幼虫のまま
それは、虫と呼ぶにはあまりにも醜すぎた。体に油を纏って嫌にてかてかしていて、太ももに体をぐるりと巻き付けられるほど大きい。振りほどこうとすると太ももをぎっちりと掴んで離れようとしなかった。
私はそれを確かに疎ましく思っているのに、ぼうっとそれを観察していた。徐々にそれの頭が人の顔のように変わってきても尚、観察をやめなかった。
今朝は、シーツ無しで寝たのがいけなかったのか、体がべたついていた。仕方なく、アイロンがけされたTシャツに着替えて、母が作り置きした朝食を食べた。
今日は土曜日だし、どこかに出かけようか。昨日母に勝手に外出したことを怒られたばかりだというのに、そんなことすっかり忘れて、呑気に行き先を考える。まあ、今日ぐらいは別にそんなこと気にしなくてもいいだろう。
公園は随分暑かった。自販機で適当にジュースを買うと、日陰にあるベンチに座ることにした。こんなにも暑い日だというのに、子供は帽子も被らずに走り回って、それを母親がヒヤヒヤしながら見守っていた。たまに蝉の声に混じって、泣き声や、興奮した甲高い叫び声が聞こえ、その度にジュースを一口飲んだ。
母と私にも、こんな時期があったのだろう。十数年も前の事だからもうほとんど覚えてはいないけれど。昔のことを思い出したからか、それとも脱水症状なのか、頭がじんじんと痛み出した。時計を見やると、もう十二に差し掛かって、我慢できないほどの暑さになってきた。
仕方なく今度は安い水を買って、それを一気に飲み干した。「ゔぅ」と喉から声が漏れ出て、一瞬、茶髪で、袖のない無地のワンピースを着た女性がこちらを見たが、曖昧に会釈をすると困惑した表情のままどこかへ行ってしまった。
帰ってきた時、家はしん、と静まり返っていた。この空気の度に母が帰ってきていないことが分かって、いつもウキウキしてしまうのだ。
玄関には黒いパンプスが2つきちんと並んでいて、私はそれをスニーカーで蹴散らした。
朝食の皿は片付けられていないし、昨日食べたお菓子の袋も部屋に散乱している。どうしようもなく嬉しくなった私は、思い切って部屋の奥にある母のメイクポーチを開けた。後ろから怒鳴り声は飛んでこない。リップを取り出し、震える手で唇に塗る。部屋は静かだ。鏡に映し出されたのは、唇だけ真っ赤になり、他は蒼白な、滑稽な女の顔だった。すごく可笑しくて、噎せながらも笑いが止まらなかった。
ふと、母にこれを見せに行こうと思った。
駆け足で風呂場にいき、ガラガラと扉を引く。
「おかあさん!これみて!」
風呂の蓋を開けると、母がいた。
頭だけ出して体はシーツでぐるぐる巻きにされている。相変わらず顔は艶やかで頬もほんのりと色づいて美しい。それなのに、他は土気色で、足先や指先が出ているのを見つける度入れ込んだ。
それはまるで、完璧な幼虫のようだった。




