24話 前妻の父から謝罪されるが、もう遅い
それは、俺がまだ大学生だった頃。
『お願いします! 娘さんを、ぼくにください!』
俺はミサエの父に、結婚を許してもらおうと、会いに行った。
しかし……。
『ふざけるな、娘を、貴様なんぞにやれるか』
『ど、どうしてですかっ?』
ミサエ父……【長野 江良蔵】(ミサエの旧姓が長野)。
長野は俺を、小馬鹿にしたようにして、言う。
『貴様、【こんなもの書いてる】んだってな』
俺の前に、【それ】を放り投げる。
1冊の、ラノベだった。
作者名は……【おかたに】。
俺の……ペンネームだ。
『くだらん、くだらんなぁ、こんなもん』
『…………』
……こんなもの。
そんな風に言われて、俺は血が出るほど、唇をかみしめた。
それ一冊作る苦労を、こいつは知っているのか。
デビューまでに、どれだけの時間を、情熱を、俺がそこに込めたのか……知っているのか?
はらわたが煮えくりかえり、思わず殴りかかろうとしてしまった。
『まさかと思うが、卒業後、【これ】一本で食っていく気ではあるまいな?』
……だが、義父の一言で、一気に冷静になる。
作家業一本で食っていく。
それが、どれだけ大変なことか。
俺は、知っている。
だって……俺は、落ちているその本の、続きを【書かせてもらえない】から。
『そ、それは……』
『ハッ! バカな男だ。現実がまるで見えてない。貴様のような夢見がちな若造が、わしは一番嫌いだ』
俺は、何も言い返せなかった。
現実が見えてない、確かに、そうかもしれない。
『とにかく、こんなものを一生の仕事にするような男に、大事な娘はやれんなぁ』
『…………』
『もしどうしても娘が欲しいというのなら……そうだな。【タカナワ】にでも就職したら、ま、考えてやっても良いな』
タカナワ。ラノベに限らず、出版業界でナンバーワンの大企業だ。
『もっとも! 貴様のような現実が見えてない男には、到底、無理だろうけどなぁ……!』
ミサエの父に馬鹿にされて、俺は冷静になった。
これから結婚して、家族を養っていかなければならない。
だれかを養うためには、金が要る。
安定した収入が居る。
作家というものの収入が……いかに不安定か。
くしくも、俺はミサエの父の暴言によって、気づかされてしまった。
ミサエ父の言うことは、親として正しい。
自分の娘を、こんな夢見がちな若造に渡したくない。
娘には幸せになって欲しいからこその発言だろう。
まあ相手を貶すのはどうかと思うが、理解できなくはない。
『…………』
そのときの俺には、二つの道があった。
夢を持ち続けて、1人で生きてくか。
夢を捨て、現実を妻と生きていくか。
……俺は、悩んだ。
『…………』
夢と現実、どちらを取るか悩んだ末に、俺は現実を取った。
その当時の俺は、まだ理解していなかった。
ミサエという女が、どういう女なのか。
俺が手に取ったのが、間違いの選択肢だったことを。
『……わかりました』
『え?』
ミサエの父は、鳩が豆鉄砲くらったような表情になった。
『タカナワに就職すれば、ミサエさんと結婚させていただけるのですね?』
『あ、ああ……ふ、ふんっ! できるもんならやってみろ!』
『はい、わかりました』
『ふんっ! 簡単に言ってくれる。それがいかに難しいことか、わからぬようなバカには、娘はやれん!』
……俺は二者択一を迫られて、結局、理想を捨てた。
……こうして、作家【おかたに】は死んで、編集者【岡谷 光彦】が誕生したのだ。
★
話は現代に戻る。
俺はあかりと一緒に買い物へ行った。
その帰り道……俺は義父、つまりミサエの父と遭遇した。
「光彦君! たのむ! 娘とよりを戻してくれぇ……!」
夕暮れ時、往来で、いい年した男が土下座している。
「……あんたっ、ふざけ」
「あかり、やめろ」
「おかりん……」
あかりが、こういうとき怒ってくれる子だと、俺は知っている。
優しい子だ。
だからこそ、俺は止めた。
「先帰ってろ」
「でも……」
「いいから」
これは、大人の問題だ。
子供は関係ない。
未来を生きるこの子に、大人の醜い話を、聞いて欲しくない。
未来に絶望して欲しくない。
あかりは、名前の通り、明るい未来になってほしい。
「…………」
あかりは何度も俺を見て、やがて先に歩いて行く。
「み、光彦君……彼女は誰だ?」
全てをこの人に話す義理はないな。
「昔バイトしていたときの教え子です。たまたま一緒になっただけ。何か関係ありますか?」
「い、いや……ない。そうか……ありえないよな。見たところ小娘だし」
露骨にホッとする義父……。
娘とよりを戻してもらいたいから、俺に女がいると不都合……というところだろうな。
