12話 財閥令嬢な作家を怒らせる【浮気相手】
岡谷 光彦の元いたレーベル、TAKANAWAブックス。
そこの編集者にして、岡谷の妻と浮気していた男……木曽川 楠男。
木曽川は担当作家であり、業界ナンバー3のラノベ作家、【開田 るしあ】の家へ向かう。
突然、るしあから、レーベルでは書かないと言われたからだ……。
「な、なんだここ……? でけぇ……」
木曽川が居るのは、都内の一等地。
そこに凄まじい大きさの、古風な豪邸があった。
「こんなデケえ家……ドラマとかでしかみたことねーよ……」
入り口には【開田】の表札が書かれている。
ここが開田 るしあの自宅に相違ない。
ちなみになぜ木曽川が自宅に来れたのか。
作家は出版社と契約を交わす際に、契約書に実名と住所を記載するからだ。
岡谷からるしあの担当を引き継いだので、自宅を知っているのである。
「と、とにかく会って話ししねーと!」
木曽川は自宅に乗りこもうとする。
だが……。
「バウバウバウバウ!」
「ひぃい! な、なんだこいつらぁ……!」
庭に一歩足を踏み入れた瞬間、複数の大型犬が襲いかかってきたのだ。
ドーベルマン、マスチフ、土佐犬、秋田犬等々……。
大きく、かつ気性の荒い犬たちが木曽川に飛びかかってきたのである。
「痛い! やめ……! いってえなこんちくしょう! やめろ! やめろぉお!」
じゃれているのではない。
侵入者である木曽川を見て、敵だと判別したのだ。
木曽川は手足を咬まれ、のしかかられ……散々な思いをする。
「くっそ! 畜生の分際でなめてんじゃねえぞごらぁ!」
近くに居た秋田犬の頭を、がんっ! と脚で蹴る。
「ギャンッ!」
「へっ! 舐めてんじゃねえぞクソ犬!」
秋田犬はふらふらと立ち上がると、邸宅の方へと走って戻っていった。
そのほかの犬たちはうなり声をあげながら、木曽川をにらみつけてきた。
「まじなんなんだよ……ここ……」
とそのときだった。
「どちら様でしょうか?」
黒服を着た、屈強な男が近づいてきた。
一目見て、堅気の人間ではないと気づく。
サングラスをかけている。
ボディビルダーと見まがう体型で、スーツを着ている。
ここの家の人間だろう。助かった。
「あ、さーせん! おれ、TAKANAWAブックス編集部の木曽川っす! 開田 るしあ先生に会いに来ました!」
「お嬢に……?」
お嬢? だれのことだ……?
文脈的にるしあのことだろう。
屈強なボディガード、武家のようなお屋敷、そしてお嬢……。
るしあとは、何者だろうか。
「申し訳ないですが、木曽川様。お嬢の元にあなたを通すわけには行きません」
「は? え、なんでっすか?」
「お嬢から言われてるんです。あなたを決して通すなと」
「はぁ!? い、いやいや! なんすか! おれ、るしあ先生の担当編集っすよ!」
「申し訳ございませんが、お帰りください」
なぜるしあが自分を遠ざけるようなことをするのだろうか。
それはわからない。
ただ、ここで引き下がるわけにはいかなかった。
「そこをお願いしますよ! るしあ先生にはうちで書いてもらわないと困るんす! 会社が!」
……会社が、ではなく、単に自分が困るだけだ。
自分のミスで、業界トップクラスのラノベ作家が、TAKANAWAで書いてくれなくなる……。
木曽川が責任を負う羽目になるのは明白だ。
「お願いしますよ!」
「お帰りください」
「この……!」
ぐいっ、と木曽川は男を押しのけて、屋敷の中へ入ろうとする。
だが……視界が反転した。
「へ……? ふぎゃっ!」
いつの間にか、木曽川は空中に舞っていた。
そして地面に倒れ臥す。
「いっつぅ~……」
振り返ると、大男が構えを取っていた。
恐らくは武道か何かをたしなんでおり、その技を使って、放り投げられたのだと気づく。
男は木曽川の腕を取って、関節技を決める。
「いてててて! いたいって! 腕折れるってこれ!」
「これ以上の狼藉を働くのなら、腕の一本はやむなしかと」
ぎり……!
