愚者
それは天球儀が起動する少し前、未だ混乱極まる城下にて二人の騎士が避難所である教会の前に陣取っている。
生存者が多数避難している教会を背に、二人の目の前には別々の人間の身体を繋ぎ合わせた姿の、ただうめき声を上げながら正者を食らうことしか頭にない動く死者が30を超す群れを成して正者の気配に吸い寄せられている。
「次から次へと、鬱陶しい事この上無いな」
「確かに。だけど流石に目減りしてきましたね」
「まぁ、お互い100は切ったからな。これで減ってくれなければ困るという物だ」
足元に散り広がる地獄とも思える程の多くの死体が、二人が今の今まで戦い続けた証。更に二人は身体中に返り血を浴び、赤く染まっていない場所を探すほうが難しい位だ。
その中でも一層返り血が酷い、赤髪赤目の女騎士スーリア・ベルファスト・ローテリアは特徴的な刀身の刀に着いた返り血を払いながら鞘に納めつつ、右足を前に出し飛び出す直前の様な前傾姿勢を取る。
「一刀。白刃一閃」
前傾姿勢のまま居合の型を取った彼女が一つ息を吐いたその刹那、彼女の姿がブレる。
血が滴る剣を振りぬいた彼女が、剣を抜く瞬間は見えなかった。見えないほどの神速の居合切りは、目の前の化け物5体の首を綺麗に両断する。
浅く息を吐く彼女からすれば、この程度の数と化け物なら剣の一振りで倒せるのだろう。
スーリアの一閃を皮切りに、化け物たちもうめき声を上げて間合いを詰める。
多少の疲れに、面倒くさそうに顔を顰めたスーリアは剣を鞘に納めつつもう一人の金髪碧眼の騎士、アレックスの横に並んだ。
「面倒だ。勇者、お前の魔法で一掃しろ」
「俺だって魔力に余裕がある訳ではないんですが」
「適材適所だろ?」
「……まぁ良いですけど」
肩をつつかれてアレックスは不承不承に前に出る。
ゆっくりと魔力を練りながら歩く彼の周りに、バチバチと紫電が走る。彼の【紫電魔法】によって炭化した死体はそこらに転がっており、風に撫でられるだけで崩れ落ちるのが相当の威力なのだと窺えた。
彼を食らおうと化け物たちが目の前に迫っても剣は抜かず、その姿が化け物に群がられ消えた。
「ボルテックスシージ」
ズガンッ!!
突然の落雷と思うほどの衝撃と共に、太い紫電が天へ走る。
食らいつこうとアレックスの周りに群れていた化け物たちは、尽くが炭化し崩れ落ちた。
そのまま視界が開けると、遅れてこちらへ向かってくる化け物の残りへ向けて紫電を放ち、あっさりとあるのか分からない命を奪った。
戦闘がひと段落しふぅっと息を吐く彼の足元に、刀が突き刺さる。
その切っ先にはまだ息があった化け物の頭蓋がある。
「羨ましいものだ、魔法というのはな。それと詰めが甘いぞ」
「どうも。でも貴女には剣があるじゃないですか」
「まぁな、隣の芝生はって奴だ」
剣を払いながら、冗談めかして口端を上げるスーリアは魔法を持っていない。持っていないが、彼女は名匠によって磨き上げられた美しい刀を鞘に納めて誇らしく叩く。
「だからこそ私はこの剣に、前剣聖である祖父と我がスーリア家に恥じない矜持を持っているからな……さて、ここはひと段落したしまた遊撃に回るか」
「えぇ。とりあえずまだ見てない——」
「騎士様方!!」
次へ行こうと歩みだそうとした足が、背後からの声に止まる。
振り返れば、固く閉じられていた扉から何人かの女性や子供達が駆け寄ってきていた。
不安さを残しつつ、先ほどの一方的な蹂躙を見たのだろう。興奮と希望に笑みが浮かんでいる。
駆け寄ってくる生存者たちを前にアレックスは一歩下がった為、自然と皆スーリアに集まる。
「ありがとうございます騎士様!」
「気にするな。力無き者を守るのは騎士の務めだ」
「あっあの騎士様! これで血を拭いてください」
「助かる」
