25話 浮気がバレて職を失う【元妻の父】25.5話 贄川家の人々
岡谷 光彦に会いに行った、ミサエの父、長野 江良蔵。
その数日後、長野はマレーシアにいた。
東南アジアの島国だ。
照りつける灼熱の太陽と、青い海が特徴である。
「あつ……なんでわしが、こんなところに……」
長野がいるのは、マレーシアの首都、クアラルンプール。
高層ビルが建ち並ぶ、現代的な街並みが特徴的な都市だ。
「新しい会社へ行くはずが……くそ! あのタクシーめ、ぼったくったうえに、こんな場所に放置しやがって……!」
さて、長野がなぜここに居るのか?
元々長野は、某有名な外資系の会社に勤めていた。
だが、ある日突然、人事異動を言い渡されたのである。
『長野君、悪いけど、明日からマレーシアに飛んで欲しい。クアラルンプールにある子会社で、管理職のポストを用意しておいた』
急な異動命令に戸惑いつつも、長野は上からの命令に素直に従った。
子会社とは言え、親会社が巨大なため、給料も待遇も良い。
「くそ……まあいい。仕事は明日からだし、今日は少しのんびりするか……」
長野は日差しが照りつけるビーチを歩きながら、ニュースサイトを眺める。
「なっ……!? なんだと!?」
手に取ったスマホが、震える。
サイトには、これから配属されるはずの子会社が、倒産した旨が書かれていた。
「バッ……! 倒産!? なんだそれは!」
だが何度読み返しても、これから配属される、クアラルンプールの子会社の名前だった。
「くそ! どうなってやがる!」
長野は慌てて、元の職場に電話をかける。
数コールで相手が出た。
「課長! これはどういうことですか!?」
電話の相手は、元上司。
課長は何事もなく言う。
『どういうこととは?』
「子会社が潰れてるではありませんか!」
『ああ、うん。やっぱりね』
「やっぱり!? 潰れるって知ってて、わたしを異動させたんですか!?」
そんなの、もはや単なる解雇に過ぎなかった。
「今すぐ元の会社に戻してください!」
『悪いがそれはできないねぇ』
「どうして!?」
『君、うちの若い社員と、不倫してたんだって?』
……その瞬間、世界が静止したかに思えた。
憎たらしいほどの青い空と太陽が、彼を照らす。
「ど、どうして……それを……?」
『君に関係あるかね? 重要なのは、君は若い女と不倫していたのだ。我が社のイメージを損なう。だからクビだ』
「そ、そ、そんなぁ……! 理不尽ですよ!」
『何が理不尽なものか。君がやったことの報いではないか』
「ぐぅ……! う、浮気くらいほかのやつらもやってることでしょう!? たった一度の浮気でそんな……」
『はぁ~…………君ね、不倫は法律で禁止されてるんだよ? そんなことも知らないのかね?』
「し、しかし……」
『とにかく、我が社としても君の処遇について変更する気はないから。ああ、そうそう。浮気だけでなく、君の普段からの態度も、そりゃあ酷いもんだったよ。若い子を怒る、いびる。仕事ができていたからまあ一応置いてたけどね』
「そんな……そんなことも、ほかのやつだってやってます! なぜわたしだけが、こんな仕打ちを受けなければならないのですか!?」
『さぁね。ただ一つ言えるのは、君の普段の行いが悪かった、その報いを受けてるってことだよ。じゃあね』
ぶつんっ、と電話が一方的に切られる。
「報いだって……?」
ピリリリリッ♪
次に電話が掛かってきたのは、長野の妻からだった。
『あなた、離婚しましょう』
「なっ……!? 離婚だと!?」
『職場の人と不倫なさってたんですってね。それが原因でクビになったと』
「!? なぜそれを……」
妻の声は冷え切っていた。
夫に対する激しい怒りが、言葉からもれている。
『もう法廷で戦う準備はできているから、日本に帰ってきたら覚えてらっしゃい』
「あ、お、おい! 待て! 待てよ!」
『……なに?』
「お、夫が職を失って困っているんだぞ! それを支えるのが妻だろうが! 助け合うのが夫婦だろうが!」
だが、妻から返ってきたのは……。
『それ、よく言えますね』
極低温の声音で、ミサエの母が言う。
『ミサエが警察に捕まって、釈放してもらって帰宅したあと……あなたあの子になんて言ったか覚えてる?』
ミサエがホテルで無銭宿泊したあの日……。
家族である長野の元に、警察から連絡が来た。
長野は、自分の会社員としてのキャリアを、娘に傷つけられた。
そのことに腹を立てて、感情のまま怒鳴り散らしたのだ。
【浮気なんて人間のすることではない! 最低だ!】
『その言葉、そっくりそのままお返ししますよ……』
「あ、いや……その……」
動揺する長野に、妻が続ける。
『妻も子供も居るくせに、不倫なんて、人間のすることではありませんよ。最低です』
「ぐ……う……」
『言っておきますけど、光彦君のようにわたしは甘くありませんから。きちんと裁判を起こします。動かぬ証拠も手に入れましたしね』
「しょ、証拠……? どこから……?」
『あなたに関係ないでしょう? ……あなたのせいで家庭はお仕舞いね。さよなら』
ブツッ……!