「いい加減立ち上がってください。往来の邪魔ですよ」
「ぐ……偉そうに……」
どっちが、と言いたいがまあそれはどうでもいい。
俺はさっさと話し合いを済ませて、家に帰りたい。
ふらふらとミサエの父は立ち上がる。
「お久しぶりです【長野】さん。それで……どうして俺がここにいるって、知ってるんですか? 俺、引っ越したんですけど」
「そ、それは……その……」
うろたえるところから見るに、あまりよろしくない手段を使ったのだろう。
興信所にでも依頼したか。
不快なヤツだ……。
「そんなのはどうでもいいだろう! 本題は……光彦君。頼む! ミサエとよりを……」
「申し訳ありませんが、俺はミサエとやり直すつもりはまったくありません」
「なっ……!?」
「失礼します」
俺は頭を下げて、ミサエの父の横を通り過ぎようとする。
「ま、待ってくれ……!」
俺の手を彼が掴んでくる。
額に脂汗をかいて、必死な形相で言う。
「頼む! もう一度、もう一度だけ、あの子とやり直してくれないか!?」
「なんでですか? ミサエは浮気してたんですよ? 俺の信頼を裏切ってほかに男を作っていた女と、どうしてやり直せるんです?」
「そ、それは……その……い、一度の浮気くらい、男なら許してやれよ!」
「それ、自分の奥さんが浮気してたとき、同じこと言えますか?」
「ぐぅ……!」
言えないよな。自分でできないことを、人に押しつけないで欲しい。
俺はミサエ父の手を強めに払いのける。
「ミサエは俺を裏切った。あなたに何を言われようと、俺はそんな彼女とやり直す気は全くありません。さようなら」
俺は振り返らず、真っ直ぐに帰ろうとする。
「待ってくれ! 話だけでも、話だけでも聞いてくれ!」
ミサエ父が、今度は脚にすがりついてきた。
「ミサエは今、どうしてるか、お前知っているか!?」
「知りません。興味もありません」
「ミサエは借金をしてるんだ! それを返すために風俗で働いてる……!」
「だから、興味ないって言ってるじゃないですか」
……借金か。あいつ、借金を返すために風俗で働いているか。
だから……どうした。
俺にはもう関係ない。関係ないことなのに……。
なぜだろう、俺の足下に、捨てたはずの、【おかたに】の本が……落ちているような気がした。
「わしはあの子が不憫で仕方ないのだ! なあ頼むよ! あの子を地獄から救ってあげられるのは、光彦君、君だけなんだ!」
「俺には関係……」
「仮にも一度夫婦だったんだろう!? くだらん夢をあきらめてまでも、娘を選んでくれたじゃないか! なあ! それほどまでに、君にとってミサエは大事な存在じゃなかったのか!?」
……夢をあきらめて。
そう……俺はミサエを選ぶとき、自分のもう一つの大事なものを捨てた。
作家としての道をあきらめ、ミサエを選んだ。
……それは、ミサエが俺を裏切ったことと同様に、事実なのだ。
「俺は……」
「ふざっけんなぁああああああああ!」
「あかり……」
振り返ると、そこには、金髪の美少女……あかりがいた。
あかりは目に涙を浮かべながら……しかし、怒りでその美貌を歪ませていた。
彼女はこちらにやってきて、ミサエの父を見下ろす。
「娘を助けて欲しい? ふざけんな! そんなの、あんたのバカ娘の責任だろう!」
「ば、バカ娘だと……?」
「別れたあとに自分で勝手に借金こさえたんじゃん! おかりんに何が関係あるんだよ!」
「し、しかし……光彦君と別れたショックで……借金を……」
「そもそも別れた原因は、あんたのバカ娘の浮気が原因でしょ!? 自業自得じゃん!」
「うぐう……」
一方的に、ミサエ父が言い負けていた。
あかりの怒りはまだ収まらないのか、声を張り上げる。
「自分の娘が可哀想なら、あんたが借金を返せば良いじゃん! なに人に頼ってるんだよ!」
「わ、わしだって……」
「どーせおかりんが大企業に勤めているから、よりを戻させた方が、自分の懐も痛まないし、手っ取り早いとでも思ってるんでしょ!?」
「ぐ…………う、う、うるさい!」
図星を突かれたからか、ミサエの父が声を荒らげ立ち上がる。
びくっ、とあかりが体を萎縮させるが、毅然とした態度で返す。
「大人の会話に、子供の分際で、口を挟むんじゃない!」
「子供にムキになって、大声出して……大人として恥ずかしくないの?」
「ぐっ……!」
「相手の善意につけ込むようなマネして、自分の娘の不始末を、他人に押しつけて……それが大人のすることなの?」
ぎり、っとミサエの父が拳を握りしめる。
「えらっそうに……! ガキのくせに、女のくせに……ナマイキなんだよぉおお!」
ブンッ……!
