53話 作家の愛の告白と、新たな展開
俺がるしあからラブレターをもらった、その日の夜。
夕飯を食べたあと、俺は空いた皿を、山小屋のキッチンで洗っていた。
「…………」
頭の中を占めているのは、るしあからのラブレターだった。
達筆な字で、俺への愛が語られていた。
『今夜21時。ここより近くの湖にて待ってます』
るしあは、俺からの返事を期待している。
返事……返事、か。
俺のことがるしあは好きだという。
それは、以前ならば、子供の言うことだと、半分聞き流していただろう。
だが……。
「おっかりーん」
ぽんっ、と誰かが俺の背中を叩く。
ふりかえると、あかりが微笑んで立っていた。
「お手伝いしますぜ?」
……大丈夫だと言いかけて、やめる。
「ああ、頼むよ」
「ん。おっけー」
俺たちは台所で並んで立ち、無言で皿を洗う。
「あたし、うれしかったよ、さっきの」
「さっきの?」
「ん。いつもならさ、子供は友達と遊んでろーって、いって、おかりんアタシを遠ざけてたじゃんか」
「ああ、だろうな……」
一昨日の夜の、あかりの真剣な表情が、脳裏をよぎる。
あのとき覗かせた、ぞくりとするほどの色気を帯びた彼女は、女の子ではなく【女性】だった。
あかりだけじゃない、菜々子も、そしてるしあも。
彼女たちは、もう大人なんだ。
「せっかく申し出てくれてるのに、それを断るのは、かえって失礼かと思ってな」
「ん。良い心がけですなぁー。以後そーするよーにっ。ふふっ♡」
あかりは嬉しそうに、洗剤のついた皿を水で流す。
「ねーおかりんさー」
「なんだ?」
「るしあんに告られた?」
……一瞬の、静寂があった。
じゃああ……と水を流す音だけがそこを支配する。
突然のことで、俺はとっさに反応できなかった。
それは無言の肯定と捉えられたようだ。
「やっぱねー」
「なんで、わかった?」
「ま、なんとなーく。女子は男子が思ってるより、色々敏感なんですよ。お姉は別だけど」
今日の夕食時、るしあは終始無言で、こっちを一切見ようとしていなかった。
そういう態度から、感づかれてしまったのだろう。
「おまえは、相変わらず勘が良いな」
「んふふっ♡ それで……どうするの?」
あかりの声音は、実に平坦なものだった。
まるで、今日の天気でも聞いてるかのごとくだ。
「……悩んでる、どう向き合うべきか、な」
一昨日の、あかりの裸身が、脳裏をよぎる。
あかりたちはもう大人の女性だ。
そんな彼女たちが、真剣に俺との交際を望んでいる。
それに対して、子供の戯言だと流すのは……残酷なことだ。
だからしっかりかんがえないといけないのに。
大人として、誠実に、返答を。
「作家としてか、女としてか、おかりん的にはそこで迷ってるの?」
ここで選択肢を間違えば、今後の彼女との仕事上での付き合い方にも、支障が出てくる。
るしあを女として見るのか、作家として見るのか。
少なくとも女としてみてしまったら、俺も……何より彼女も、一緒に仕事するのは難しくなるかも知れない。
それは、【俺たち】の夢にも支障が出てくる。
俺はあの子に約束したんだ。
最高のラノベ作家にしてやる、と。
「おかりんは、嬉しくないの? 告られて」
「嬉しいさ。少なくとも、お前達はそれぞれが魅力的だからな、しかも美人ときてる。まったく困ったもんだ。この中から一人選べなんてな」
「…………」
「あかり?」
急にあかりが黙りこくってしまう。
彼女の顔を見ると、うつむいて、首筋まで真っ赤にしていた。
「……あ、……え、……っとぉ」
ぱくぱく、と金魚のように口を開いたり閉じたりする。
やがて、こほんっ、と咳払いをして、ニコッと笑う。
「どうもありがと♡ ……くわぁああああ!」
あかりはその場にしゃがみ込んで、両手で頭を抱える。
「おかりん! 不意打ち! 卑怯だよ!」
「え? ああ……恥ずかしかったのか?」
「そうだよっ! もうっ……急にそんな……嬉しいこと、言わないでよ……ばか」
あかりも、大人とは言え、不意打ちで褒められて照れてしまったのだろう。