「いてええ! やめて! 痛いってばああああ!」
と、そのときだった。
「贄川、止めろ」
女の子の声がどこからかした。
ぱっ……と贄川と呼ばれた大男が、木曽川からどく。
「いってええ……まじ肩はずれた……ちょーいてええ……」
木曽川は地べたに這いつくばりながら、近づいてきた女の子を見やる。
そこにいたのは……。
高そうな着物に身を包んだ、幼い女の子だった。
年齢は、10代前半……いや、10歳くらいだろうか。
鳳の帯に、真っ赤な和装。
特徴的なのは、真っ白な髪の毛と、真っ赤な目だ。
アルビノというやつだろう。
「おまえが木曽川か?」
冷ややかな口調で女の子が言う。
「あ、ああ……なんだよおまえ?」
ぴくっ、と女の子のこめかみに血管が浮く。
「……担当編集のくせに、作家の顔も知らないのか?」
「え……? え!? ま、まさかこのガキ……あ、いや……あなたは……?」
贄川が少女の後ろに立って言う。
「【開田グループ】のご令嬢、開田 るしあ様だ」
「は…………………………? か、開田グループの、ご令嬢!?」
開田グループ。
それは元、日本の三大財閥の一つだった、【開田財閥】が、財閥解体後にグループ化したものである。
今なお開田グループは、日本の政治・経済に大きな影響力を持つ巨大企業であった。
(そ、そんな財閥のご令嬢が、なんでラノベ作家なんてやってるんだよ!? やる必要ないだろ……! 金持ってるんだから!)
だが……。
(いや、これチャンスじゃね? 財閥令嬢に気に入られたら、おれ金持ちコースでウハウハじゃーん! げひひひっ!)
欲で目がくらんだからか……。
木曽川は、気づいていない。
るしあの目に、怒りの炎が浮かんでいることを。
「い、いやぁ……! ごめんなさいるしあ先生!」
ヘラヘラと気色の悪い笑みを浮かべながら、木曽川が言う。
「初めてお会いしましたねぇ! おれ、木曽川ですぅ! アイサツが遅れて申し訳ありません先生! いやしかしお美しいですねぇ!」
木曽川がにじり寄ろうとする。
彼は、性格がゴミだが、顔だけは整っている。
どんな女も、この甘いマスクで迫れば、一発で惚れるに決まっている。
そうやってミサエや十二兼編集など、多くの女を落としてきた。
このるしあも所詮は女、自分の顔があれば……。
「先生は素晴らしいですね! 財閥のご令嬢で、こんなにもお美しく! おまけに天才作家だなんて!」
ぴくっ、とるしあが最後の言葉に、過剰に反応する。
ぎり……と歯がみしていることに、木曽川は気づかない。
「よっ、さすが天才美少女作家! TAKANAWAの、いや、ラノベ業界の未来を」
「贄川」
「御意」
贄川は木曽川に近づくと、その顔面を、思い切り殴り飛ばした。
「ぶべぇえええええええええええ!」
恐るべき膂力であった。
60kgを超える人間が、まるでボールのように宙を舞って、そして地面に激突する。
「が……な……? は……?」
ナニヲされたのか、わからない。
ただ……。
「! お、おれの顔が……自慢の顔がぁ……!」
殴られた右の顔面が、凹んでいた。
懐から手鏡を取り出してみると、拳の形で凹んでいた。
なんてパワーだ……じゃなくて。
ご自慢の顔が、殴られたことで変形していたのだ。
「な、なにしてくれちゃってんの!?」
「贄川。あの野良犬を黙らせろ」
ぽきぽき……と指を鳴らしながら、大男が近づいてくる。
「ぼ、暴力反対! そ、それ以上近づいてみろぉ、け、警察呼んでやるからなぁ……!」
だが……るしあは冷ややかに見下ろしながら言う。
「呼んでみるが良い」
「へ……?」
「警察を呼んでみるといい。贄川、手を出すな」
すっ、と贄川が拳を収める。
困惑する木曽川をよそに、るしあが言う。
「ほらどうした? 警察を呼ぶんだろう」
木曽川は、少女から発せられる底知れぬオーラに気おされる。
「あ、ああ……! 呼んでやるよ! 暴力事件だってな!」
木曽川は110番通報をする。
しかし……。
「つ、繋がらない!? なんでだよ! 110番通報だぞ!? なんで!?」
コール音はなっている。電波も通じている。
なのに、いくらかけても、警察に繋がらないのだ。
「開田グループの影響力を、舐めない方が良いですよ、あんた」
贄川の言葉に、木曽川が戦慄を覚える。
「け、警察にまで影響力があるのか……!?」