気配を消している為アレックスに気づかず、同姓である筈のスーリアに頬を赤らめて詰め寄る生存者の女性たち。
女性ながら長身で、顔立ちも凛としていて力強く同姓ですら惑わしてしまう魅力にはまっている。
慣れた対応でいなしていくスーリアを眺めているアレックスに、一人の修道女が近づいてきた。
「この度は我らを救っていただきありがとうございます。勇者アレックス様」
「……よしてくれ、まだ勇者ではない」
聖印を切りながら礼をする修道女を前に、アレックスは顔を逸らしつつハッキリとそれを否定する。
だが修道女はきょとんとした表情を浮かべた。何故そこで否定するのか心底わからないのだろう。
「? ですがもう決定は確実と聞いていますが、それに今回の来賓の席で勇者の称号を叙勲すると教会も動いていたと思いますが……」
決定事項と告げる修道女の言ってることは、当然アレックスも知っている。あのまま何事もなければ三国の王の宣誓の元、アレックスは勇者として担ぎ上げられることを。
知っていて、彼は苦い顔を隠しつつ修道女に目を合わせずスーリアを眺める。
多くの人に慕われ、敬われ、そしてその肩に乗る重責を誇らしく掲げる彼女を。
「俺には勇者なんて務まりませんよ」
「そんな事——」
「聞け! 王国の民よ!!」
呟かれた自虐の言葉に、何故そんな事を言うのか心底分からないと困惑しながらも修道女は言葉を重ねようとするが、それはスーリアの猛々しい声に遮られる。
その声の方を向けば、教会の中の負傷者にも届くように瓦礫の上に立ちながらスーリアが剣を掲げていた。
その姿は、まさしく人々の希望の旗印になる勇者そのものだろう。
「この度未曽有の災禍にこの街は陥れられた! しかし案ずるな! 我は剣聖スーリア・ベルファスト・ローテリア! 国は違えどこの剣は全ての民を救う正義の剣なり! 先陣は私が切り開こう! 故に臆するな! 諦めるな!」
高々と掲げる剣を胸に充てた彼女に、歓声が沸き立つ。教会の中からも立ち上がれるものは顔を出し、雄たけびを上げ血濡れた包帯を巻いている男達が戦意高揚に武器を手に現れた。
スーリアの目には愉悦もなく、ただ戦意高々に吠える人々を満足そうに見下ろすと瓦礫から飛び降りる。
「流石スーリア嬢、戦場なら勝利は確実ですね」
「貴様が呆けてるから私がやったんだぞ。勇者なら勇者らしくしろ」
嫌味でもなんでもなく、素直に自然に称賛を送るアレックスをスーリアは睨みつける。
それに対してアレックスは苦笑を浮かべて、曖昧に濁す。その中途半端な態度にため息をつくと、スーリアは顎で先を促して背を向けてしまった。
「貴様は覇気が足らん。勇者の称号を賜ったのだからもっとそれらしく振舞え」
「……肝に銘じときます。それでは修道女さん、まだ安全とは言い難いから気を付けてください」
「あ、勇者様……」
何か言いたげな修道女を無視して、次へと向かう二人。
暫く歩いて人の気配が離れると、スーリアは道の端で化け物を切り捨てながら口を開いた。
「先ほど、あの修道女と何やら話していたが大事な話だったか?」
自分も化け物を切り捨てつつ、突然のスーリアからの問いに目を丸くしてアレックスは少々間抜けな顔をしてしまう。
それに気づくとスーリアはむっと何処か可愛らしく顔を顰めると、食われていた死体の瞼を下して冥福を祈るため聖印を軽く切る。
「なんだその顔、私だって礼儀や常識はあるぞ」
「いや別にそう思ったわけではないんですが、すみません。ただ気にしているんだと思っただけで」
「戦場で暗い顔をしていては戦いに影響があるからな、それだけだ」
憮然と訳を伝え、早く答えろと圧を掛ける。別に隠す必要はないが、アレックスは笑みと苦笑を混ぜたような曖昧な顔で視線を逸らしつつ口を開く。
「他愛ない感謝の言葉ですよ」