一方的に電話を切られる。
その後、LINEで浮気相手から【ごっめーん別れよ★】と。
あっさりしたものである。
自分といえば一方的に怒鳴られたあと、もううちの人間ではないと言って電話を切られる。
「は、はは……終わった……」
白い砂浜の上で、ぐしゃり、としゃがみ込む。
「会社は……クビになる。家庭は崩壊する……もう、おしまいだぁ~……」
仰向けに、長野は倒れ込む。
暗雲立ちこめる長野の未来とは対照的に、一点の曇りのない空が、どこまでも広がっていたのだった。
★25.5話 贄川家の人々
マレーシアのビーチにて。
絶望する長野の様子を、遠くから見はっている人物がいた。
「高原様。ええ、つつがなく、長野 江良蔵への制裁は終わりました」
贄川 一花。
黒髪をポニーテールにした、まごう事なき美女である。
彼女は高原の命令で、こうして制裁の対象者である、ミサエの父を監視していたのだ。
岡谷は高原と、その孫のるしあのお気に入りである。
彼に殴りかかり、さらに暴言を投げかけたミサエの父を、ふたりは許せなかったのである。
一花は今、ビーチにて、水着姿をさらしていた。
すらりとした体型。
一切の無駄な肉がついておらず、長い足。
しかも立派なものが二つ主張しており、グラビアアイドルやモデルだと言われても信じるほどの美女だ。
そんな美女が、黒いビキニにサングラスのいでたちで、ひとり立っている。
放っておかれる訳がない。
『へい、彼女~。一緒に泳がない~?』
若い男達が、一花に異国の言葉で話しかけてくる。
一花はそれを無視して、スマホを片手に、高原に報告する。
「はい。一泊して帰ります。はい。ええ、お嬢様へのお土産も忘れずに買ってきますので。はい」
『おねーさんってば、ねーねー、一緒にはなそうぜ~』
一花は鬱陶しそうに顔をしかめる。
そのとき、ナンパ男の向こうに、巨大な人影が現れる。
「えくすきゅーずみー!」
ナンパ男達が振り返る……。
『『た、ターミネーター!?』』
「どーも、ターミネーター=サンです」
映画のスクリーンから飛び出してきたような、ごついマッチョの男が立っていた。
贄川 三郎。
贄川家の三男であり、一花の弟だ。
「あー、キミタチ、アブナイ。命のホショーナイ。そこのメスゴリラ。ちょー怖い。にげーるおすすーめ」
完全に日本語であった。
ブチ切れた一花は弟の元へ行くと……。
「誰が雌ライオンだ? あ゛?」
三郎の手を掴んで、海に向かって放り投げた。
そのまま激しい水音を立てて、三郎が海に沈む。
「……で? あたしに何かようかしら?」
『『ひぎぃいいいい! メスゴリラぁあああああああああ!』
ナンパ男達が一花のもとから立ち去っていく。
「姉ちゃんひどいよー」
投げ飛ばされた三郎が、海から上がってやってくる。
三郎もまた海パン一丁だった。
道行く観光客達は、三郎を見て5割がボディビルダー、4割がシュワルズネッガー、残り1割がバカンス中の殺し屋と勘違いしてるようだった。
「せっかくナンパ男たちを助けてあげようって思ったのに」
「そういうときは、されてる女の方を助けるのが普通でしょ?」
「え、でもあのまま放っておいたらあの人ら命の……あ、ごめん嘘だって怒らないでよ姉ちゃん!」
ふぅ、と一花がため息をつく。
「姉ちゃん、任務は終わったの?」
「ええ、あとは帰ってきなさいって」
「よっしゃあ! じゃあバカンスじゃーん! バナナボート借りてこよー」
