……一瞬だけ、ずきりと胸が痛んだ。
愛する男が、他の女と寝る。あかりはおかやに深い思慕の情を持つが故に心が傷むのは当然だ。
だが、すぐに精神状態を持ち直す。
それはあかりの狙い通りでもあるからだ。
あかりは岡谷の、大人としての牙城を崩すために誘惑している。彼を堕落させようとしているのだ。
なぜなら、おかやは菜々子、そしてあかりを完全に子供としてしか見てくれないから。
彼を【真面目な大人】から、【1匹のオス】へと堕とす。そのためなら他の女と寝ることも、いたしかたないと思ってるのだ。
「ああ。そうだ。よくわかったな」
あかりの思惑など知らないるしあは、ふふん、と得意げに胸を張る。
「つい先日おかやがワタシの家に来たときに、初めてをもらっていただいた」
「ふーん、そっか。おめでと」
るしあはあかりが平静さを保っていることに驚いていた。
もっと動揺するものとばかりだと思っていたのだから。
「なーに驚いてるのよ」
「もっと貴様が驚くものばかりと」
「そう? 別にいいんじゃなーい?」
二人の間に一瞬だけ、険悪なムードが流れる。だが……はぁ、と溜息をついた。
ここでお互いに張り合っても意味が無いとわかったからだ。
「バイトか。夏休みなのにご苦労だな」
「どーも。あんたは?」
「ワタシは仕事だ。仕事の合間のな」
開田の女としての仕事。そして、本業(だと思ってる)ラノベ作家としての仕事。
ふたつの仕事を持つるしあだが、それを苦とは思っていない。
彼女にとってラノベの仕事は、彼女の生きがいだからだ。
「がんばって」
「ありがとう」
るしあは原稿用紙を広げて執筆する。
あかりがアイスコーヒーを持ってきて隣に座った。
「貴様はバイト以外だと何かしないのか? 姉とでかけるとか」
「いや、お姉は今おかりんとデート旅行ちゅうだし」
「はあっ!?」
常に余裕の表情を浮かべていたるしあが、初めて大きく動揺を見せた。
「どったの?」
「い、いや……すまない。意外な……展開で」
「そう?」
「何があったのだ?」
あかりは姉がオープンキャンパスに行っていることを告げる。
なるほど、とるしあがうなずく。
「つきそいか。そうか、そうだな……うん、そうだな……」
それ以上の意味合いを彼女は覚えていた。
「なーに、あんた、おねえとおかりんが一緒に旅行いくのいやなの?」
「そ、それはそうだろ。だっておかやは……ワタシの……」
「あたしたちの、でしょ?」
おかやは複数人の女と付き合っている。
女たちはその状況を許しているのだ。
るしあも特に気にせずその状況を受け容れていた。強いオスに複数のメスが言い寄るのは当然だろう……と。
だが……。
「むぅ……」
「なーに、今更ハーレム嫌になったの?」
にやにや、とあかりが余裕の笑みを浮かべる。
一方で図星をつかれたるしあは、動揺しながらも言う。
「き、貴様はどうなのだ? 姉におかやが取られるかもしれないのだぞ?」
「だいじょーぶだいじょーぶ。そういうのないから」
「……随分と信頼してるのだな」
「信頼ってゆーか、お姉がどういう人なのかあたしよくわかってるし」
略奪愛するような女ではないと、あかりはそう思ってるのだ。
「そ、そうか……ううむ、しかし……むむむ!」
るしあははげしく動揺していた。
つい先日、あれだけ愛し合っていた男が。
あっさり他の女と旅行に出かけている。
前は、気にしなかった。だが今は……独占欲をまるだしにしている。
「あんたもなんか、人間っぽくなってるわね」
あかりの指摘通り、前は人形のようであったるしあだが、おかやと関わることで、どんどんと人間らしい感情を獲得していた。
彼女は開田の女として振る舞うことを強いられてきた。己を殺し、律し、生きてきた。
だから……あの頃のるしあは死人も同然だった。今のほうが、人間らしい。
「あかり……」
「ん? なに?」
「貴様……バイトは何時までだ? ちょっと付き合って欲しいのだが」