「なら何故あんな苦しそうな顔をしていた。その上、私の事を羨ましそうに見ていただろう」
よく見ているな。とは飲み込んだ。その代わりアレックスは彼女の質問に答える代わりに問いかける。
「一つ聞いてもいいですか」
「むっ、まぁ良いが気は抜くなよ」
「スーリア嬢は、剣聖の称号を重いとは思いませんか」
「は?」
藪から棒に何だと眉尻を上げたスーリアだが、なんだそんな事かと呆れた様にため息を吐いた。
「思わんな。貴様は数年前までの帝国を知っているか?」
「荒れていた。と聞いていますが」
「荒れていた……か、間違ってはないが度合いが違うな。あれは地獄だ」
切っ先を垂れる血を払いつつ、目の前の光景に重ねながらスーリアは遠い目をして答える。
自分の国を、地獄と例えるのはどういう心境なのだろうか。淡々と口を開く。
「我がローテリア帝国は元々、多数の民族種族が争い併合して出来た多国籍国家だ。そして争いによって出来た国らしく、最も重要視されるのは力ただ一つ。力あるものが権力を持ち、力あるが故に誰も蛮行を止めることが出来ない……そんな国では弱者は奴隷と変わらない」
淡々と語る彼女だが、良く見れば鞘を掴む手に青筋がはっきりと浮かんでいる。そのことに気づいて改めて目を見ると、その目にはっきりと憤怒の炎が浮かんでいた。
スーリアが弱者側だったのかは分からない。しかし真に迫った怒りは彼女の根幹にあたるのだろう。
「そんな世界をエリザベス様は変えようと言ってくれた、自ら剣を持ち血濡れた玉座を手に入れた。だから私は陛下の為に剣を振るう、その為なら剣聖の重責位背負って見せるさ」
スーリアの覚悟に、アレックスは何も告げられない。
決して軽いとは思っていない、その称号の重さを理解した上で忠義を尽くし重きを置いている。
だからこそ迷う事は無い。眩しすぎる彼女の矜持は、アレックスには無い物だった。
「まぁ、女だてらに剣を振るうのを迷う事が無かったといえばウソにはなるがな」
自虐的に、ちょっとした笑い声を上げるスーリアの手には、沢山の剣だこが出来ている。何度潰れても構わず剣を振っていたであろう手は、女らしくなくごつごつしていて相当の努力が窺える。
アレックスは自分の手を見下ろした。
そこには多少の剣だこは出来ているものの、スーリアに比べれば大人しい。力を認められ勇者と呼ばれる男の手にしては、綺麗すぎる。
「……努力したんですね」
「当たり前だ。血反吐を吐いて手にした力だ、女も人生も剣に捧げないで得られるほど剣聖の称号は甘くない」
そう、甘くない。
全てを捧げるからこそ、その称号を得た者は強い信念を持つ。
逆に言えば、才能だけでそれを得た者は。
「む? おい勇者、おしゃべりは終わりだ」
「敵、ですが……」
「あぁ、新種な上様子がおかしいな」
雑談は新しい敵の姿に終わる。素早く気持ちを切り替えた二人の視線先には、黒い龍の様な人型の化け物がいた。全身は黒い甲殻に包まれそれに血管の様な赤黒い線が走り、龍の翼と尻尾が生えている。
なんの事はない、マリアの元から飛んで逃げてきたセシリアが道の端で蹲っているだけ。
二人は今までの化け物とは違うが、明らかに敵なのだと分かる姿に何故。という疑問を飲み込んで近づく。
そして近づくと、蹲るセシリアが何か呻いているのも聞こえる。
「チガ、チガぅ……ゴメ、GAァ!? ア“ァ!」
獣の嗚咽とも取れる声を上げながら、セシリアは地面に額を叩き続けていた。
許しを請うように、受け入れがたい事実から目を背けるように。見た目こそ人からかけ離れているが、その行動は人のそれとしか思えなかった。
流石にその人としか思えない行動に、二人はどうするべきか躊躇ったのか足を止めた。
そんな二人の代わりに、化け物達がセシリアに這いよる。
