59話 るしあと打ち合わせ
俺はるしあと外で打ち合わせすることになった。
指定されたのは、都内の高級ホテル。
ホテルの最上階の部屋で、るしあが俺を待っていた。
「おかや。すまないな、こんなところまで」
「いや……いいよ。それより……お前その格好……」
るしあは、普段和服が多い。
だが今日は、大人っぽいドレスを着ていた。
「パーティが少しあってな。それでこの格好で、今は少し抜けてきたのだ」
「なるほど……パーティ。それでドレスか」
普段は純和風な彼女も、ドレスを着れば、本当にどこかの国のお姫様みたいであった。
白いドレスに、真っ白な肌に髪の毛。
今の彼女からは神々しさすら感じられる。
「じゃあ、さっそく打ち合わせを……」
するとるしあが、こほんっ、と咳払いをする。
「おかや。打ち合わせの前に……なにか、言うことがあるのではないか?」
すました顔で、るしあが言う。
だがチラチラ、と何かを期待するような視線を、俺に向けてきた。
「ああ……うん。似合ってるよ、そのドレス」
「そ、そうか! ふふ……♡ ありがとう♡ おかやにそう言ってもらえるのが、一番うれしいぞ!」
るしあが立ち上がると、その場でくるっと回る。
ふわふわのドレスの裾がめくれて、真っ白な艶のある太ももが見えて、妙になまめかしかった。
「打ち合わせするか」
「ああ、頼む」
俺たちはホテルの一室の、リビングスペースに居る。
これまた高級な部屋にソファセットだ。
俺の真横、ぴったりとくっつくように、るしあが座る。
彼女が俺を見上げて、微笑むと、すりすり、と肩に頬ずりしてきた。
「今日はなんだか甘えん坊だな」
「うむ……朝からパーティで、疲れたからな」
「そうか。お嬢様も大変だな」
サラサラとした髪の毛を手で触れると、るしあが嬉しそうに目をほそめる。
「それで……これがキャララフだ」
俺はケースから、カラー印刷した、【きみたび】のキャラクターラフを取り出す。
「おおっ! すごい……ワタシのイメージぴったりだ……!」
るしあはもらったラフ絵を見て、赤い眼をキラキラと輝かせる。
ぱたぱた、と足をぱたつかせて、子供みたいに口を大きく開く。
「すごいぞおかやっ! ありがとうっ!」
「いや、感謝するのは、イラスト描いてくれたみさやま先生にだろ?」
「それは当然だが、こんなにも素晴らしい絵師さんを、ワタシにつけてくたのはおかやだろうっ? ありがとうっ!」
きゅっ、とるしあが俺の腕を抱きかかえて、子供のように無垢なる笑みを浮かべる。
「喜んでくれて何よりだよ」
前より、この子が笑ってる姿を見て、もっと……と思うようになった。
もっと笑わせたい……と。
初めて彼女と会ったとき、悲しい顔をしていたのを覚えている。
原稿を、自分の書いた世界を否定されて、ぐしゃぐしゃに涙を流していた彼女が……。
今こうして、笑っているのが、うれしい。
「ラフはこれでいいか? 何か設定と違う部分とかがあれば修正してもらうが」
「問題ない。【少年】も【姫】も思った通りだ」
【きみたび】は、いわゆる世界系に分類される作品だ。
ヒロインは神のごとき力を持って生まれた少女【姫】。
姫が何かを願うことで、どんな願いでも現実になってしまう、という設定。
ヒロインは世界から【悲しみをなくしたい】と願った。
その瞬間、世界中の人たちの記憶が失われた。
記憶がなくなれば争いがなくなり、結果悲しみがなくなるだろう、という理屈らしい。
しかし姫は力を使うごとに、その対価として、自分の大切なものを失ってしまう。
姫は悲しみの記憶をけしたことで、自分の名前を失う。
一方で主人公は記憶がないため、自分の名前がわからない。
だから主人公は【少年】と、ヒロインは【姫】と、各々名前が存在しないのだ。
……そういう世界観に見合う絵を、みさやま先生は書いてくれた。
「この方は、とても器用だな。たしかワタシの尊敬するカミマツ先生の作品も、絵を担当してくださっているのだろう?」
「そうだ。同じ人が描いてるのに、作風がまったく違うだろう?」
カミマツ先生の二作目、【僕の心臓を君に捧げよ】。
通称、【僕心】。
みさやま先生は僕心では、いかにもラノベっぽい表紙を描いている。
一方で【きみたび】では、世界観にマッチした、淡い色使い、線の使い方をしている。
「ああ! すごい……さすがみさやま先生だ! 一度会ってお礼をしたいくらいだ」
「機会があれば、とは思ってるんだが、向こうは人気者で凄い忙しいらしい」
メールで何度かご飯でも……と誘っているのだが、ことごとく断られている。
曰く、【浮気NGなので】だそうだ。
彼氏でもいるのだろう。
「表紙はどうなるんだろうなぁ~……楽しみだ!」
「もう発注はしてあるから楽しみにしてな」
表紙の作り方は、編集によってまちまちだ。
絵師に丸投げするパターンもあるが、俺はある程度、こちらから指示を出す。
絵師側にも作品をわたし、協議して、最終的にこちらから案を出す。
