60話 木曽川楠男の災難4【浮気相手】
一方で、木曽川 楠男はというと……。
「悪いね、君をうちで雇うわけにはいかないんだ」
「んなっ!? どーっしてっすかぁ!」
木曽川が居るのは、とある企業の会議室だ。
スーツに身を包んだ木曽川は、面接を受けていた。
……喫茶店での騒動のあと。
警察に捕まった木曽川であったが、厳重注意されたものの、なぜかあっさりと釈放された。
その後住む場所がなかった木曽川は、結局実家で生活することになった。
いつまでも親元に居ては恥ずかしいと、就活をはじめたのであるが……。
「君、前の出版社を首になったそうだね。なにがあったのかね?」
「そ、それは……それはぁ~……」
まさかバカ正直に、社員の嫁を寝取って、さらに複数の女と浮気していたからとは言えない。
「その感じでは、何か後ろ暗いことをしたのだろう」
「ち、ちがうっすよ! まじそんなことしてねーすからマジで!」
だが面接官の表情が不愉快そうに歪む。
「なんだねその態度、言葉遣いは……本当に君は社会人だったのかね?」
言外に、馬鹿にされて、木曽川は憤る。
「そ、そーっすよ! おれは、天下のタカナワに勤めていた男っすよ!?」
職歴でマウントを取ろうとして見るも……。
「だからどうしたのかね? だいいち君は首になったではないか」
「ンガッ……!」
木曽川は脇の下に大汗をかきながら、困惑する。
(んでだよ! どうしてまったくうまくいかねえんだよ! 陰謀か!? 誰かの!?)
……否、純粋に、木曽川の社会人としてのスキルが、圧倒的に足りてないからである。
はぁ、と面接官はため息をつきながら、エントリーシートに目を通す。
「大学時代に何か打ち込んだこともなし。成績もボロボロ。よくもまあこれでタカナワに就職できたものだ。まあ、ロクな手段を用いたのでないのだろうが」
「う、うっせーよ!」
図星をつかれ、木曽川は顔を真っ赤にして叫ぶ。
「そ、そんなのあんたの勝手な妄想だろ! なんだよ、こっちはこの会社に入ってやろうって思ってきてやったのによぉ!」
「……そんな態度で、よくもまあ、面接に来たものだ」
面接官はため息をついて言う。
「お帰りになって結構ですよ」
……木曽川は会社を後にした後、重い足取りで歩く。
「クソッ! なんだか全てが上手く行かねえ……!」
夕暮れ時、木曽川はひとりため息をつく。
上松を含む、出版社に面接にいったものの……すべて、ダメ。
元副編集長の彼が言うとおり、タカナワに裏口入社したことが、業界全体に知れ渡っていたのだ。
ならば、と興味もない一般企業をウケて見たものの……。
結果は、ダメ。
全滅。まずエントリーシートで弾かれる。
運良く面接までこぎ着けても、先程のような有様である。
「前は……こんなことなかったのに……全部が、上手く行ってたのに……ちくしょう……!」
木曽川は手鏡を取り出す。
三郎に殴られたことで、整った顔が、歪んでいた。
自慢の高い鼻は折れて、魔女のように曲がってしまっている。
顔面も殴られたところが、拳状に凹んでいた。
「あのくそターミネーターめ……! 今度会ったら慰謝料請求してやるからな! どちくしょうが!」
とにかく、以前のような整った顔ではなくなってしまった。
外見によるアドバンテージが完全に奪われた状態である。
外面だけがいい男が、その自慢の顔の良さが失われたら……
それはもう、ただのクソ野郎である。
「くそが……就職が決まらねえと……親から白い目で見られるし……早く職に就きてえよ……」
現状、職もなく、また自分を養ってくれる女もいない。
親に頼るしか無いこの状況。
前の会社を首になったことで、親からの風当たりはとても悪い。
首になった理由を木曽川が隠しているため、親はさらに、息子への不信感を強めているようであった。
「さっさと仕事見付けて、さっさとあのクソ実家から抜けだすんだ……! っと、バイトの時間だな」
木曽川は家の近くのファミレスへと向かう。
このまま歩いて行けば、5分遅刻するが、到着するだろう。
「ま、5分くらいなら遅れても良いよな。つーか、おれ悪くないし、面接が遅れちゃったのが悪いし~」
……だが。
「木曽川くん。君は、クビだ」
「んなっ!? なんでっすかぁ! 店長ぉおおおおおおおお!」
バイト先である、ファミレスの事務所にて。
店長がため息交じりに言う。
「君、バイトに入ってから、遅刻これで何回目だい?」
何回目、と言われても、もう遅刻しまくっているので、数えることが出来ないほどだった。
「君ね、仕事舐めすぎだよ」
「べ、別になめてないっすよ!」
反論する木曽川だったが、店長は冷ややかに彼を見やって言う。
「いいや、君はこの仕事を馬鹿にしてる。たぶん、バイトはちゃんとした仕事じゃないって、思ってるんじゃない?」
「は? 何言ってるんすか……?」
木曽川は、真顔でこんなことを言う。
「当たり前じゃないっすか。こんなファミレスのバイトなんて、レベルの低い仕事じゃないっすか、ねえ?」
店長は木曽川の態度に、もう怒りを通り越して、あきれ果てていた。
