69話 開田家に訪問
俺があかりをバイト先に迎えに行った翌日。
この日、俺はるしあの家に向かう途中だった。
ことの経緯はというと、
『おかや。著者校ができたぞ』
著者校とは、校閲に渡し、文章チェックしてもらった原稿を、著者自らが確認する作業のことだ。
pdfでデータを送ってやってもらう場合もある。
しかしるしあは機械に明るくないので、紙に打ち出したものに赤ペンを入れてもらっている。
『今出先だから、よければ原稿取りに行くぞ』
『む? よいのか? ではその……ま、待ってるぞっ』
ということがあり、俺はるしあの家に、原稿を取りに向かったのだが……。
「うーん……この辺だと思うんだが」
俺がいるのは、都内の高級住宅地だ。
彼女から指定された住所によると、この辺りのはずである。
社用車を近くのコインパーキングに止めて、俺はあちこち、うろついていた。
と、そのときである。
「あいたたた……」
「ん? 誰かしゃがみ込んでる……?」
道路の端に、老人がしゃがみ込んでいた。
犬の散歩の途中なのか、近くには大型犬がいる。
「どうかしましたか?」
老人に近づいて声をかける。
「ん? おお……なんという偶然」
「え?」
「ああ、うむ。なんでもない。気にするでない」
高そうな和装に身を包んだ老人だった。
真っ白な髪の毛をしており、顔には深いしわが刻まれている。
年齢を感じさせる外見とは裏腹に、猛禽類のような鋭い瞳を持っていた。
……その目は、どこかるしあを彷彿とさせる。
「少し胸が苦しくてな、休んでおったところだ」
「大丈夫ですか? 救急車でも呼びましょうか?」
「いやいや、心配には及ばん。少し休んで居ればば……いたたたた」
胸を押さえて苦しそうにしている老人。
ほっとけるわけない、よな。
「お家は近くですか?」
「うむ。すぐそこだ」
「では、俺が家まで負ぶっていきますよ」
「なんと、よいのか?」
るしあのとの約束がありはする。
が、老人を放置するなんて、俺には出来ない。
「では頼む」
俺は老人をよいしょとおんぶする。
大型犬は大人しく座っていた。
リードを持って歩くと、従順に歩き出す。
「ほっ……これは凄いな。この子は家族以外には決して懐かぬ犬だというのに」
「へえ……そうなんですか」
「うむ。以前不埒者が家に来たときは、かみ殺す勢いであったな。おぬしは優しい雰囲気を出しているからであろう」
すりすり、と白い大型犬が俺の足にすりよってくる。
もふもふしてて可愛いな。
菜々子が喜びそうだ。
老人に案内してもらいながら、俺は高級住宅地の中を歩く。
ほどなくして……。
「ここじゃ」
「え、ここ……ですか?」
なんと立派な、大きなお屋敷があった。
時代劇にでてきそうな、広さ、そして立派な構えがあった。
そして……表札には、【開田】の文字が。
「開田?」
「み、光彦くんっ?」
門の入り口に立っていたのは、スーツ姿にサングラスをかけた美女……。
「一花? おまえ、何してるんだこんなとこで……?」
贄川 一花が目を丸くして、俺に近づいてくる。
「何って仕事中……って、高原さま!?」
一花が俺……ではなく、背後にいる老人を見て目を剥いて叫ぶ。
「高原様、どうかなさったのですか!?」
「うむ。贄川よ。問題ない。少し胸が痛んだだけだ。ありがとう、もう大丈夫だ」
俺は老人を下ろす。
にこやかに、俺に挨拶をしてきた。
「ありがとう、岡谷君」
「え……どうして俺の名前を……?」
「わしの声に、聞き覚えがないかな?」
……そういえば、一度だけ軽井沢への旅行前に、るしあの保護者に話したことがある。
たしか、あのとき名乗っていたのは……。
「おーい!」
たたっ、と屋敷から、和服を着た白髪の美少女がかけてくる。
