15話 るしあ先生と打ち合わせ
俺が双子JKと同居しだしてから、そこそこ経過した。
七月下旬。朝。
俺は洗面所で身支度を調えている。
「……あ、せんせぇ」
黒髪の美少女、双子姉の菜々子が、洗面所に入ってきた。
寝起きらしく、薄手の可愛らしいパジャマを身につけている。
「菜々子。おはよう」
俺が挨拶すると、菜々子は実に嬉しそうに、ふにゃふにゃと微笑む。
「……おはようございます。なんだか……ふふっ、新婚夫婦みたいですっ」
菜々子は17歳。高校生だ。
彼女は俺が、仮に保護している立場にある。
「そういうのは、気になる男に言ってやれ」
一転して、菜々子が不機嫌そうに、唇を尖らせる。
そして小さくつぶやく。
「……だからこうして、言ってるのに……」
「クラスに居ないのか、気になる男子……」
「いません!」
「……そ、そうか」
ふんす、と菜々子が鼻息荒く言う。
「せんせえ、私、一途なんです。気になる男子なんていません。付き合ったことさえないです」
「そうか、意外だな。モテるだろ、おまえ」
「……まあ、多少は。で、でも、全部断ってます! ほかに気になる、素敵な男性が、す、すぐそばに居るからと!」
顔を真っ赤にしながら、俺の目を真っ直ぐに見て言う。
……俺、のことか?
だとしても……この子の好意を、俺をそのまま受け取ることはできない。
どうにも、幼少期の憧れを、菜々子はそのまま引きずっている傾向にある。
子供の頃に感じた、年上の男への信頼を、好意とはき違えてしまうのはままある。
だが……それは【麻疹】のようなものだ。
誰だって一度は通る道だし……人として成長していくうちに、忘れていくもの。
そこをチャンスとつけ込むのは、不誠実だし、この子の人生を踏みにじる最低の行為だ。
……ようするに。
「そうか。良かったな、好きなヤツが、よそに居て」
俺はポンッ、と菜々子の頭をなでて、外に出る。
彼女の思いに、気づかないふりをする。
俺はあくまでも、彼女の親の代わりに、保護してる立場である。
保護者の立場として接する。
「……せんせえ、やさしいです」
菜々子は思いをスルーされたというのに、微笑んでいた。
「……あかりが、言ってました。岡谷さんは、保護者としての立場で接してくるって。それは、私たちを思ってのことだって」
「……まったく、あいつはすぐに言うな」
妹のあかりは、察しの良い子だ。
だがそれを姉に伝えるのは、遠慮して欲しいものである。
「バイトから帰ってきたら、是非言ってあげてください」
「あ、そうか。あかり……バイトか」
双子妹のあかりは、前からずっとバイトしていたらしい。
同居のゴタゴタで休止していたが、夏になって本格的に再スタートしたのだそうだ。
「せんせえも、これからお仕事ですよね?」
「ああ。13時から、るしあ先生と駅前のカフェで打ち合わせだ」
「駅前のカフェ……」
「? どうした?」
「あ、いえ。なんでもないです。あかりにどこでバイトしてるかは言うなって釘さされてるので……あ、え、っと……」
あわあわ、と菜々子が慌てる。
そういえばあかりのバイト先は知らないな。
飲食店とは言っていたが。
まさかこれから打ち合わせに行くカフェではあるまい。
「と、とにかく、い、いってらっしゃい!」
俺は玄関に立つ。
菜々子が笑顔で、俺を見送ってくれる。
「ああ、いってきます」
俺は外に出る。
刺すような日差しが、肌を焼く。
どこかで蝉の音が響いている。
「あっつ……」
こんな暑い日の仕事なんて、憂鬱で仕方なかった。
でも……今は、全然辛く感じない。
職場を変えたから、ということももちろんある……。
だが……。
「いってらっしゃい、か……」
あんなふうに、俺を送り出して、そして、家で待っててくれる存在。
彼女たちが俺に、活力を入れてくれている。
「あいつらに感謝だな……さて、がんばろ」
★
俺がやってきたのは、駅前にあるカフェだ。
