78話 菜々子「わたしって……平凡?」
岡谷 光彦が、伊那 あかりとデートしてから、数日後。
8月も下旬にさしかかった、ある日のこと。
あかりの姉……伊那 菜々子は悩んでいた。
「うぅ~……」
夏休み、彼女は岡谷の家のリビングで一人、何もせずゴロゴロしてる。
ソファに寝そべっていた。
ちょこちょこ、と愛犬のチョビが、ソファまでやってくる。
主人の闇を察知したのか、チョビがじっと自分を見つめてきた。
菜々子は起き上がって、チョビを抱っこする。
「……聞いてくれますか、チョビちゃん?」
菜々子は渋めの声を出して言う。
「どうしたんでい、菜々子ちゃん?」
一人芝居をしながら、菜々子は続ける。
「……最近……わたし、悩んでるです」
「悩む? おいおいべいべー、悩みなんてきみには似合わないぜぇ」
てれてれ、と菜々子が自分の頭をかく。
彼女はこうした一人遊びが昔から得意だった。
「……わたしだけ、何もないなって」
菜々子は、思いをはせる。
岡谷の、大好きな彼の周りに居る彼女たちのことを。
「……一花さんは、かっこいいし、大人だし。せんせえと同じ大学で、同じ悩みを、共有できる……」
しかも贄川 一花はとんでもなく美人だ。
スタイルも良く、かっこいい上に、岡谷と同じ目線に立てる。
「……るしあちゃんは、ラノベ作家で。せんせえとふたりで、夢を追う。同じ方向を見てる。お嬢様だって言うし、すごい……」
開田 るしあは、ラノベ作家。
編集の岡谷とは二人三脚の間柄で、どうやら凄い人を超えようと、頑張っているらしい。
しかも、可愛い。
白い髪に赤い瞳は、ウサギを彷彿とさせる。
はかなげで、しかし凜としたたたずまいは、女性である菜々子から見ても、感心するほどの美人。
「……みどり湖ちゃんは、バスケすごいらしいし。せんせえの妹さんだし。せんせえとの思い出、いっぱいある」
義妹のみどり湖もまた、菜々子にはない魅力を持っている。
たとえばみどり湖は、アルピコ学園というバスケの強豪校でレギュラーを張っているらしい。
現在は2年生で、来年はキャプテンになるとか。
岡谷との思い出も、菜々子にもある。
だがそれは、塾に通っていた間の、短い間のこと。
彼の若い頃とか、そういう時期を知っているのは、みどり湖しかいない。
また彼の家族関係のことを知っているのも妹である彼女だけだ。
「……あかりは、凄いから。昔から、一途で、何でも器用にこなせて、あかるくて……美人で……」
特に、菜々子は沈んだ表情になる。
妹。あかり。なんでもできるスーパー女子だ。
親譲りの明るい髪の毛に、青い瞳。
読者モデル顔負けの美貌。
胸は大きく、明朗快活。
さらに炊飯洗濯掃除なんでもござれ。
作る料理の、なんと美味しいことか。
さらにぐいぐいと、気後れすることなく、岡谷にアタックしていく力も自信も凄い。
妹は、凄い。
完全に、自分の、上位互換だ。
「……わたしも、あかりみたいな、スーパーマンになりたかったよ……せめて髪の毛の色が、金色だったらなぁ」
菜々子は片方の親からついだ、黒髪に黒い瞳。
たしかに胸も大きく、髪の毛はつややかで、清楚な見た目は男の気を大きく引くだろう。
だが、生来の自信なさと、引っ込み思案な性格から……。
自分は、岡谷を巡るレースに、大幅に後れを取っている。
はっきり言えば、目立ててない。
それは、菜々子自身が自覚していることだった。
「……わたし、平凡だから」
菜々子は、輝ける才能を持った妹の陰に、いつも隠れていた。
妹は凄い。凄い、と褒める一方で……自分にはなにもない、平凡さしかないことに、コンプレックスを抱いていたのだ。
「わんわん、大丈夫! おぬしにはべんきょーができるってステータスがあるじゃあないか! わん!」
菜々子がチョビのアテレコをする。
「……うう、でも。勉強なんてみんな頑張れば出来ますっ。あかりだって今はあんまりですけど、やれば出来るんですっ。料理修業に時間を割いてるだけで」
「あらら、勉強までとられちゃったら、菜々子ちゃんには何も残ってないぜぇ……」
「……そうなんです。しょんぼりです。はぁ」
ぎゅっ、と愛犬を抱きしめる。
するん、とチョビがすり抜けて、とととっ、と走って行ってしまう。
「……何も残ってない、かぁ」
自分で言ってて更にへこんでしまう菜々子。
もっとも、菜々子は学年1位を取るほどに、成績が良い。
見た目も、10人がいれば8人は振り返るほどの、凄まじくレベルの高い美少女だ。
だが、それでも。
