8話 妻に離婚届を突きつける
浮気してた妻ミサエから、会って話したいとメールが来た。
その日の夜。
俺と双子JKは、夕飯を食べていた。
「すまん、明日の午前中、ちょっと出かけてくる」
明日は休日。
本来なら、JKたちと買い物に行く予定だった。
「午後からは大丈夫だから、買い物にいこう」
「……せんせえ。奥さんと、会うんですか?」
真っ先に正解を言い当てたのは、姉の菜々子だった。
黒い瞳が、真っ直ぐに俺を見てくる。
まいったな、なぜ言い当てたのかと、動揺が表に出てしまったのだろう。
やっぱり……とつぶやくと、小さく菜々子が怒りで体を震わせる。
「え!? おかりん、あのバカ妻と会うの!? なんで!?」
妹の金髪ギャルあかりが、乗っかってくる。
これは……隠し通せないな。
できればこいつらに、余計な気を遣わせないように処理しようと思ったんだがな。
「ミサエからLINEがきた。直接会って話したいらしい。やり直したいんだと」
「は~~~~~~!? なにバカなこと言ってるの!? どんだけバカ妻なの!?」
「……ここまで失礼な人、はじめて見ました。自分で浮気しておいて、今更やり直したいだなんて! どうかしてます!」
あかりも菜々子も、本気で怒っていた。
俺の代わりに怒ってくれたことが、嬉しかった。
「お……おかりん、もしかして復縁するの?」
「それはない」
ここは、ハッキリさせておこう。
彼女たちを不安がらせないためにも。
「俺のミサエへの気持ちは完全に冷めている。明日会って、離婚届を書かせて、それで仕舞いにする」
「うん! それがいいよ!」
「……でも、今更復縁したいなんて、どうしてでしょう?」
菜々子がふと、疑問を口にする。
確かに、浮気して出て行って、急にやり直したいとメールが来るのは、論理性に欠ける。
「え、わからないの? 簡単じゃん。浮気男に捨てられたんでしょ?」
あかりがきょとんとした顔で言う。
「……そ、そっか。なんで気づかなかったんだろう。でも、一応は愛し合ってたんじゃないの?」
「浮気相手は若いチャラい兄ちゃんでしょ? 飽きたらポイ捨てされるでしょ。バカ妻は性格ブスみたいだし」
「……なるほど。浮気相手に捨てられて、行き場に困ったからせんせぇのもとへ戻ってきたいと」
「だろうな。俺もそう思ったよ」
ぎり……と菜々子が唇をかみしめる。
「……最低。吐き気を催します」
「ここまで最低な女もなかなかいないよね。ま、同情なんて一切しないけどさ」
俺はミサエに同情する気はサラサラない。
あいつが浮気相手……木曽川と別れようがしったこっちゃない。
俺は離婚届を書かせる、過去と決別する。それで終わりだ。
「というか、本当に悪いって思ってるなら、LINEじゃなくてここに来て直接頭下げろよって話しだよね」
「……偉そうに。何様のつもりなのでしょうか」
「まあ……それくらいにしとけ。あんなやつに怒っても無意味だ。カロリーの無駄だよ」
「「それは言えてる」」
さて。
「おかりん、明日どこでバカ妻に会うの?」
「駅前の喫茶店に10時だ」
「ん。おっけー。準備は整えておくよ」
うんうん、とあかりと菜々子がうなずく。
「待て待て、まさかついてくるつもりじゃないだろうな?」
「「え、ダメなの?」」
「ダメに決まってるだろ。これは俺たち夫婦の問題なんだから」
ふたりは、不満げに頬を膨らませていた。
「おまえらに、ミサエと会わせたくないからさ。だからついてくるなよ、いいか、絶対だぞ?」
「「…………」」
「返事」
「「ふぁーい……」」
あかりはともかく、菜々子までも乗り込む気で居たのか。
内気な彼女が、そこまでしようとするなんて。
よほど怒ってくれたのだろう。
……俺はそれが嬉しかった。
「援軍が必要ならすぐ言ってね。アタシ、【切り札】もって乗り込むから」
あかりが得意げに胸を張って言う。
「切り札? なんだそれは?」
「切り札は切り札だよ。これがあれば一発で浮気妻を撃退できる、効果てきめんのカードもってるから、アタシ」
ふふん、とあかりが大きな胸を張る。
……そういえば前にも、意味深なことを言っていたな。
「まあ……行って離婚届書かせるだけだから、そのカードの出番はないと思うぞ、多分」