正者を食らう事しか無い化け物達は、人とは言い難い容貌のセシリアを人と認識しその尻尾や翼、身体に食らいつく。
「ウ“ゥ”!」
身体を食い貪られる痛みに襲われても、セシリアは抵抗しない。
ただ貪られ続け、その痛みに呻いてるだけ。このまま放っておいても勝手に殺されるだろうと思うくらい、なんの抵抗も見せなかった。
筈だった。
「ア“ア”ァ“ァ”!! GAAAア“ァ”!!」
突然雄たけびを上げ、立ち上がると共に化け物達を壊す。頭を叩き潰し、尻尾で叩きつぶし、引き千切る。
鮮血を噴き上げながら、化け物を破壊し続ける姿はまさに獣のソレだった。
荒い息を吐いて立ち上がるセシリアは、眺めていた二人へ真紅の瞳を向ける。そこには理性なんて高尚な物は無く、ただ敵意に満ちている。
全身の毛が逆立つ殺気に本気で武器を構えた二人へ、セシリアは雄たけびを上げながら飛び掛かる。
「はっ!」
血に飢えた狼を思わせる飛び掛かりだが、スーリアは一切気圧された様子は無く得意の神速の居合切りを放つ。
しかし獣の本能とでも言うべき、その剣を空中で身を捻って避けた。あまりに無茶な回避行動は、セシリアの背中の筋が何本か千切れる音がしたが痛みに怯む事なく蹴りを放つ。
「甘い!」
切っ先を返し、袈裟切りで迎え撃つスーリアの剣とセシリアの足が打ち合わさり、不快な金属音と火花が舞う。
鍔迫り合いは、一瞬の互角の勝負からセシリアに軍配が上がった。
「ボルテックスシージ!」
そのまま更に力を込めて剣を蹴り飛ばそうとするセシリアは、バチバチッという紫電の兆候をいち早く感じ取り後ろに飛び退く。
つま先を僅かに焦がしながら天から落ちた紫電の落雷を避けつつ、四肢を突いてうなり声をあげる。
腕の痺れに顔を顰めるスーリアは、セシリアに対する認識を改める。そしてそれはアレックスも同じ。
二人は一切の迷い無く、冷徹なまでの戦士の顔に変わる。
「気を付けろ勇者。あれはなかなかに手強いぞ」
「反応速度は獣並み、力勝負も勝てるかは怪しい」
「だが人の様に戦う、勝機はそこだな」
セシリアを相手にするのに手は抜けない、本気でやらないとこちらが殺されると培った経験がそう教える。
スーリアは居合の姿勢を取るが、その態勢はあまりに低い。深く息を吐きつつ、足は限界まで開き、右肘は地面すれすれまで下げられている。
その後ろでアレックスは剣を真正面に構えつつ魔力を練る。練り上げられた魔力はどんどん密度を増し、彼の周りには放出された紫電がバチバチと纏い、一つの線に見える程激しい。
二人の本気の攻撃態勢を前に、セシリアもまたうなり声をあげて迎え撃つ。
黒い霧状の魔力が獣の爪が生えた手足に纏わり、元々膨張された筋肉によって太く凶悪だったフォルムは更に凶悪に、茨を纏わせたような棘が生えより一撃の威力が高まる。
三者三葉に構えを取り、しかし同じように深く息を吸う。
「GAァ“!」
最初に飛び出したのはセシリア。
地面が割れる程の脚力で飛び出し、その姿はブレて捉えきれない。
「速い! だが愚直!」
愚直に向かってくるセシリアを迎え撃とうと僅かに腰を浮かした瞬間、音すら置き去りにして剣を抜き放つ。
空気が震えるほどの金属音と共に、爆発もかくやという火花が走った。
セシリアの拳の芯に、スーリアの剣はしっかりと当たっている。それでも切り通すには、殴り通すには至らない。
一つの火花を皮切りに、何十という火花が宙に走る。金属音が鳴った時には次の火花が走っている。
「なめるなァァ!!」
「GAアァ“ァ“!!」
残像すら残す剣は一瞬でも当たり所を間違えれば、その拳の威力に剣が折れてしまいかねない。
それでもその重すぎる威力に反し、目で追うのすら難しい拳と蹴りの応酬を感覚だけで芯で捉えるスーリアは一歩も引かない。
