30話 贄川家の晩ご飯
岡谷 光彦が、贄川 一花と一夜を過ごした、その日の夜。
7月下旬。
一花は弟【達】とともに、夕飯を食べに、焼き肉店に来ていた。
駅前のチェーンの焼き肉店【義勇閣】。
その一角には、黒服の【3】人が座っている。
姉の一花。弟の三郎。そして……一花のもう一人の弟、二郎太。
「ええー!? 姉ちゃん……彼氏できたのー!?」
声を張り上げるのは、三郎。
ターミネーターのようにゴツい、サングラスをかけた男だ。
「三郎、外で大声はいけませんぜ?」
その隣に、もうひとりターミネーターがいた。
こちらもゴツく、三郎との違いはほとんど見られない。
だが髪が角刈りであり、少々日に焼けていた。
三郎の兄、二郎太である。
「店員さーん! 高い酒もってきてー! 祝杯じゃ祝杯じゃー!」
「すいません、この誕生日ケーキを。ええ、おめでとう一花ちゃんで」
弟2人がお祝いムードに入ろうとしていたので、一花が引き留める。
「やめなさいってば、もう……」
「良かったねえ姉ちゃん! いやぁ、おれ安心したよ。あの筋肉メスゴリラに、28年鉄壁の処女を保ってきたゴリラに、春が来るなんておれうれし……」
がしっ!
「三郎、あんた……死にたいの?」
みしみしみしみし……!
「ぎゃー! やめて! アイアンクローやめて! 脳みそでちゃうぅううううう!」
一花は額に怒りマークを浮かべて、弟のこめかみを握りつぶそうとする。
「姉貴、それくらいにしてやりなさいな。三郎、さすがにそりゃあ姉貴に失礼ってもんでさぁ」
二郎太がなだめると、一花がぱっ……と手を離す。
「しかし姉貴にそんな浮いた話があるなんて……。あっしも驚きでさぁ」
「ね! 二郎太兄ちゃんもそう思うよねー!」
二郎太と、三郎がうんうん、と目を丸くしながら、うなずく。
「そんな驚くことないでしょ……もう……」
一花がジョッキビールを飲むと、ふぅ、と吐息をつく。
二郎太はサッサッ、と焼いた肉を姉と弟の皿に盛り付ける。
「いや驚くって! だってさぁ、小中高大と、ずっと空手と柔道やってて、誰も怖くて近寄れなかった女番長に浮いた話がくりゃ! そりゃあ驚くでしょー!」
「別に女番長なんてやってないわよ。勝手に周りがそう呼んでただけじゃない……それに」
一花はもにょもにょ、とつぶやく。
「別に……彼氏じゃないわよ」
「「は……?」」
きょとん、と二郎太と三郎が目を点にする。
「え? 彼氏じゃない?」
「どういうことでさぁ? 姉貴はさっき、その彼と一泊したと言ってませんでしたかい?」
「そうよ。でも別に付き合うことにはなってないわ」
「「…………」」
弟たちが首をかしげる。
「ね、姉ちゃん……え? 大学時代の同級生と、久しぶりに再会して、お酒飲んで家まで送ってもらって、同じベッドで一緒に寝たんだよね?」
「それで、何もなかったんですかい?」
「そーよ」
ぶすっ、と不満げに一花が言う。
「こっちは勝負下着まで履いて、準備万端だったのに……」
弟たちは顔をつきあわせて、首をかしげる。
「「なんで、そこまで準備万端で、なにもなかったの?」」
「なんでって……」
一花は頬を赤く染めて、炭化した肉を割り箸でつつきながら言う。
「だ、だって彼……手を出してくれなかったんだもの」
「自分から誘惑するとかしなかったのー?」
「ゆ、誘惑って……するわけないじゃない。恥ずかしい……」
「「…………」」
「あ、でもね、聞いて。これから週一で遊ぶことになったのよ。さっそく来週遊園地に……って、なによ?」
「「いやぁ……ないわー」」
弟たちが、若干がっかりしたように言う。
「姉ちゃん! なんでそこで攻めないの! だって運命の再会じゃん! 相手は離婚してフリーなんでしょ!? どこに遠慮してるの?」
「う、だ、だって……7年ぶりだったし、別れたばっかりの彼に、好きですって言うのも、なんだか……ねえ?」
もにょもにょ、と一花が口ごもる。
「まあ姉貴は大分へたれなところありやすから。しかしこのままじゃ歴史を繰り返すだけですぜ?」
「そーそー。4年間ずっと好きって言えなくて、そのあと7年もそのこと引きずってたんだぜ~。ここで変わらなきゃ、さみしーい老後を過ごす羽目になるよ、姉ちゃん」
「わ、わかってるわよー!」
どんっ! と一花が焼き肉テーブルを殴りつける。
ミシッ、とテーブルの天板がきしむ。
「姉ちゃん、テーブル壊れる! ぱっかーん! ってなる!」
「ならないわよ! 人のこと何だと思ってるのよ!」
「ニシローランドゴリラ」
「死にたいのね? 三郎くん?」
「まあまあまあまあ、姉貴、落ち着きましょうや。三郎もからかわない」
ふぅ、と二郎太がため息をつく。
「姉貴、これはお節介で言うんですが、この友達って関係、あまり長引かせない方がいいですぜ?」
「そ、それは……どうして?」
「そのままずるずると、友情ルートに入ってしまいかねないでさぁ」
「そーそー、早めに付き合うかそうでないかハッキリしないと、まーた10年くりかえすよ?」
弟たちの、言うとおりだった。
昨日、岡谷との一夜を過ごし、告白せずに終わったことを、残念がる自分がいる。
