捨てきれない甘さ
強烈な圧、魔力の発生源。空間すら歪んでいるように感じ、重苦しさと窮屈感の最も強い所で4つの人影が目の前の銀河系を模した天球儀を見上げている。
その表情は二分して両極端。
「ははっ! まだ完全起動して無いのにこの魔力! 素晴らしい!」
「……恐ろしい兵器だな。息をするのすら辛い」
歓喜の声を上げるのは、ローテリア帝国の皇子であるアルベルト・ウィルヘルム・ローテリア。
10歳のセシリアが、マリアを助ける為に共に森に入ったあの時の青年。しかし彼が浮べる笑みは、あの時の穏やかな物とは一転して性根の腐り具合が透けて見える笑みだ。
震える程の歓喜を浮かべる異母弟を横目に、現女帝であるエリザベス・ウィルヘルム・ローテリアは天球儀からの圧に苦しそうに眉を顰めながら、目の前のフランの肩に手を当てる。
「大丈夫か」
「っ、まだ問題は無いです」
「そうか」
天球儀に手を当てるフランの右目、対になる青い左眼とは違いその火傷跡に覆われた右眼は赤い宝石の様で、フランの魔力に反応して赤く煌めいていた。
汗ばんだ額を拭いながら、問題ないと頷くと再び天球儀を見上げる。
思わず背筋が伸びる相貌に、何処か心配する様な色を僅かに浮かべるエリザベスはアルベルトの隣で幼子の様にはしゃぐ凶悪犯罪者に付けるような頑強な拘束衣に包まれた、黒髪が地面に広がる異様な格好の幼子に冷たい視線を送る。
その幼子は、真紅の瞳を不満そうに細めて頬を膨らませて抗議した。
「贋物、まだなのか」
「ティアは贋物じゃいよー。ティアはティアだよー!」
「どうでもいい」
「むー。まだ完全起動してないからムリだよー、ね? アダムー♥」
「ああ、完全起動していないと防衛機構が働いてしまうからムリですね。姉上?」
「……贋物が、次に弟の声でそう呼んだら殺すぞ」
明らかな怒気と殺気を込めて、エリザベスは腰の剣に手を添えながらアルベルト、いやアダムと呼ばれている異母弟を睨みつける。
異母弟がアダムと呼ばれている事でも、記憶にある弟は全く別人の雰囲気な事にも反応せず、ただ嫌悪に滲ませた顔は、決して異母弟に向けるものでは無い。
アルベルトは肩を竦めると、フランへ向かって続きを促した。
「……エリザベス様」
「仕方ない事だ。やれ」
「はい。出力制限解除……【賢者の石】及び接続回路完全起動……魔力注入開始します」
エリザベスの許可に頷くと、フランは1つ息を吐いて天球儀に魔力を注ぎ出した。
枯れ枝に栄養が行き渡るように、天球儀から溢れる魔力は増して呼吸すら難しい程の圧に空気が震える。
荒く息を吐きながら、球のように溢れ出した汗を拭いつつもフランは睨みつけながら己に課せられた命令を忠実にこなす。
「底が見えない……もう2人……さっさと起きる、ガラクタ」
乾ききった海をコップで満たそうとしているイメージ。
常人なら触れただけで魔力所か命まで吸い尽くされ、すぐ様枯れ果てるだろう。果ての見えない 、貪欲に魔力をフランから吸い尽くそうとしている天球儀はゆっくりと動き出す。
自分の右眼を通して身体に魔力が注がれる度、それを上回る勢いで魔力が根こそぎ奪われていく。
早く終われと苛立ちに歯を食いしばるフランに応えたのか、天球儀はゆっくり動き出し、圧はどんどん増していく。
「おい贋物。本当にコレがそうなんだろうな」
「えぇ、通称【天球儀】。それは魔道歴に造られた、星間観測用演算宝珠。嘗て空の全てを知ろうとした国が作った物だが、人々は空を知る為ではなく戦争の為に使われた。これの持つ演算性能はあらゆる魔法の行使を可能にし、理さえ書き換える力を持っているんですよ」
