45話 妹JKの過去、彼を渡したくない理由
アタシの名前は、伊那 あかり。
高校2年生で、双子の姉とともに、とある男の人の元に、居候している。
これは、アタシが、10年前。
小学校一年生のとき。
一人の男の人を好きになった日のお話だ。
『…………』
10年前の冬。
アタシは一人、寒空の下に居た。
ここは、アタシ達が通ってた学習塾。
塾の入ってる雑居ビルの、屋上。
アタシはうずくまって、泣いていた。
『ひぐ……ぐす……』
なんで泣いてるのか?
それは……その日、学校でいじめられたからだ。
ーーやぁい、外国人ぅ~。
ーー金髪金髪ぅ~。
ーー髪の毛金に染めるなんて、不良だ!
クラスの男子から、髪の色を馬鹿にされたのだ。
アタシは金の髪に、青い瞳を持っている。
これは別に、染めたわけでもなんでもない。
アタシたち双子は……特殊な家庭環境にある。
この髪は、親の血のせい。
生まれ持ったもの。
『うぐ……ぐす……うぅううう……!』
アタシが悲しかったのは、容姿を馬鹿にされたことも、もちろんあったけど……。
こんな親の元に、生まれてしまった運命が……悲しくて仕方なかったのだ。
アタシもお姉も……家が嫌いだ。
家には居場所がなく、さらに、学校へ行けば【ガイジン】だの【不良】だのと、馬鹿にされる。
……日本において、この異国の血が混じった見た目は……大変目立つ。
そしてたいていの場合、忌み嫌われる。
ーーこんな若い頃から髪の毛染めるなんて。
ーー親は何をやってるだろうか。
ーー哀れな子供ね。
親が、優しい人だったら、まだ耐えられた。
けどそうじゃなかった。
アタシが頑張っていられたのは……姉がいたからだ。
お姉が、自分と同じ血が流れている人が、そばにいて、優しくしてくれたから……なんとか頑張れた。
……でも。
髪の毛の色を馬鹿にされたり、大人達から蔑まれたりするたび。
……なんで、アタシばかり。
って思うことは、多々あった。
お姉の髪は、綺麗な黒色だから。
恨むのはお門違いだと思ってても、お姉のことが大好きでも……。
黒い気持ちは、消せない。
『…………もう、やだ』
今日、お姉が風邪を引いて、家で寝てる。
アタシはお姉の側にいたかった。
お姉を看病したかった。
……でも【あの人】が、月謝を無駄にするのかって、殴ってきたから、ここにいる。
『…………しんじゃおう』
髪の色も、この体に流れてる血も、家族も。
アタシでは、どうにもできない、変えられないもの……運命。
だから、そんな運命に生まれてしまったのなら、そんな人生に絶望してしまったのなら……。
死ぬしかない……。
『…………』
屋上の手すりをつかむ。
この向こうには……自由が待っている。
アタシは勢いよく手すりを掴んで、鉄棒の要領で、体を持ち上げて……。
『なにやってんだ、おまえ』
ひょいっ、と軽々と、だれかに背後から持ち上げられた。
振り返るとそこには……。
『……おかや、先生』
その人は、アタシとお姉が通っている塾で、アルバイトをしているお兄さんだ。
岡谷 光彦。
確か大学一年生(19歳)と言ってた。
『危ないだろ、こんなとこで、飛び越えようとするなんて』
お兄さんはそう注意してきた。
アタシは……驚いていた。
大人はいつだって、アタシに悪感情を向けていた。
親は、拳を。そのほかの大人達は、アタシに汚い言葉を。
でも、そのお兄さんだけは違った。
純粋に、アタシのことを心配して、しかってくれた。
『ごめんなさいは?』
『……ごめん、なさい』
お兄さんはアタシを抱っこしながら、微笑んだ。
『わかればいいんだ』
軽々と持ち上げられたとき、アタシはドキドキしていた。
大人の力が強いことは、アタシも、お姉も、よく知っていた。
殴られたときの痛みが、大人が強い存在なのだと。
逆らうことの出来ない恐ろしい存在なのだと、体で教えられたから。
でも……お兄さんは、おかりんは、違った。
あの人に初めて抱っこされたとき、ふわりと体が浮かび上がったあの感覚は……忘れられない。
温かくて、力強くて……でも、優しい。
『降ろすぞ』
『……ゃ』
アタシはおかりんに、ずっと抱っこしてもらいたかった。
離れたくなかった。
こうして……抱っこし続けて、ほしかった。
『おまえ重いんだから、下ろすぞ』
『あ……』
地面に足がついたとき、アタシは現実に引き戻された感じがあった。
でも……そのときは、前よりも現実に生きることに対して、嫌な感じはなかった。
どきどき……してた。
その感情の正体を、あのときのアタシは知らなかった。
『……ねえ、どうして? アタシのこと、探してくれたの?』
アタシは疑問を口にする。
彼は他人で、アタシの自殺を止める義理はないはずだ。
おかりんはため息をついて言う。
『授業始まってるのに、生徒が来ない。探しに来るのは当然だ』
『そっか……ごめんなさい』
おかりんは自分の頭をガシガシとかくと、『ちょっと待ってろ』といって、その場を離れる。
ほどなくして、おかりんは、二つの缶を持って、アタシの元へ帰ってきた。
『ココアとコーンポタージュ、どっちがいい?』
『え……?』
『好きな方選ばせてやる。どっちがいい?』
おかりんはアタシの隣にしゃがみ込んで、手に持った缶を突き出してきた。
『な、なんで……?』
なぜ彼がこんなことをするのか?
