52話 【開田るしあ】が生まれた日
ワタシは16歳の時、神作家カミマツ氏の【デジマス】と出会った。
それがきっかけでライトノベルの存在を、世の中にはこんなにも、人に夢を与える素晴らしい作品があるのだと知り……。
気づけば、ワタシは、自分でラノベを書いていた。
「…………」
16の夏。
ワタシは、出版社【タカナワ】のビルへとやってきていた。
「お嬢~……本当に一人で行くんですか?」
ワタシの後ろには、黒服を着たサングラスの大男、贄川 三朗が立っている。
屈強な大男にしか見えない彼が、おろおろと動揺している姿は、なかなかに面白い。
「お嬢の書いた作品を、お一人で、出版社に持ち込むなんて……無茶すぎますよ」
ワタシは、風呂敷に包まれた、原稿用紙の束を手に立っている。
この中には、ワタシが生まれて初めて書いた作品が入っている。
「心配は無用だ」
「でも……お嬢。高原様に頼めば、こんなことせずとも、本にしてもらえるのではないですか?」
三朗の言うとおりだった。
けれどワタシは、開田の名前を出す気はさらさらなかった。
「お爺さまに内緒で書いたのだから、頼るわけにはいかないだろ?」
そうはいっても、ワタシの意図は別にある。
ワタシは生まれて初めて、親に内緒で、何かをした。
今までワタシは、開田の家に相応しい女になるべく、人から与えられたことだけをこなしてきた。
自分の意思で、何かをしたのは、生まれて初めてだ。
ドキドキして……わくわくしていた。
この胸のときめきを、開田の名前を出すことで、台無しにしたくなかった。
「そうですか……ならおれは何も言いません。お嬢のラノベ、楽しみにしてます!」
にかっ、と三朗が笑う。
「お嬢が精魂込めて書いたんだ、きっと編集部もびっくりしますよ! とんでもない作品が来ただって!」
「お、大げさだぞ……」
「天才作家現れるって、きっとみんなから褒められちゃいますよ! 絶対!」
「買いかぶりすぎだ……素人の書いた処女作なんだぞ、評価されるわけないだろ……」
……そう言いつつも、ワタシは密かに、この作品が評価されることを期待していた。
「じゃあお嬢! おれ、ここで待ってます!」
「ああ、いってくる!」
はやる気持ち抑えながら、ワタシはタカナワの編集部へと向かった……。
★
「……ひぐっ、ぐす……うぅ……」
1時間後。
ワタシはタカナワのビルの、女子トイレに籠もって泣いていた。
……結論から言おう。
ワタシの原稿は、糞味噌に、けなされた。
編集部へ行って、ワタシは編集に、この作品を見てもらったのだが……。
『あーうん、ゴミ以下の原稿っすねえこりゃ』
『つーかさぁ、手書きって今どきなに? なめてんの? パソコンで原稿作ってこいっつーの。この時点で読む気失せるわぁ』
『地の文多過ぎ。心理描写とかいらないいらない。今はさくさくっと気軽に読めてお手軽にきもちよーくなれる、異世界転生・チートハーレムものが流行ってるの』
『ストレス展開? ふざけてんの? はぁーおいガキンチョ、あんたラノベなめすぎ。今どきの読者はストレスがいちっばんきらいなんだよ。なんで娯楽でストレス求めるわけ? 馬鹿じゃん?』
『まあ最後まで読んでないけど、まあゴミだよこの作品。読者が最後まで読めなかった時点でゴミ原稿わけだけど』
『つーわけで、この原稿は論外ね。きみ才能ないよ』
……ワタシの相手をした編集は、あの【木曽川】だった。
だがこのときのワタシは、ショックであいつが、おかやをいじめた人だと、気づいていなかった。
「うぐ……ふぐ……うぇえええええん!」
……ワタシは子供のように泣きじゃくった。
両親が死んだときすら、泣かなかったのに……。
ワタシの書いたものが、否定されて、つらかった。
こんなにも、自分の書いたものが貶されると、辛いものなのか……。
「……ラノベ作家なんて、志すんじゃなかった」
はじめて、夢中になったライトノベルという世界。
そこに、ワタシも、自分の思い描いた世界を、持ち込みたいと思っていた。
……けど、結果は惨敗だった。
ワタシには才能がないと、本を出すプロに、お墨付きをもらったばかり。
