57話 朝から修羅場
俺の家に、妹のみどり湖がしばらく泊まることになった。
翌朝。
「あつい……」
起きた途端に感じるのは、とてつもない蒸し暑さだ。
8月の上旬を過ぎても、熱さは増すばかりである。
「って……みどり湖?」
「んぅ……」
俺の隣に、妹が眠っていた。
パンツ1枚に、上はタンクトップという非常にだらしのない寝姿である。
ここは、使ってなかった部屋だ。
俺の部屋はみどり湖が使うということで、こっちに引っ越してきたのである。
だが妹は俺の布団の中に、気づけば潜り込んでいた。
「起きろ。みどり湖。おまえ、部活だろ?」
「……んぅ。……ゃぁ」
みどり湖が赤ん坊のようにぐずる。
そういえば妹は非常に低血圧だった。
「ほら、起きろって」
「………………」
ぼーっ、とした表情で、みどり湖が俺を見てくる。
「……ぁえ~? ……おにいたん?」
どうやら寝ぼけているらしい。
おにいたん、というのは、昔の呼称だ。
いつの間にかお兄になっていたが、昔は結構俺にべったりだった。
年齢が離れてたけど、兄妹仲は良好だった。
「……ろーして、おにいたんいるのー?」
「ほら、風呂入ってしゃっきりしてきなさい」
「……んー。んー♡」
みどり湖は俺の腰にしがみつくと、すりすりと頬ずりする。
「……良い匂い♡」
「おまえな……」
と、そのときだった。
「おかりーん、朝だ……ぞー……」
JK妹、金髪美少女のあかりが、俺の部屋にやってきた。
エプロン姿の彼女は、どうやら朝食の準備をしていたらしい。
「……ふーん?」
「あかり、違うんだ。これは」
「あ、うん。おかりんが悪いんじゃないのはわかってるよ。たぶんその女が寝ぼけて布団に入ってきたんだよねそれはわかってるから」
もの凄い早口で、しかし表情は般若のごとく、みどり湖をにらんでいる。
「おら起きなさいよ!」
ぐいっ、とあかりがみどり湖の腕を引っ張る。
「……んぇー? がいこくじーん? はうわーゆー……?」
「何こいつふざけてるの……?」
びきびき、とあかりが額に血管を浮かべる。
「みどり湖は低血圧なんだ。風呂に連れてってやってくれ」
「んー……まあいいけど。ほら来なさい!」
ぐいぐい、とあかりが妹の手を引っ張る。
「……やぁ。もっとおにいたんと、いっしょー……。せっかく、あいついなくなって、またいっしょに……むにゃむにゃ……」
よろめきながら、みどり湖が出て行く。
ばたん、と扉が閉まって、俺は一人取り残される。
「……どうするかな」
結局話し合いの末、みどり湖はあかりたちがいることに、一応は納得してくれはした。
だが、彼女は見張るといってきた。
これから、4人と向き合っていこうと思った矢先に……。
「……考えても仕方ない。仕事、いかないと」
俺は立ち上がって、着替える。
髭を剃ろうとして、みどり湖が風呂に入っていることに気づく。
「髭は後回しだな」
俺がリビングへ行くと、あかりが朝食を既に用意していた。
テーブルには2つ分の皿。
「さっ、おかりん♡ ごはんたーべよ♡」
あかりが俺の隣に座る。
これ、どうやら俺とあかりの分だけらしい。
「あ、お姉の分は冷蔵庫のなか入ってるから。お姉ってばまーだ寝てるんだもん」
「なあ、悪いがみどり湖の」「やだ」「まだ何も言ってないだろ……」
んべっ、とあかりが舌を出す。
「どうしてあの女の分まで作らないといけないわけ? そんな義理はありませんが?」
「でも俺と菜々子のぶんは作るじゃないか」
「おかりんは未来の旦那様だし、お姉はお姉だもん」
ぷいっ、と子供のようにそっぽを向くあかり。
どうにも二人は馬が合わないようだ。
「そう言わずにさ。頼むよ」
「……むぅ。わかったよ。おかりんが頼むから、特別に作ったげる」
「ありがとう、恩に着るよ」
むー、っと唇をとがらしたあと、「んふふ♡」と何かいたずらを企むような顔つきになる。
「おかりん♡ 作ったげるから、そのかわり~……ん~♡」
あかりが唇をすぼめて、目を閉じる。
「なんだ?」
「キス♡ してほしーなぁ~」
……これは応じるべきだろうか。
別に断る理由は、ない。俺たちは、仮とは言え恋人になったわけだから……。
「ほら、んー♡」
と、そのときである。
ぶんっ!
