18話 お嬢様、一人悩み悶える
岡谷 光彦と打ち合わせを終えた、開田 るしあ。
るしあは自分の部屋へ帰ってきた。
「…………」
恐ろしく広い和室だが、家具は西洋風であった。
天蓋つきのベッドに近づいて、ぴょん、とダイブする。
「うぅ~~~~~~~~~~~」
ぱたぱた、とるしあは手足をバタ足させる。
彼女は、凄まじく気になっていた。
「おかやっ。同棲とはどういうことだっ。あんな綺麗な女と同棲なんてっ」
今日の打ち合わせの帰り際、喫茶店で働いていた美少女が、そう言ったのだ。
詳しく尋ねようとしたが、店先ということもあって、それ以上の言及はできなかったのである。
「気になるっ。あの女、本当に同棲しているのかっ。おかやの何なのだっ。うぅ~~~~~~!」
と、そのときだった。
「失礼します、お嬢」
襖の向こうから、男の声がした。
るしあはぴょんと立ち上がり、乱れた髪と衣服を整えて、ベッドに腰掛ける。
「贄川か。入れ」
ふすまを開けて入ってきたのは、ターミネーターのような大男だ。
サングラスをかけた、筋骨隆々の男である。
「お嬢、調べてきましたよっ!」
「調べてきた……?」
るしあは顔だけで、大男の方を見る。
彼はウキウキ楽しそうな表情をしながら、るしあに近づく。
手に持っていたケースから、分厚いファイルを取り出す。
【岡谷 光彦 身辺調査結果】
「こ、これは……!」
「お嬢が気になってると思って、この【贄川 三郎】、あのあと調べてきましたっ!」
「で、でかし……いやいや! だめだー!」
ぺしん、とるしあが贄川の持っているファイルを手で払う。
「どうしてですか? お嬢、気になってるんじゃあないですか? あの女の子のこととか」
「ぐ……それは……」
三郎はファイルを取り上げると、るしあの隣に座る。
「この贄川 三郎、流子お嬢様の恋を応援したいが一心で調べて参りました」
「……なんだか楽しんでないか?」
「とんでもない! さぁお嬢、見てください。彼の住所とか、あの女の子のこと書いてありますよ~?」
「うー……ううー……いや、でも……それは……やだ」
るしあは起き上がると、ふるふると首を振る。
「こんなの、プライバシーの侵害だ。おまえも知ってるだろう? ワタシは、彼に対して、開田の権力を使いたくないんだ」
「えー。でも気になるんでしょ-? いいんですかねぇ?」
ぱらぱら、と三郎が書類をめくる。
「へぇ! こんな事実が!」
「…………」ぴくっ。
「なんと! 同棲は本当に……ええ、しかもそんな……!」
「…………」ぴくぴくっ。
るしあは、先ほど述べたとおり、自分の家の力を振りかざすことは、したくなかった。
だが三郎にあおられて、書類の中身を見たくて仕方なかった。
「さぁお嬢、欲しいものはすぐそこにありますぜ?」
「うう……」
と、そのときだ。
「三郎、何やってるのよあんた」
「げぇ……! 姉ちゃん!」
ふすまが開くと、そこには背の高いスーツ姿の女がいた。
長い髪をポニーテールにした、モデル体型の女。
贄川の姉、【贄川 一花】である。
三郎は一花の登場に、さぁ……と顔を青くする。
「いや、別に! なんもしてないよ、一花姉ちゃん!」
「あら、そ」
一花は近づいてくると、三郎の腕を持って、軽々と持ち上げる。
華麗に一本背負いを決めると、地面に倒れ臥す弟に関節技を極める。
「お嬢様、嫌がってるでしょうが」
「痛い痛い痛い! やめてって姉ちゃん!」
「ごめんなさいね、お嬢様。うちのバカ弟が勝手なマネして」
「あ、いや……うむ! 独断専行は良くなかったが、まあワタシを思っての行動だ。許してやろう」
一花は弟を解放する。
「そう……で? どうするのですか、そのファイル」
一花は調査票を指さして言う。
「いや……迷っててな」
「見ればいいのに、何をためらってるのかな、姉ちゃん?」