その一方で、良い友達という関係でいられたことを、どこかホッとしている自分もいるのだ。
「今は28で、ギリ若いけどこれであとまた10年となると、姉ちゃんババア……ほぐぅう!」
一花は隣に座る三郎のミゾオチに、ボディブローをたたき込む。
「三郎、あんまり女性の年齢のことはいじっちゃだめでさぁ。姉貴もキックはちょっと……ここ外でやすし」
「そこのバカがデリカシーないのがいけないのよ」
ふぅ、と二郎太がため息をつく。
「でも三郎が言ってることももっともでさぁ。姉貴もいい年ですし、これを逃すともう出逢いはドンドンなくなってきやすぜ」
「わ、わかってるわよ……だから、告ろうと、こうして週一デート頑張ろうとしてるんじゃないの」
「いやぁ、それじゃあ足りない、全然足りないよ姉貴」
復活した三郎が真面目な顔で言う。
「無理矢理、押し倒しちゃおうぜ★」
「ぶーーーーーーーーー!」
一花がビールを吹き出す。
「げほっ……ごほっ……あ、あんたねぇ……」
「姉ちゃんほら、パワー最強じゃん? 姉ちゃんの力で無理矢理押し倒して襲っちゃえば、相手は抵抗できないって」
「バッ……! ばっかじゃないの! ねえ二郎太! あんたもそう思うわよね!」
「いや……いい手かも知れませんぜ?」
「ちょっと!?」
ねー、と弟たちが同調する。
一方で一花は、顔を真っ赤にしてうつむき、もじもじしだす。
「そんなハシタナイまね、できないわよ……」
「でもさー、そうでもしないと姉ちゃんとその人との関係、1ミリも動かないと思うよ?」
「姉貴、今回ばかりは三郎の言うとおりでさ。無理矢理でもなんでも、一度、同衾すれば仲も深まるというもの」
「そ、そういう……ものかしら?」
一花が心を動かされかける。
三郎は感心したようにつぶやく。
「さすが、既婚者が言うと、言葉の重みが違うわー」
そう、二郎太は結婚しているのだ。
「お子さん、何歳なんだっけ?」
「1歳でさぁ。見やすかい?」
二郎太は懐からスマホを取り出すと、写真を見せる。
可愛い女の子の赤ちゃんで、銀髪だった。
「まさかロシア系の兄嫁ができるとは思ってなかったよ」
「愛でロシア語身につけるんだから大したもんよね。奥さん以外にロシア語なんて使うの?」
「最近アリッサお嬢に、ロシア人の友達ができてさぁ、彼女とコミュニケーション取るのに役立ってるさぁ」
二郎太がスマホを仕舞う。
「姉ちゃんも、兄ちゃんみたいに幸せになってもらいたいんだよ」
「三郎……」
「だからさ、今度のデート、ゆー、襲っちゃいなよ★」
もにょもにょ……と一花が口ごもる。
「で、でも……恥ずかしいし……」
「だー! もう! いいからさっさと告ってベッドインしてゴールインしてくれよ! ……姉ちゃんの辛い顔、もう見るの嫌だぜ、おれ」
「7年前は、酷かったですからねぇ」
7年前。つまり、岡谷 光彦と長野 ミサエが結婚した日のことだ。
「あのときの姉ちゃん、見てらんなかったよ。3日も部屋に引きこもって、ずっと泣いて、ご飯も食べなくてさ」
「みんな心配してやしたぜ?」
1人悲しみに暮れて、家族に迷惑をかけてしまった。
一花は当時を思い出して、反省する。
「……あのときは、ごめん」
「ま、いーんだけどさ」
「今元気ですし、もー終わったことですしね」
弟たちが笑ってうなずく。
……そうだ、また同じ轍を踏むことになりかねない。
「あたし……頑張ってみる。次のデート……や、やる、やるぞぉ!」
「「おー」」
ぱちぱち、と拍手する弟たち。
頑張ろうと思ったそのとき、ふと、三郎が聞く。
「ところで姉ちゃん、彼氏ってなんて名前なの?」
「岡谷くんのこと?」
「え……?」
ぽかん……と三郎が口を開く。
「え、岡谷……って、え? 岡谷 光彦?」
そうだ、三郎には、相手が岡谷であることを言ってなかったのだ。
なぜなら……。
「お嬢と同じ人、好きになったの……?」
三郎はお嬢、つまり、開田 るしあ(流子)のボディガードだ。
三郎は、るしあが岡谷に思いを寄せていることを知っている。
「それ……大丈夫なんですかい? 開田 高原様が黙ってないんじゃ……?」
るしあも高原も、岡谷という人間を痛く気にいっている。
二郎太が懸念するとおり、同じ男を愛したことで、彼らの不興を買う羽目になりかねない……。
「……わかってるわよ。自分の口で、きちんと言うわ。隠し通すのも不誠実だと思うし」
「それがいいでございやすね」
「許してもらえるかしら……」
「大丈夫、まだ付き合ってもないことですし、誰かを好きになるってぇ想いは、誰であろうと自由であるべきでさぁ。高原様もお嬢も、そこら辺は弁えてると思いますぜ」
「そうね、ちゃんと説明するわ。ところで……」
じっ……と姉と兄が、弟を見やる。
「三郎、あんたわかってるわね?」
「え? なにが?」
可愛らしく、三郎が小首をかしげる。
「あたしが、岡谷くんのこと好きってこと、勝手に言いふらさないこと」
「姉貴が自分の口で言うんだから、三郎、いいか、絶対に言っちゃだめですぜ?」
ふたりは、知っている。
このお調子者の弟の口が、ヘリウムガスよりも軽いことを。
「わかってるって! 大丈夫だいじょーぶ! 絶対言わないよ! マジでいやほんと」