ぼふっ!
「うぇっぷ!!」
突如、あかりの顔に、濡れたバスタオルが張り付く。
「もがもが! もがー!」
「あかり、動くな。取るから」
俺がバスタオルを回収する。
あかりはホッと息をつくと、背後をにらみつける。
「なにすんのよっ!」
風呂上がりのみどり湖が、不機嫌そうに俺と、あかりを見てた。
「……うーわ、きも。朝からおっさんとキスとか」
「別に良いでしょっ!」
ちなみにあかり達との関係は、みどり湖には言ってない。
バレたときの混乱を避けるためだ。
「……お兄もさ、こんなガキのいたずらにほいほい乗るなし。ロリコンって間違われちゃうよ」
「おかりんはロリコンだもーん! あいたっ」
俺はあかりの額をつつく。
「みどり湖、おはよう」
「……はよ」
みどり湖はポロシャツにミニスカートという出で立ち。
黒いリボンで、長い髪の毛をポニーテールにしている。
【アルピコ学園】と書かれたエナメルバッグと、ボールケースをどすんっ、と地面に置く。
「……お兄、朝、学校まで送ってって」
「はぁ!? なにそれ! おかりんはあんたの運転手じゃないわよ!」
くってかかるあかりに、ふんっ、と妹が鼻を鳴らす。
「……は? そんなのわかってるし。頼んでるだけだし」
「自分でいきゃいいでしょ!」
「……あーし電車嫌いだし。キモい親父がいっぱいいて。じろじろ胸とか見られるのが」
妹は気づけば結構な年頃だ。
少し見ない間に、女性らしくなっている。
彼女をセクシャルな目で見る輩も多いのだろう。
電車が嫌、という気持ちも理解できる。
「わかった。送ってくよ」
「おかりん!? 甘やかせちゃだめだよ、図に乗るじゃん!」
「……は? 別にお兄にあーしが甘えて、何か問題でも?」
「大ありだよっ! だって二人は……ち、血が繋がってないんでしょ?」
明言したわけではないのだが、あかりがそう言ってきた。
「ああ。そうだ。親父の再婚相手の娘が、みどり湖なんだよ」
親父の元々の妻、つまり俺の母さんは、俺を産んで結構早くになくなってる。
それからしばらくして父さんは再婚。
連れ子としてやってきたのが、みどり湖ってわけである。
「……血が繋がってないから、なに? レディコミとかラノベみたいな展開になるって思ってるわけ? きっしょ」
「こんのー!」
殴りかかろうとするあかりを、俺はなだめる。
「みどり湖。言い過ぎだぞ。謝れ」
「……別にあーし悪くないし。てゆーか、 好きでも何でもない女に、朝からデレデレすんなし。お兄のロリコン」
ぷくっ、みどり湖が頬を膨らませながら、苛立ちげに言う。
「おかりん! 怒ってやって! こいつさっきから失礼なことばっか言ってるよ!」
「まあ……普段からこんなもんだろ」
「おかりん……罵倒されながら育ったの? もしかして……マゾ?」
「断じて違う。みどり湖、朝から騒がないこと。あかり、すまんな。妹が失礼して」
あかりは不服そうに顔をしかめるが、やがてため息をつく。
一度リビングに引っ込んで、朝食を作って持ってくる。
「ほら、あんたの」
トーストにサラダ、コーヒーにハムエッグを作ってくる。
「…………」
「なによ?」
「……ちっ! 恩着せがましい」
「はぁ? じゃあ食べなくって全然いいんですけど?」
「……お兄。いくら料理上手でも、こんな口うるさいババアとは付き合わない方が良いよ」
「誰がババアですって♡」
にこっ、とあかりがとても良い笑顔で笑う。
俺にはわかる、爆発する寸前だ。
「ほ、ほら……さっさと飯食え。送ってくから」
「……あーし、朝はゴハンがいいんだけど」
「こっんのくそ■(※自主規制)」
腹を立てるあかりをよそに、みどり湖はさっさと朝食を食べる。
「……ごっそさん。まあまあ美味かったよ」
「お粗末様!」
あかりは乱暴に食器を片付ける。
「……じゃ、お兄」
「ああ。あかり、俺もそのまま出勤するから」
「ん。おっけー」
俺はみどり湖と供に、玄関へと向かう。
「おかりーん! 忘れ物~」
ててっ、と走ってきて、俺に包みを渡す。
「お弁当だよ♡ たぁっぷり愛情を込めて作りました!」
「そうか。ありがとうな」
俺はあかりの頭をなでる。
ふにゃふにゃ、と幸せそうにあかりが笑う。
ゲシッ……!