「……そうか」
「目覚めの時だ」
長い長い眠りから目を覚まし、充分魔力を喰らった天球儀は歓喜に震える様に産声の如き駆動音を響かせた。
ゴウンゴウンとけたたましく動き出し、星々が巡る様に天球儀は回りだす。
心無い機械のはずなのに、目の前の天球儀が歓喜に震えてると感じられた。
役目が終わり、手を離したフランは元々青白い顔から更に生気を失わせながら、立っている事が出来ず後ろに倒れる 。
しかし硬い地面に倒れる事無く、その小さな身体はエリザベスの腕に支えられた。
「大丈夫か、フラン」
「はぁ、はぁ……申し訳、ありません。全て持ってかれました、もう魔力がありません」
「良くやった。今は休め」
「ボクは……いえ、申し訳ありません」
倒れないようにしっかりと背中に添えられた手は、冷たい相貌とは反してどこか優しい。
ゆっくりと座らせ、エリザベスはフランに向けていた優しさの欠片も無くティアを冷たく一瞥する。
「我の部下が命を懸けて起動したのだ、失敗は許さんぞ贋物」
「ティア」
「分かってるもん、煩いな。アダム見ててねー♥」
ぴょんぴょんと跳ねながら、ティアは天球儀に近づく。
一見すれば、真紅の瞳を持つ異様な格好の幼子。いったい何をするというのか、フランとエリザベスは注意深く見つめる中、ティアはその機能を解放した。
「機能解放申請……固有機能【原初の母——ティアマト】認証確認。機能発動、母胎解放」
子供染みた先程までの姿とは一転して、慈悲深い母親の様に穏やかに微笑む。
それに合わせ、ゆっくりとティアの身体を包んでいた拘束衣が外れ宙を揺蕩った。
現れたのは、年相応のシミひとつない成長期前の身体。淡く光る胎に手を添えながら、ティアは微笑みながら歌うように囁く。
「おいで、同じ時代を生きた物。平和を願って造られたのに戦争に使われた同胞よ、あなた達の全てをティアは愛するわ。母の胎の中で幸せな夢を見なさい」
けたたましく駆動している天球儀が、淡い光に包まれる。それはまさしく母が我が子を抱きしめるようで、するすると淡い光ごと天球儀はティアの胎に消えていく。
理を無視した埒外の御業。人はそれを奇跡と呼び、魔法とは一線を画す光景だった。
見ているだけで心が鎮まり、思わず自分も、と手を伸ばしたくなる魔性の光景が目の前に広がる。
あれほど空間を支配していた圧も、騒音も、今はもう無い。
気付いた時には天球儀は姿形なく、ティアの胎の中に納められていた。
慈しむように胎を撫でるティアは、その淡い光が落ち着くと共に再び拘束衣に包まれ、穏やかな微笑みの代わりに元の無邪気な笑みを浮かべてアダムの前へぴょんぴょんと跳ねながら戻る。
「アダムー♥ 褒めてー♥」
「良く出来た子だ」
「んふー♥」
褒めて褒めてとふんすと鼻を鳴らすティアへ、優し気に微笑みつつも頭は撫でないアダム。それだけでどんな関係性か見透ける光景に、眉を寄せつつ重圧から解放されて普通に息が出来るようになった事に深い安堵の息を零す。
「ふぅ、目標確保だな。立てるな、フラン、撤退するぞ」
「はい……先導します」
ふらふらと、魔力不足で頼りない姿だが、1人で立ち上がるフランが撤退の為先導しようと顔を上げる。
目的は達成した。後は帰るだけだ。
足早に去ろうとするフランの耳は、カチッと歯車が打ち鳴る音を捉えた。セシリアがよく使う、あの武器の音。
「っ!! エリザベス様!!」
ドパンッ! ドパンドパン!!
