71話 贄川家の飲み会
岡谷 光彦が、るしあと初めての口づけを交わした、その日の夜。
岡谷の恋人である贄川 一花は、弟の三郎に誘われ、居酒屋に飲みに来ていた。
「ふたりとも、こっちでさぁ」
奥の座敷から、にゅっ、と大柄の男が顔を覗かせる。
サングラスをかけた、ターミネーターのような男。
贄川 二郎太。
三郎の兄で、一花の弟。
「あ、にーちゃん、おまたせー」
仕事を終えた三郎と一花は、二郎太と飲むために、待ち合わせをしていたのだ。
座敷にはターミネーター×2、スーツ姿の美女1という、異様な空間に包まれている。
三郎達が到着すると同時に、飲み物が運ばれてきた。
一花はビール、三郎はカシスオレンジ、二郎太はウーロン茶だ。
「はえーよ兄ちゃん」
「三郎からそろそろ来るとLINEが来てやしたからね」
飲み物と入れ替わるように、おつまみが出る。
どれも一花と三郎が好きなものばかりだった。
「そんじゃー、かんぱいすっかー。姉ちゃん音頭を」
三郎に言われて、一花は首をかしげる。
「そもそも今日どういう集まりなのよ……?」
岡谷が帰った後、三郎が急に誘ってきたのだ。
「あーまー……えっと……なんでだっけ? 兄ちゃん?」
「別に、兄弟で飲むのに理由などありやせん、だろう?」
二郎太の言葉に、それもそうか、と一花がうなずく。
「じゃあ、かんぱい」
「「かんぱーい!」」
チンッ……。
三郎がむしゃむしゃ、とゴーヤチャンプルを食べる。
「うめー!」
「あんた……ビールは飲めないくせに、ゴーヤチャンプルーは食べれるのね」
ジョッキビールをあおりながら、一花が呆れたように言う。
「苦いモノが苦手なんじゃなくて、ビールが苦手なんだよぅ」
彼が飲んでいるのはカシスオレンジ。
こう見えて甘いカクテルが好きなのだ。
二郎太は焼き鳥の櫛から、肉や野菜を外し、取り皿に置いていく。
三郎は「てんきゅー」といって、好物の砂肝を食べていく。
「兄ちゃんは飲まないの?」
「車で来てやすから。事故ったらカミサンに迷惑がかかりやすし」
二郎太は既婚者であり、しかもロシア人で、美人なのだ。
「そうね。冬には子供も生まれるし、事故って家族に迷惑をかけるわけないよね」
そう……二郎太の奥さんが懐妊したのである。
そのことは贄川家のグループLINEですでに共有済みだ。
「いいなぁ、兄ちゃんとロシア人奥さんのハーフでしょ? 女の子だったら絶対美人になるよー! 男はまあ……うん」
「ばか。しつれーよあんた」
ぺん……と一花が三郎の頭を軽く叩く。
「ありがとうございやす、三郎」
にこやかに二郎太がお礼を言う。
一花は羨ましそうに、お酒をあおりながら言う。
「二郎太なら男だろうと女だろうと、溺愛するに決まってるわよね……はぁ、いいなぁ」
一花のビールがからになると同時に、店員が2杯目をもってくる。
二郎太がペースを見ており、タイミングを見てサラッと注文していたのだ。
「姉ちゃんって子供ほしいの?」
「当たり前じゃないの。たくさんほしいわ」
一花の夢は専業主婦となって、旦那を見送り、岡谷の子供をたくさん産んで育てることだった。
「5人くらいが、いいなぁ……」
「まーでも、体力的に大丈夫でも、年齢がなー……痛い痛い痛い!」
一花が三郎の額に手を伸ばし、アイアンクローをかます。
「姉さん、それくらいで許してやってくださいやし。三郎、今の失礼ですぜ。謝りなさいな」
「うう……ごめんって姉ちゃん……」
一花が手を離す。
三郎がこめかみを押さえながら言う。
「けどさ……実際もう姉ちゃんも良い歳なわけじゃん? 結婚して子供居てもいいわけだし」