かくして、俺は妻と離婚するため、話し合いの場へと向かうのだった。
★
10時。俺は駅前の喫茶店にいた。
休日ということでなかなか混んでいた。
妻……ミサエは、窓際の席に座っていた。
俺は妻の前に座る。
「ごめんなさい、忙しいのに呼び出して」
「……そんなことより、まずほかに謝ることがあるんじゃないか?」
フラットな口調を心がけたつもりだ。
だが……どうしても怒りでノドが震える。
「……あなたを裏切るようなマネをして、ごめんなさい」
「裏切るような、じゃないだろ。おまえのは、立派な裏切り行為だ」
夫が働いているなかで、ほかの男連れ込んで不貞を働くなんて。
これが裏切りでないならなんだというのだ。
「き、聞いて、違うの。あれは……」
ミサエが言う前に、俺は言葉を下げるようにして、カバンから書類を取り出す。
机の上に離婚届を置く。
「お前の話を聞くつもりはない。離婚だ。これにサインしろ。それで終わりだ」
さぁ……とミサエの顔から血の気が引く。
「ま、待って……! お願い、話を聞いて!」
ミサエが慌てて立ち上がり、声を張り上げる。
「ミサエ、座れ。周りに迷惑が掛かる」
「でも……!」
「座れ」
ミサエが唇をかみしめると、大人しく着席する。
こいつが声を荒らげようと関係ない。
なにをしようと決心は揺るがない。
「早く離婚届を書いてくれ」
「ま、待ってあなた……ちゃんと話し合いましょう? ね? ね?」
ミサエが大汗をかきながら、必死になって訴えてくる。
「話し合う? どこに話し合いの余地がある? おまえは、夫が居ながらほかの男と寝た。それは事実だろう?」
「そ、それは……あ、あの……その……ち、違うの」
「何が違う。言ってみろ? 話だけは聞いてやる」
「だから……違うの……違うんだって……だからぁ……」
大汗をかき、泣きそうになりながら、ミサエが目をせわしなく動かす。
きっと必死になって弁解の言葉を探しているのだろう。
だが無理だ。
こいつが浮気をしたことも、男と寝たことも事実なのだから。
「ね、ねえあなた……こんなこと、やめない?」
ミサエは俺の隣にやってきて抱きつく。
胸をわざとくっつけるようにして、腕にすがりつき、媚びを売るような声音で言う。
「お願い許して。ね、また昔みたいに、仲良くしましょ?」
昔みたいに……か。
……昔を思い返しても、仲良くしていたとは言いがたい。
俺に優しかったのは結婚した日くらいだけ。
あとは徐々に冷たくなっていき……最後には冷え切っていた。
ミサエは復縁を求めている。
だが……俺はもうこいつとよりを戻す気なんてサラサラない。
「そうやって媚びを売れば、俺が心変わりするとでも思ったか?」
「え……?」
「悪いがお前に対しては、今後何があろうと、手心を加える気はサラサラない」
「そんな……」
俺はへばり付くミサエの手を振り払う。
再度掴もうとする手を、俺は強くはねのける。
「あなた……」
俺は正面に座り直し、テーブルに置いてある離婚届を持ち上げて、ミサエの胸に押しつける。
「別れよう。俺はお前と別れて勝手に生きる、おまえも木曽川……あの男と幸せに生きれば良い」
「そ、それは……無理よ……! だって……」
「捨てられたからか?」
「ッ……!?」
図星を突かれたからか、ミサエが大いに驚いた顔になる。
やはりな……。
「若い男に捨てられて、行き場もないし、金もないから、とりあえず金だけは持ってる冴えないおっさんのところに戻ってやるか……大方、そんなところか」
「ッ……ち、ちが……」
「違うなら、なんでそんな慌ててるんだよ。なぁ、急に家を出て行って、それから音信不通になり、今になってやり直そうって言おうと思った理由は何だ? 言ってみろ」
「…………」
ミサエが、完全に沈黙してしまった。
うつむいて涙目になり、微動だにしない。
―
「ごめん……なさい。ごめんなさい、もうしません……だから……」
絞り出すように、ミサエが訴えてくる。
「もうしません? 夫を裏切って浮気したお前の言葉の……いったいどこに、信用できる余地があるんだ?」
ミサエは、何も言えずパクパクと口を開いたり閉じたりしたあと……。
がくり、と肩を大きく落としたのだった。