26話 大学の同級生との再会
7月下旬。
俺の家には、るしあ先生が来ていた。
今日は打ち合わせの日だったのだ。
るしあとの要望で、うちで打ち合わせとなった。
家でふたりで作業をしていると、そこへ菜々子とあかりが、犬の散歩を終えて帰ってきたのだ。
「ふぁ~~~~~~~~~♡」
リビングにて、ワンピース姿のるしあが、目を輝かせる。
「菜々子! かわいいな! この子犬っ!」
るしあの前には、ミニチュアダックスがお座りしている。
「名前はっ? 名前はなんというのだっ!」
「……【チョビ】です♡ 小さいので、チョビ」
「そうか! チョビか~! 良い名前だなぁ!」
るしあはとても機嫌が良さそうだ。
一方で、飼い犬を褒められて、菜々子もご機嫌だ。
「……もしよかったら、チョビを抱っこしますか?」
「抱っこしてもいいのかっ! うれしー!」
「子供かっつーの」
あかりが呆れたように言う。
るしあは恐る恐る、菜々子からチョビを受け取る。
「おお! チョビ! さらさらで! ぬくぬくだな! 愛いやつめ~♡」
「あんあんっ!」
「あ、こらっ、顔を舐めるな……ひゃんっ♡ いたずらっ子だなぁ~♡ も~♡」
るしあがはしゃぎまくっているのを見ると、俺は定期的にうちで打ち合わせするのも良いかもしれないと思った。
彼女は友達が少ない。
打ち合わせ、という口実があれば、友達ともっと遊ぶ時間を、るしあに作ってあげられるかも知れない。
と、そのときだった。
ピンポーン……。
「ほえ、誰かな?」
よいしょ、とあかりが立ち上がろうとする。
「俺が出るよ。お前は友達と遊んでなさい」
「親かっ!」
「保護者だよ」
「ぬー……いつまでも保護者だと困るんだよなぁ~……将来的はお婿さんになるわけだし~?」
俺はあかりの額を指でつつく。
「調子乗るな」
「にひー♡ さーせん♡」
俺はあかり達をよそに、玄関へと向かう。
ドアを開けると……むわりと熱気が押し寄せてくる。
そこに居たのは……サングラスをかけた、スーツ姿の女性だった。
だが……俺は彼女を知っている。
「え? 贄川……?」
長身に、艶やかな黒い髪。
メリハリのあるボディに、しゅっとした体つき。
「贄川じゃないか」
そこにいたのは、一緒の大学に通っていた友達。
贄川 一花だった。
「……あたしって、よく気づいたわね。サングラスもしてるのに」
贄川がサングラスを取ると、口元を少しほころばせていた。
「友達の顔を忘れるわけないだろ」
「…………」
贄川は、目を丸くする。
口をパクパクとさせたあと、サングラスをすぐに装着した。
「んんっ……! 久しぶりね、おきゃ……岡谷くん。7年くらいぶりかしら」
「そうだな。俺の結婚式ぶりか」
卒業と同時に俺はミサエと結婚した。
その際、贄川と【もう一人】の友達を式に招待した。
彼女とはそれっきり、今日まで会う機会はなかった。
懐かしさはある……がそれ以上に。
「なんで、おまえここに?」
「ああ、それは……」
そのときだ。
「贄川! すまない、待たせた」
ててて、とるしあがこちらに駆けてくる。
その腕にはチョビが抱っこされている。
「お嬢様、お迎えに上がりました」
「お嬢様……?」
贄川は明らかに、るしあを見てそう言った。
るしあの素性は知らないが、しゃべり方は所作から、どことなく良いところのお嬢様だとは思っていた。
なるほど、この子の運転手なのか、贄川は。
「贄川。すまない、その……今日、友達の家に泊まりたいんだ」
「なっ……!? と、泊まり……ですか?」
「ああ。チョビ……友達の飼い犬と、もっと遊びたくて……だめだろうか?」
るしあが恐る恐る尋ねてくる。
「え、そ、それは……お嬢様が、岡谷君の家に泊まる、ということですよね……」
「? ああ、そうだが……どうした? あ、そうか。お爺さまの許可を取らないといけなかったな」
「えッ? あ、そ、そうか……そっちもですね。わ、わかりました、あたしが聞いてみます」
贄川は懐からスマホを取り出し、いったん外に出る。
ちら……と一度贄川が、俺の方を見た。
「? どうした?」
