54話 木曽川楠男の災難3【浮気相手】
岡谷 光彦が幸せに過ごしている、一方その頃。
岡谷の妻と浮気した男、木曽川はというと……。
話は、上松副編集長と会ってから、数日後。七月下旬。
「はぁ!? ど、どういうことだよ! マンション立ち退きってよぉ!」
木曽川はマンションの大家から、いきなり、そう言われたのだ。
「言葉通りの意味です。今すぐここから出て行ってください」
「なっ!? ふ、ふ、ふざけんなっ! どうして出てかねえといけないんだよぉ!」
木曽川はマンションに住んでいるのだが、今朝、急に大家がやってきたのである。
「現在あなた、仕事がないのでしょう?」
「そ、それは……」
上松の立ち上げた新レーベルで、働かせてもらおうとした。
しかし彼に振られてしまい、現在無職。
彼の言うとおり、ほかの出版社にいくつも声をかけているのだが、ことごとく失敗してる最中だ。
「仕事がない、収入が不安定な方に、マンションはお貸しできませんね」
「ぐぬ……!」
しかし不思議だった。
前の職場、タカナワを追放されて、まだそんなに日が経ってない。
だというのに、なぜこの大家は、それを知っているのだろうか。
それに職がなくなってすぐ出て行けなんて、あり得るのか……?
……もちろん、開田グループの息が掛かっているからである。
開田 高原。日本政治・経済界に絶大な発言力を持つ男から、木曽川は嫌われてしまったのだ。
彼の怒りは日本全国に波及する。
マンションの立ち退きをさせるくらい、造作もない。
「その年で無職って。恥ずかしくないんですか?」
「はぁ!? む、無職じゃねえし! ふざけんな!」
「はいはい。じゃあとっとと出てってくださいね。今週中くらいに」
「わかったよ! クソ大家! こんなとこ、すぐ出てってやるよぉ!」
……と、息巻いた木曽川だったのだが。
「なっ!? へ、部屋が貸せないってどういうことだよ!?」
駅前の不動産へ来たのだが、帰ってきたのは、そんな言葉だった。
受付で、職員が首を振る。
「残念ですがここで、あなたに部屋を貸すことは出来ませんね」
「だからぁ! なんでだよぉおお……!」
……無論、開田の影響力があるからこそだ。
開田グループは全国に、様々な形で、企業進出している。
不動産グループも持っている。
「仕事がないんじゃあ……ねえ」
「~~~~~~~~! くそっ! ないんじゃねえよ! 今、ちょっと休んでるだけだっつーの!」
「どうだか。あなたのような態度の悪いひとが、就職できるでしょうかねえ」
くすくす、と職員が嘲笑を浮かべる。
「……見て、無職よ」「……わぁ、悲惨」「……部屋を貸してもらえないとか、やばいわぁ」
同じく部屋を借りに来たお客達からも、笑われる始末。
「み、見てんじゃあねえぞごらぁ! ぶっころすぞ!」
羞恥心で顔を赤くし、声を荒らげる木曽川だったが……。
「お客様」
「んだよ!」
「どうか、お引き取りください」
……結局、その後もいくつか回ったが、木曽川に部屋を貸してくれるところは、どこもなかった。
「ったくよぉ! んだよ! ちょっと仕事ないくらいで、部屋貸してもらえねえとかおかしいだろうがよぉ!」
夕暮れ時、木曽川は商店街を一人歩いていた。
「くそっ! こうなったら早急に仕事見付けるしかねえ……! ……だが、その前に住むとこだな」
もう来週には今住んでいるマンションを出て行かねばならない。
だというのに、仕事がないせいで、部屋を借りられないで居る。
「仕事はすぐに決まらねえだろうし……当座の寝床を確保しねえとな」
木曽川はニヤリ、と邪悪に笑う。
「ま、よゆーっしょ。なにせ……おれには、女がいるからなぁ!」
くくく……! と笑いながら、木曽川はポケットからスマホを取り出す。
電源を入れて電話帳を開く。
そこには、ずらりと、大量の女の連絡先が書いてあった。
「住むところがなくなろうが関係ねえ! おれには、おれの言うことを聞く、都合の良い雌豚どもがいるんだよぉ! げははははっ!」
……最低極まる発言を、邪悪な笑みと供にする木曽川。
確かに、彼の顔は整っている。
また、セックスの腕もなかなかのもので、彼と一緒に居たいと考える女は意外と多い。
「おれが頼めば女なんて簡単に泊めてくれるんだよぉ!」
……と、このときまでは、そう思っていた。
木曽川は適当に、目についた女に、電話をかける。