……やっと、新しい世界が開けると、思った矢先。
ワタシはすっかり、心が折れてしまった……。
「……かえろ。三朗が、待ってる」
ワタシはトイレから出る。
と、そこで気づいた。
「あ……原稿用紙……忘れた」
ワタシが書いた、原稿の束が、その手になかった。
たぶん、編集部に置き忘れてしまったのだろう。
「……もういいや」
きびすを返して、立ち去ろうとした、そのときだった。
「ちょっと待ってください!」
誰かが、ワタシに声をかけてきてくれたのだ。
振り返ると、そこにいたのは……。
男の人だった。
特徴のない人だったが、背が高く……なにより、優しい眼をしていた。
「開田流子さん、ですね?」
「え……? あ、ああ……どうして?」
男の人の手には、原稿用紙の入った束が、握られていた。
「私はTAKANAWAブックスの編集をやってます。岡谷と申します」
ここで、ワタシは運命の人となる、おかやとはじめて出会った。
「開田さん、編集部に、これをお忘れになったでしょう?」
「わざわざ届けに来てくれたのか……?」
「ええ。木曽川……部下がこれを捨てようとしていたので。それはまずいと、探しに来た次第です。まだ近くに居てよかった」
ほっ、と心からの安堵の笑みを、彼が浮かべた。
だがワタシの表情は晴れない。
「……そのまま、ゴミに捨ててくれて、良かったのに」
すると……。
「捨てるなんて、とんでもない!」
「え……?」
ぽかんとするワタシに、彼は、真剣な表情で言った。
「あなたの書いた作品は、素晴らしい作品です。これを捨てるなんてこと、私にはできない」
……一度手ひどく否定されたからか。
彼の、作品を褒める言葉が、胸に染みる。
「……ほんと、に?」
「はい。本当です」
「……う、うぅ、うぇえええええええええええええええええん!」
ボロボロになった心を、彼の優しい言葉が包み込んでくれた。
ワタシはうれしくって、子供のように、また泣きじゃくってしまった。
★
「先ほどは、みっともないところを見せて、申し訳ない……」
ワタシたちがいるのは、タカナワの近くの喫茶店。
今後のことで、打ち合わせしたいということで、ワタシはおかやとともに、ここへ来た。
「…………」
来る前に、三朗に断りを入れておいた。
彼は『デートじゃん! やったー! お赤飯炊かないと!』と莫迦なことを言っていた。
デートって……いや、でも。
お、男の人と、二人きりでお茶するなんて……。
で、デートか。これが、デートなのか……?
「開田さん?」
「す、すまない……」
原稿に目を通していたおかやが、私の目を真っ直ぐに見る。
どきっ、と胸が高鳴った。
なんだか知らないが、無性に胸がドキドキする。
彼の目を見ていると、恥ずかしくなって、思わずそらしてしまう。
「もう一度読ませてもらいましたが、本当に素晴らしい作品だと思います」
「ほ、本当の……本当に? さっきの編集は、ダメだと言っていたが……?」
「まあ……彼の言っていたことも、確かではあるんです」
おかやは【なぜか】辛そうな顔に一瞬なる。
「ライトノベルは特に、軽妙なものが好まれる傾向にありますから」
「そうか……」
気を落とすワタシに、おかやは強い言葉で言う。
「しかし開田さん。あなたの作品は、とても魅力的です」
顔を上げると、彼は微笑んでいた。
「この原稿用紙のなかに、あなたの創った登場人物達は、ちゃんと生きて存在している。確かな筆力、魅力的なキャラクター……そしてなにより、作品に対する深い愛情が、ここには込められています」
「…………」
「ラストの展開も見事でした。途中の辛い展開は、この感動のための前振りだったんですね」
おかやは、ワタシの原稿を、しっかり読んでくれた。
ワタシが作品に込めた想いや、意図を、完璧に把握してくれた。
こんなにも【ワタシ】を理解してくれたのは、おかやが、初めてだった。
「ここまでの見事な作品、私は見たことがありません。開田さんはとても才能があります」
「さい、のう……」
ぽろぽろ……とワタシは涙を流してしまう。