「三郎。あんた乙女心わかってなさ過ぎ。だからモテないのよ」
「ふぐぅ……」
贄川姉弟を横目に、るしあは考え込む。
ここには、自分の欲しい情報が入っている。
だがこれを見るのは、好きな男のプライベートを無理矢理のぞき込むような行為だ。
「どうすればいいかな……?」
「それは、我々使用人ごときが、口を出していいことではございません」
一花の言う通りだ。
こんな重大な決断を、他者に委ねるのは間違いである。
「でも一つ確かなことは、モタモタしていたら、その子に愛しの彼を取られてしまうということですよ。それは嫌でしょう?」
「……いやだ」
「なら行動しないと。せっかく相手が今フリーなのです。攻め時ではありませんか」
「そうですぜお嬢。ハーレムラノベと違って、結婚できる男は一人しかいないです。まあお嬢が望めば逆ハーなんて余裕だろうけど……げふっ」
一花が倒れ臥す三郎の背中を踏みつける。
「ではこうするのはどうでしょう? 私が岡谷様の家まで、お嬢様を連れて行くというのは」
「? どういうことだ?」
「ほら、今日打ち合わせで原稿に修正が入ったのでしょう? なら修正原稿を岡谷様の家まで、お嬢様が持っていくのです」
「なるほど。あれ? でもさ姉ちゃん、原稿はファックスすることになってるよ」
「ファックスが壊れたからとかなんとか理由をこじつけて、家に行けばいいのです。住所は上司に聞いた、とでもすればどうとでもなるかと」
「「な、なるほど……!」」
三郎とるしあが感心したようにうなずく。
「つまりです、お嬢様は身辺調査票の中身を見ない。住所を知っている私がお嬢様を岡谷様のお家に連れて行く。そこでお嬢様は、聞きたいことを、本人達に聞けばいいのです」
「そっか、それならお嬢が気にしてる、プライバシーの侵害にもならないもんね。さすが姉ちゃん!」
一花の提案は、妥当なもの、かつ現実的であった。
だがそれでもるしあは躊躇してしまう。
ようするに、好きな男の家に、単身で乗りこむということ。
恥ずかしいのももちろん、急に行って相手に迷惑なのではないか、と考えてしまう。
「お嬢様」
一花がるしあの手を握る。
「どうか、悔いのない選択をしてください」
「そうだぜお嬢! ここで逃げたらあとで絶対後悔しますぜ!」
……二人の言うとおりだ。
ここで逃げて、愛する岡谷を取られたら……一生後悔する。
「一花、三郎。ワタシは……岡谷の家に行く」
贄川姉弟は笑顔になると、うなずく。
「よっしゃ! じゃあおれ、ちょっくらファックスぶっ壊してくる!」
「本当に壊す必要ないわよ、バカね」
るしあは学習机の前に座り、原稿用紙を取り出す。
すっ……と一花が、新しい原稿用紙の束を置く。
「食事はこちらで取りますでしょう? あとでサンドイッチでも持ってきますね」
「ああ、助かる。あ……そうだ。今日お爺さまがお夕食に来る……。一緒に食べないと……」
「そちらも、私の方でなんとかしておきますので、お嬢様は早く原稿を仕上げてください」
るしあは贄川姉を見上げて、笑顔を向ける。
「ありがとう、一花。それに三郎も」
「いいってこった! お嬢のためだもん!」
「気にしないでください。ではお嬢様、がんばって」
贄川姉弟が部屋を出て行く。
「姉ちゃん美人で気遣い上手なのに、なんで結婚できないの? あ、そっか筋肉ゴリラだからか……ふぎゅう!」
「誰が女ボブサップだ? あ?」
「……い、言ってない、よ」
腹パンをきめた一花は、弟の首根っこを掴んで、部屋の外へ出て行った。
静かになった部屋でひとり、るしあは目を閉じる。
パンッ、と頬を叩くと、気合いを入れる。
「よしっ! 待ってろ、おかや!」
……その後、るしあは3日という、驚異的なスピードで原稿を仕上げた。
それを持って、岡谷の家に乗りこむことになる。