「いっつ……なんだよ、みどり湖?」
「……デレデレすな、死ね!」
ふんっ、とみどり湖は鼻を鳴らして、先に玄関を出て行く。
「ありがとな、あかり。いってくる」
「ん♡ いってらー」
あかりは笑顔になると、俺の頬にキスをする。
ちゅっ♡
あかりは顔を離すと、にこりと笑って手を振る。
「いってきますのちゅーだよ♡ これから毎日するね♡」
「あ、ああ……いってきます」
俺は玄関を出ると……。
不機嫌そうに俺をにらみつける、妹の姿があった。
「……おせえし、何やってたの?」
「いや、まあ……」
まさか朝からいってらっしゃいのキスしていたとは言えない。
「ほら、車回してくるから、ちょっと待ってろ」
俺は車庫へ行って、車を出す。
後部座席を開くと、荷物を載せ、妹は助手席に座る。
「別に後ろに乗っていんだぞ?」
「……うっさい。さっさと出して」
まあ別にどこに座ろうが妹の勝手ではあるか。
俺は車を発進させ、アルピコ学園へと向かう。
「……お兄、さ。毎朝、その……あいつの手作り料理、食べてるの?」
みどり湖がぽちぽちとスマホをいじりながら、素っ気ない態度で聞いてくる。
「ああ」
「……あんな美味いの、毎日」
「そうだな。助かってる」
「……なにそれ。家政婦じゃないんでしょ。なに飯作らせてんの?」
ちっ、とみどり湖が舌打ちしながら言う。
「俺が自分で作るって言っても、きかないんだ。料理作るのが趣味だっていってな」
「……は? それ絶対うそだし。お兄の胃袋を掴んで、取り入ろうとしてるんだよ、絶対」
そうじゃない、と言い切れないからな、あかりの場合。
「……あーもう、あいつがいちっばんウザい! ほんと邪魔! せっかくお兄と一緒に」
「俺と?」
「……なんでもない」
ぷいっ、とみどり湖がそっぽを向く。
中学生くらいになってから、妹の態度は激変した。
これが思春期ってやつだろうか。
俺も、何にでも苛ついてたなそういえば。
「……お兄は、さ。いつまであいつらと一緒に居るわけ?」
信号待ちしてると、みどり湖が聞いてくる。
相変わらずスマホから目をそらさない。
「いや、特に考えてないが」
「……は? それ、一生養うって訳。ウケる。お兄どれーじゃん」
「それは違うよ」
俺は、ハッキリと答える。
奴隷なんかでは、決してない。
「あかりも菜々子も、俺の大事な……」
「……大事な?」
前ならば、教え子だと答えた。
でも今は違う、確実に。
だがそれをおもてにするわけには、いかない。
「……まじ、ウザいわ。あいつらも、お兄も」
スカートからチュッパチャップスを取り出すと、乱暴に咥える。
「あんま菓子ばっかたべるなよ、バスケ部のエースでキャプテンなんだろ?」
妹は名門バスケ部で、キャプテンをやっている。
もの凄い上手なのだ。スポーツ推薦で学校に入るくらいには。
「……うっさい。誰のせいで、舐めてるって思ってんだし」
がりっ、とみどり湖がキャンディをかみ砕く。
慣れない人ととの共同生活で、ストレスを感じてるのかも知れない。
ほどなくして、学校の前に到着した。
「……帰りも迎えに来て」
「19時になるが、それでもいいなら」
「……ん。よろしく」
みどり湖は荷物を手に持って、車から降りる。
「じゃあな、部活頑張れよ」
「…………」
「みどり湖?」
妹は立ち止まり、きょろきょろと周囲を見渡す。
「……お兄」
妹は運転席へと回ってくる。
口にくわえていたチュッパチャップスを、俺に無理矢理食わせる。
「……いってきます♡」
「あ、ああ……おまえなぁ、要らないなら捨てろよ」
「……うっさい。お兄のばーかばーか♡」
それだけ言って、みどり湖は駆け足で去って行く。
……思春期女子は、やはり何を考えてるのか、わからん……。