61話 義妹の事情
あーし、岡谷 みどり湖には、好きな人が居る。
お兄……義理の兄のことが、好きだ。
でも、それは許されざる恋であることを、知っている。
だから……。
自由に恋愛している、あの二人が……むかつくんだ。
★
お兄に学校まで送ってもらったあと……。
あーしは体育館で、部活動にいそしんでいた。
バスケ部に所属している。
体育館のなかでは、同じ部活の面子達が、ボールを追っかけている。
「みどり湖!」
コート内にいるあーしに、ボールが飛んでくる。
副キャプテンの子だ。
今は模擬戦をやっている。
「チャンス! シュートシュート!」
あーしは3ポイントラインの外側に立っている。
敵はこちらに気づいていない。
絶好のシュートチャンス。
膝を深く曲げて、そして、放り投げる。
指先からボールが離れる瞬間……。
やべっ、て思った。
投げたボールは、リングに弾かれてしまったのだ。
「…………」
外すような場面じゃなかったのに……。
「みどり湖!」
ばしっ、と副キャプテンの……【諏訪 さほと】があーしの腰を叩く。
「どんまい! 切り替え切り替え!」
さほとに元気付けられて、あーしは気づく。
ああ……結構ショック受けてるんだって……。
ややあって。
「みどり湖さ~。今日どうしたの?」
部室にて。
練習を終えたあーしたちは、着替えていた。
今部室にはあーしとさほとの二人だけ。
「……どうしたって、なに?」
「なんかいろいろ考えてるよーな気がしたんだけど?」
……ばっちり、さほとにはバレてるようだ。
「みどり湖ちゃんの幼馴染み、このさほと様にお話ししてみなさいな」
さほとは小学校から高校まで、ずっと一緒だ。
同じ学校、同じクラブ、それを10年。
10年も一緒に居れば、あーしの心の機微にも、気づくのか。
「……誰にも言わないでね」
「おうさ!」
部室の鍵をしめ、部屋の真ん中にあるソファに座る。
「……お兄に、女がいた」
「ええー!? た、たしか……お兄さん、ついこの前、別れたばっかりじゃなかったの?」
「……うん。でも、いた。しかも、ふたりも」
「ふたりも!? どゆことー!?」
……そりゃ驚くよね。
あーしも驚いたよ。ほんと……。
しかも相手があーしらと同期、ってところまでは、言わなくていいか。
お兄の社会的な地位を、おとしめる気はサラサラないし。
「はー……もてもてだねお兄さん。そういえば、昔から格好よくって、人気者だったもんね」
「……え? うそ、まじ?」
お兄の良さに気づいてるの、あーしだけかと思ってた。
「まじまじ。でもほら、あの女の人いたじゃん? えっと……名前なんだっけ?」
「……ミサエばばあ」
「そうそうミサエさん! ってこらっ、ばばあはダメでしょー!」
さほとが口うるさいのは昔からだが……まあうっとおしい。
「ミサエさんって、お兄さんと結構昔からずっと付き合ってたよね?」
「……うん。高校から」
「てゆーか、なんでつきあってたんだっけ?」
「…………」
今思い出しても、腹の立つエピソードだ。
だから……言いたくない。
でも……言ったら、楽になれるかな。
「……お兄が高校2年のときにさ、交通事故があったんだ」
「交通事故?」
「……うん。まあ未遂だったんだけどね」
お兄が高校2年生の春……。
通学路を歩いていたところ、スマホを片手に歩くミサエがいた。
ミサエは赤信号に気づかずに、横断歩道を渡ろうとした。
そして……。
「え、車にひかれて死んじゃったの!?」
「……違うって。お兄が、助けたの」
ミサエにトラックが襲ってきた。
あの女はうごけずにいた。
お兄はミサエを助けるために、突き飛ばした。
結果、ミサエは大けが……というか死なずにすんだ
でも……。
「……そのとき、ミサエばばあ、顔面をつよく打ったの」
「あー、転んで地面に顔ぶつけちゃったんだ」
「……それで、そのときに結構出血しちゃってさ。病院に運ばれたんだ」
ケガ事態は全然たいしたことなかった……。
けれど……。
あーしは、覚えている。
その当時は、まだ5歳だったけど、覚えてる。
お兄が病室で……怒鳴られていたのを。
『どうしてくれる!? 娘の顔に傷ができてしまったではないか!?』
ミサエの父親が、お兄を叱っていた。
「ひっどいーい! 命の恩人なのにっ、どうして怒られないといけないの!?」
「……女の顔に、一生ものの傷を負わせたからだってさ」
「そんなに酷いケガだったの?」
「……ううん。皮膚を少しきっただけ。すぐに綺麗に治ってた。……けど、お兄の心に、深い傷を負わせたんだ、そのとき」
顔は、女にとって重要な武器のひとつだ。
ミサエは……まあ、少し顔は整っていたから。
余計に、あの父親は、怒ってしまったのだ。
娘の綺麗な顔に傷を付けたって。
「……お兄は、その後、あの女の奴隷みたいになったんだ」
「え、なんで……?」
「……ミサエのばばあを傷つけちゃった負い目、だろうね。あのばばあも調子に乗って、あれこれと、まるで奴隷のように、いいように使ってたよ」
そしてその延長で、ふたりは付き合うようになったのだ。
「……ミサエばばあからすれば、都合のいい奴隷が手に入ったって、ラッキーだったんだと思うよ。お兄は負い目を感じてるから、何でも言うこと聞くし」