「あのね、きみ……確かに君にとってはバイトだよ。でもね、社会全体からみれば、これだってれっきとした仕事なんだ。それがどうだね、君はこの仕事を完全に舐め腐った態度でやっている……そういう意識の低さを、わたしは許せない」
だから、クビだ……と店長は言い放つ。
「チッ……! あーはいはい、いいっすよ。おつかれっしたー」
バイトをクビになったからと行って、木曽川は焦らない。
むしろ、怒っていた。
「ったくなんだよ、たかがファミレスの店長風情がえらっそうに! こっちは天下のタカナワの社員だった男だっつーの! てめえみたいな底辺のカスに、なんで馬鹿にされなきゃいけねーんだよ!」
木曽川はファミレスを後にしながら悪態をつく。
「ま、別に良いし~。都会には、バイトなんてごまんとあるからな! テキトーに何か良い感じのバイト探すか~」
だが……。
「無理」
「帰れ」
「論外」
……と、3つ立て続けに、バイトの面接に落ちてしまった。
「なんでだよぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」
木曽川は公園のベンチに座り、ガリガリと頭をかく。
「なんで就活もうまくいかなくて、バイトの面接すらうまくいかなくなったんだよぉ……!」
ファミレスをクビになった情報が、瞬く間に拡散される羽目となったからだ。
これは開田の権力が働いているからである。
グループ総帥である開田 高原は、やろうとおもえば、木曽川を闇に葬ることなど容易い。
だが、そうしなかった。
孫娘の思い人を、酷い目に遭わせた彼に……。
あっさりと殺してしまっては、こいつが苦しむことはない。
じっくり、じっくりと追い詰めていき……苦しみを味あわせる。
それが高原の下したオーダーであった。
「楠男。あんた、こんなとこでなにしてるの……?」
「か、母ちゃん……」
木曽川の母が、買い物帰り、偶然通りかかったのだ。
「あんた面接は?」
「……うっせえ」
「バイトは?」
「うっせええんだよ!」
息子の様子を見て、母親は全てを察する。
「クビになったのね……まったく、だから昔から、散々言ってきたじゃないの」
木曽川母が、叱りつける。
「お父さん譲りの、整った顔にあぐらをかいてたら……お父さんみたいに【刑務所】にぶち込まれるわよって。あたし、散々言ってきたわよね?」
木曽川の父親は、今牢屋のなかにいる。
母は息子が同じ道へ進まないようにと、育ててきたつもりだったが……。
「うっせぇええええんだよばーーーーーーか!」
木曽川はブチ切れて声を荒らげる。
「おれに命令すんじゃねえ!」
「親に向かってなんて口の利き方するの!」
「うるせえうるせうるせええ!」
今日一日のストレスが、どっと木曽川を襲う。
そのはけ口は、育ての親へと向く。
「どいつもこいつも! おれに命令するな! おれの価値を否定するな! おれを! おれを……くそぉ!」
そんな息子を……。
母親は、憐れなものを見る目で見る。
「そんな目で見てるんじゃねえよババア!」
「楠男。あんた……その態度直さない限り、もう一生、どこにも就職できないわよ」
母親すらも、同じことを言ってくる。
だが……。
「うるせえうるうせえ! おれは、おれは認めないぞ! おれは悪くねえ! おれを否定する社会が悪いんだぁ! おれの真の実力を見抜けない社会が悪いんだよぉ……!」
「楠男……!」
パンッ……!
母親に、頬をぶたれたのだと、遅まきながら気づく。
「いい加減に目を覚ましなさい! あなたは……間違ってるんだって!」
母親は必死になって、息子の間違いを正そうとする。
母の愛を、しかし……。
「う、うるせえ!」
バキッ!
木曽川は母親のことを殴り飛ばす。
「親の分際でおれのことを否定すんじゃねえ!」
そんな酷い態度を受けて、母親は……体を震わせたあとに言う。
「……もういい。あんたと、親子の縁をきるわ」
「んなっ!? ど、どうしてそうなるんだよ!」
木曽川母は、冷たいまなざしで木曽川に言う。
「もう……いや。お父さんとそっくりなあなたを……頑張って愛そうと思ったの。でも……もう無理。どんどんお父さんに、顔も中身も似てくる。正直……耐えられない」
木曽川母は、きびすを返して、息子の元を去る。
「縁切りよ。さようなら」
「ちょまっ、待ってくれよ! 母ちゃん!」
木曽川はみっともなく涙を流しながら、母親の足に縋る。
そう、彼は金も仕事もない。
ここで親子の縁を切られたら……。
もう、住む場所も失われてしまう。
「お、おれを見捨てるのか!? 可愛い息子を!?」
「……昔は、ね。今はもう、ただのクズ男よ」
母親は足を振りほどくと、去って行こうとする。
「まってくれよ! 母ちゃん! かあちゃん……へぶっ!」
木曽川は足をもつれさせ、地面に倒れる。
彼女の前にタクシーが止まり、すぐに出発してしまった。
「まってくれよ! かあちゃん! かあちゃあああああああああああん!」
……社会からも、母親からも、見捨てられた木曽川。
彼の嘆く声が、むなしく響き渡るのだった。