パシッ……!
「き、貴様!」
「おかりん……」
殴りかかろうとしたミサエ父の拳を、俺は受け止める。
「いい加減にしろ」
俺は腕をひねって、そのまま一本背負いをする。
「ぐげぇえ……!」
「す、すごい……おかりん、柔道やってたの?」
「まあ……昔取った杵柄だな」
ラノベのネタに使えるかなと思って、通信空手と柔道を習っていたとは言えないな。
俺はそのまま関節技を極める。
「痛っ。いたたたっ!」
「無関係の、しかも子供に手を上げるなんて最低ですよ」
「う、うるさい! わしに命令するな! 若造の貴様なんぞに……あいたたたっ!」
俺は強めに技を極める。
「あの子に……手を出すな」
「わ、わかった! わかったから! 放してくれ!」
俺はミサエ父から離れる。
「おかりん……!」
あかりが俺の腕に抱きついてくる。
体が、震えていた。
「すまん、怖い思いさせて」
大人に怒鳴られて、手を上げられそうになったのだ。
怯えて当然だ。……子どもを巻き込んでしまった。猛省せねば。
「お、おまえぇ~……」
ミサエの父が立ち上がる。
「そ、その女は……なんなのだ?」
「俺の大事な子だ」
「おかりん……」
ぎゅっ、とあかりがまた抱きついてくる。
俺はその髪の毛を、優しくなでる。
「悪いが、次同じようなことするなら、出るところに出るからな」
「しかし……」
「ミサエの件は、この子の言うとおりあんたの責任でどうにかするべきだ。俺はもうミサエとは関係ないし、今後一切あいつにも、あなたにも……関わる気もない」
「でもぉ……」
「消えろ。この子の前に……もう二度と、汚い大人の事情を、持ってくるな」
ぎゅ……とあかりが俺の体に抱きついて、震えている。
この明るい子供に、暗い影を落としたくない。
その原因となる、大人の話を、二度とこの子の前でして欲しくなかった。
「…………」
がくん、とミサエの父が沈黙する。
潮時だな。
「もう俺たちに関わらないでくれ」
「く、そ、がぁ! 若造の分際でぇえええええ! ふざけるなぁああああ!」
またも、殴りかかろうとしてきた……そのときだ。
スッ……と俺の前に、だれかが立ち塞がる。
拳を握りしめると……。
「ぐえぇえええええええええええええ!」
顔面を、その人が殴りつけたのだ。
ボールのようにミサエの父が吹っ飛んでいく。
そして、気を失った。
「あ、あんた……だれ?」
あかりが、その男に恐る恐る尋ねる。
俺達の前に、黒服の大男が立っていた。
「どうも、通りすがりのターミネーターです」
「た、ターミネーター……? まあ、っぽいけど……」
「おいあかり、失礼だろ。すみません」
「いえ、お気になさらず」
自称ターミネーターは、倒れ臥すミサエの父を担ぎ上げる。
「偶然、ちょっと、通りかかったんです。たまたま、岡谷様の会話が耳に入ったもんで、とっさに助太刀に入った次第です」
「ターミネーターさん、なんでおかりんの名前知ってるの?」
「え゛? た、ターミネーター、だから?」
「はぁ……?」
黒服の男はゴホン、と咳払いをする。
「この人の行動は見るに堪えませんでした。【制裁】が必要だとは思いませんか?」
「……いや、それでも手を上げるのは、どうかと思います」
俺が言うと、男は「た、たしかに……」とうろたえる。
ゴツい見た目の割に、小心者っぽいな。
「す、すいやせん、ターミネーターだもんで」
「それ言ってりゃいいと思ってるの?」
あかりの言葉に男が言葉を詰まらせる。
「と、とにかく手を上げた以上、おれの責任で【病院】につれていきます。【あとのこと】は、お任せください」
「おかりん、任せちゃお? アタシもう……家に帰りたい」
病院に俺もついてこうと思った。
けれど、あかりが、俺の腕を引いている。
まあ、殴ったのは問題だが、俺たちを暴漢から守ろうとしてくれた。
それに受け答えにも怪しいところはあるが、悪い人間ではなさそうだと話していて伝わってきた。
彼に任せよう。
「お言葉に甘えさせてもらいます」
「おまかせあれ! では」
ぺこりと頭を下げると、ターミネーターを自称する男は、リムジンに乗って去って行ったのだった。