31話 開田家の恋愛模様
贄川 一花は、仕えている、開田 高原に呼び出されていた。
開田 高原。
巨大企業・開田グループの会長であり、日本の政治・経済に凄まじい影響力を持つ。
一花がいるのは、応接間。
凄まじい広さの和室、そこの上座に、高原、そしてその孫娘の流子(PNるしあ)が並んでいた。
「贄川よ。おぬし、岡谷を好いているようじゃな」
「…………!」
高原はそう切り出す。
一花はそのことをちょうど報告しようとしていたところだったのだ。
「お、お爺さま……ほ、本当なのか?」
孫娘のるしあが、兎のような赤い眼を、まん丸にしている。
目線は祖父、そして目の前の一花と視線をいったりきたりしていた。
「うむ」
一方で高原は実に落ち着いていた。
その瞳に動揺はなく、重々しくうなずく。
「高原様、お嬢様、申し訳ございません」
一花は正直に頭を下げる。
「よい、頭を下げるほどのことではないじゃろうて」
「お、お爺さま……しかし……」
るしあが慌てる。
突然のカミングアウトに動揺したのであろう。
こんなにも美しい女性が、自分の好きな男を愛してると、急に知ったのだ。動揺も仕方ない。
高原はうむ、とうなずく。
「落ち着け流子よ。まだ付き合っているわけではないのじゃろう? であればそこまで慌てる必要はない」
「う~……しかしぃ~……」
高原は、孫が恋に悩む姿を見て、微笑ましく思っている様子だ。
叱責されるかと思っていたので、ほっとする一方で……。
るしあには申し訳ないという気持ちがあった。
ただ……。
「高原様、発言、よろしいでしょうか」
「構わぬ。申してみよ」
「あたしがその……岡谷くんのことを好きというのは、誰から聞いたのですか?」
「三郎からじゃ」
「……そうですか」
あとで三郎をボコろうと、一花は硬く拳を握りしめながら、決意する。
「高原様はどうお思いになっているのですか?」
「好きにすれば良いじゃろう。人が人を好きになるという思いは、だれかが強制したり、支配できるものじゃないからのぅ」
どうやら一花が孫と同じ男を愛していると言うことに対して、高原は好意的に捕らえている様子だ。
「むしろ複数の女から好意を持たれると言うことは、岡谷はそれだけ、男として魅力的なのであろう。さすが、我が孫娘の心を射止めた男だ、と褒めて遣わしたいくらいじゃな」
「し、しかしお爺さま。そんな悠長なこと言ってる場合では、ないと思います」
るしあが不安そうにそう尋ねる。
「このままではワタシは、贄川におかやを取られてしまうのだぞ?」
「ならば奪われぬよう、女を磨いたり、おかやにアタックすればいいのではないか? ん? 違うか?」
「そ、それは~……うう~……」
一花は、ふと気づく。
どうやら高原は、一花の好意を利用しているらしい。
すなわち……。
「流子よ、岡谷を誘ってどこかへ出かけるのはどうじゃ? 軽井沢の別荘がちょうどいいのではないか」
開田家は各地に、たくさんの別荘を持っている。
軽井沢の別荘はその一つだ。
「お、お爺さま……それは、と、と、泊まりってこと……?」
「うむ。そのとおり」
「で、でも……」
「流子よ、恋愛とは奪い合いじゃ。このまま手をこまねいていたら、贄川に大事な男を取られてしまうんじゃぞ」
「うぅ~……」
つまり高原は、贄川をダシにすることで、危機感を煽り、るしあと岡谷の仲を進めようとしているのだろう。
「ほら、どうする? ん? じぃじにおねだりすれば、全ての段取りを整えておくが? ん?」
……さらに、高原はこうして、恋愛をサポートするふりをして、孫娘に【じぃじ】と呼ばせたいみたいだ。
「うう、う~……………………」