激しすぎるダンスでも踊っているかの様に見える二人の間に、紫電が割り込む。
獣の本能が、生存本能に刻まれた雷への恐怖がセシリアの動きを僅かに止めた。ほんのコンマ数秒の硬直を、スーリアは見逃さない。これを待っていた。この一瞬を。
「おおおォォォ!!」
無駄な動きをする余裕はない。今まさに振り下ろされた拳に這うように半身を傾ける。産毛をセシリアの拳が撫でる程のギリギリの回避で、懐に潜り込んだスーリアは雄たけびを上げながら剣を振り上げる。
狙いは固く堅牢な甲殻に纏われた胴。全ての力を込めて振るわれる剣先は、ずぶりと甲殻に刺さり、喉へ向かって切り裂いていく。
「ァ“ア”!!」
剣が胸まで切り裂いた所で、セシリアは身を捩って軌道を逸らす。
首の代わりに右腕が切り裂かれ、大量の血を噴き出しながら大きく距離を取るために後ろへ飛び着地した瞬間、セシリアは何かを感じ転ぶように横へ飛ぶ。
その刹那の後、爆発もかくやという威力の紫電が直前までいた場所へ叩きつけられた。
「滾れ天の怒り。焼き尽くせ慈悲の一撃。天災とはそれ即ち神の声なり、冥府にてその罰を知れ——【ケイオスボルテージ】」
アレックスの【紫電魔法】の中でも、最大の威力と殲滅力を誇るそれは無数の落雷となってセシリアを襲う。
僅かな兆候と共に落ちる落雷の嵐を、セシリアは紙一重で避け続ける。
飛んで避ければ撃ち落とされそうになり、尻尾を壁に突き立てて避ければ正面から撃ち込まれる。一撃でも食らえば即死の落雷の嵐から避け続けるセシリアの背後に、スーリアが剣を振りかぶって割り込む。
「はぁっ!」
「ギGAァ!?」
ガアアァァン……!!
間一髪で防御が間に合う。残った左腕を犠牲に、スーリアの剣を弾いたセシリアは止まってしまった。
その結果は紫電の直撃。
バキッ……。
「イッ! GAア“ア”ア“ァ”ァ“ァ!?」
肉が焼かれ神経が千切れ、全身の血が沸騰する激痛に悲鳴を上げながらセシリアの中で何かが壊れる音と共に倒れる。
一撃で化け物を炭化させていた紫電は、黒煙を上げるだけに留まる。しかし内臓に至るまでの全てが焼け爛れている。
聞こえる吐息は消えそうに儚く、虫の息。そして分かる、聞こえない筈の心臓の声がどんどん遠くなっている。
「終わったな」
「えぇ、直撃でしたからね。致命傷ですよ」
トドメを刺すまでもない。今にも止まりそうな心臓の音は、あと少しで完全に止まるだろう。
二人は痺れた様に小さく震える腕で剣を納めつつ、深く安堵の息を吐く。しかし戦闘の余韻は、喜びを齎さなかった。
畏怖に顔を強張らせる。
「強かった」
「はい、全力を出してあそこまで持ちこたえられたのは初めてでした」
「私もギリギリだった。瞬きや呼吸すら出来ない、ほんの一瞬の力加減が生死を分ける戦いなんて久しぶりだった。ははっ、化け物なのが惜しい位だ」
心からの称賛を送る。それは相手が化け物だろうと変わらない、強い相手との戦いにスーリアは畏怖と歓喜を滲ませた笑みを楽しそうに浮かべる。
それとは逆に、浮かない顔でアレックスは倒れたセシリアを眺めている。確実に倒した筈だ、落雷に打たれて死なない生物はいない。
なのに胸騒ぎがするのだ、台風の目に入ったような、まだ終わっていないというべきか。
「だめだ、ここでトドメは刺さないと」
今ここで殺さなければいけない。確実に、的確に。首を刎ねないと。
その直感は、剣先を首に当てた瞬間確信に変わる。
「ナ“ボレ”」
「!? させるかァ!!」
セシリアが魔法を使った瞬間、肌が泡立ち頭の中に警鐘が鳴り響く。まだ起き上がる、それも今までとは違う最悪の形で。
全力で振り下ろされた剣が、首に届く前に尻尾に阻まれ火花が散る。
(尻尾だと!? だが関係ない! 叩き切る!!)
