21話 夫と別れて社会の厳しさを痛感する【元妻】
岡谷 光彦がJK3人と和やかに食事を取っている、一方その頃。
岡谷の元妻ミサエはというと……。
「えーっと長野 ミサエさん。悪いんだけど、きみ、うちじゃ雇えないんだよねぇ、ごめんねぇ」
ここは、都内にあるファミリーレストランの、バックヤードだ。
長野とは、ミサエの旧姓だ。
結婚して岡谷となっていたのだ。
「そんな……! どうして!」
ミサエはファミレスのバイトへと、たった1分前にやってきたばかりだ。
「表の張り紙には、バイト募集! 経験者の有無は問わないって書いてあったじゃないですか!」
「うーん、そうなんだけどさぁ……長野さんを雇うわけにはいかないんだよ」
「なんでよ! 訳を言いなさいよ!」
「それはちょっと、企業秘密というか……まあぶっちゃけ上からのお達しでね」
店長に掴みかかろうとするミサエ。
だが店長がそれをひょいっと避ける。
「まあ簡単に言えば長野さんを雇うなって指示が出たんだ。なんでか知らないけどね」
「そんな……!」
「私もねー、あなた結構顔タイプだし、雇いたい気持ちも山々なんだけどさ。上の言うことを聞かないといけないのよ、悪いね」
「…………理不尽だわ」
「社会とは理不尽なもんさ。そもそも、バイト経験ない、社会人経験なしじゃ、どこもやとってくれないよ」
「だ、黙りなさい!」
怒りで顔を歪めると、ミサエはバックヤードを出て行こうとする。
「二度とここのファミレスは利用しないわよ!」
そう言ってミサエはファミレスをあとにする。
背後の看板には、【カイダーズ】というファミレスの名前が書いてあった。
読んで字のごとく、開田グループ傘下のファミレスであった。
「なんなのよ! くそ! ちくしょう!」
……さて、岡谷と別れてから今日まで、ミサエはどうしていたのか?
ミサエはまず、岡谷のもとにあった、自分の私物を実家に送らせた。
実家にはそのときだけ、一瞬だけ帰った。
父は仕事上、家を留守にしている事が多い。
不在のタイミングを狙って、ミサエは私物を全て売り払った。
あと金になりそうなものをひとしきり回収し売り払うと、そのまま家を出た。
その後、ミサエは近くのビジネスホテルを拠点としていた。
というのも、これにも理由があった。
『は……? い、家が……借りれない……?』
暮らしていく以上、住居が必要だった。
ミサエは駅前の不動産へいって、適当な安い家を見つけるつもりだったのだが……。
『申し訳ありません。審査の結果、長野 ミサエさまには、お部屋を貸すことはできません』
最大手の不動産【KAIKAI】、【カイダアパマン】等々……。
どこの不動産へいっても、ミサエに部屋を貸してくれる人は居なかった。
……いうまでもなく、上記不動産は開田グループの傘下である。
この現代日本において、開田グループでない企業を探す方が難しいレベルなのだ。
コンビニやファミレスなど、一般人がよく使う施設はもちろん、銀行や不動産などにも、開田の息が掛かっている。
開田グループの会長、【開田 高原】の不興を買った今、ミサエは日本での自由な生活ができないでいるのである。
「悪夢だわ……」
バイトの面接に落ちたミサエは、ホテルの部屋で一人、丸くなっていた。
ぐぅー……。
「うう……腹が減ったわ……」
ミサエは、安いビジネスホテルに何日も泊まっている。
もちろんホテルも幾つか入るのを断られ、やっと、地下の薄暗い、安いビジネスホテルを借りることができた。
ただ、朝食しかついていない。
当然腹が減る。
「もう売るものもないし……野宿なんて嫌。実家に帰るのも……死んでも嫌!」
ミサエは自分の離婚を、親に伝えていなかった。
ミサエの父は、厳格な親なのだ。
向こうの不倫で離婚したならまだしも、娘が間男と不倫したとなれば……。
父は黙っていないだろう。
何より、親にそんな恥ずかしいことを言うのなんて、プライドが許さない。
……かといって、いつまでもホテル暮らしでいるわけにはいかない。
「もうお金ほとんどない……」
手持ちの金がつきかけていた。
バイトの面接も落ち続けている。
「親を頼るわけにはいかないし……」
と、そのときだった。
プルルルルルッ♪
部屋に設えた、固定電話から着信音が鳴った。
「はい」
『あのー、長野様。宿泊費のお支払いについてなのですが……』
……ミサエはこの10日あまり、このホテルに滞在している。
最初は1泊くらいの予定だった。
すぐに家を見つけ、バイトを見つける。
それまでのツナギだったのだが……。
バイトも家も見つからず、2日、3日……とずるずると延長し、今に至る。
前のホテルも同じように延長し、追い出された。
この格安ホテルを追い出されたら、もう都内で安く泊まれるホテルはなくなる。
物価の安い郊外へ行くという選択肢は、ミサエの中にはない。
(クソ田舎の不便な場所でなんて、暮らしたくないに決まってるでしょ……!)
