123話 王子の婚約
12月上旬。今日は久しぶりに、ラノベ作家白馬王子と打ち合せすることになっていた。
青山にあるカフェへと向かう。
王子とはよくそこで打ち合せをしているのだ。
外の席で待っていると、やがて王子がやってくる。
「やあ、我が友」
「ああ。久しぶりだな」
「といっても、メールで何度もやりとりをしているだろう?」
「そうだな。だが、対面での打ち合せは久しぶりだな」
「そうだね。大学の頃は毎日顔を合わせていた私たちにとって、二週間会わないのは久しぶりになるね」
王子はこのあいだ新作を出した。
スーパードクターXX。一般文芸寄りの作品で、これが特大のヒットをかました。
「また重版したよ。まだ発売して数ヶ月も経ってないのに、これでもう20刷りだ。驚異のヒットだよ」
「…………」
「王子?」
彼は微笑んでいた。そして、俺に向かって深々と頭を下げてくる。
「ありがとう。この本がヒットしたのは、君のおかげだ。光彦」
……王子は、謙虚なやつだ。これだけヒットを出しても、それは自分の手柄だと決して自慢しない。
彼の書いてきた作品、全てアニメ化しているし、かなり売れている(トップのカミマツ先生には及ばないにしても)。
ラベノ作家としてかなり立場が上にいるのだが、いつも読者に、そして……編集である俺に感謝してくれる。
「XXはおまえが頑張ったおかげだろう」
「いや、君のアドバイスのおかげだ。私一人では神に勝てなかったよ」
神とは、カミマツ先生のことだ。
彼は現在、デジマス、僕心という超絶特大ヒット作を抱えている。
そんな彼がうちで出したラブコメの刷り部数を、XXが越えたのである。
「ようやく……神に一歩近づいた」
王子は手をぎゅっとにぎりしめ、感慨深そうにつぶやく。
声が震え、その瞳から涙がこぼれ落ちる。……王子は、決して人前で涙を見せることはない。
特に、作品に関することについては。
でも……俺にだけは、こうして感情を見せてくれる。編集者だからか、俺が彼の友だからか。それはわからない。
「おまえも十分神だよ」
「ありがとう。でも、まだまださ。カミマツ先生の作品全てに勝ったわけではない」
「そうだな。デジマスは特に越えるのは難しいだろう」
王子はまだまだ、ラノベ作家として上を目指してるようだ。
「次回作は、必ず越えようぜ。神を」
「そうだね……ただ、少し時間がほしいんだ」
……時間?
「どうした?」
「まだこれは、この段階では、誰にも言ってないことだ。君に一番に言いたかったことなのだよ」
王子が微笑みながら、言う。
「私は、結婚することにした」
……その言葉を、俺はすぐに飲み込めなかった。
結婚……? 結婚だって。
誰と? いや、誰ととかそんなのは後でいい。まずは……
「おめでとう」
編集者ではなく、友人として、俺は王子に祝福の言葉を贈ることにした。
俺にとって王子は、仕事仲間であると同時に、友達だ。
ずっと彼が頑張る姿を見てきた。神に挑み、負け、また戦いを挑む……。
彼は何かに取り憑かれたかのように、作品を作っていた。
彼がずっとずっと頑張ってきた。そんな姿を知っているから……。
王子が、幸せになるのが……なにより……。
「わ、我が友? な、泣くことはないだろう?」
「え……? ああ……泣いてるのか、俺」
頬に手を置くと、たしかに涙が流れていた。
俺は自分が思っている以上に、友人の結婚が嬉しかったのだろう。
妻に浮気されてから、壊れかけていた心。
感情がバグっていた俺でも……人の成功を喜び、涙する感情はまだ、生きてるようだ。いや、回復した、といえるのかもしれない。
「ありがとう、君にそんな風に喜んでもらえるのが、嬉しいよ」
「王子……?」
嬉しいという割りに、彼は少しさみしそうだった。
「どうした?」
「いや……なんでもない。なんでもないよ。君は……知らなくていいことだ」
……?
まあ、王子がそう言うならそれ以上は深く追求しないことにしよう。
「そうか。結婚か。相手は?」
「私の幼馴染さ。こないだ同窓会があってね。それ以降、交際を続けていたのだよ」
ああ、だから最近連絡がご無沙汰だった訳か。
王子のラインも知ってるが。最近とんと連絡がこなかったのだ。
なるほど、プライベートの時間を優先させていたのだろう。
そして、先ほどの言葉を加味すると……。
「結婚するから、少し仕事にかける時間を、減らしたいんだな?」
「さすが、我が友だ。そのとおりだよ」
王子のXXはめちゃくちゃ売れている。
世間からの注目度も高い。ここで、新作を出すべきだろうとは思う。普通なら。売れている作家の売れてる作品は、売れるときに売れ。
前職場のTAKANAWAでは、そう編集者達に、上司達が言っていた。
でも……。
「もちろん。プライベートを大切にしてくれ」
「……いいのかい? 私のわがままを聞いてもらって」
「何言ってんだ。そんなのわがままでもなんでもない。当然のことだ。自分の時間を、大切にしてくれ」
「でも……上はなんていうだろうか? もっと書かせろと言ってくるのでは?」
「そんなの、おまえが気にすることはない」
それに上松さんはいい人だ。
話せばわかってくれる人だし、作家を大事にするひとが今社長をやってる。だから本当に大丈夫だ。
「おまえは、自分の幸せを優先させてくれ。次回作は書きたくなったらでいいし、それに……おまえのファンはいつ本を出そうが、買ってくれるよ。大丈夫、白馬王子の作品は、ファンの心を掴んで離さないだけの力がある。何年経っても、おまえが書いて出せば、ファンは喜んでおまえにお帰りって言ってくれるよ」
王子は、手で顔を覆った。
そしてすすり泣く。俺は彼が泣き止むまで待った。やがて、王子は顔を上げて……。
「ありがとう。私は、君がパートナーで、本当に良かったよ」
と言ってくれた。編集者としても、友達としても、その言葉が聞けて、俺は満足だった。