僅かな硬直。しかし関係ないと更に力を込めて尻尾を叩き切る! 一瞬の硬直の後、剣は尻尾を切断し首へ迫る。
あと少し、ほんの少しで剣は首に届く。だがその剣が首を切断する事は無く、新しく生えた右腕に押し止められた。
【正常な状態に戻す魔法】で治ったにも関わらず、その腕は元の黒い獣の腕のまま。寧ろ先ほどまでのより更に固く鋭く、命を刈り取るに相応しい爪が伸びている。
そして剣を掴んだ手を、勢いよく引き込む。
「っ! しまっ!?」
「ア“ア”ァ“ッ!!」
「ぐっ! かはっ!?」
踏み込んで耐えようとしたが、信じられないほどの力で引き込まれたアレックスの腹にセシリアの蹴りが叩き込まれる。内臓が潰れ血反吐を吐きながら、アレックスは受け身も取れずぼろ雑巾の様に吹き飛んだ。
「勇者! 貴様ァ!!」
アレックスと入れ替わるようにスーリアが飛び込む。
立ち上がったばかりの所に振り払われる剣に、セシリアは両手を犠牲に勢いを殺し、腹を半分まで切り裂かれた所で剣が止まる。
「なっ! 剣が!?」
咄嗟に引き抜こうとしたスーリアの身体が強張った。腹に刺さったままの剣は、引き抜かれないように尻尾が巻き付いている。
先ほどまで補助程度にしか使っていなかった尻尾を、手足の如き巧みさで確実に巻き付ける尻尾は、剣を確実に捉えて離すことが出来ない。
動揺から僅かな隙を晒したスーリアは、セシリアの足が浮いたのを見逃さない。
(蹴りか! 剣を離して防御を!)
「ガァ“!」
「なっ!?」
直前のアレックスがやられた蹴りを思い出し、剣を手放して防御態勢を取ったスーリアの目の前に、セシリアの大きく開いた口が迫る。
今の今まで人間の技術で、体術で戦っていたセシリアの今まさに食らいつこうとしてる獣の動き。完全に意表を突かれた。
この化け物は体術で戦う、その先入観から選択を誤ったスーリアの肩に、セシリアの牙が突き立てられた。
「ゥ“ア“アアァ!!」
「ぐっがあああああ!!」
ブチブチ! と腹を空かした獣が肉に食らいつくように、スーリアの肩は大きく食い千切られ鮮血が吹き荒ぶる。
剣で切られた痛みなんて比べ物にならない、煮え滾る熱と全身の感覚すら奪う痛みがスーリアから冷静さを奪った。
目を見開いて絶叫を上げるスーリアを、セシリアが蹴り飛ばして壁に叩きつけると、崩れた瓦礫の中に彼女は埋まる。
「ウウ“ゥ”。ぷっ」
口に残ったスーリアの肩の肉をマズそうに吐き捨てながら、ゆらりゆらりと身体を揺らす。
酒に酔ったような姿で、唸り声をあげながら蠢く肉が新しく腕を生やす。
セシリアの雰囲気が変わった。今までの怒り狂い、何かに抗おうとしてた気配は消え失せ、純然たる獣の気配しかない。
溢れんばかりの獣性をその真紅の瞳に宿し、低くうなり声を上げながら一歩一歩重たくスーリアへ近づく。
腹が空いたから、目の前の餌を食おう。そんな言葉の代わりに口端を卑しく引く。
もうそこに、セシリアは居なかった。
セシリアの代わりに、怒りと殺意だけで出来た獣が今身体を動かす。
「ァ“ア……ア?」
何に対して怒っているのかも分からず、分からないから苛立つ。
一瞬足を止めて、胸に手を当てたセシリアは何かを探すように視線をさ迷わせるが、何を探していたのか分からず首を傾げると、どうでもいいやと言うように首を傾げて歩みを再開しようとして、勢いよく飛んで飛来してきた紫電を避ける。
「げほっ! かひゅー、っふー……死ぬかと思った」
満身創痍と言ってもいい姿で立ち上がるアレックス。ギリギリ防御が間に合って背骨が砕けるのは避けたが、内臓や肋骨はぐちゃぐちゃで息をするたびに粘った血が喉に絡まって吐き出す。
