58話 編集の仕事
俺は妹を学校に送り届けたあと、会社へと出勤する。
俺が務めるのは、上松編集長が新しく立ち上げた、SR文庫。
最初は小さな出版社だったが、開田グループが出資者となったことで、事業拡大。
結果、元いたタカナワビルに、本拠地を構える大きな出版社となった。
SR文庫のラノベ編集部にて。
8月上旬。
「岡谷くーん」
「佐久平か」
20代中盤くらいの、スーツを着た女編集が、俺に話しかけてくる。
この人は佐久平 芽依。
元タカナワの編集だったが、上松さんが引き抜いた社員だ。
SR文庫の初期メンバーは俺、上松さん、佐久平の3人。
「どうした?」
「来週の打ち合わせと思ってね」
「来週……ああ、コミケか」
俺たちは小会議室へと移動。
コミケ。夏のお盆の時期になると、東京で開かれる同人イベントだ。
そこでSR文庫は、同人誌を出すことになっているのである。
創刊ラインナップの3作品の、お試し版、と言う形での同人誌だ。
テーブルには、刷り上がったばかりの、創刊ラインナップ3冊が並んでいる。
「しかし……いつ見ても、豪華な面子よねぇ」
しみじみと、佐久平が言う。
「超人気のカミマツ先生。期待の新人【イタでれ】の作者の黒姫エリオ。そして岡谷くんの白馬先生」
「別に俺のじゃ無い」
「冗談よ。AMOの作者様よ」
佐久平は俺と王子が大学の友達であることを知っている。
「順当に売れるでしょーね」
「ああ。だが油断は禁物だ。俺たちがしっかり売ってかないと」
「わかってるわよ。いくらカミマツ先生たちが神作品をつくっても、売るのはあたしたちの仕事だからね」
俺は佐久平とともに、夏コミでの打ち合わせをする。
彼女も俺もスタッフとして当日は参加する予定だ。
「あ、そうだ。カミマツ先生から、あずかってきてるわよ、【推薦文】」
推薦文。よく帯とかについているあれだ。
佐久平はプリントしたものを俺に渡す。
「もう、読み終わったのか、るしあの新作」
実は今回、推薦文を、カミマツ先生に依頼している。
るしあの新刊は夏休み明けに出る。
少しでも売り上げを伸ばそうと、佐久平を経由して、カミマツ先生に頼んだのだ。
「原稿のデータをおまえに送ったの、昨日だったような……」
400ページ近く本編があったと思う。
「うちの神作家、書くのも読むのもめちゃ早いからね~」
ふふん、と佐久平が胸を張る。
彼女がカミマツ先生の担当編集なのだ。
「しかもすごいのよー、19時にメール送って、19時10分に読了メールとそのながーい推薦文が帰ってきたんだから」
「マジかよ……」
ふつう、ラノベ一冊を読むのには、早くても2,3時間はかかる。
それをカミマツ先生は、10分以内によんで、しかも推薦文まで書いたのか……。
俺は推薦文に目を通す。
……知らず、涙が出てしまった。
「ね、すごいでしょ?」
「ああ……すごい。これは、とんでもない推薦文だ。あの先生、本編だけじゃなく、こういう細かい仕事でさえも、凄い文章書くんだな」
「そりゃ業界ナンバーワンの神作家ですもんねー♡」
まあ何はともあれ、神作家の推薦文が、もらえたのだ。
しかも丁寧なことに、推薦文のほかに『凄い面白かったです! 新刊でたら買います絶対!』とメールまでつけられていた。
ほんと、実力もあるし、人格者でもある、凄い作家だな、カミマツ先生は。
「あと残り何の作業のこってるの? るしあ先生の新刊」
「著者校と……イラストだな」
「あー……こう様ね」
今回、イラストは、神絵師である【みさやまこう】氏に頼んでいる。
カミマツ先生と組んだこともある、凄い人気のイラストレーターだ。
忙しいのはわかってるし、この間、体調を崩したと言っていた。
だが、さすがにそろそろ、キャラクターラフが届いてないと困る……。
「あの子、筆は速いけど、仕事に取りかかるまでが遅いのよねー」
「佐久平は会ったことあるのか、みさやま先生と?」
「あるある。とゆーか、カミマツハーレムの……あー、なんでもない。気にしないで」
俺はみさやま先生と直接は会ったことがない。
メール、ないし、電話だけだ。
「ちょっと連絡取ってみるわ。ありがとな」
「ん。おっけー……でさー、岡谷くん?」
にやにや、と笑いながら、佐久平が聞いてくる。
「るしあ先生と、いつの間に親密になったのー?」
……どうしたんだ、こいつ急に。
「だってー、さっきるしあ先生のこと、呼び捨てにしてたじゃない? ね、ね、なに? 何かあったの?」
……こいつは仕事が出来るのだが、かなりのお節介焼きなのだ。
しかも他人の恋愛話が大好物である。
「何もないよ」
「ほんとーに? 作家と編集の恋愛とかないわけ?」
「ない。お前こそどうなんだよ。カミマツ先生が命なんだろ?」
「んー、まあそうなんだけどさ……。ちょっとね。ライバル多いというか」
切なそうに、佐久平が小さく笑う。
振られたのだろうか。
「今度愚痴付き合うよ」
「ん。さんきゅー。あ、でもごめんね岡谷くん、あたしに気があっても、応えられないから」
「自意識過剰だよまったく」
俺が苦笑すると、佐久平もまた笑う。
こいつとは同期入社してから、今日までずっと一緒に仕事しているが、いいやつだ。
上松さんが引き抜くのもわかる。
「んじゃ、来週のコミケよろしく」
俺は佐久平と別れて、自分のデスクへと戻る。
メールチェック。
「……やっぱり、みさやま先生からは上がってきてないか」
本来なら、あまり直接話すことはないが、さすがに遅いので聞いてみる。
プルルルルルッ♪
がちゃっ!