授業は、どうするの?
そんなふうに尋ねると、おかりんはこう言ったんだ。
『今日は臨時休講になった』
そんなはずはない。
きちんと月謝が支払われてる以上、おかりんは生徒を教える義務が発生している。
こんなところで、サボりなんてしたら、きっと塾の人から怒られる。
実際……怒られていたところを、アタシは見た。
『……なんで?』
『おまえが、泣いてるからだよ』
気づけばアタシは泣いていた。
辛くて泣いてたんじゃない。
嬉しくて……泣いていた。
アタシは理解した。
この人は、悲しい瞳をしているアタシを見て、慰めてくれているのだと。
アタシはこのとき、初めて……優しい大人に出会った。
アタシに暴力を振らず、偏見の目で見ず……。
まっすぐに、アタシのことを見てくれた。
悲しいことがあって泣いてるのだと、気づいてくれた。
『泣くな』
『だぁってぇ~……』
おかりんは何も言わず、体を抱き寄せて、頭をなでてくれた。
『何があったのかは知らんが……まあ、飲め。温まるぞ』
『う゛ん゛……』
顔中涙とか、鼻水とかでぐしゃぐしゃで、味なんてわからないけど……。
でも、彼から差し出された【もの】の温かさだけは、心に染み渡った。
『あの……あのね……先生……』
アタシは、躊躇した。
悩みを打ち明けるのなんて、初めてだったからだ。
家族にも大人にも……お姉にも、心の中の、深い場所にある悩みは、言えなかった。
でも……この人なら、聞いてくれるかもと、アタシは思った。
『あたし……このせかい、きらい……』
ませたガキだと、笑われるかと思った。
けれどおかりんは、そんなことしなかった。
『わかるよ。俺もこんな世界……大嫌いだ』
彼が示したのは、共感だった。
初めて、通じた。自分の中の苦しみを、わかってくれたことが嬉しかった。
『先生も?』
『ああ。世界ってヤツは、理不尽だ』
『りふじん?』
『思い通りに行かない……ままならないってことさ』
おかりんは手を上に上げる。
何かをつかみ取るようにして、言う。
『俺さ、目指してる夢があるんだ。でもその夢がまた遠くて……。しかも今日、俺の友達が、一足先に、俺の夢をあっさりと叶えちゃって……』
おかりんが何を指して、何を言ってるのか、さっぱりわからなかった。
『こっちが必死になって、もがいて、あがいて、手を伸ばしてるのに……夢にまったく手が届かない。しかも他人はいとも容易く手に入れる。ほんと、ままならないよ……』
ただ彼が悲しい顔をしていたのは、鮮明に覚えている。
『世界は大人に厳しいんだ。なりたい自分に、なりたくても、簡単にはさせてくれない』
……そのときのおかりんは、とっても格好よかった。
彼の話す言葉はしゃれていて、詩人のようだった。
アタシは、もう……おかりんに夢中だった。
『でも、おまえは違うよ』
ぽんっ、とおかりんが、アタシの頭をなでてくれる。
『おまえはまだ7歳……子どもだ。何にだってなれる。世界には見えてないけど、希望ってヤツは……探せばそこにあるからさ。だから……』
慰めてくれてる彼を真っ直ぐ見つめる。
もう、アタシは泣いてなかった。
『きぼう、みつけたよ』
『え?』
すくっと、立ち上がって、アタシはおかりんのほっぺに……ちゅーをした。
『おかりん!』
『お、おかりん……? 俺のことか?』
アタシは笑顔でうなずいて、こういった。
『アタシ、世界が好きになったよ! だって……だって! おかりんを、見つけたから!』
アタシは堂々と、夢を語る。
この理不尽まみれで、絶望しかない世界で。
一筋の希望を、未来を、垣間見たから。
『アタシの夢はっ、おかりんの、お嫁さんになることっ! ぜぇ~~~~~ったいに、おかりんと結婚するんだから!』
その日アタシは、生きる意味を、見いだした。
おかりんはアタシの希望で、王子さまで、愛する人で……。
だから絶対、彼は渡さない。
たとえ相手がお金持ちのお嬢様だろうと、大学時代の友達だろうと。
……血を分けた肉親だろうと、アタシは譲らない。
世界で一番、彼を愛してるのはアタシだ。
誰にも、絶対……おかりんは渡さない。
この体で、この美貌で、彼をアタシの虜にしてみせる。
おかりん、アタシは本気だよ。
だから……覚悟しててね?