それでも立ち上がるアレックスを、セシリアは鬱陶し気に睨みつける。
「ケイオスボルテージッ!!」
「ウ“ァ”ッ”!」
身体の限界に比例する、荒れ狂う紫電の嵐がセシリアを襲う。視界一面に迫る紫電を避けるセシリアへ更に紫電を迫らせる。
縦横無尽に、狼が闇夜に紛れて死角という死角から獲物を殺そうとするかの様に機敏に、正確に紫電の薄い場所を本能だけで見抜いて避けて徐々に距離を詰められる。
少しずつ距離を詰められ焦りがアレックスの手元を僅かに狂った瞬間、待っていましたとばかりにセシリアは壁を蹴って弾丸の様に真っすぐ突っ込んだ。
一瞬薄く目を見開くが、刹那の間に何をするべきか最適解を導き出しアレックスは防御の為に紫電を目の前に轟かせ壁を築く。
関係ないと。その紫電に真っ向から突っ込んで、セシリアが身体を焼かれながら突き破ってきた。
「嘘だろ!?」
「ギ、GAァ“ァ”ァ!!」
「うォォォ!!」
魔法を使う時間は無い。今まさに目の前で拳を振りかぶろうとしているセシリアへ、アレックスはまともに動かない身体に鞭打って剣を払う。
振り払われた剣は、自らへ迫っていたセシリアの腕を切り飛ばし追撃にと剣先を返したアレックスの顎が蹴り上げられる。
「! ……ぶふっ」
「GAァァ!!」
天を仰ぎ血を吐くアレックスの横腹に回し蹴りを叩き込み、衝撃に吹き飛びかけたアレックスの足にセシリアの尻尾が絡みつき、地面に叩きつける。
確実に殺すために、壊すために距離を開けることを許さない。
その顔面へ向かって、セシリアは一度左拳を握りこんで振りかぶる。
(まずい! どうする! 一カバチか反撃しないと死ぬ!!)
目の前に迫る拳がスローに見える程の集中力で掴んで離さなかった剣を振ろうとするが、アレックス自身分かっている。
明らかに間に合わない。せめて僅かに軌道でも逸らせれば良いが、どう考えてもアレックスが剣を持ち上げるより早くセシリアの拳が届く。
それでも生きるためなら最後まで諦めるな。生存本能が雄たけびを上げて、最後まで抵抗しようとしたアレックスの手がピタリと止まる。
「あ……」
呼吸や瞬きすら削いで尚、間に合うか分からない刹那のやり取りの中で見せた諦観は命を差し出すのと同義。
目の前まで迫る拳に、抵抗を止めたアレックスは薄く口端を引いた。
(ここで死ねば、静かに眠れるんだろうか)
ズドンッ!!
「…………?」
来るべき死は訪れず、代わりにアレックスの顔のすぐ隣の地面に拳が突き立てられている。
いったい何が起こった? と見上げる先では、セシリアは遠くの方へ呆然と顔を向けている。
直前までアレックスを殺そうとしていたのに、今では欠片の興味も向けていない。手元が狂っているのにも気づかないほど、セシリアは王城の方を食い入るように見つめている。
一体王城の方に何があるのかと思った瞬間、息苦しく身体が重くなるほどの圧が走る。
次から次へと予測不能な出来事が起こり、何とか浅く息を繋げるアレックスの上からセシリアは退き、翼を広げゆっくりと空へ飛び立つ。
「ま、待て……君は……」
呻きながら、弱弱しく声を上げるアレックスを一瞥もしない。本当に、欠片も興味ない所か耳にも入っていない。
止める間もなく、セシリアは勢いよく飛び去ってしまった。
残されたアレックスは、剣を手放し脱力して空を仰ぐ。
「……いや、まさかな」
あの化け物の戦い方が、いつか見た蒼銀の少女に似ていたのは気のせいだろう。何故か、小さくなっていく姿から目が離せなかった。