ここはミサエに離婚届を書かせた喫茶店である。
……まあ、それはどうでもいい。
窓際の席に、1人の上品そうな雰囲気を纏う少女がいた。
赤い着物に、真っ白な髪の毛。
日本人形のように美しい少女。
彼女が、俺の担当作家。
開田 るしあ先生だ。
「先生、おまたせしました」
「お、おかやっ! そ、その……お、おはよう!」
るしあ先生の真っ白な肌が、いつも以上に赤い。
頬を朱に染めて、きょろきょろ……ちらちら……と目線がこちらに来たり来なかったりする。
「遅れてしまい大変申し訳ございませんでした」
「な、何を言う! 打ち合わせは13時からで、今は12時30分。こちらが30分も早くついたのが悪い。君は時間通りで、まったく悪くない」
「それでも待たせたことにほかなりません。申し訳ございませんでした」
俺は頭を下げて謝る。
ぽーっ、とるしあ先生が頬を赤くし、何か考えているようだった。
「……やっぱり、素敵だ」
「はい?」
「な、なんでもないっ。うん、何でもないんだ」
るしあ先生は飲み物を既に買っているようだった。
「なにか軽食でも注文してきますか?」
「いや、大丈夫だ。これから打ち合わせ……仕事だからな。食事など」
ぐぅ~~~~~~~~………………。
「…………」
かぁ……とるしあ先生が顔を赤くしてうつむく。
「私も昼飯まだなので、2人分買ってきますね」
「す、すまない……ワタシも、ちょっと今朝はバタバタしてて、食事する暇がなかったのだ」
「わかりました。では少々お待ちください」
俺はレジカウンターへ向かう。
「いらっしゃいまー……………………あ、お、おかりん……」
「あかり」
そこにいたのは、双子妹、金髪ギャルのあかりだった。
「な、なんでここに……?」
「それは俺のセリフだ」
「あたしは、その……」
まあ、受付で注文を取っているのだ、ここでバイトしているのだろう。
「仕事の邪魔してすまんな」
「ふぇ……?」
「知り合いがバイト先に来たら迷惑だろう。だが先客がもう座ってるんだ。少し邪魔するぞ」
きょとん……と目を点にするあかり。
だが、すぐに微笑む。
「やっぱおかりんって、優しいよね。うん、大好きだ」
あかりは真っ直ぐに俺を見て、笑う。
「いらっしゃいませー。ご注文はお決まりでしょうか?」
あかりがすぐに仕事モードに切り替える。
俺は彼女の仕事の邪魔をしないよう、最低限の会話を心がける。
「ご注文は以上ですね。では、隣のカウンターでお待ちください」
俺は金を払って横にずれる。
カウンターで接客する彼女を、ちょっと離れた場所で見ている。
「いらっしゃいませー!」
……あかるい笑顔とキャラで、同僚からも、そして客からも好かれているようだ。
まあ彼女は昔から、人付き合いは上手かったからな。
あいつとは塾講師バイト時代に、教えたことがある。
そのときから、塾の連中と上手くやっていた。
「おまたせしましたー!」
あかりがトレーに、俺の注文した物を持って近づいてくる。
トレーを受け取ると、彼女が俺の耳元に口を近づける。
「……お仕事がんばっ、おかりん」
俺から顔を離すと、小さく手を振る。
「おまえも頑張れよ」
嬉しそうに笑うと、カウンターへと戻っていった。
おれがトレーを持って戻ると……。
「るしあ先生?」
「…………」ぶすー。
……なぜだろうか、るしあ先生が不機嫌そうに顔をしかめている。
「どうしました?」
「……随分と、あの可愛い店員と、仲が良いみたいじゃないか」
若干苛ついてるのか、指でテーブルをとんとんとつついている。
「ああ……」
まあ同居のことは伏せておこう。面倒だしな。
「昔からの知り合いの子なんです」
塾講師時代(10年前)からの知り合いであり、教え子でもあるから、嘘ではない。
「そ、そうかっ……そうか……うん、よかった」
ほぉ~……となぜか吐息をつく。
だがすぐに顔を振って言う。
「スマナイ、感情的になってしまった」
感情的、だったか……?