「そうなのよぉ~……聞いてくれる~?」
二郎太はもとより、三郎もうなずく。
「こないだねー……高校の時の同級生の結婚式があってさー。そのときにねー、みーんな結婚して赤ちゃんまでいたの……しかも結構でっかい子もいたし」
一花は今年で28。
大学を卒業して6年。
大学へ行かなかった友人たちもいる。
卒業から10年。
普通に結婚しているものもいれば、子供をこさえているものもいる。
むしろ、この年齢で独り身な一花の方が、少数派だった。
「そりゃあキツいね」
「そうなのよぉ~……。それにね、何が一番キツいかって……子供の話題からあたしに、まだ子供居ないのって質問ふられてね。そこから結婚もまだ……ってなったときの、あの周りの微妙に気まずい空気! あれが一番嫌なのよ!」
「「ああー……」」
姉の酒がドンドンと進んでいく。
それほどまでにストレスが溜まっていたのだろう。
「なによ。結婚してるのが偉いんですか、ちくしょう……悪かったわね、この歳で独身でっ」
「まーでも姉ちゃんもさ、やっと恋人できて、しかも処女は捨てられたわけじゃん。一歩前進だよ」
「前進……前進してるかなぁ……」
一花はテーブルに頬をつけて、空いたジョッキを指でいじる。
「確かに関係は一歩進んだけど……ゴールが全然見えなくって」
岡谷との恋人関係も、あやふやな状態だ。
現在4人……正確には一人増えて、5人となった……岡谷は付き合っている。
お互い同意の上での、この仮の恋人関係だ。
一花とて、岡谷と恋人になれたことはうれしいし、彼の気持ちを、彼の幸せを、尊重したい……。
……けれど。
「本音を言うとね……あたし、早く、光彦くんと結婚したい……」
水を注文していた二郎太。
姉の隣に座っている三郎にグラスを手渡す。
「姉ちゃん水飲んで飲んで」
「ん……あんがと……」
ぐびぐび、と頬をついたまま飲む。
少し水が垂れていたので、二郎太がハンカチを取り出して口元を拭った。
「さっきの話を蒸し返すみたいだけどさ……あたしももう28。30までには絶対結婚したいのにって……焦っちゃってさ」
「そーゆーもんなの? 兄ちゃん?」
三郎からの質問に、二郎太はうなずく。
「どうしても、周りからの目も、親からの目もありやすしね」
「あー……確かに、父ちゃん母ちゃん、一花姉ちゃんのこと……あー……なんでもない、忘れて姉ちゃん」
言われずとも、わかっている。
一花が一番、親から心配されているのだ。
二郎太は既婚者で、子供がもう生まれる。
三郎も恋人がいて、同棲しており、結婚は秒読みだ。
妹が二人いるが、彼女たちはまだ高校生。
となってくると、長姉である一花の処遇が、懸案事項になるのは必定。
「めんどくさいね、結婚って。お互い好きなら、いつ結婚してもいいって思うんだけどね、おれは」
「たしかに三郎の言うとおりでさぁ……だから姉さん、焦る必要は無いですぜ」
「ん……あんがと……」
それだけ言うと、一花は小さな寝息を立て出す。
三郎はチラッ、と横目で姉を見て、ため息をつく。
「そうとう、ため込んでたんだね、姉ちゃん。こんなちょびっとで酔っ払うなんて」
ちょびっと(※大ジョッキ5杯)。
からになったジョッキを見て、三郎が小さくこぼす。
「おれさ、心配なんだよ。姉ちゃん……なんか今、妙な状況にいるからさ」
三郎は開田 高原の元で働いている。
あのご老公の元には、るしあ関係の情報が集まってくる。
無論、岡谷が、一花を含めた5人の女性と付き合っていることも……三郎は知っているのだ。