咄嗟にフランがエリザベスを押し倒した瞬間、暗闇の中から炸裂音と共に銃弾が撃ち放たれた。
押し倒されたエリザベスの頭の上を通り抜ける弾丸。確実に狙い済まされた弾は背後の壁に穴を空けた。
威力はセシリアの物よりは劣る。だが対人に置いては充分過ぎる威力だ。
「狙撃か! フラン!」
「はい!」
突然の狙撃にも動じず、冷静に指示を出したエリザベスに答えてフランは倒れたまま義手の手のひらから光弾を撃ち出す。魔力が尽きかけ威力は抑えめだが、それでも銃弾に負けず劣らずの光弾は真っ直ぐに暗闇の中の襲撃者へ向かって行く。
僅かな静寂。当たった手応えは無く警戒するフラン達に、今度は暗闇の中から1つの瓶が投げ込まれた。
「爆弾です! 伏せて!」
いち早くそれに気づいたフランが叫ぶと同時に、爆発が巻き起こる。
間一髪フランとエリザベスは壁に隠れた為、被撃は免れたが土埃が視界を完全に塞いでいた。
「ケホッ。クソ、贋物共はまさか死んでないだろうっ!?」
「顔を出さないで下さい! 相手はまだ生きてます」
アダムとティアの無事を確認しようにも、顔を出そうとした傍から狙撃される。
一方的に狙われる状況に、エリザベスは怒鳴るように声を張り上げた。
「おい贋物共! 無事か!」
焦らせる要因として、アダムとティアの安否がある。
エリザベスとて別に仲間だから心配してる訳でない、折角手に入れた天球儀や役に立つ道具を壊される訳にはいかないという不安があっただけ。
しかし返事はない。更に苛立し気にエリザベスが怒鳴った所で、アダムかティアの気配が伝わった。
「答えろ!」
「大丈夫ですよ、無事……まぁ、無事ですかね」
「あの小煩い娘は……っち、グズが」
アダムは無事だと伝わる。しかし言い淀む返事に訝しみ、土埃が晴れるとその理由を悟った。
同じように壁に隠れ、細かい瓦礫を払いながら致命傷は負っていないアダムと、その足元で空を仰いで倒れるティアの姿。
心臓ど真ん中に穴が空いていて、飛来した弾丸はティアの胸に当たったのだとひと目でわかる。
同じように柱を背にしたアダムは、足元で空を仰いで倒れるティアを一瞥する。
銃弾は心の臓を完璧に撃ち抜いており、真っ白な拘束衣に赤い染みをじんわりと広げていた。
即死なのは明白。目を見開いたままピクリともしないティアは確実に死んでいると分かる。
最悪だ。と歯噛みするエリザベスを他所に、アダムはティアの傷口に手を当てて探る様に神妙に眺める。
「ふむ、心臓を1発か、良い腕をしている。が、これくらいなら」
ずぷりと、アダムの指がティアの傷口に差し込まれた。死者の身体を弄んでいるとしか思えない行動だが、手首まで差し込まれた辺りでティアの身体がビクッと跳ねる。
「修復機能始動。損傷深度確認、修復作業開始、完全修復まで24時間」
「良し、これで問題は無い」
死んだ筈のティアの口から、聞き慣れない言葉が発せられる。
生き返った訳でないのは、見て分かる。彼女は未だ目を見開いたまま息を吹き返してすら居ない。
だが手を引き抜いたアダムは一先ずの安堵に頷いている。
エリザベスが忌々しく見ているのに気付くと、アダムは肩を竦めた。
「化け物共が」
「その化け物の力を必要としたのは貴女でしょう?」
「……フラン、敵狙撃兵の相手をしろ。その間に我々は撤退する」