「あー、もしもし~。おれおれ、うん。ちょっとさー、しばらくおまえんとこ泊めてくんない?」
だが……。
『お断りよ』
電話の向こうから帰ってきたのは、そんな言葉だった。
「なっ!? お、お断りって……どういうことだよ!」
『死ね!』
ぶつんっ……! と電話が切れる。
「なんだよ……何キレてるの? ったく、これだから女ってヤツは、すぐ切れるんだから……ま、どーでもいい。ほかにも女は大量にいるからな!」
しかし……。
『ごめん、無理』
『あんたとは無理』
『つーか死ね』
電話帳の【あ】から順に、女にかけていって居るのだが……。
「なんっっっでだよぉ!」
木曽川が居るのは、駅前の喫茶店だ。
本当はさっさと決めるつもりだったのだが、意外と手こずったので、喫茶店に移動したのである。
「くそが! おれの呼びかけにどうして誰も応じないんだよメスどもがぁ!」
ぎり……と歯ぎしりする。
「なんでだ!? おれと一緒に居たときは、あんなにおれにメロメロだったのに! 手のひら返したように! くそっ!」
木曽川は怒りながらも、次の女に連絡を入れる。
【十二兼 利惠】。
「……あのババアに、取り入るのは癪だが、ま、金だけはもってるし、なによりババアだからな。若い男が泣きつきゃ、ころーっと騙されるに決まってらぁ」
しかし……。
『ふざけないで、お断りよ』
「んでだよ! どうしてだよぉ!?」
十二兼にすら、断られてしまった。
「あんなにおれのこと、惚れ込んでたじゃあねえか! なのになんで!?」
『【野尻】さんから聞いたわよ』
「野尻……? のじり……」
言われても、名前が思い出せなかった。
電話の向こうで、十二兼がため息をつく。
『編集部に居た、二番目に可愛いって評判の、あんたのもう一人の浮気相手よ』
「あー! あー! あいつかっ!」
『……女を顔と胸でしか認識してないのね。ほんとクズだわ。どうしてこんなのと……はぁ』
十二兼の発言にイラッときたが、木曽川は言う。
「あの女がどうしたんだよ!?」
『野尻さんに聞いたわ。あなた……行きずりの女と一発ヤッては、その後ポイ捨てしてるそうね』
木曽川は、十二兼やミサエ、野尻と浮気しているときでさえも……。
顔が良いなと思った女に声をかけて、その女とやりまくっていたのだ。
『野尻さんは交友関係が広いからね。それで聞いたわ。……ほんとクズ。死ねば良いのに』
「そ、それの何が悪いんだよ!? 1回くらい良いだろ別にぃ!」
『あなたにとっては、セックスもスポーツみいたなもんかもしれないわ。けどね……女の子にとっては、大事な儀式の一つなのよ』
「はぁ!? なにメルヘンチックなこと言ってるんだよ、ババアの分際で!」
はぁ……と十二兼がため息をつく。
『そんな態度だから、やった相手に嫌われるのよ。聞いたわよ、あんた、住む場所なくして、女に片っ端から声かけてるんですってね』
「ど、どうしてそれを……」
『あんたが声かけた女の中に、あたしや野尻さんの知り合いがいたのよ。……まったく、無駄なことを』
十二兼がせせら笑う。
『あんたが顔以外に何もない空虚なクズだってことは、もうとっくに知れ渡ってるのよ。誰が、あんたみたいなゴミを家におくものですか』
「う、うるせぇえええ! ば、ババアのくせに! 年増のくせに!」
『よしみで忠告してあげる。女を都合の良い存在と思ってる限り、あんたはこの先一生、女にもてることはないわ。顔がいくらよかろうとね』
「けっ! だまれゴミ女! 良いかよく聞け! おれはなぁ……!」
と、そのときだった。
「お客さーん」
ぱっ、とスマホを、誰かに取られた。
「ああん!? ……って、あ、あのときの……」
そこにいたのは、名札に【伊那】と書かれた、絶世の美少女。
伊那あかりであった。
あかりはニコニコしながら言う。
「ここー、喫茶店なんで、通話はお控えください。みんな迷惑してるんで」
至極、もっともな指摘だった。
周りを見ると、客達が迷惑そうに、顔をしかめてる。
「あ、えっと……」
「女の子にババアとか、年増とか、思ってても言っちゃだめだと思いますよ。だから振られちゃうんじゃないですか?」
あかりはスマホをテーブルに置く。
冷たい目で木曽川を見下ろす。
「お、女がよぉ! お、おれに命令すんじゃあねえ!」
木曽川が怒り、殴りかかろうとする。
あかりは冷静に……。
パシッ!