現に学校の宿題から、受験勉強を教えてもらうこと、朝夕の送り迎え。
お兄は、本当に、奴隷のように、あの女に付き従った。
「でも……結婚って、お兄さんがミサエさんに申し込んだんでしょ?」
「……思考を誘導されてたんだよ。マインドコントロールってヤツ。自分がいないと、ミサエはダメなんだって……」
……大学生のときのお兄は、正直、見てられなかった。
自分の夢も叶えたいはずだったのに、ミサエの呪いがあったせいで、完全に足を引っ張られていた。
もし……あのとき。
お兄がミサエを助けていなかったら……。
全てが、上手く行ってたはずだ。
お兄はあの女の奴隷になることもなかった。
そしてあーしは……。
「なるほど……みどり湖は、心配してるんだね」
さほとがポロシャツを頭からすぽっとかぶる。
「また、悪い女に、騙されないかって」
あーしは、さほとをぎょっとした表情で見ていた、と思う。
「……な、なんで?」
そこまで言ってないのに、さほとはまるで、あーしの心の中を覗いたみたいに言う。
「わっはっは! 幼馴染みをなめるでないわ」
さほとは真面目な顔であーしに言う。
「お兄さんの彼女さんを、心から憎んでるんじゃないんでしょ。前に、ミサエばばあのせいで、お兄さんの人生が狂わされたから、同じ悲劇が繰り返されないか……不安なんでしょ?」
……ほんと、なんでこうもあーしの思ってることを、ドンピシャで当てるんだろうか。
「……きもいんですけど」
「いやー、どうもどうも。名探偵になれちゃうかもなー、あたし」
あーしも着替え終えて、ふたりで部室を出る。
鍵をかけて体育館の外へ出る。
むわり……と夏の蒸し暑い空気があーしたちを襲う。
「でもさ……みどり湖。それは偏見でしかないよ。お兄さんの彼女さん、いい人かもしれないでしょ?」
「……ありえないし」
常識的に考えて、JKが29と付き合うわけがない。
だって10歳以上も年が離れている。
ふつうに考えて犯罪だし……なにより、恋愛の対象になれるわけがない。
なのに、あのあかり、菜々子の姉妹は……お兄の側に、心に……いとも容易く滑り込んでいた。
あーしにはわかる……。
お兄が、あの二人に心を許してる。
もちろん……大好きなお兄の心を、ぽっとでの女が、いとも容易く奪っていたことは……むかつくよ。
でも、それ以上に……不安なんだ。
また、お兄が、悪い女に騙されてるんじゃないかって……。
「みどり湖ちゃんが彼女さんに向けてる感情は、嫌悪じゃなくて敵意なんだね」
「……まあ、ムカつくけどね」
「でもさぁ……別にその彼女さんが、ミサエばばあみたいな、悪い女じゃない、可能性だってあるんでしょ?」
「……そりゃあ、まあ」
さほとはあーしの顔をのぞき込んで、言う。
「偏見でものを見ないほうがいいんじゃない? 勝手に敵だって決めつけないでさ」
……確かに、全員が全員、あのばばあみたいなロクデモナイ女ってわけでもない。
さほとみたいな、相談に乗ってくれる、いい人なのかもしれない。
あーしは、あの女達のこと……なにもわからない。
「何もわからないうちから、酷いことしないでさ。少しは理解する努力した方がいいんでないかなーっと。さほとパイセンからのアドバイスでした」
さほとはポン、とあーしの背中を押す。
「そんじゃ、あたしはお邪魔しちゃ悪いから、これにてドロン」
「……邪魔?」
「ほれあそこ」
「……あ」
校門から少し離れた場所に、お兄が立っていた。
……迎えに、来てくれたんだ。
ちゃんと、約束守って……。
「みどり湖ちゃん、ちょー嬉しそう」
「……え、まじ?」
「うん。顔がとろとろに蕩けてるよ。かわいい♡」
「……うが」
そんなふぬけた面を、お兄に見せるわけには行かない。
は、恥ずかしいし……。
「とにかくー。お兄さんの彼女さんと、またケンカしちゃだめだよ? みんな仲良く! じゃねー」
エナメルバッグを揺らしながら、さほとが走って行く。
「…………」
幼馴染みの言うとおりだ。
あーしは勝手に、あの二人を悪女と決めつけて、敵だと思い込んで、酷いことをしてしまった。
そうじゃなかったら、って可能性をまるきり考えてなかった。
「おかえり」
お兄があーしを出迎えてくれる。
その顔は……ミサエばばあと付き合っていた頃からは、考えられないくらい、晴れ晴れとしていた。
目を見ればわかる。
だって、家族だから。だって……ずっと、好きだったから。
「……お兄。帰ったら、私とあかりたちだけで、話させて」
「それは……どうして?」
「……謝りたいから」
それと、知りたいから。
あの女達のこと……ライバルのことを。
「そうか。わかったよ」
お兄は運転席へと向かい、あーしは助手席に座る。
ぽん……とお兄が、あーしの頭をなでる。
「偉いな。謝れて」
……まったく、いつまでも子供扱い、すんなし。
「……お兄のアホ」
でも……でもね。
そういうふうに、遠慮無しに接してくれるのが……すごい心地良いんだ。
あーしが何かするだけで、褒めてくれる、お兄のこと……すっごい好きなんだよね。
わかってる、この感情が、抱いちゃいけない種類の感情だってこと。
でも……お兄を好きになるこの気持ちを、止めることができないんだもん。
ごめんね、お兄……
あーし、やっぱりお兄が大好きなんだ。