51話 【開田流子】が生まれた日
ワタシは開田 流子。
開田グループ会長である、高原の孫娘。
これは、ワタシがまだ【るしあ】ではなく、【流子】だった頃の話。
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5歳の誕生日。
ワタシは喪服に身を包んで、じぃじ……お爺さまの隣に座っていた。
ワタシの自宅である屋敷には、同じく黒い服に身を包んだ、参列者達が集まっていた。
今日は……ワタシの父と母の、葬儀が執り行われていた。
「……聞いたか、流子様のご両親、事故死だって」
「……飛行機が墜落したそうよ」
「……可哀想に、流子様はまだ5歳になったばかりじゃないか」
参列者たちのひそひそ声が耳に入ってくる。
「……開田家はどうする? 流子様は女だぞ?」
「……男児を産む前に次期当主の末川様が死んでしまったからな……」
開田 末川。
ワタシの父の名前だ。
「……高原様もだいぶお年を召しているし、流子様は女だし」
「……開田家はもう終わりかも知れないな」
父の子供は、ワタシしかいなかった。
開田家は古い家柄である、家を継ぐのは男児と決まっていた。
つまり……ワタシでは、この家の当主になりえない。
「流子よ」
お爺さまは安心させるように微笑むと、ワタシの体を抱きしめる。
「おぬしは、何も心配しなくて良い。あとのことは、全部じぃじに任せて、おまえは好きに生きるんだ。家のことなど気にせずに」
好きに生きろとお爺さまは言う。
だがそれは……できなかった。
「いいえ、【お爺さま】。それはできません」
「流子……」
……このときから、ワタシはお爺さまを、じぃじと呼ばなくなった。
子供で、いられなくなったからだ。
「開田の家はまだ終わっておりません。ワタシが、婿を取って、男児を産めばそれで何も問題ありませんから」
「流子……し、しかし……それはおぬしの自由を奪うことになるのだぞ?」
婿養子をとり、子供を産む。
この家を存続させるためだけに。
お爺さまの言うとおり、それは、ワタシという個人の消滅を意味していた。
「おぬしは女でまだ子供だ。わしはおまえに、家に縛られず自由に生きてもらいたい。好きな男と一緒になり、幸せになるのだ」
「では、この家はどうなるのですか? 父の……末川の子供はワタシしかいないのですよ?」
「余所から養子を……」
「この家に脈々と流れる、開田の血筋を絶つことは、許されないでしょう?」
お爺さまは、黙ってしまった。
そして、優しく抱きしめてくれる。
「おぬしは……末川に、父親ににて頑固だな。……すまぬ」
こうして、ワタシは開田 流子として、次期当主を産むためだけの、母体として、生きる運命を背負わされたのだった。
★
それからのワタシは、稽古事に打ち込んだ。
これは自ら志願したことだ。
お茶に日舞、マナー、そのほか開田の女として必要となる知識教養を、たたき込まれた。
来る日も来る日も、ワタシは、稽古に打ち込んだ。
……立ち止まってしまったら、悲しみに押しつぶされてしまうからだ。
だが……寝る前に……ワタシはいつも、泣いていた。
「……なんで、……どうして」
ワタシはいつも、そう言って泣いていた。
なんで、この家に生まれたのだろう。
どうして、こんな運命を背負わされなきゃいけないのだろう。
ワタシには、わたし自身にとっての生まれてきた意味も、生きる理由もなかった。
開田の家に生まれてきたことも、両親が死んでしまったことも、次期当主を産むことも、ワタシには……どうしようもないことだ。
投げたリンゴが地面に落ちるように、夜になれば太陽が沈むように。
今ここに存在していることは、変えられない運命だと……あきらめていた。
ワタシは生き方も、生きる意味も、すべてが天より与えられた存在。
開田家の女。
高原の孫娘。
周りも、そして自分さえも、そういう目で見てくる。
【さすが流子様! お上手であります!】