「おお、流子。じぃじを出迎えてくれるのか? ん?」
彼をスルーして、るしあが俺の元へやってくる。
「おかやっ、遅かったな! 待ちくたびれたぞっ!」
「あ、ああ……すまんな。ちょっと色々あって」
むっ、とるしあが老人に気づく。
「お爺さま、どうしてここに?」
「いや……うむ。ちょっと犬の散歩にのぉ」
……この感じ。
るしあは祖父といい、彼はるしあを見て流子と、本名を言った。
「この人、もしかして……」
老人はニコッと笑って、俺に言う。
「はじめまして。わしは開田高原。流子の祖父であり、保護者だ。以後、お見知りおきを」
★
俺はかなり大きな広間に通される。
……まじか。
すごいお嬢様だと思っていたが……そうか。
るしあは、開田グループのご令嬢だったのか。
さすがに【開田 高原】の名前を知らないわけがない。
開田グループという巨大財閥のトップだ。
そうか……金持ちとは思っていたが、本物のお金持ち……財閥令嬢だったのか……。
ホテルも貸切みたいだったし、かなり金持ちかと思ってたから、ある意味納得はした。
「お爺さま、なぜバラしてしまわれるのですかっ?」
るしあが隣に座る祖父の肩を、ぽかぽかと叩く。
「いずれバレることだったろう? ならいつでも良いではないか」
「で、でもっ! そういう大事なことは、自分で言いたかったんだ!」
ぷくっ、と頬を膨らませるるしあは、なんだかいつも以上に幼く見えて、とても愛らしい。
「孫がいつもお世話になってる。これはつまらないものだが……受け取ってくれ。贄川」
一花がうなずくと、俺の前に、菓子折の箱を置く。
「では、こちらもお土産を」
俺は一花に持ってきた箱を渡す。
それをるしあの元へ持っていく。
「竹風堂の栗羊羹ではないか!」
箱を見て、赤い眼を輝かせるるしあ。
「おお、孫の大好物ではないか。ううむ、さすがだな岡谷よ」
うんうん、と高原さんがうなずく。
「一花っ、お茶をっ! あとよーかんをきってきてくれっ!」
「かしこまりました」
一花は箱を持って去って行く。
「やはり流子には、岡谷のような気遣いの出来る大人の男がついてるべきだな」
「あ、あはは……どうも。いや、でも私は別に大人でも気遣いの出来る男でもありませんよ」
そのせいで、俺は5人の恋人がいる、なんて状況になっているんだしな。
「うむ、謙虚な男だ。ますます気に入ったぞ」
「すごいなおかやは……」
感心したように、るしあがうなる。
「おじいさまが身内以外の人を、初見でここまで気に入っているとこなんてみたことがないぞ」
「ふふっ……当然だ。岡谷はうずくまっているわしに声をかけて、家まで運んできてくれたのだ。無関心が当然の今どきの若者とはまるで比べものにならない、素晴らしい男じゃないか、なあ?」
「むっ! おかやが素晴らしいのは、お爺さまが言わずともわかってますっ!」
2人でなんだか張りあってるな……。
なんなんだこの状況……。
「時に岡谷よ」
「はい」
「流子との式はいつ上げるのだ?」
「「ブッ……!」」
俺もるしあも吹き出してしまう。
「じ、じじじ、じぃじ! いきなり何言い出すのー!」
るしあがまた顔を真っ赤にして、ぽかぽかと祖父の肩を叩く。
「聞けば付き合ってるのだろう?」
「え? なんで知ってるんだ……?」
「そうだぞっ! まだじいじには報告してないぞっ! なんで知ってるのー!?」
高原さんはニコッと笑って、こう答える。
「わしは何でも知っとるよ」
こ、怖い……。
さすが日本の政治・経済を牛耳る重鎮だ。
「流子よ、なぜこの間、ホテルで押し倒さなかった?」
一度るしあがパーティ会場を抜けだして、俺と密会していたことがあった。
それすらも……把握しているのか?