挑発的なアダムを無視し、エリザベスは退路へつま先を向ける。
殿を指示されたフランは頷き、両手に魔力を集中させ撃ち放つ。
「魔道ブラスター出力制限解除! 弾幕張ります!」
エリザベス達が飛び出すのに合わせ、フランは両手から光弾を撃ち放ちそれを援護する。
相手は暗闇に潜み何処にいるか分からない。分からないなら、全部撃てばいいと言わんばかりに、フランは視界いっぱい当てもなく撃ち続ける。
「もう良い! お前も撤退しろ!」
エリザベス達は無事退路に迎えた様だ、自分も撤退しようと足首をねじった瞬間、フランは膝を着いた。
「ゴフッ!?」
「フラン!? っち!」
えずきながら、口元を抑える指の隙間から粘ついた血が溢れた。
フランの赤い右目からも血涙が流れ、苦しそうに咳き込んでいる。
もともと魔力が限界に近かったフランの身体は、今の弾幕で限界を迎え立っていることも出来ないでいる。
顔色を変えて駆け寄ろうとしたエリザベスは、再び暗闇からの狙撃に阻まれ足踏みしている。
それでも関係ないと踏み出そうとした彼女の腕を、アダムが掴む。
「ここで時間を無駄にして、貴女の悲願を無に帰すつもりですか?」
「っ! くそが……!」
アダムの言葉に、悔しげに顔を歪ませるとエリザベスは逡巡するが、口と右目から血を流すフランと目が合った。
躊躇うエリザベスに、フランは僅かに目元を柔らげる。
助けを求める訳でもなく、問題無いと言うように。捨てられた子供が、仕方ないと諦めたような顔。
「……フランケンシュタインは見捨てる。行くぞ」
踵を返し、足早にエリザベス達は姿を消す。
それを見送ったフランは右目と口の血を拭い、膝に手を当ててゆっくりと立ち上がろうとして。
1発の銃声が鳴り響くと、その小さな身体は呆気なく倒れた。
◇◇◇◇
「……子供を撃つのは嫌になるね」
暗闇からの狙撃手。嗄れた声で呟くのは、リボルバーを膝立ちで構えたアイアス。
空になった弾丸を吐き出し、新しい弾丸を1発ずつ装填する彼女は憂鬱さに顔を顰めている。
視線の先には倒れ伏すフランの背中。フランの光弾によって撃ち抜かれた太腿に包帯を巻き付けながら、アイアスは深く息を吐いた。
「恐ろしい威力だね。魔道歴の遺物なんだろうけど、こんな子供を戦わせて……」
そこら中の柱や壁に空いた穴を一瞥し、銃弾に負けず劣らずの威力で足を撃ち抜いたフランの光弾を思い出してアイアスは身震いする。
あと一瞬判断が遅れれば、あと少し位置が悪ければ足1本所では済まない致命傷を負っていただろう。
この蓮の根の様に穴だらけの壁と同じ運命を、自分も辿っていたかもしれない。
するりと影から外へ踏み出す。
「さて、逃げた帝国人を追うべきか、先にこの事を伝えるべきかね。いや、まだ追いつける、追うべきだね」
アイアスは天球儀の起動から暫くしてここに訪れていた。勿論、ティアによって吸収される光景も目の当たりにしており、その理解の及ばない光景に暫くは手を出せないでいた。
しかしだからこそ、先手を取られ逃げられている現状に、焦りから追うべきだと先を急ぐ。
倒れ伏すフランはピクリとも動かない。その身体を通り過ぎてエリザベス達が逃げ込んだ場所へ踏み込もうとした瞬間、背後から光弾が収束される音が響く。
「っ!!」
キュィン、ドンッ!!