【さすがは高原様の孫娘、ご立派でございますなぁ!】
ワタシが何をしても、みんながそう言う。
開田の女だから出来て当然。
高原の孫娘だからみんなから敬われる。
……一体誰が、ワタシのことを、ワタシだって見てくれるんだろう。
どこへ行っても、誰に会っても、ワタシはワタシではなく、【開田】家の人間として見られ、扱われる。
唯一の肉親である、お爺さまでさえも。
ワタシを、【両親を失った可哀想な孫娘】という、色眼鏡で見てくる。
お爺さま、贄川をはじめとした使用人たち。
みな、ワタシに優しい。
……ただ、まるで、腫れ物に触るかのように、過剰に優しく接してくる。
誰か。ありのままのワタシを見てほしい。
ワタシを、普通の女の子として、扱って欲しい。
何度もワタシはそう切望した。
けれどナニをしても、誰にあっても、ワタシは開田流子でしかなかった。
★
両親が死んでから、10年くらいが経過した。
ワタシは16歳、高校生になっていた。
「お嬢、お迎えに上がりました」
学校の前に、巨大なリムジンが止まっている。
運転席から降りてきたのは、黒服の大男、贄川家の三郎だ。
贄川家は代々うちに使える使用人であり、三郎はワタシのボディーガード兼運転手だ。
「ご苦労」
ワタシは三郎にドアを開けてもらって、中に座る。
三郎がリムジンを発進させる。
「お嬢、今日の予定なのですが……」
「お茶の稽古だろう?」
「実はお茶の先生が急病らしいんです」
「そうか……」
「ええ。ですので、このあとは暇になったわけですが、どういたしますか?」
どうするか……と聞かれても、ワタシは答えに窮した。
「……どうもしない」
ワタシは座席の上で丸くなる。
「ご学友と遊びに行くとかしないんです?」
「……三郎、わかって言ってるだろう。ワタシには、友達なんていない」
開田高原の孫娘。
開田グループ会長の、たったひとりの肉親。
そんなワタシから、クラスメイト達は、距離を取った。
当然だ。
日本で最も権力を持つ家の娘なのだ。
そんなやつと、お近づきになりたいとは思わないだろう。
もし、不興を買ったら、日本で暮らせなくなる……とでも思ってるのだろう。
それくらい、開田グループは、お爺さまは、日本で影響力を持つから。
「友達、欲しくないんですか?」
「……別に。もう、あきらめた」
ワタシは流れゆく外の景色をぼんやりと見据える。
すると……三郎は、こんなことを言った。
「お嬢、ちょっと買い物に付き合ってくれませんか?」
「買い物? 別に良いが……どこへ行くのだ」
三郎はくるっと後ろを振り返って、笑って言う。
「ちょいと秋葉原に」
★
ワタシはこの日初めて、秋葉原という街を訪れた。
「お嬢、こっちこっち」
「あ、ああ……」
あまりの人の多さにワタシは戸惑うばかりだった。
毎日休みなく、稽古事に打ち込んできたワタシは、どこかへ遊びに行くことなんてなかった。
外界と接する機会など皆無だったから、こうして繁華街に来るのも初めてであった。
「さ、三郎……おまえ、何をしに行くのだ?」
「欲しいラノベの発売日なんですよ~」
「らの、べ……?」
聞いたのとのない単語だった。
「らのべとは、なんだ?」
「あー……見りゃわかる! ついてきてお嬢~」
ワタシは三郎に連れられ、【めろんぶっくす】という書店に来た。
そこは地下に店を構える書店だった。
入った途端、独特の匂いがワタシの鼻腔をついて、思わず顔をしかめる。
「お嬢、そっちのエリアに行ってはいけやせん」
「え? なんでだ?」
垂れ幕に、【18禁】とかかれており、エリアが区分けされていた。
「紳士しか入れないゾーンなんです」
「はぁ……」
こっちこっち、と手招きする三郎に連れられ、ワタシはとある一画にやってきた。
「これです。これがライトノベルです!」
三郎がワタシに手渡してきたのは、【デジタルマスターズ】という、1冊の本だった。
「でじたるますたーず……作者、カミマツ……これがラノベか?」