「……なんでもないわ」
贄川は外に出て、俺とるしあが二人で取り残される。
「おかや……贄川と知り合いなのか?」
じっ、とチョビを抱っこした状態で、るしあが尋ねてくる。
「ええ、そうですよ先生」
「……おかや」
ずいっ、とるしあが顔を近づけてくる。
「け・い・ご。それと……先生はやめてくれ」
以前俺の家に来たとき、るしあと敬語を使わない取り決めをしていたのだ。
「……わかった。るしあ」
「うん。で? 贄川とはどういう関係なのだ?」
「大学の友達だ。1年生の時から、4年間ずっと」
「だ、大学の友達ぃいいいいいい!?」
素っ頓狂な声を上げるるしあ。
チョビがびっくりして、ぴょんっ、とるしあの腕からジャンプ。
そして菜々子達の待つリビングへと帰っていった。
「そんな驚くことか?」
「あ、いや……そうだな。う、うむ。おかやも社会人だし、大学生時代があって当然か。……って、おかや。贄川と同じ大学なのか?」
「ああ、そうだな」
「ならおまえ……京櫻大学出身なのか?」
「? ああ」
「す、すごいな……おかや。羽瀬田と並ぶ、日本トップの大学、京櫻出身だとは。いや、おかやの仕事っぷりはさすがだし、京櫻出身なのもうなずける」
うんうん、と感心したように、るしあがうなずく。
勉強には才能が要らないから、得意なのだ。
「恐縮です」
「むっ! おかや……敬語っ!」
「ああ、すまん……ついな」
「今度敬語を使ったら、何でも一つ言うことを聞いてもらおうかな。な、なーんて」
「ああ、別にいいぞ」
「ふぁッ……!?」
「それくらい厳しめの罰がないと、この癖は治りそうじゃないし……どうした?」
るしあは顔を真っ赤にして、ぱくぱく……と口をまるで小鳥のように開いたり閉じたりする。
「ほ、ほんとに……いいのか?」
「? ああ」
「わ、ワタシの言うことは……絶対なのだぞ?」
「いいよ、別に」
子供のおねだりくらいなら、別に聞いてやっても良い。
「ワタシの親に会ってくれといったら、会ってくれるのか?」
「? 別にいいが」
「ほんとかっ!? ほんとだなっ!」
るしあには、前作【せんもし】で、出版社に多大なる利益をもたらしてもらったからな。
そのお礼に、一度アイサツに伺いたいとは思っていた。
「よしっ、よしっ! いいかおかや、約束は守れよ! 敬語使ったら、ワタシの親に会ってくれ!」
「わかったよ。使わないように気をつける」
「いや! 使ってくれ!」
「それじゃあ罰ゲームにならんだろうが」
俺はるしあの額をつつく。
「そ、そうか……でも……うう~……おかや……もし100億円積むから罰ゲーム受けてくれって言われたら、受けてくれる?」
「ははっ。面白い冗談だな。別にいいよ、100億円本当にくれるならな」
「…………………………検討しよう」
真面目なこの子もジョークが言えるんだな。
なんだか新鮮だ。
「む、贄川。戻ってたのか? お爺さまはなんと言っていた?」
いつの間にか、玄関先に贄川が立っていた。
「…………」
「贄川、どうした? るしあが呼んでるぞ」
ハッ、と贄川が正気に戻る。
「ご、ごめんなさい……。お爺さまと連絡がつきました。泊まっていっていいとのこと」
「そうか! ありがとう贄川っ!」
「明日、またお迎えにあがりますので、ご連絡ください」
「れんらく……? 贄川、ワタシはすまぁとふぉんを、持ってないぞ?」
「そ、そうでしたね……どうしよう……」
俺は少し考えて、贄川に言う。
「俺が贄川に連絡すれば良いか?」
「え……? い、いいの?」
サングラス越しではあるが、彼女は驚いている様子だった。
「ああ。連絡先昔のままか?」
「あ、えっと……古い方、壊しちゃって、データ全部なくなったの」
「そうだったのか。じゃあ連絡先交換しよう」
「! い、いいの……?」
「? 交換しないで、どうやって明日、連絡するんだよ」
「そ、それもそうね……」
俺はLINEのIDと、携帯番号を贄川と交換する。
交換を終えると、贄川は……きゅっ、とスマホを胸に抱いた。
「岡谷くん。ありがとう」
何に対するありがとうなのだろうか……?