「ば、ば、ばかー!」
るしあが耳の先まで赤くして、祖父の肩を叩きまくる。
「バカではない真剣だ。流子。おぬしももう18。結婚し、子を産んでもおかしくない年齢じゃ」
「そ、それは……そう、だけど……でもっ! 順序があるのだっ! お爺さまは口出さないでっ!」
「早くひ孫の姿が見たいのぉ~。ちらちら。なあ岡谷」
「は、はあ……」
どうにもこのじいさん、俺と孫が付き合ってることに対して、ウェルカム状態のようだ。
「なんならほれ、わしらは空気を読んで屋敷を出て行くぞ? 二人きりで閨を供に……」
「じいじのあほーーーーーーーーー!」
ぺんっ、と祖父の頭を叩いて、るしあが出て行ってしまう。
「すまんな、礼儀を欠くようなマネをして。あれもしっかりしてるが、まだまだ初心な乙女でな」
「いやまあ……良く存じてますけど」
るしあと入れ違うようにして、一花が入ってくる。
「高原さま? 流子様がでていってしまいましたが……?」
「なに、少し風に当たってくるようだ。すぐ戻る」
一花はうなずいて、俺と高原さんにお茶と羊羹を出す。
「ときに……岡谷」
「なんでしょう?」
「一花とは今度いつ同衾するのだ?」
「「はぁ!?」」
俺も一花も、目を剥いて叫ぶ。
「ど、どどど、同衾って……な、ななな、なんのこととととお、とと、でしょーかぁ!」
一花が明らかに動揺しまくっている。
この調子じゃ、俺とも付き合っていることを言ってないのだろう……。
って、まずいんじゃないか?
俺はるしあと付き合ってるってことになってるんだし……。
「ああ、構わないぞ。一花を含め、5人と付き合ってるのだろう?」
「なっ!? なんで知ってるんですか……?」
ニコニコと笑いながら、高原さんが答える。
「言ったであろう? わしは何でも知っておる、とな」
こ、怖い……
「ちょっ!? ちょっと……光彦くん。い、今……聞き捨てならない発言が、聞こえたんですが……?」
一花が焦った調子で、俺に尋ねてくる。
「あたしを含めて……5人? ひ、ひとり……増えてない?」
ああ、そういえば……
一花に、みどり湖のこと、伝えそびれていたな。
「実はもう1人恋人が増えたんだ」
「ええ!?」
「相手は俺の妹だ」
「えぇえええええええええええええええ!?」
ふら……と一花がその場にへたり込む。
「そ、そんな……光彦君……そんな……知らぬ間に、ころっと女の子、作っちゃうような人に、なってしまっただなんて……」
潤んだ目で一花が言う。
そ、そうだよな……普通、おかしいよな。
なんだろう、俺、おかしくなってきてるのか……?
「だ、大丈夫よ光彦君!」
一花が半泣きになりながら、ぐっ、と拳を握りしめて言う。
「た、たとえ光彦君がどんなに変わってしまっても……あたし、愛し続けるから!」
「一花……」
「は、ハーレムがなんぼのもんじゃい! 100人くらい女の子作っても、いいよ! あたし……あたし光彦君の……全てを受け入れるから!」
なんて器の大きな女性だろうか……。
「だ、大丈夫だよ一花。100人なんて女の子作らないから。今回のも、言いそびれてごめんな」
「うう~……だいじょうぶ、だいじょうぶ~うぶぶぶ~……」
一花は結構ショックだったらしくて、目に涙をためている。
大丈夫に見えない……。
「そ、そうだ。今度、その……出かけないか? 二人きりで……さ」
ぴたり、と一花が泣き止む。
「いくー♡」
えへへ~と一花が笑う。
良かった機嫌を直してくれて……。
「うむうむ、やはり優秀なオスは、たくさんの女を囲ってこそだな。さすが岡谷だ」
高原さんは深く納得したようにうなずく。
「その……すみません。公然と、娘さんのほかの女と、デートするみたいな言い方して」
「かまわんよ。わしは。だが……孫はどうだろうな?」
俺の後ろを指さす。
「お~か~や~……」
頬をリスみたいに膨らませた、るしあが、赤い眼を涙でぬらしながら……俺を見ている。
し、しまった……聞かれてたのか。
そういえばるしあへの報告もまだだった……!
「また増えたとは、どーゆーことだ~?」
「あ、いやこれは……その……」
るしあは俺の隣までやってくると、手を取って、引っ張り上げる。
「ちょっとこいおかや! 話がある!」
俺は彼女に手を引かれて、応接間を後にする。
「流子、避妊具は必要ないぞ」
「に゛ゃ゛……!」
かぁ~……とさらにるしあが、顔を赤くする。
「それと流子、おまえの部屋は防音になっている。どれだけ大きな声を出しても、じぃじたちは何も聞こえない」
「にゃ、にゃにゃにゃ……」
にこっ、と高原さんが笑って、言う。
「赤飯を炊いてまってるよ」
ふるふる……とるしあが体を震わせると……。
「じぃじのあほぉおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」
そう言って、彼女は俺の手を引いて、応接間を後にするのだった。