「と、とにかく……さ。るしあんもさ……嬉しいと思ってるよ。おかりんが、意中の彼が、自分のこと真剣にかんがえてくれてるんだから」
皿を洗い終えて、あかりが手を拭く。
「それに今結論を欲しいって思ってないと思うよ。急だったし」
「おまえも、そうなのか?」
「もちろん。あ、一花ちゃんも多分そうだよ」
俺は一花から告られたことを、あかりには一切告げてない。
「……エスパーか、おまえは」
「その通り。エスパーあかりんには、なーんでもお見通し」
周りに誰も居ないのを良いことに、あかりが俺に詰め寄ってくる。
後ろが壁になっていたので、俺はあかりに密着される形になった。
薄着の向こうから伝わってくる、柔らかく、大きな胸の感触。
張りのあるそれが胸板に押しつけられ、いやらしく形をひしゃげさせる。……目が、釘付けになる。
むせかえるような甘い香りのなか、あかりはささやく。
「……いいよ、他の子に浮気しても。アタシ……許したげる。ほかの女の子とキスしても、デートしても、えっちしても……おかりんの欲望……ぜぇんぶ、許してあげる」
でも、とあかりが吐息が耳に掛かるくらいで、言う。
「……最後にあなたの心を奪うのは、アタシだから」
それだけ言うと、あかりは手を振って去って行った。
「……これで3人、か。何かアタシも策を考えないと」
★
21時になり、俺は指定された場所へと向かう。
そこは森の中にある、周囲を木々に囲まれた湖だった。
夜景を楽しむためなのだろう、白いベンチが置いてあり、るしあは座って待っていた。
「来たか、おかや」
「ああ」
俺はるしあの隣に座る。
彼女は頬を赤くすると、一歩、隣にずれようとして……。
しかし、逆に、一歩、俺の方へと近づいてきた。
彼女は凜とした表情をしている。
覚悟が決まった顔、とでもいうのだろうか。
「おかや。ありがとう、逃げずに来てくれて。……子どもの戯れ言だと、一蹴されるかと思って、怖かったのだ。本当は」
世間的に見れば、29歳と18歳では、年が離れすぎている。
彼女もその自覚があったのだろう。
自分が、子供と思われてしまう……と。
「逃げないさ」
「そうか……」
るしあが口元をほころばせる。
「……うれしい。ちゃんと、向き合ってくれて」
しばしの沈黙があった。
さぁ……っと夜風が吹き抜ける。
「…………」
るしあは自分の肩を抱いて、こする。
軽井沢は山の上にある街だ。
夏でも、夜は肌寒い。
俺は来ていた上着を脱いで、るしあの肩にかける。
「おかや……」
「風邪引くぞ」
彼女は嬉しそうに笑うと、ぎゅっ、と上着を抱き寄せる。
「それで……返事なんだが」
答えるべき言葉を探す。
以前なら大人として取り繕うべきだろうと、思っていた。
だが彼女はそれを求めてない。
だから大人としてでもなく、編集としてでもない、【俺】の言葉をつげる。
「俺は……正直、迷ってる」
「迷う……?」
「ああ。俺は、お前のことは好きだぞ」
「ッ! そ、そうか……」
るしあは真っ白な肌を赤くする。
サラサラの髪の毛を手で何度もすきながら、ふにゃふにゃと口元をほころばせる。
「おまえの真っ直ぐなところ。頑張り屋なところ。この2年間、お前と一緒に仕事して知ってる。良いところを、俺はたくさん」
彼女の原稿を初めてもらってから、今日までの2年間。
俺たちは苦楽を共にした。
だが……。
「あくまでも、それは編集・岡谷 光彦として、開田るしあと過ごした2年間だ。開田流子のことを……俺は何も知らない」
「……そう、だな。ワタシも、お前に隠してることは、いくつもある」
男女の仲になる前に、俺たちはもっと互いをよく知る必要があった。
そのことを告げようとしたのだが……。
「う……うぅうう~…………」
「る、るしあ!?」
彼女が急に涙を流し出したのだ。
「ど、どうしたんだよ?」
「だって……だってぇ~……」
あふれ出る涙を、るしあが手で拭う。
俺は慌ててポケットからハンカチを取り出して、彼女の頬を吹拭いた。