あまり細かく指定しすぎると、想像の余地を削ってしまうので、あくまで参考程度に。
でも、手を抜かない。
「おかやがいれば、ワタシは安心して、文章に集中できる。ほんと、いつも感謝してるよ、おかや」
るしあが目を閉じて、俺の肩に頭を載せてくる。
あかりは、ぐいぐいと襲いかかってくるが、るしあは静かに……寄り添ってくるイメージだ。
「……不思議だ。おかやが側に居るだけで、とても心が安らぐんだ」
「俺もだよ」
艶々の髪の毛は、まるで子猫の産毛のようで、触っていて心地が良い。
「あ、そうだ。著者校の原稿持ってきたぞ」
「う……わかった」
小説家の書いた文章は、そのまま世にでることはない。
一度【校閲】という、文章をチェックするプロに原稿を見てもらう。
誤字脱字、誤用などを、かなり細かいレベルで指摘してくる。
だがなかには、作家があえて、誤用誤字だとわかって書いてる表現というものも存在する。
そこが故意でやっている、そうじゃなく事故でそうなった、という判定を著者自らが行う。
これを著者校という。
「ワタシはこの著者校という作業が苦手だ」
俺はバッグから取り出した原稿を、るしあの前に置く。
赤字がびっしりと書かれて、指摘事項が満載だった。
「一度書いた文書に、手を加えるのは、どうにも据わりが悪い……」
「俺もよく、おまえが書いた話に色々手を加えるだろ?」
「おまえはいいのだ。おかやは特別だから。でも……ほかのものに、ワタシとおかやが作った宝物に、触れて欲しくないんだよ……」
もじもじ、とるしあが顔を赤くしてみじろぎする。
そんな彼女が愛らしくて、つい、頭をなでてしまう。
「著者校も作家の大事な仕事のひとつだ。おまえもプロなら、わかってくれるよな?」
「……無論だ」
彼女は顔を上げて、しっかりうなずく。
「金をもらっている以上、最後まで責任を持つ。この子は、ワタシとおかやの大事な子どもだからな」
るしあは著者校原稿を大事そうに抱きかかえて、よしよしとなでる。
「子供……か。確かにな」
「~~~~~~~~~~!」
ぼっ、とるしあが顔を真っ赤にして首を振る。
「も、もちろん比喩! 比喩表現だからなっ!」
「? ああ、それはもちろんわかってるぞ」
「……むぅ。おかやは、ずるい」
るしあが唇を尖らせて、はぁ、とため息をつく。
「いつもドキドキしたり、胸が苦しくなるのは、ワタシばかりだ。ひきょーだ。ふこーへーだ」
「そう言われてもな……」
俺はるしあに、安らぎを求めている。
ともに歩み、供に寄り添ってくれる……そんな相棒としての彼女を。
「そ、そうだっ。お、おかや……なぁ。ドレスのホックを、は、外してくれないか?」
「どうした急に?」
「こ、この……ドレス。少し苦しくてな……頼む」
くるっ、とるしあが俺の背中を向ける。
耳の後ろと、首筋まで、真っ赤に染まっていた。
「そうか。じゃあ……」
俺はるしあの背中に触れる。
「……んっ♡」
じじ……と少しジッパーを下げる。
彼女の真っ白な背中と、少し汗ばんだ肌が俺の前に現れる。
ふわり……と甘い香りが鼻腔をついた。
「おかや……いいのだぞ?」
うるんだ赤い眼を、俺に向けるるしあ。
「……そのために、ホテルの部屋を借りたんだ。ほんとは、ラウンジでも、良かったんだけれど」
「そう……か」
なんともいじらしい乙女ではないか。
俺は、触れようとして、躊躇する。
あまりに彼女は儚げで、触れたら壊れてしまうという危うさがあった。
……それと同時に、この小さく、儚い存在を、俺のものに無理矢理したくなる、という衝動にもかられる。
2つがせめぎ合い、俺は……彼女を、後ろから抱きしめる。
「……あっ♡」
「これで我慢してくれ」
「……うん♡」
るしあの温かさと、すっぽりと収まる感が、実に心地よかった。
彼女は体の力を抜いて、俺に背中を預けてくる。
キスも、その先もしていないが、それでも……俺たちは深くつながれてる気がする。
「……ワタシ、おかやに、こうしてギュッとされるのが、世界で一番好きだ」
俺の方を向いて、るしあが淡く微笑む。
桜色に染まった頬と、瑞々しい唇は、見ててドキッとしてしまう。
彼女の甘い香りと、細く……柔らかい体をこうして抱きしめると、るしあもまた女性なんだなって思う。
子供じゃなくて、女なのだと。
「……なあ、おかや。あと……10分で、会場に戻らないと、いけないんだ」
「そうか……」
「あと……10分。こうしててくれ」
「了解だ」
俺もるしあも、それ以上何かしたわけではない。
ただ寄り添っていた。
それだけでとてつもない心地よさを覚えた。
彼女からは、マイナスイオン的なものが出ているのだと言われても、過言ではない。
「うむ、元気出た」
るしあが立ち上がって、力強くうなずく。
後ろのファスナーを元に戻してやる。
「頑張れよ、るしあ」
「ああ、おかやも、がんばれ」
俺たちは、それぞれの仕事場へと戻る。
俺は編集部に、彼女は社交の場へと。