間一髪で横へ倒れる様に避けるも、光弾はアイアスの左肩に風穴を空けた。
倒れながら振り返った先では、フランが息も絶え絶えに右手を突きつけている。
「はぁっ、はぁ……」
「っこの!」
反撃にアイアスがリボルバーを撃ち抜くと同時に、フランも光弾を撃ち放つ。
それぞれ無理な体勢から撃ち放たれた影響で急所を逸れるも、銃弾はフランの肩を、光弾はアイアスのリボルバーに着弾する。
「っぐぅ!! 」
「っだいね。生きてたのかい」
リボルバーは吹き飛び、左肩と右手を負傷したアイアスは痛みに顔を顰めながらゆっくりと立ち上がる。きっと彼女がもう少し若ければ直ぐに反撃に転じられただろうが、60を迎えた彼女にそんな体力は無い。
アイアスの言葉に答えるように、フランは残った左腕を地面に押し当てて何とか立ち上がる。
細かく震える身体は今にも倒れそうで、苦しげに呻きながら右目から血涙が垂れる。
胴部と股下だけを覆う黒いボディースーツの脇腹辺りに、血が滲んでおり急所は逸れてるものの致命傷には違わない。
今すぐ倒れてもおかしくない容態のフランは、荒く息を吐きつつ左腕を突き出し、再び光弾を収束させる。
「ぜぇ、はぁっ……対象を、排除」
「土壁を以って我を守れ!」
光弾が放たれると同時に、アイアスは【物質に干渉する魔法】を発動させて壁を創りそれを阻む。
満身創痍の身体から撃ちだされた光弾は土壁を貫通できない。しかし土壁は豪快に破壊され、土ぼこりが舞った。
土埃で視界はさえぎられているが、負傷して動けないアイアス目指して躊躇いなく次弾を撃ち込む。
「!?」
光弾が土埃を払いながら着弾した先は、血の跡が残る地面だけ。肝心のアイアスはどこにもいない。
この短い間にどこに行った!? と焦るフランの背後にアイアスが拳を構えて飛び込んで来る。
「年寄りを舐めるんじゃないよ!」
「このっ! っ!」
殴りかかろうとするアイアスに、フランは反射的に右手を構えようとして、肩に空いた穴の痛みに一瞬だけ動きが止まった。
その一瞬の遅れが分かれ目となり、何処にそんな力があるんだと思うくらい重い拳がフランの顎に突き刺さった。
立っているのもやっとのフラン、呆気なく吹き飛ばされる。
「ふぅ、そのまま寝てて欲しいんだけどね。子供は殺したくないんだけど……ほんと、嫌になるよ」
「ふーっふーっ!」
殴った反動で鈍く痛む拳をひらひらと払いながら、鬱陶しさと憂鬱さが入り混じった顔が向けた先には、震える小鹿の様に膝を笑わせながらも立ち上がるフランの姿。
顎に確実に入った筈。その証拠に笑っている膝はガクッと折れる。しかし膝が地面に着く直前に、義足のブーストを吹かし無理やり立たせた。
「もう諦めな。そんな体で勝てる程、あたしは耄碌してないよ」
「ま、魔道……ブ、ラスターっ!?」
「はぁ……?」
殺したくないという一心からアイアスは説得を試みるが、フランは義義足である魔道ブラスターを起動して撥ね退ける。
次は確実に一撃で意識を刈り取るつもりで、拳を握り直しながらアイアスは一歩踏み出したところで、フランの様子がおかしいことに眉を潜めた。
「っ!! ごふっ!」
血反吐を吐くフランの顔中には血管が浮き上がり、身体に空いた穴の痛みすら気にする余裕もなく、右目を骨が軋むほど抑え込んでいる。
鉄の指の隙間から覗く赤い目は、爛々と輝きつつあり得ないほど大量の血が溢れ出していた。
アイアスは何もしていない。顎を思いっきり殴っただけで、フランが苦しむ理由に心当たりは……思い至った。
「……その目、魔道歴の遺物だね。しかも魔力生成系の物だろうね」
「ぐぅっ、あぁっ!」
激痛に立っている事出来ず、地面でのた打ち回るフランは明らかに右目の制御が出来ていない。熱持った右目はどんどん熱くなり、右目を抉り取らんばかりに抑え込む義手は熱されて肉が焼ける嫌な匂いが匂ってきた。
