65話 裁判 in 岡谷家
俺は恋人のひとり、一花の家で一泊した。
寝過ごしてしまい、帰りは夕方……というか夜になっていた。
場所は、俺の家のリビング。
ソファの前に、俺は正座していた。
目の前には不機嫌そうなあかりと、不機嫌そのものの妹みどり湖がいる。
「おかりん、どうしてこうなってるのか、理解してる~?」
にこにこーっ、と逆に笑いながら、あかりが尋ねてくる。
だが額に血管が浮いていた。お、怒ってらっしゃる……。
「お、俺の帰りが遅かった……から?」
「まあ半分正解。半分不正解」
はぁー……とあかりがため息をつく。
「……お兄、どこいってたの?」
みどり湖がびきびき、と額に血管を、あかりよりも浮かべている。
「……怒らないから、言ってみて」
「いやすでに凄い怒ってないかおまえ……?」
「……言え」
言えって……怖いな、我が妹よ。
まあ家族がひとり、朝帰りしてきたら、怒るのだろうか。
「おかりん多分それ違うから」
察しの良いあかりが、ため息交じりに言う。
「違うって?」
「おかりんが抱いてる印象と、みどりんの思いは、違うって」
「……みどりん? って、あーしのこと?」
「そーだよみどりん。だめ?」
「……別に、いいんじゃない、どうでも?」
い、妹が……人見知りが激しい妹が、初対面の人と仲良くしてるだと?
こ、これは……とんでもないことだぞ。
……俺は嬉しい。妹には幼馴染みがいるけれど、その子以外とはあんまり交流してる感じがなかったからな。
「あかりたち、むずかしー話してて、わたしおいてけぼりです。チョビ~」
俺たちのやりとりを、ちょっと離れたところの椅子に座って、菜々子が見ている。
膝の上には、二郎太氏のもとから回収してきた、ダックスフントのチョビが乗っている。
菜々子はぎゅっとチョビを、不安げに抱きしめてる。
「あかり、何怒ってるの? せんせえ、何か悪いことしたかなぁ」
姉に言われて、あかりは唇を尖らせながら言う。
「べっつにー。まー……おかりんは何も悪くないけど」
「じゃ、じゃあせんせえが可哀想だよぅ。地べたに座るなんてぇ」
泣きそうな菜々子。
優しい子だ、本当に。
「じゃあおかりんは、アタシの隣に座るのを許します♡」
ぽんぽん、とあかりが自分の隣、ソファを叩く。
「いや……そこは……」
ちょうどあかりとみどり湖の間である。
つまりそこに座ると、ふたりに挟まれる体勢になる。
「何かご不満でも♡」
「……だめなの?」
あかりは笑顔で、みどり湖は頬を赤く染めながら言う。
有無を言わさないとはこのことだろうか。
俺は別に地べたでもいいんだが、菜々子の顔を見ているとそれも気が引けた。
俺はあかり、そしてみどり湖の間に座る。
あかりは嬉々として、俺の左腕を掴んできた。
ぐにょり、と二の腕辺りに、大きな乳房が押しつけられる。
恐ろしく整った青い瞳が至近距離にあって、思わず俺は顔をそらしかける。
またいつぞやのように、迫ってくるのではなかろうかと。
だが距離を取ろうにも、すぐ近くにみどり湖が座っていて、逃げられない。
……しかも。
「みどり湖、なんでお前まで、腕を掴んでくるんだよ?」
あかりのまねごとだろうか。
俺の右腕を、妹はぎゅっ、と力強く抱いている。
「……別に。悪い?」
「いや……まあ別に良いけど」
みどり湖は口にチュッパチャップスをくわえていた。
キャンディーの柄が、ぴこぴこ、と上下に動く。
「みどり湖ちゃんのそれ、チョビの尻尾みたいですね♡ うれしくて、ぱたぱたしちゃうんです♡」
菜々子が笑顔で言うと、みどり湖は顔を真っ赤にして首を振る。
「……ち、ちがうし! べ、べ、別にうれしくなんて、ないし! ただの兄妹のスキンシップだし! ねえお兄!」
「ん。ああ、そうだな。昔からよくやられてたスキンシップで……って、痛い痛い」
みどり湖が俺の二の腕を、ぎゅーっとわりと強めにつねる。
「なんで怒ってんだよ」
「……それはそれでムカつくからだし」
わ、わからん……。
「さぁておかりん裁判をおこないまーす」
「さ、裁判って……あかり、せんせえがなにをしたっていうの?」
菜々子が恐る恐る尋ねる。
「被告おかりんには、恋人のところへ行ってた疑惑がありまーす」
「……んなっ!?」
みどり湖が、驚愕の表情を浮かべる。
あかりと俺とを、何度も何度も見やる。
「……お、お、お兄!? ガチなの!?」
「え、ああ……」
さすがに恋人が四人居る、ということを明かすのはまずいだろう。
しかし年上の兄に恋人がいることはオープンにしても問題ないと思う。
「……嘘でしょ!? ありえないし! だって、だって……この間別れたばっかじゃんん!」
……なのに、なんでみどり湖は、ここまで動揺してるのだ?