……だが、ミサエは愚かだった。
地方には開田の息が掛かってない施設というのは、そこそこあるのだ。
けれど都内で開田グループでないものを探す方が難しい。
それほど、開田グループという組織は大きい……。
『お客様、確かに当ホテルはチェックアウト時に料金の支払いとなっていますが、もう10日も延長なさってますし、これ以上の延長なさるなら、一度お支払いいただけないでしょうか』
「くそ! わかってる! わかってるわよいちいちウルサいわねぇ!」
当たり散らしても意味がない。
というより、ホテル側に迷惑をかけているのは、ミサエ本人だ。
だというのに、横柄な態度を取ってしまう。
「……こうなったら」
ミサエはサイフから、1枚のクレジットカードを取り出す。
「ふ……ふふ……あなたぁ……あなたが悪いのよぉ……」
にちゃぁ……とミサエが邪悪な笑みを浮かべる。
このクレジットカードは、岡谷の名義で、ミサエが勝手に作っていたものだ。
もちろん、金の引き落とし先は、岡谷の銀行口座である。
そして、岡谷は勝手にミサエがカードを作っていたことを、知らない。
「あなたが私を拒んだからいけないのよぉ……!」
これを今まで使わず取っていたのは、使えば足がついてしまうからだ。
さすがに身に覚えない金が引かれたら、原因を探るだろう。
そしてこのカードの存在を知り、カードを使えなくするかも知れない。
だがミサエは追い詰められていた。
「こうなったら最後に、限度額いっぱいまで使いまくってやるわ……! 来月の支払いに苦しめばいいのよぉ!」
ミサエは岡谷名義のクレジットカードを持って、フロントへと向かう。
バンッ! とフロントにカードを置く。
「ほら! 金よ! これで満足でしょぉ!?」
フロントマンは嫌な顔一つせず、カードを受け取り、支払いの手続きを済ませようとする。
ぴーーーーーーーーー!
「あ、あれ……?」
フロントマンが首をかしげる。
「おかしいな……? あれ……?」
ぴーーーーーーーーーー!
「ちょっといつまで待たせるのよこのノロマぁ!」
「す、すみません……ちょっと上司呼んできます」
「チッ……! 早くしなさいよクズ!」
ほどなくして、ホテルの支配人がやってくる。
「お客様。こちらのカードは使用できません」
「は…………………………?」
いきなりのことで、ミサエはフリーズしてしまう。
「つ、使えない……? え、なに……どういうこと……?」
「使用期限がとっくに過ぎております」
「はぁ!? バカ言ってんじゃないわよ!」
ミサエは支配人から、カードを奪い取る。
「カードの表面! ほらここ! 使用期限がまだあと5年もあるでしょ!? 期限が切れてるわけないじゃない!」
「ええ、ですが……システム上ではそのカードは1年前にすでに、期限が切れていることになってます」
「あり得ないわよ……」
そう、ありえない。
岡谷 光彦と結婚していたときから、このカードは使っていた。
というか、つい先月、木曽川に高いプレゼントをしたときも、このカードをちゃんと使えていた。
それが、1年前にカードの期限が切れている?
バカな、あり得ない。
「そ、そっちの不具合でしょ!?」
「ではカード会社に問い合わせてみてはいかがでしょうか?」
「そうするわよ!」
ミサエは電話を借りて、カード会社に連絡する。
……ちなみに、このクレジットカードの名前は【KAIDAカード】。
親会社は、言うまでもないし、結果もまた自明である。
カードは使えない、会社に不備がないの一点張りだった。
「くそっ! なんでよ! なんでなのよぉ!」
……さて。
これでミサエは、このクレジットカードが使えない状況になった。
そして、手持ちの金でも対処できない状況にある。
つまり……。
「お客様、当ホテルの宿泊費ですが、10日分、2万5千円を支払っていただきたいのです」
「う、うう……」
25000円。
夫が居たときは、はした金だと思っていた。
デートの時に、ちょっと高い焼き肉を2人分おごったときと、同じ値段。
一食分の夕飯代(2人分。もちろん木曽川の分であり、自分が出していた)だ。
前は、なんとかなった。
だが……今は、その2万5千円が、大金であることを……知っている。
そう、岡谷は、TAKANAWAグループの会社員だった。
TAKANAWAは日本において、最大手の出版社である。
彼女は離婚するまで気づいていなかったが、岡谷は大企業に務めていたのだ。
出版業界に……というか、岡谷の仕事に興味のなかったミサエは、そのことに、気づいていなかったようだが……。
「あ、あと10日待ってちょうだい! そ、そしたら金を払うから……!」
「いえ、ダメです。払ってください」
「10日後に払うって言ってるでしょ!?」
だんっ! とフロントを叩く。
だが支配人は一切怯まない。
「これ以上拒むようでしたら、警察を呼びますよ?」
「け、警察!?」
「当たり前です。10日分、無銭宿泊したんですから」
支配人が電話に手をかけようとする。
「ま、待って! 待ちなさいよ!」
ミサエが支配人に掴みかかろうとする。
それをさっきの若いホテルマンが引き留める。
「は、放せばかっ!」
と、そのときだった。
うーうーうー……♪
バタバタバタ……!
「なっ!? け、警察!? なんで!?」
支配人がまだ通報してないのに、警察官が複数人、現場に到着したのだ。
もちろん開田 高原の権力の成せる技である。
ホテルは確かに開田グループのものでなくとも、監視カメラの管理会社は、傘下企業なのだ。
ミサエの動向は、高原に筒抜けだったのである。
「長野 ミサエさんですね。ご同行願います」
「い、いや……! ま、待って! 待ってってば! いやぁああああああ!」