ああ、るしあを泊めることに対する感謝か。
「別に気にするな。安心してくれ。子供に手出したりしないから」
「むぅ……おかや、それはそれで……ちょっと嫌だ」
ほっ、と贄川が安堵の吐息をつく。
「ええ、安心したわ」
「俺が未成年と何かする度胸があるとでも?」
「それもそうね」
ふふっ、と贄川が笑う。
笑ってる姿が大学時代とまったく変わらなくて、懐かしく思った。
「少し上がってくか? 積もる話もあるし」
「…………!」
贄川が一歩前に出る。
だが……ハッ、と何かに気づいた顔になる。
俺……というより、俺の後ろにいるるしあを見て、贄川が首を振る。
「嬉しいけど、今あたし……【仕事中】だから」
「あー……そうか。そうだったな。すまんな、無理にさそって」
「ううん、気にしないで。嬉しかったから」
「そうか……」
俺は少し考えて、こういった。
「なあ、今度飲みに行かないか?」
「「えぇッ……!?」」
贄川が驚く……そしてなぜかるしあも驚いていた。
「お、おかやっ!?」
「あ、あたしと……ふ、二人きりで!?」
「? いや、【王子】も誘おうかと思ってた」
「おーじ?」
はて、とるしあが首をかしげる。
一方で、贄川は心当たりにすぐ気づいた。
「そっか……。【白馬くん】とは、同じ仕事してるんだっけ」
「同じ仕事と言うか、まあ仕事の付き合いで何度も顔合わせてる」
贄川が、なるほど……とうなずく。
「そうね……三人なら」
「うむ……三人なら」
るしあが会話に入りたがっていた。
子供はよく、大人同士の会話に口を挟みたがるから、まあ特に気にしなかった。
「岡谷くん、じゃあ……セッティング任せて良い?」
「ああ。王子に予定聞いて、決まったらまた連絡するよ」
「ありがとう。でも……久しぶりだわ。彼とも7年ぶり。あたしのこと覚えてるかしら?」
「王子が友達の顔忘れるわけないだろ」
「それもそうね。ふふっ」
……すると、るしあがぎゅーっ、と俺の腕を引っ張る。
「おかや、いつまで【仲良く】話しているのだ。贄川は【仕事】の最中だ、あまり邪魔しないであげてくれ」
「あ、ああ……そうだったな。すまん贄川」
「ううん、気にしないで」
贄川はドアノブに手をかけて、ドアを開ける。
俺も彼女に続いて外に出た。
外まで見送ろうと思ったのだ。
俺の家の前には、黒塗りのデカいリムジンが止まっている。
「おまえ……すごいとこで働いてるんだな」
「そ、そうね……」
気まずそうに贄川が目をそらす。
あまり深入りしないで欲しそうだな。
「ねえ……岡谷くん」
リムジンの前に立ち、贄川がサングラスを外して、俺を真っ直ぐに見る。
「長野さんと別れたって……ほんと?」
……同じ大学だったんだ、ウワサも耳に入るだろう。
「ああ、ミサエとは別れたよ」
「……そう。ごめんなさい、デリカシーないこと言って」
「? いや、気にすんな。もう済んだことだし」
それは本当だ。
俺はミサエとは決別している。だから別に話題を出されたところで、なんとも思わない。
贄川は、俺の目を見て……目を丸くする。
「そっか……断ち切ったんだね過去を」
「ああ」
「……岡谷くん、結構引きずるタイプだから、気にしてたのよ」
「ありがとな。まあ……今回は色々あってさ」
俺一人だったら、贄川の言うとおり、引きずってたかも知れない。
だが今の俺には、菜々子たち双子JKがいる。
彼女たちの励まし、温かな食事などがあって、俺は日常生活を送れている。
「……そっか。だれか、いい人が、近くに居るんだ」
「贄川?」
「ううん、なんでもないの。元気で良かった」
「ああ……。贄川はどうなんだ? もう結婚してたり……」
「し、してないわ……!」
結構大きな声で、強く、贄川が否定する。
はっ、とすぐに正気に戻ると、顔を赤くして首を振る。
「恥ずかしいことに、28にもなって結婚どころか、彼氏だっていないのよ」
もじもじ、と贄川が体をよじる。
「別に恥ずかしがることもないだろ。俺だって恋人も結婚相手もいないよ。まあ……バツイチだけどさ」
「!? こ、恋人……いないの?」
「? ああ」
「いいなー、って思う人も?」
「そうだな」
「……流子さ……流子ちゃんは?」
なぜいきなりるしあの名前が出てくるんだろうか……?
俺は、贄川の額をつつく。
「あほか。おまえ、ふざけてるのか?」
「え……?」
「るしあは高校生だぞ? あり得ないだろ」
ぽかん……と贄川は口と目を開いて、俺を見ている。
だが……やがて、頬を赤らめて、うなずく。
「そ、そうよね! 相手は未成年だものね! ははっ、何バカなこと考えてるんだろ、あたし……」
贄川が長い髪を手で何度もすく。
「じゃあ、岡谷くんは今、本当の意味で、フリーなんだ」
「なんだよ本当の意味でって……まあフリーだが」
「……うん、【わかった】」
贄川は顔を上げると、にこっ、と笑う。
「飲み会、楽しみにしてるわね」
「ああ。また連絡するよ。って、明日も連絡するんだったな」
「何忘れてるのよ、まったく……ふふっ」
贄川は運転席に座ると、エンジンをかける。
「じゃあ明日も、あたしが迎えに来るから」
「ああ、待ってるよ。じゃあ、またな贄川」
「ええ、じゃあね岡谷くん。またね」
リムジンは音もなく、俺の前から走り去っていく。
しかし贄川か……大学の頃を思い出して、少し楽しい気分になったな。
「さて……ん? どうしたんだ、おまえら?」
玄関先に菜々子、あかり、そしてるしあが立っていた。
3人とも神妙な顔つきで、俺を凝視している。
「……あれ、どう思う?」
「……黒、です」
「……ああ、ワタシも黒だと思う」
ひそひそ、と三人で何かを言う。
黒? 色?
「なんだよ、黒って」
三人は顔を見合わせて、そして言った。
「「「浮気調査」」」
俺はため息をついて、三人の額を指でついて言う。
「あほか」