るしあの覚悟は、決まったようだ。
「じぃじ。お願い……おかやとの仲を進めるの、手伝って?」
「よかろう! 任せておくのじゃ!」
ぎゅーっ、と高原はるしあを抱きしめる。
「任せておけ流子よ! なんだったら、日本の法律を変えてもいいぞ?」
「ほ、法律を変えるって……?」
「つまり重婚を許すようにする。さすれば、贄川も流子も、誰もが幸せになれると思うがな」
「「さ、さすがにそれはちょっと……」」
るしあも一花もドン引きしていた。
「ちなみにその場合は、この先ずっとわしのことを【じぃじ】と呼んでもらおうかの」
「け、結構だ! 贄川、いくぞ!」
「え、あ、はい」
るしあがプリプリと怒りながら、高原の元を去って行く。
「贄川よ」
高原は一花を呼び止める。
「わしは流子を第一に考えておる。じゃが……おぬしや弟のことも、家族同然だと、わしは思っておるよ」
好々爺のように、高原が笑う。
「おぬしらの一族は、代々わしの家に仕えてきた。おぬしのことも娘だと同然に思っておる。じゃから、あまり気にしすぎるな」
仕えている家の主の、孫娘と同じ男を好きになった。
本来なら首が飛んでもおかしくないと思っていた。
一花は高原の懐の広さに感服した。
「まあ平たく言えば岡谷がおぬしと流子、どちらと結ばれようと、わしの元には優秀な跡取り義理息子が来るからな」
「なるほど……すべて高原様の手のひらの上と」
「それに重婚の話も、冗談ではないぞ。じぃじにおねだりするのなら、早めにな、と流子に申しておけ」
「それはお嬢様に直接言ってください。それでは」
一花は頭を下げて、部屋を出て行ったのだった。
★
高原の元を去ったあと……。
るしあの私室にて。
「三郎ぅううううううう! てめえぇえええええええええ!」
「痛い痛いよ姉ちゃん! やめてぇええええええええええ!」
倒れ伏す三郎の背中に乗り、一花はキャメルクラッチ(顎を抱えて、逆海老反りに折る技)をかます。
「しゃべるなっつっただろうがぁああああああああ!」
「ぐぇええええええ折れるぅうううううううううう!」
鬼の形相で一花は、三郎に技を掛ける。
その凄惨な現場を目撃し、るしあは絶句していた。
ごきっ。
「折れたぁああああああああああああ! がくん」
動かなくなった三郎からどいて、ふぅ、と一花が吐息をつく。
一方でるしあは真っ青な顔で言う。
「に、贄川……し、死んだのか?」
「いいえ、お嬢様。愚弟は死んだふりしてるだけです」
「ぎくっ」
「ぎくっじゃないわよつぶすわよ?」
「えすけーぷフロムひあ!」
大男が丸太のように転がって、るしあの部屋を出ていく。
一花は呆れたようにため息をつき、るしあは眼を点にしていた。
「お嬢様、少し、お時間よろしいでしょうか」
「あ、ああ……」
るしあはちょこん、とベッドに正座する。
一花は簡単に、自分と岡谷との経緯を話す。
約10年前に同じ大学に通い、それからまた再会するまでの話を、なるべく感情を抜いて話した。
「というわけです」
「なるほど、10年以上も、おかやを想っていたのだな……」
るしあは一花の言葉に真剣に耳を傾けた。
怒ることもなく、不機嫌になることももない。
ただ、納得した、とばかりに、うなずいた。
「贄川……一花の想いは理解した」
打ち明けた当初の動揺っぷりほどこへやら、るしあはつとめて冷静に、事実を受け止めていた。
「素敵な恋愛だな。あこがれるよ」
るしあの顔には陰りはなかった。
純粋にそう思っているのだろうことは予想できた。
しかし一花からすれば、申し訳なさはある。
「怒ってないのですか?」
「どこに怒る要素がある? 一花もワタシも、同じ男を好きになった。それだけではないか」