「そうですそうです! ネットで超人気の作品が、やぁっと書籍化しましてねえ! 買いたかったんですよー」
「ふーん……」
三朗の言ってるることのほとんどを理解できなかった。
パラパラとめくると、それが小説であることがわかった。
「お嬢も読んでみません、それ」
「え……? いや、ワタシはいいよ」
「でもどうせ今日、暇なんでしょー? なら読もうぜ! 共に感動を分かち合いましょ!」
感動。
読んで泣けると、三朗は言う。
「小説なんて、読んで泣けるものなのか……?」
「もちろん! わくわくしたり、どきどきしたり、エッチな気分になったりと……ラノベは、素晴らしいエンタメですぜ!」
やはり彼の言ってることはまったく理解できなかった。
でも……楽しそうに語る三朗は、本当に楽しそうで……。
そんな気分に、なれるのだとしたら……。
「……ちょっと、読んでみたいかな」
「おっけー! じゃあ買ってくるから、お嬢ちょっと待っててねー!」
三朗は急いでレジへ……行く前に、【18禁】とやらの区画へ入っていった。
ほどなくして、三朗が支払いを終えて戻ってくる。
「お待たせ!」
「おまえ、随分と遅かったが、あの18禁とやらのとこで、何してたんだ?」
「おかずを選んでました!」
「おかず……? 弁当でも売ってるのか?」
「紳士にしか通じないおかずです。さっ! 帰りましょう! あ、それと一花姉ちゃんには内緒ですよ?」
ワタシたちは車に乗り込み、出発する。
三朗に渡された1冊の本……【デジタルマスターズ】。
第一巻とかかれたそれを、ワタシはなんと無しに目を通す。
「デジマスはねー、すんげえ面白いんですよぉ!」
「…………」
「作者のカミマツってひとがもー、神で! 泣いて、笑って、熱くなる、ものすごい作品を、ものすんごいスピードで書いて……って、お嬢?」
……ワタシは、滝のような涙を流していた。
しばらく何もかんがえられなくて、ただ呆然と、物語の作品に対する、余韻に浸っていた。
「ど、どうしたんですか!? お嬢!」
「……いや、すまない。ただ……ただ……感動して……」
デジマスは、凄まじい作品だった。
アニメや漫画など、娯楽作品に一度も触れたことのなかったワタシでさえ……。
その作品を読んで、楽しむことが出来た。
ワタシの胸には様々な感情が流れ込んできた。
三朗がいうところの、泣いて、笑って、熱くなる……。
「本当に……素晴らしいな……この、ライトノベルってやつは……」
この物語を読んでいるとき、ワタシは自分が、開田流子であることから解放されていた。
主人公のリョウや、ヒロインのチョビを初めとした、作品の中の登場人物達に、ワタシは感情移入して、冒険の旅に出ていた。
文字を目で追っているときだけ、ワタシは現実を離れ、空想の世界で……最高の時間を送っていた。
ああ、なんて……なんて素晴らしいんだ……ライトノベルは。
「気に入ってくれましたか?」
「ああ! 三朗、もっとないのか? こーゆーやつ!」
「もっちろん! おれの部屋にたっくさんありますよ!」
「そうか! 読ませてくれ! 全部だ!」
「オッケー! よぅしそうと決まれば善は急げ! おれのベストオブラノベ、全部お嬢に貸してあげるよ!」
★
こうして、開田流子以外の何者でもないワタシは、ライトノベルというものに興味を抱いた。
三朗にラノベを貸してもらい、どっぷりとハマっていった。
特に、デジマスは、お気に入りだった。
開田の女として、次期当主を生む母体として、生まれ死ぬ運命だった……ワタシの灰色の世界に。
彩りを与えてくれた、まさに、神作品だった。
書籍版は三郎に買わせて読み、またweb版も最新話まで全て読んだ。
早く続きが読みたくて読みたくて……
そしていつしか、こう思うようになった。
「ワタシも、デジマスみたいな、ラノベを、書いてみたいな……」
これが、後にワタシの運命を、大きく変えることになる男性との、出会いに繋がるのだった。