さっきと違って、これはうれし涙だ。
……泣いてばかりだな、ワタシは。
でも少し前まではかんがえられないことだった。
死んでいるように生きていたワタシに、ライトノベルは……彩りを与えてくれた。
そして……目の前の、この男性からは、幸せな気持ちを、与えてもらっている。
嬉しかった。ただただ、嬉しかった。
「開田さんは作品を余所で書いた経験は?」
「いや……これが初めてだ」
「そうですか。素晴らしい、天才だ」
「や、やめてくれ……」
ワタシはまともにおかやのことを見れなくなって、両手で自分の顔を隠す。
「せ、世辞は結構だ」
「いえ、お世辞じゃありませんよ。本当に素晴らしい才能を持ってる。いずれ、あなたは凄い作家になれますよ」
作家になれる。
それを聞いたとき、心が躍った。
ワタシには、作家の才能がある。
開田の女として以外の、生きる道が……そこに開けた気がした。
自分には、開田流子以外の、生き方があるんだと知って……涙が出るほど、嬉しかった。
……だが、すぐに冷静になる。
「……無理だよ」
「どうして?」
「だって……ワタシは、」
開田の家の女として生まれて、それ以外の生き方を知らないから。
作家に、本当になれるか、不安だった。
「……デジマスのカミマツ先生のように、ワタシなんか小娘が、なれるわけがない」
するとおかやは、ワタシの手を、そっと包み込んでくれる。
「……え?」
「大丈夫。自信を、持ってください。開田【先生】」
彼は真っ直ぐに、【ワタシ】を見てくれた。
開田高原の、孫娘ではなく。
開田流子でもなく……【ワタシ】の目を。
何の色眼鏡もかかってない、純粋な瞳で……真っ直ぐに。
「あなたには、才能がある。読んだ人に、夢を見させられるような……そんな、凄い作家の才能が、あなたにはあります」
その瞬間、ワタシは【落ちた】。
ワタシの心のなかに、おかやの言葉が、存在が、すとん……と。
家柄とか、育ちとか、そんなものをおかやは見ていなかった。
ワタシと、そして、ワタシの中に眠る才能だけを見てくれていた。
今まで、ありのままのワタシを見てくれた人は、誰も居なかった。
ワタシに過剰に、腫れ物のように触れるのではなく、普通に接してくれる人も、居なかった。
この人が、初めてだった。
開田の家としてでも、両親を失った不幸な少女としてでもなく……。
ワタシを、見てくれた人は。
「私を信じて、ついてきてください。あなたを最高のラノベ作家にしてみせます」
おかやが手を差し伸べてくる。
……そのとき、目の前に居る彼は、まるで物語に出てくる、白馬に乗った王子様のように見えた。
その当時のワタシには、二つの道があった。
このまま開田の女として、一人で生きる道。
もうひとつは……この人と供に、手を取り合って、作家として生きていく道。
「ああ……是非もない!」
ワタシは彼の手を取って、ぎゅっ、と握る。
まるで、光り輝く運命を、掴み取るかのように。
「ワタシを最高の作家にしてくれ!」
「ええ、約束しますよ」
この瞬間、ワタシの地獄は終わりを告げた。
色づく世界で、ワタシは彼という男性を見つけ出した。
おかや。岡谷 光彦。
ワタシを地獄から救い出してくれた……王子様。
その後、おかやとともに苦楽を供にした。
辛い改稿作業。
スランプ。
そして……アニメ化。
どんなときも、開田るしあのそばには、おかやがいてくれた。
彼と一緒に仕事をしていくうちに、ワタシの彼に対する思慕の情は、もう胸の中にとどめておくことが出来なかった。
ワタシは、前々から決めていたのだ。
デビュー作が、完結したら、彼に告白するのだと。
……なあ、おかや。
ワタシはおまえが好きだ。
お前を愛する女がほかにどれだけいても、ワタシにとってお前は唯一無二で特別だ。
ワタシを血の呪縛から解放し、生きる喜びを教えてくれたのは、おまえだ。
そんなこと、知らないだろう?
でもなおかや、ワタシはお前に感謝してる。
お前にならこの血も、肉も、魂も、未来さえも。
ワタシの全て捧げても良いと思ってる。
だから……おかや。
ワタシを、お前の女に、してくれないか?