「だって……だって……おかや……ワタシのこと、振るつもりなんだろぉ~……?」
「なっ? なんでそうなるんだよ……」
「ぇ……?」
ぽかん、とるしあが目を丸くする。
どうやら誤解させてしまったようだ。
「るしあ。俺はお前のこと、ちゃんと向き合うよ。ただ……今までの俺は、おまえを作家としてしか見てない。そんなうちから、返事は出来ない」
「じゃ、じゃあ……?」
「少し、考える時間をくれ。少しずつ……おまえのこと、ちゃんと女の子として見るようにするから」
年齢とか、子供とか大人とか、そういうので誤魔化すのはやめようと思う。
俺はるしあ以外のことも、まっすぐに、彼女たちと向き合っていくんだ。
「おかや……」
るしあは目を涙で潤ませると、俺の腰に抱きついてくる。
……こんなにも小さく、儚い彼女も、18歳の大人の女なんだな。
「るしあ。実は俺、ほかにも好きだと言ってくれてる子がいるんだ」
「……なんとなく、理解してる。一花とあかりであろう」
やはりあかりと同様、この子も察していたのだ。
「本当ならお前のことだけを見据えたいところだが、俺は……」
「……わかってる。他の子らのことも、憎からず思ってるのだろう?」
一花は10年来の友人。一緒に居ると安心する相手だ。
あかりはいつも俺に元気をくれる。
「俺は、彼女たちから向けられてる好意を……ないがしろに出来ない。もちろん、お前のことも、尊重したい」
「……よくばりなのだな、おまえは」
「優柔不断なだけさ」
るしあが顔を上げると、微笑む。
「ありがとう、教えてくれて。おまえは……優しいな。ちゃんとワタシと向き合ってくれる」
「そういうの、嫌か? 俺が違う女のことを考えるの?」
「いいや別に」
るしあはスッキリした顔で、ふるふると首を振る。
「魅力的な男性に、複数の女が好意を持つのは当然のこと。特におかやは、人格にも能力にも優れた男だ。ワタシ以外の女が惚れるのも当然だろう」
「そ、そう……か?」
「ああ。だが……誰がお前のことを好きであろうと、ワタシの思いは変わらない」
るしあは俺の胸にトン……と触れる。
「ワタシはお前のものだ。この体も、心も……全部」
るしあが目を閉じて、俺に体を預ける。
「……抱いても、いいんだぞ」
と、そのときだった。
「……だ、ダメですっ!」
振り返ると、そこには黒髪の美少女がいた。
「菜々子……」
JK姉、伊那 菜々子が、声を張り上げる。
「おまえ、ワタシたちのこと見ていたのか?」
菜々子は駆け寄ってくると、ベンチに座る俺のことを、後ろから抱きしめてくる。
「わ、わたしも……わたしも! せんせえのこと、好きです!」
ぎゅっ、と菜々子が俺を放すまいと、強く抱きしめる。
「誰にも渡さないもんっ。せんせえのことっ!」
「あー……お姉。ちょいっとタンマ。落ち着つけって」
「あかり……それに、一花も……?」
木陰からぞろぞろと現れたのは、あかり達だった。
旅行メンバーが全員揃った形になる。
「い、一花……お前まで……」
「お、お嬢様! 申し訳ありません! 気になって……つい……」
「……いや、仕方あるまい。気持ちはわかる」
るしあが優しい声音で言うと、一花がホッ……と安堵の吐息をつく。
「いや……おまえら、真面目な話してるのに、盗み聞きとは感心しないぞ」
「まー、いいじゃん。過ぎたことだし。それよりおかりんさ……どうするの、この状況?」
俺を好きと言ってきた女性が、4人。
しかもほぼ同時に、告られている。
「ただでさえゆーじゅーふだんなおかりんが、4人の女性から好意を持たれてさ。正直困ってるんじゃないの?」
「まあ……普通にどうするか悩んでる」
しっかり一人一人と向き合うと決めはしたが、さすがに4人も同時になると思うと……。
「そこで天才あかりちゃんから、提案がありまーす」
「「「提案?」」」
一花、るしあ、菜々子が首をかしげる。
「おかりんさ、アタシたち、全員と付き合ってよ♡」
「全員と付き合う……………………………………は?」
な、何を言ってるんだ……こいつは?