「今日もほんとはさ、姉ちゃん結構辛いはずなんだよ。お嬢が、岡谷さんとキスしたみたいだし」
のぞき見たわけじゃ、ない。
ただ……雰囲気でわかった。
岡谷が帰路につくとき、るしあは、顔を紅くして微笑んでいた。
あれは、乙女の顔だと三郎は気付いた。
そして三郎が気付くと言うことは、当然、恋人である一花も気付く。
「焦るよね。だって今まで自分だけが少しリードしてたのに。お嬢まで距離詰めてきて。しかも……お嬢の方が若いわけだし」
三郎も、今回の件については、るしあの幸せを喜ぶ一方で、……色々と思うところはあった。
「難しい立場でさぁ……三郎も、姉さんも」
贄川家の、三郎と一花は特に、るしあの不幸を昔から一番近くで見てきた。
だからこそ、るしあには誰よりも幸せになって欲しい。
その気持ちはふたりに共通してある。
……だが姉にはなくて、弟である三郎にはあるもの。
それは、姉の幸せを願う気持ちだ。
「姉ちゃん奥手だから。自分の幸せよりも、他人の……お嬢の幸せを優先しちゃうからさ。見てて、結構辛いんだよね、おれ」
今日の、岡谷が帰るとき。
一花は気丈に振る舞っていた。
けれど彼がいなくなったとき、寂しい顔をしていた。
姉の胸の中は、葛藤が生じてただろう。
るしあの幸せを願う気持ち、自分の幸せを追求したいという気持ちが、せめぎ合っていたのだ。
それを見た三郎は、二郎太にすぐ相談。
こうして、今に至る次第。
「教えてくれてありがとうございやす、三郎」
「少しはこれで、姉ちゃんのガス抜きになってくれると良いんだけどね」
三郎は酒をなめるように飲む。
「三郎は、どう思ってるんですかい? 岡谷さんの取り巻く状況を」
「……個人的なことを言うなら、早く誰かに決めて欲しい、かな。もちろん、岡谷さんが酷い目にあってきたことも、ちょっと心がやんでることも、わかってるよ? それでも……」
岡谷はミサエに、奴隷のように扱われてきた。
思春期時代から、社会人になるまで。
「話を聞いてる限りやすと、まともな恋愛してこなかったみたいですし、恋愛がわからないんでしょうな。同情できる面はありやす」
「でもさぁ……!」
二郎太は口の前に、指を立てる。
三郎は姉が寝ているのを見て、声を低くする。
「……ごめん」
「三郎。あっしも同じ気持ちでさぁ。姉さんの、家族の幸せを祈ってやす。でも、結局決めるのは当人同士。外野がごちゃごちゃ言っても仕方ありやせん」
「…………」
「それに、恋愛に正しい、間違ってるは存在しないと、あっしは思いやす。もちろん、今の姉さん達の状況は、手放しに肯定にできやせんけど」
三郎は考えて、一言言う。
「じゃあ……おれはどうすりゃいい?」
「ただ、見守りましょう。余計な口は挟まず、彼らの行く末を。彼らの人生なんですからね」
でも……と二郎太は続ける。
「もし、この先、何かあって、姉ちゃんが酷く落ち込んだら……?」
たとえば、岡谷に振られてしまうとか。
「そのときは、家族全員で、姉さんを支えてあげれば良い」
「うん……そだね」
ほどなくして。
二郎太が会計を済ませて外にでる。
三郎がおんぶしていた姉を、二郎太のリムジンに乗せる。
「あっしは姉さんを家に送り届けてきやす」
「おれは電車で帰るから、姉ちゃんのことよろしく」
こくりとうなずいて、二郎太が運転席に座る。
車を発進させること、しばし……。
「二郎太……」
姉が、ぽつりとつぶやく。
「……ありがと、色々と」
どうやら途中で起きていたようだ。
二郎太は小さく笑って。
「三郎に、姉さんがお礼言っていったって、伝えときやす」