一花はるしあの態度に感心した。
立場的に言えば、るしあは雇用主の娘であり、自分より上だ。
立場の下である女が横から出張ってきて、同じ男を好きだということは、不敬だと断じられても仕方ない。
祖父に頼んでクビにすることだってできたはず。
だというのに、るしあの態度は非常に大人だった。
「一花。ワタシにとっておまえは、幼き頃から面倒をみてもらっている、本当の姉のような存在だ」
「お嬢様……」
「両親が死んでしまったときも、ワタシを励ましてくれた。ワタシはおまえの幸せも願っている」
けれど、とるしあがいう。
「ワタシも、おかやをあきらめる気はさらさらないぞ」
まっすぐに、るしあは一花を見ている。
そこにはひがみもなければ敵意もない、ただ、まっすぐに、自分を見据えている。
「恋愛において、我々は対等な戦友だ。ワタシの立場を気にしなくていい。おまえは好きにアプローチするがいいさ。負けないがな」
10も年の離れた少女は、しかし少女らしからぬ分別の良さで、ライバルである一花の想いにこたえる。
18歳の少女。相手は大企業の御令嬢で、岡谷とともに出版業界を戦う相棒だ。
若さ、年齢、地位。そのすべてにおいて、一花は負けている。
そうだ、圧倒的に自分の方が不利なのだ。
遠慮していたら、負けてしまう。
相手が対等を望んでいるのなら、気にすることなくアタックするだけだ。
「わかりました。でも……あたしも負けません」
「ああ。ワタシだって」
るしあが手を伸ばし、一花はその手を取って、握り合う。
……その様子を、ふすまから見守る大男がいた。
「姉ちゃん、お嬢、お互いを認め合う恋のライバル関係。これは燃える」
「……おい、出てこい愚弟」
「盗み見とは感心しないぞ三郎」
ひょっこり、と三郎が顔を出す。
「いやぁ、へへっ。すみませんすみません」
「というか三郎、あんた、誰にも言うなっていったのに、高原様とお嬢様に言いふらしたこと、あたし、まだ許してないわよ」
ぽきぽき……と一花が指を鳴らす。
「ひぃ! お嬢たすけてー!」
さっ、とターミネーター然とした大男が、子どものように、少女の後ろに隠れる。
「まあ一花、許してやれ。悪気があったのではないのだろう」
「……まあいいけど。でもあんた、まさかと思うけど、高原様とお嬢様以外のひとには、言ってないわよね?」
念のため、一花がたずねる。
「え?」
「……おい」
どすのきいた声で、一花が言う。
「おまえまさか……」
一花は視線を感じて、ふすまを大きく開く。
どどどっ、と大量の黒服たちが、なだれ込んでいた。
「あ、あんたたち! 何してるの!?」
「……これは黒服たちの教育が必要かもしれないな」
一花の同僚である黒服たちは、どうやらるしあとのやり取りを見ていたようだ。
彼らはみな気まずそうに顔を合わせた後、しかし、笑顔で、拍手する。
「「「贄川姉さん! コングラッチレーションズ!」」」
……どうやら、同僚たちに、自分の恋愛模様を、全部ばれてしまっているようだ。
犯人?
それは、もちろん……。
「三郎ぉおおおおおおおおおおおおおおおお!」
「いやだって! めでたいことはみんなで祝った方がいいかなって!」
鬼の形相で弟にくみつき、そのままパロスペシャル(※プロレス技)をきめる。
「絶対おもしろがってるでしょぉあんたぁああああ!?」
「痛い痛い死ぬ死ぬあぁあああああああああ!」
ごきっ!
「腕がもげたぁああああああああ!」
……しかし三郎の余計なお節介のおかげもあり、職場の中で肩身の狭い思いをしないですんだのも事実。
一花は弟を許してやることにしたのだった。