「ありゃりゃ、こーれはまったく気づいてないぱてぃーんだなぁ、みどりんかわいそす」
あかりが呆れたようにため息をつく。
何を言ってるのだろうか。
「……ねえ! お兄、相手は、相手は誰なのッ?」
そこにいる二人も……とは言えないしな。
「贄川だよ。大学の時の友達」
「……にえかわ……? ああ、あいつか」
何度か一花とみどり湖は、バッティングしたことがある。
「昨日は贄川の家に泊めてもらってたんだよ」
「……お兄の家に遊びに行ったときによくいた、オバハンね」
得心がいったようにみどり湖がうなずく。
「いやみどり湖。オバハンって……俺と同い年だぞ」
「そーそー。あのオバハンのことだよー」
「あかりまで……」
28はオバハンじゃない、だからそんな悲しそうな顔になるな一花よ……と俺は脳裏に浮かんだ一花に言う。
「……そっか。まあ、あの人なら、いい、か」
みどり湖は悔しそうに、がりっ、とキャンディをかむ。
「……お兄、良かったじゃん。今度のは、変な女じゃなくて」
みどり湖は弱々しく、しかし微笑んで、俺を見上げる。
「……おめでと」
「あ、ああ……」
妹はどうやら、心から俺と一花との交際を、喜んでくれた様子だ。
いずれ家族になるかも知れない相手だから、受け入れてもらえてうれしい……。
だがその反面……申し訳なさがある。
俺は一花とだけ付き合ってるわけじゃないのだ。
だがそれを言うのははばかられるし、何より言って信じてもらえるかも不明瞭。
ここは、黙っておこう……とそのときだ。
「あ、そうそう。みどりん。おかりんあと3人恋人居るから」
「おい!」
あっけらかんと、あかりが、伏せていた情報をオープンにする。
「………………………………?」
みどり湖の表情が変わる。
驚愕、困惑……そして、怒りへと。
「……お兄。どういうこと!?」
俺の胸ぐらを掴んで、みどり湖が問い詰めてくる。
我が妹ながら、恐ろしい表情だ。
顔が整っているからこそ、余計に怖い。
「……え、よ、4人と付き合ってるってこと!? どこのだれ!?」
すると……。
「ここのアタシだよ♡」
「はぁあああああ!?」
あかりの笑顔を見て、みどり湖がさらに、声を荒らげる。
「ちなみにあと2人はお姉と、アタシたちの友達。全員JKでーす♡」
「あ、あかり……一花さんは、JKじゃないような……」
笑顔のあかり、オドオドする菜々子。
ふたりの表情を見て、みどり湖は困惑しながら言う。
「ま、マジなの……?」
「まじまじ」「は、はい……」
あかり達がうなずくと、脱力したように、呆然と妹がつぶやく。
「……お兄が、四人も?」
まあそうなって当然の反応だと思う。
「みどり湖。これにはわけが……」
俺が彼女の肩を触ろうとすると、みどり湖は手を払う。
「…………」
妹は目に涙を浮かべ、ぐすぐす……と泣き出してしまった。
「ど、どうしたんだよ?」
「……お兄がぁ。お兄がぁ。浮気クソ野郎に~」
いや浮気クソ野郎って……。
俺が急に女四人と同時に付き合う、最低浮気男になったと知って、ショックだったのだろう。
「みどり湖。聞いてくれ。実はこの関係、みんな納得してのことなんだよ」
「……ありえないし」