伊那あかりという、スポーツもでき、性格も良く、あかるく、自分よりも器用にいろいろできる子がいるからこそ……。
自分は平凡なんだと、より強く思い込んでしまうのである。
「……う~。なにか、なにかないものでしょうか。わたしにしかない、輝く才能~……」
ぱたぱたぱた、と菜々子がソファの上でバタ足をする。
溺れないように、もがいているあひるのように思えて……菜々子は自嘲する。
「……ジム、いこ」
菜々子はむくりと立ち上がると、身支度を調える。
「……チョビ、おいでー。散歩だよー」
「へいへいへーい、散歩だFU~♪」
アテレコする菜々子。
ココを見られるととても恥ずかしいので、誰も居ないときだけするのである。
菜々子はチョビの首輪にリードをつけて、外に出る。
「……あついですぅ」
じりじりと日差しが肌を焼く。
菜々子はしっかりと日傘を差して、チョビと一緒に散歩へ行く。…地面が熱いのでチョビを抱えて。
「菜々子ちゃんはいつ頃からジムに通ってるんだい?」
「……夏休みからですよチョビ。家に引きこもってたら、せんせえが体動かしたらどうかって、勧めてくれたんです」
「運動音痴な菜々子ちゃんがジムなんて通えるのかい!」
「……むぅ。できます。結構泳ぎは得意なんですよ。えっへんです」
すべて一人芝居であるため、横を子供と母親が通りかかるときに、奇異な目で見られた。
「ままー、あのお姉ちゃんひとりで会話してたー」
「シッ、見ちゃ駄目……」
親子が通り過ぎた後、菜々子は顔を赤くしてしゃがみ込む。
「……ぅ~~~~~~~」
チョビが、どうしたの、と見上げてくる。
けれどふるふる、と首を振る菜々子。
「……ジムいこ」
やってきたのは、岡谷の家からそう離れてないスポーツジムだ。
入り口のお姉さんに受付を済ませる。
「……チョビを、お願いします」
「はいはい、お預かりしますねー」
このジムは、主婦がよく通うことから、託児所をもうけている。ダメ元で岡谷が頼んだところ、犬も面倒見てもらえることになったのだ。
子供達はチョビが大好きであり、あっという間に囲まれてしまう。
大人がちゃんと目を光らせてくれてるので、安心だ。
「……さらば、チョビ」
子供達の人気者になっているチョビに、ちょっぴり悲しそうな目を向ける菜々子。
だがロッカーへと向かう。
運動着に着替えて、2階へと上がる。
運動する前に、体重計に乗る。
「……めざせ、スリムなわたし!」
乗っかる。見る。そして……。
「……め、めざせ、スリムなわたし!」
この間から体重が増えていた。
なぜだろう。ほぼ毎日ジムに通ってるのに……。
「……ゴロゴロしててポテチを食べてたくらいなのに……なぜ……」
それだよ、と誰も突っ込んでくれないのが悲しいところだ。
菜々子はストレッチをしながら、周りを見る。
昼間なのに、結構人が居た。
主に、主婦の方ばかりだ。おばさんとか、おばあさんとか。
若いのは自分だけである。
なので……。
「おやぁ、黒髪のお嬢ちゃんじゃないかー!」
おばさん達が、菜々子に気づいて気安く声をかけてくる。
(ひぅー!)
菜々子は体をびくんっ、と萎縮させる。
急に話しかけられて、怖かった。
「あんた毎日きてるねー!」「えらいねー!」「でも少しは遊んだ方がいい!」「そうそう! JKなんでしょー!」
あわわ、と菜々子はおびえる。
人と話すの怖い……。
やがてひとしきりなで回された後、解放される。
ふらふらしながら、ランニングマシーンへと向かう。
(おばさんは、どうしてああも、知らない人に声をかけられるのだろうか……不思議……)
菜々子は俗に言う陰キャだ。
知らない人から話しかけられるのは、怖い。
できれば知らない人と話したくない。
(ランニングマシーンはいい……誰にもジャマされず、一人で、孤独で、豊かで……)
菜々子はマシーンを動かす。
最初はゆったりペース。
(これくらいなら……もっとでもいいかな)
ぴっぴっ、とボタンを操作していた……そのときだ。
ぐんっ……! と体が引っ張られる。
(しまった! 急に早く動かしすぎた!)
菜々子は勢いで後ろに吹っ飛ぶ。
(ぶつかる!)
と、そのときだ。
ふわ……っと、誰かが優しく抱き留めてくれたのである。
「大丈夫?」
「……はい。って、え? あなたは……」
そこにいたのは……。
黒髪をポニーテールにした、美女。
大きすぎる胸に、引き締まったボディ。
ノースリーブからのぞく両腕には、むきむきっと、筋肉の隆起が見て取れる。
「……一花、さん?」
そう、そこにいたのは、贄川 一花。
岡谷の女であり、ライバルでもある女性だった。