「遊びじゃないのよ。あたしたち、仕事中なんだから」
「ちぇー。いいじゃんちょっとくらいサボってもバレないって」
「高原様に仕えるものとしての、節度を守りなさい」
「……けちけちオババ……痛い痛い痛い痛い!」
一花は三郎に関節技を極める。
「何か言ったかな三郎君?」
「ごめんって姉ちゃん! あと背中に無駄に大きなやつ当たってるって!」
「美女の胸に触れて光栄でしょ?」
「ゴリラの胸板は硬いだけ……ぎゃー!」
ややあって。
一花と三郎は、水着から着替えて、ホテルのラウンジで遅い昼食をとっていた。
「あんた……もうお土産買ったの?」
食後のコーヒーを飲みながら、一花が呆れたように言う。
三郎の左右には、お土産の袋が大量にあった。
「うん。【二郎太兄ちゃん】と【四葉】と【五和】の分。あと父ちゃん母ちゃんの分。で、こっちはお嬢の分と高原様と~……」
「仕事中だって言ってるでしょ、まったく浮かれて……」
やれやれ、と一花はため息をつく。
「でもさっきの、浮気相手の父ちゃん、大変だね。社会的に抹殺されちゃったし」
「自業自得よ、あんなの。……ほんと、浮気なんて最低よ」
彼女の手に力が入り、持っていたカップにひびが入る。
美しい顔は怒りで歪んでいた。
「? 姉ちゃん浮気なんてされたことあったっけ? 今も大学の時も彼氏とか居なかった……あ、まって、ディスってないから、ステイ姉ちゃんステイ!」
一花が三郎の顔面を片手でわしづかみにし、握りつぶそうとしていたので、三郎がなだめる。
「大学の時、彼氏はいなかったけど、片思いしてた相手は居たのよ」
「へぇ……! 初耳! ねえねえその人とどうなったの~?」
「どうもならなかったわよ。同じゼミに入ったけど、卒業してからそれきり。この間結婚してたって知ったわ」
「ふーん……なんで告らなかったの?」
「大学の時、彼にはすでに彼女がいてね。違う大学の子だったけど。あたしの入り込む余地なんてなかったのよ」
「でも好きだったんでしょ?」
「……昔の話よ」
ずず……っとコーヒーを啜る。
「姉ちゃんゴリラだけど、女優でも通じるレベルの美人なんだから、告ればOKもらえたんじゃないの?」
「一言余計よ。潰すわよ?」
「なにを!? もしかしてナニを!?」
「冗談よ。……告ろうとは思ったわ。何度も何度も。けど、彼、それどころじゃなかったから」
「なんかあったの?」
「彼は大学一年のころから、ずっと打ち込んでるものがあったのよ。最終学年になってようやく、打ち込んでるものの成果が少し出て、これからって思ったら急に就活を必死にやりはじめて……」
昔を思い出すように、遠い目をしながら一花がいう。
「彼が夢を追う姿に遠慮してたら、そのまま卒業しちゃった」
「あらら、巡り合わせが悪かったってことなんだね」
「そうね……タイミングが悪かったわ。【今回も】」
一花がコーヒーを飲み干す。
ふたりは立ち上がると、レジで会計を済ませる。
「姉ちゃんが大学で片思いしてたその人って、今何やってるの?」
三郎の問いかけに、一花はこう答える。
「ライトノベルの出版社で、編集者やってるみたいよ」
「へー! 確かお嬢【の】岡谷様もラノベの編集者だったね! もしかしてその人と知り合いとかだったりして。いやぁ世間は狭いねぇ!」
明らかに気づいていない弟を見て、一花は小さくため息をつく。
「……お嬢様の、か。ほんと、あなたって昔からタイミング悪いわよね、岡谷くん」