「本当だって。なあ、二人とも」
こくこく、とあかりと菜々子がうなずく。
「おかりんがほかにも付き合ってる人いるけど、あたしへーき」
「むしろ、わたしのことも、恋人扱いしてくれて、申し訳ないです」
「…………」
涙を拭いてやる。
みどり湖は俺にされるがままになっていた。
ややあって。
「……お兄、なんでそんな、無節操なことやってるの?」
むすっ、と頬を膨らませた状態で、みどり湖が聞いてくる。
「まあ、その場の流れというか、気づいたらこうなっててな」
「……ぜんぜん笑えないんですけど」
むすーっ、と不機嫌そうに頬を膨らませる。
フケツ、最低、って罵ってくるのかと思ったが、どうにもリアクションが違ってて、逆に困惑する。
「……お兄、そんな、好きです付き合ってくださいって言われたら、その人とホイホイ付き合っちゃうみたいな、軽いひとだっけ?」
「いや……まあ。でも、付き合うにしろ、色んな女の子と、それぞれのことを深く知っておきたいとは思ってな」
「……じゃ、じゃあ……その。も、もし……もしも、」
そこまで言って、みどり湖が黙りこくってしまう。
あかりはその様子を見て、ふぅ、とため息をついた後に……。
「ねえおかりん。みどり湖ちゃん、おかりんのこと好きなんだって♡」
……そんなことを、突如として言ってきた。
「んなっ!? な、なに、なにを言ってのあんたぁああああああああ!?」
みどり湖が顔を真っ赤にして叫ぶ。
小さい頃は妹から、好き好き言われていたので、俺は別に何も思わない。
だから、過剰に反応するみどり湖の様子が、不思議でならない。
「みどりん、ほら見て。どーみてもおかりん、人として好きな方の、Likeだと思ってるよ」
「うが……!」
みどり湖が顔をしかめる。
「ね、この人の場合、ちゃんと言っておかないと通じないから。みどりんが、お兄さんのこと、男性として好きだってさ♡」
「え? ほ、本当なのか……?」
みどり湖は顔だけでなく、手足までも真っ赤にしている。
「あ、え、ち、が……え、う……」
涙目になって、ぷるぷると震えるみどり湖。
やがて……。
「……………………ぅん」
弱々しく、うなずく。
いつもの気の強い、クールな妹はどこへやら。
小さく縮こまって、しおらしい態度で、俺の前に居る。
「う、うがぁああああああああああ!」
かと思いきや、みどり湖は叫びながら、リビングを出て行った。
あとには俺とあかり、そして菜々子が残る。
俺が彼女を追い掛けようとすると……。
「おかりんストップ」
あかりが俺の手を掴んで、真面目な調子で言う。
「落ち着くまでまってあげなよ」
まあ……そうだな。
困惑しきりだろうし、今だと。
「それに……なに許されてる流れになってるの♡」
「え?」
にこっ、とあかりが笑う。
「あたしにみどりん押しつけて、自分は一花ちゃんとえっちですか♡ 良いご身分だなこのやろう♡」
「ひぅ……! あ、あかりぃ~。般若みたいだよぅ~」
菜々子が怯えるのも無理からぬほど、あかりは怖かった。
「とりえあず何回やったか教えて? ……言え」
……あかり裁判官による、被告・岡谷光彦の裁判が始まったのだった。