「……あ、あかりっ。それって、う、浮気だよぅ!」
菜々子が顔を赤くして言う。
「え、浮気じゃないよ。アタシたち全員、おかりん好きだし。おかりん、別にアタシたちのこと好きってこと、かくしてないじゃん」
「……そ、そう……か、な?」
困惑する菜々子に、あかりが続ける。
「おかりん、ちゃんとアタシたちと向き合うって言ってくれたでしょ? だからお試しに、付き合ってみるのどうかな」
「お試しって……四人全員とか?」
「そー。誰か一人とだとその子が贔屓になっちゃうでしょ? だから、全員と♡ それなら、おかりんが一人の子のことだけかんがえてても、他の子達は安心できるし~」
一花は首をかしげる。
「い、今の子の恋愛って……こういう感じなの?」
「そりゃおかりんに対してだけだよ。こんなおかしな提案するの」
「あ、良かった。あなたもオカシイって自覚はあるのね」
ホッ……と一花が、あかりに安堵の吐息をつく。
「でも一花ちゃんだって嫌でしょ? 自分のこと見て欲しいのに、おかりんが他の子と、三人も、しかも【若い】相手に、うつつをぬかすの。不安じゃない?」
「そ、それは……」
「だからさ、とりあえず付き合うの。とりあえず、恋人って肩書きがあれば、平等だし。安心できるでしょ?」
「う……確かに……」
「一花……?」
次に、あかりがるしあを見やる。
「るしあん」
「いや、言葉は不要だ。ワタシは乗ってやろう、おまえの策略に」
るしあはまっすぐに、あかりを見やる。
「……策略?」
「どういうことですか、お嬢様?」
ふんっ、とるしあが鼻をならす。
「さも善人ぶって、みんなのためと言ってるが、ようするに自分がおかやと一歩進んだ関係になるための方便ではないか」
そんなことを、考えていたのか……。
「まー、どう解釈するかはるしあんの自由だよ」
あかりがさらりと流す。
るしあはまっすぐに彼女を見て言う。
「ふん……小賢しい。だが良いだろう。これはおかやの負担にならない手でもある」
「へー、冷静じゃん。子供みたいにわめくかと思った」
「おまえも、ワタシにおかやを取られるのを嫌がって、駄々をこねるかと思ったのだがな」
「残念だけど、あんたみたいなお子ちゃまに、負けるつもりも、おかりんの心を譲るつもりもないんで」
二人がにらみ合っている。
菜々子と一花が、オロオロしていた。
俺もどちらかと言えば、菜々子たちと同じ心境だった。
「おかりん、だめ? 四人と同時に、それぞれ付き合うの?」
「……おまえらは、嫌じゃないのか?」
「アタシは全然OK♡ どのみちあとでおかりんの心もらうのアタシだし♡」
るしあが目を閉じて言う。
「ワタシも構わない。立場をそろえてもらった方がむしろ好都合。堂々と、差を見せつけてやれるからな」
菜々子は困惑しつつも……。
「……わ、わたしは、その……別に。え、せんせえの……か、彼女に、なれ……る……きゅう……」
しゅうう……と顔から湯気を出し、菜々子がその場で崩れる。
「一花ちゃんは?」
「あ、あたし? あたしは……やっぱり、そういうの……どうかなって、思うけど……」
もじもじしながら、一花が言う。
「……岡谷くんが、そうしたいって言うなら、あたしは……いいよ」
「うんうん、だよねー♡ 恋人になれば、これで心置きなく、おかりん誘惑して、えっちし放題だしね♡」
「…………」
一花が顔を赤くして、黙り込んでしまった。
おまえ……そんなことを……。
「さ、おかりん♡ もー逃げ場、ないよ♡」
あかりと、残りの子達とが、俺を見つめる。
「付き合ってよ、アタシたち四人と。お試しでいいからさ♡」