まあ普段から良い子の彼女にしては、苛ついてる姿や、動揺してるような姿は珍しかったがな。
「いえ、先に食べてから、打ち合わせしましょうか」
「そうだな。いただこう」
俺たちはサンドイッチをつまみながら、他愛ない会話をする。
「今日から夏休みですね。先生の学校は、もう休みですか?」
このるしあ先生、現役の高校生なのだ。
年齢は18歳。
都内の女子校に通っている。
「ああ。もう夏休みになった。毎日暇でな」
「そうなのですか。18っていえば、受験で忙しいのかなと思ってましたが」
「通っている学校は、大学までエスカレーター式でいけるのだよ。特に受験勉強は不要だ」
るしあ先生は上品にサンドイッチを口に含む。
家も金持ちなのだろうな、所作に品がある。
「そういえば先生のご両親って、何の仕事をしてるんですか?」
「ゲホッ……!」
ごほっ、ごほっ、とるしあ先生が咳き込む。
「だ、大丈夫ですかっ?」
どうやらむせたらしく、顔を赤くしている。
俺はるしあ先生の背中を叩く。
そして、アイスコーヒーを目の前に出す。
彼女は慌ててそれを飲み干すと……ほっ、と息をつく。
「すみませんでした、びっくりさせてしまい」
「い、いや……おかやが気にすることではない。ワタシの問題だから、うん……」
ふぅ……ふぅ……とるしあが深呼吸する。
俺は席に座る。
「聞きにくいこと聞いてすみませんでした。ただ、聞いたことなかったので、興味本位で」
「あ、いや……その……うん。お、親は……その……」
るしあ先生は目を閉じて、首をひねり、やがて……。
「こ、個人事業主……かな?」
「ああ、なるほど、お店とかやってるんですね」
「み、店……う、うん。そうだ! うん、店もやってるな」
「も?」
るしあ先生は頭を抱えて悶えていた。
だがすぐに顔を上げて言う。
「し、仕事の話、しようか! うん、今日は仕事をしに来たんだからな!」
「? そうですね」
しかし……しまったな。
思春期の女子に、家族の話題を触れるのはデリカシーにかけていたかな。
反省せねば。
「……よかった。ごまかせた。ふぅ……ん?」
るしあ先生が、自分のグラスを手に取って、ふと気づく。
「あ、え……あ……わ、ワタシの……グラス……」
「え?」
るしあ先生のアイスコーヒーは、満杯に入っている。
一方で、俺のグラスはカラになっていた。
「あ、あれ……? じゃ、じゃあ……さっきい、ワタシが飲んだのって……まさか……」
「あー……すみません。私のコーヒーみたいでしたね。とっさだったので、間違えてしまいました」
「~~~~~~~~~~!」
かぁ……とるしあ先生の顔……というか、首筋まで真っ赤になる。
「こ、これって……か、かか、かんせ……間接……」
「え?」
「お、おかやっ! あ、新しいコーヒー! 買ってくるのだ! 今すぐに!」
「あ、はい。そうですね。ちょっといってきます」
俺は席を離れて、カウンターへ行く。
受付には、あかりが立っている。
「すみません、アイスコーヒーをください」
「…………」
あかりは、唇を尖らせて、俺を見ている。
「あかり?」
「……随分楽しく仕事してるみたいだね、おかりん」
ジッ……とどこか非難するような目で俺を見てくる。
どうやらここから、俺たちの席の様子を見ていたようだ。
「おまえ、バイト中によそ見はよくないぞ」
「そういうこと言ってほしいんじゃないの!」
「? 何言ってるんだおまえ」
「だからぁ! もうっ、おかりんはもっと、乙女心わかってよ! もー!」
よくわからんが、あかりは不機嫌そうにそう言うのだった。