「お疲れ様です、SR文庫の岡谷です」
どすん、ばたん! と電話の向こうで、大きな音がした。
「大丈夫ですか、みさやま先生?」
『も、問題ない……でふ』
でふ?
「先生、【きみたび】のキャラクターラフのほう、進捗はいかがでしょうか?」
どたん、ばたんっ! と大きな音。
『す、すすんで、ます!』
「どれくらい進んでます?」
『け、けっこう! もうあと、ちょっと! あとほんの、1割くらい!』
ああこれは、まったく手が付けてないな……。
「みさやま先生、もしかしてスケジュールきついですか?」
『そ、そんなこと、ない、です』
「でも今、コミケの準備とかで忙しいのではありませんか?」
どたんっ、ばたんっ! と大きな音。
『な、なぜ……コミケ、出すの、知って、ますの?』
「いえ、ほかのイラストレーターさんとかも、この時期はみなさんコミケに出店しますし、なにより先生、ツイッターで告知してるじゃないですか」
『KP$%KR<#P……』
電話の向こうで、日本語じゃない言葉が聞こえてくる。
どこの国の言葉だろうか……?
『<P%#<P%、M%O#%#!』
「すみません、電波の繋がりが悪いみたいで、もう一度お願いします」
みさやま先生は慌てた調子で言う。
『ラフ、今日中に、送ります! 発売延期は、ご勘弁を!』
「本当ですか? ありがとうございます。とても助かります」
『<R%#……MO%#<P%#、M%O#%#`』
またも電話の向こうで、日本語じゃない言葉で話すみさやま先生。
日本人じゃないのだろうか……?
「では、引き続きよろしくお願いします」
『よ、よろしく……ねがい、します』
電話が切れる。
「ふぅ……まあ、大丈夫だとは思うが……」
まあ相手もプロ絵師だからな。
それにもっと酷い絵師もいる。
電話やメールに出ない輩もごまんといるからな。
と、思っていると……。
ピコンッ♪
デスクトップに、メールが来たことを知らせる通知がきた。
開くと、みさやま先生からだった。
「いくら何でも早すぎるだろ……」
まだ頼んで5分もしないうちに、主要キャラのキャララフが送られてきた。
まあ9割終わっている(自称)だったから、1割を5分と考えれば……。
いやそれでも、早い。早すぎる。
俺はもう一度、みさやま先生に電話をかける。
「お疲れ様です、先生」
『ひっ……! い、イラストは送りましたがー!?』
「あ、はい。確認しました。お礼の電話と思ってかけたのですが」
『な、なんだ……殺されるのかと……』
物騒な話だ。
「いただいた絵を原作者に送って確認が取れ次第、また連絡します」
『りょ、かい……です』
「先生、本当にありがとうございます。いつもながら素晴らしいクオリティと速さですね。感心します」
『$OM%#<%`<! MO%#<P%#! <P%#%#!』
何を言ってるのかは不明だったが、おそらく照れてるのだろうことは、声のトーンでわかった。
「では、表紙のラフをお願いしますね」
『あう……そ、っちも、ありました、ね』
「ええ。キャララフの確認が取れ次第ですが。8月の第三週くらいに送ってくださると嬉しいです」
『か、かしこま……! こ、今度は、絶対、遅れないように、します! 表紙、9月にならないように、気をつけます!』
「ありがとうございます」
『遅れたら切腹します!』
「そこまでしなくて大丈夫。引き続きよろしくお願いします」
電話を切る。
次に、俺はるしああてに、もらったキャララフをメールで送る。
そしてるしあに電話をかける。
『もしもし』
「るしあ。俺だ」
『おかやっ! どうした? 逢い引きのお誘いなら大歓迎だぞっ!』
電話の向こうから弾んだ声がする。
「期待させておいて悪いが、仕事の話だ」
『…………………………そうか』
露骨にがっかりしているな、るしあ。
「デートはまた今度な」
『うむ!』
今度は一転してうれしそうだ。
「【きみたび】のキャララフが届いたぞ」
きみたび。るしあがうちで出す、二作目のことだ。
「メールで送ったから、確認して欲しい」
『う、うむ……すまない。実は三郎が休んでいて、ぱそこんが開けないのだ』
るしあはかなりの機械音痴である。
メールでのやりとりの際は、三郎氏にパソコンを操作してもらってるとのこと。
「じゃあ、印刷したヤツをお前の家に届けるよ」
『! ほ、ほんとかっ?』
「ああ。帰りにそっちによるよ」
『い、いや……その、そ、外で待ち合わせでも、いいか?』
「わかった。時間は?」
『できれば今すぐ……なのだが、無理かな?』
俺は時計を確認する。
「問題ない。すぐ行くよ」
『ああ! ありがとう、おかや。ワタシの都合に付き合わせてしまって』
「いいって。じゃ、あとでな」
俺は電話を切って、ラフを印刷し、社用車で外へと向かうのだった。