「それほどまでに、開田グループはこの日本において強い権力を持つのです。そして……あんたは現当主、【開田 高原】の孫娘、【開田 るしあ】を怒らせた……それがどういうことか、そのチンケな脳みそでも理解できました?」
警察にまで口を出せる権力を持つ。
そんな財閥の令嬢の、虎の尾を、木曽川が踏んでいる……。
「な、なんでですか!? おれ、何かやっちゃいましたか!?」
るしあは指を3本立てる。
「おまえは、3つ、ワタシの不興を買うことをした。1つは、ワタシの大事な友達を蹴飛ばした」
「友達……?」
るしあの隣には、秋田犬がお行儀良く座っている。
「い、犬のこと……?」
犬が友達なんて……と、かなりさげすみを込めたニュアンスで、つい口を滑らせてしまう。
それがるしあを更に怒らせた。
「2つめは、ワタシの作品を馬鹿にしたこと」
「さ、作品をバカになんてしてませんよ!」
「おまえは、せんもしの最終巻の原稿……一度だって中身を読んだか」
「あ……」
……読んでいない。
「せんもし最終巻は、【おかや】と一緒に作り上げた最高の原稿。完璧にしあげた原稿で、一分の隙もないものではあったが……しかし誤字の修正や、内容についてもまったく触れてこないし、そのうえ感想すら言ってこなかったな、おまえ」
……そのとおり。
るしあの原稿は、岡谷が完成させていた。
だから、木曽川はそれをただ本にしただけ。原稿になど興味がない。
せんもしは、金を産むコンテンツとしか思っていないので、内容なんてどうでもよかった。
そんな浅ましい感情が、るしあには伝わっていたのだ。
「3つめ。これが……最も度し難い」
ふるふる……とるしあが体を震わせる。
「おまえは……ワタシの大事な人を、傷つけ、追い出した」
「ざ、財閥令嬢のあなたの、大事な人なんて傷つけてないっすよぉ!」
一体誰だ!?
旧財閥のご令嬢が、大事にしている人なんて、そもそも知り合いにいないのに!?
と木曽川が大混乱を起こす一方で、るしあは言う。
「おまえは、おかやを傷つけた。るしあの……2番目に、大事な人を」
「お、岡谷……? え、あ、あの窓際編集の!? 岡谷 光彦!?」
なぜ岡谷の名前が出てくるのだろうか? 訳がわからない木曽川である。
「岡谷は……ワタシのこと、財閥令嬢とか、お爺さま……【開田 高原】の孫娘とかじゃなくて……一作家として、リスペクトを持って接してくれた」
静かなる怒りが、小さな体からあふれ出る。
木曽川は完全に圧倒されていた。
「ワタシは、おかやを尊敬していた。これからも一緒に作品を作っていきたかった。……なのに、おまえが、おかやを奪った!」
さほど大きな声でなかった。
だが……発せられる怒りのオーラに触れて、木曽川は……みっともなく小便を漏らしてしまう。
「消え失せろ、クズ。ワタシはもうTAKANAWAで仕事をしない。それと……お爺さまには、今回のことを報告しておく。震えて眠るが良い」
話は以上だ、とばかりに、秋田犬を連れてるしあが去って行く。
日本経済、そして警察組織にまで影響力を持つ巨大企業のトップに……。
今回の木曽川の愚かな行いが耳に入る。
それが……どういうことか?
「ま、待ってくれ! お願いだ! ゆるして! あやまるからぁ!」
「おまえの謝罪などいらん。おかやがいなくなったのはおまえのせい。それは純然たる、かつ変わらぬ事実だ。……覚えておけよ」
るしあは振り返ることなく去って行く。
「ま、待って! 待ってよぉ! ぐぇ……!」
すがりつこうとした木曽川を、贄川がつかんで、一本背負いをする。
「申し訳ない。お引き取り願います。……これ以上近づこうとするなら……」
すっ、と贄川が懐に手を入れる。
「け、拳銃!? ひぃいいいいいい!」
木曽川は泣きわめきながら逃げていく。
贄川の懐から出てきたのは……携帯電話だった。
「もしもし兄貴? うん……今仕事中。うん……こっちのお嬢は元気だよ。アリッサお嬢は……そっか。うん、またね兄貴」
単に家族から電話が掛かってきて、通話していただけだった。
さて……木曽川はというと……
「くそ! くそ! なんだよ! なんなんだよ!」
泣きながら退散していく。
だが……彼は知らない。
虎の尾どころではなく、竜の逆鱗に触れてしまったことを……。
日本経済に影響力を持つ、財閥令嬢作家の怒りを買ったことで……。
自分自身だけではなく、会社にすら……不幸を呼ぶ羽目になることを……。