「え?」
「せい!」
木曽川の手を掴んで、そのままの勢いで、投げ飛ばす。
がしゃんっ、とはげしい音を立てて、木曽川が床に背中を打ち付ける。
「一花ちゃんに護身術ならっといて、よかったー」
あかりが、投げ飛ばしたのだと、木曽川は遅まきながら気づく。
「……やぁ、女の子にてをあげるなんて」
「……さいてーだなあの男」
「……つーか、あんなか弱い女の子に投げ飛ばされるって、ぶざまぁ」
かぁ……と木曽川は顔を真っ赤にして吠える。
「くっそ……このアマぁ……! 調子乗るんじゃあねえぞぉお!」
木曽川は近くの椅子を手に取って立ち上がる。
あかりに向かって、投げ飛ばそうとした……そのときだ。
「三朗。やれ」
「りょーかいお嬢」
ドガッ……!
と、強い衝撃が、木曽川の顔面を襲う。
「ぶげら……!」
顔面に、強烈なパンチがたたき込まれる。
べきべき……! と鼻が折れる音がした。
ぐるんと一回転して、木曽川は倒れる。
そこには、ターミネータもかくやといった、大男がいた。
「るしあん!」
「あかり。騒がせて済まないな。茶を飲みに来ただけなのだが……」
作家の開田 るしあが、護衛の男・贄川三朗とともに、この喫茶店に来ていたのである。
あかりに手を上げるのを見て、贄川が間に入って、木曽川に一撃を入れた次第。
「は、鼻がぁ~……おれの、自慢の、顔がぁ~……」
涙を流す木曽川に、三朗はため息交じりに言う。
「ま、あんたに別に恨みはねーけどさ。手を上げたのはそっちなんだから、とーぜんの報いだと思うよ」
「ちくしょおぉ~……なめくさってぇ……!」
ふらふらと立ち上がり、憎悪の視線を三朗に向ける。
だが……。
ドガンッ!
……木曽川の、顔面すぐ横に、三朗の拳が突き刺さる。
へなぁ……と木曽川がその場にへたり込む。
三朗の一撃は、完全に、喫茶店の壁を破壊していた。
そして木曽川の闘争心も、また。
「悪いけどお嬢とその友達に手を上げるやつに、容赦しないから。つーか……女に手を上げるようなクズに、手心は加えねえよ、おれ?」
拳を壁から抜き、三朗が言う。
「うひぃいいいいいいいいいいい!」
涙を流しながら、情けない声を上げて、木曽川が喫茶店の外に出る。
そして……出た瞬間に……。
「はーい、お兄さん、ちょーっといいかな?」
「け、警察官!?」
複数の警察官に、あっという間に身柄を抑えられて、パトカーに入れられる。
「通報が入ってねー」
「いやでも、おかしいだろ!? 誰も通報なんてしてねえだろ!」
「はいはい。そーゆー話は、署で聞かせてもらいますからねー」
……そう言って木曽川は連行されていく。
無論、開田の娘の友達に、手を上げたから、開田グループが彼を取り押さえたのである。
……だが、この程度で木曽川への報復が、終わるわけもないのだった。