「昔似たような遺物を使ってるやつを見た事あるけれど、過剰に魔力を使った事で魔力が過剰生成されて身を滅ぼしたね。これもそれと同じだろうね……ったく、だから子供は嫌いなんだよ」
深くため息を吐いて後ろ髪を乱雑に掻くアイアスは、のた打ち回るフランに近づく。
見捨てれば良いのに、先を急ぐべきなのに。自分の甘さに呆れしかないアイアスはもう追うのは無理だなと遠い目をしながら。
「あ“あ“っ!!」
近づくアイアスに意図的か無意識にか、フランは義足のブラスターを吹かして足を払う。
狙いすらつけていないそれはアイアスの傍を通り、彼女の頬に傷をつけつつ後ろの壁を大きく抉った。
威力は途轍もなく、魔力が尽きかけていた先ほどまでのフランには出せない筈の威力だった。
しかしそれでも、アイアスの足は止まらない。
「さて、流石にこればっかりはあたしも不安だが。まぁ、やるしかないね」
「ぎぃっ! あ“ぁっ!!」
腕を振るって、足を払ってやたら滅多に魔道ブラスターを暴走させる。少しでも魔力を消費するために繰り出されるソレは光弾なんてレベルではなく、太く激しい光線はどんどん周りを壊していく。
それでも供給される魔力に消費量が追い付かず、このままだとこの空間が崩れるのが先かフランの身体が壊れるのが先か。
少なくとも、どんどん傷口は開き穴という穴から血が噴き出るフランは危ういという話ではない。
「魔力ってのは生命力なんだ、それは絶対の法則だ。一体この遺物は何処から魔力を持ってきてるんだろうね……さて、やるか」
暴れるフランの胸に触れる。本来なら原因たる右目だが、それだけはやってはいけないと直感が囁いた。何故かはわからない、だが彼女にとって命を奪いかねない右目は、命より大切なものなのかも知れない。
確証も何もない、強いて言うならどれだけ抉らんばかりに右目に爪を立てても、抉らないフランの姿がそれを感じさせた。
「ぐあぁ、ぎっ……」
「ふぅ。我は世界の神秘を探求する錬金術師なり。万象を解き明かし、根源を知るために知を極め理を目指す」
「ひぐっ!?」
アイアスの【物質に干渉する魔法】が、見えざる手がフランの身体に染み込む。
昔セシリアの魔法を覚醒するために干渉したアレとは少しやり方を変えている。今回やるべきは肉体と右目の遺物の繋がりを断つ事だから。
神経を直接撫でられるような不快感に、フランは一度身を強張らせると激しく抵抗しだした。
「やだぁぁぁ!! 止めてえぇぇ!!」
「我慢しな! 死にたいのかい!!」
じたばたと暴れるフランを抑えるアイアスだが、少しでも反応が遅れれば空気すら焼く光線に身を抉られかねない。ただでさえ神経を繋げるような精密な作業を要求されていると中で、自分の身を守るために気を使わないといけない。
鬱陶しい位に溢れ出す汗を、払おうとした時フランの右手がアイアスの頬に当たった。
「っ!!」
ジュッと肉の焼ける嫌な音が響く。鉄製の右手は肌が爛れる程の熱を孕んでいた。こんな手で右目を抑えれば自分だってただでは済まないのに、実際フランの右目廻りは元々のやけど跡を更に酷く爛れさせている。
早く終わらせてあげよう。
頬を焼く痛みが、不思議とアイアスに冷静さを与える。
「悪いね、すぐ終わらせてやるよ」
「やらぁぁ!! いたいの止めて”ぇぇ!」
ゆっくりと極めて慎重に、しかし焦らず手早く。フランの心臓まで魔力を流して干渉して過剰に作られる魔力との繋がりを断つ。
泣き叫び激しく抵抗するフランの悲壮さは、浸食が増すごとにどんどん激しくなる。暴れるたびに傷口から血が噴き出し、地面に血だまりが出来てしまっている。
アイアスの魔法が心臓にたどり着いた時、電気ショックを受けたようにフランの身体がビクンッと跳ねると意識を途切れたのか静かになった。
死んだのではなく、アイアスが一時的に右目と体の繋がりを断った事による弊害なだけ。
虫の息ではあるが、小さな胸を上下させるフランは涙と血の跡を痛々しく残しつつ、あどけない寝顔で目を瞑っている。
「ふぅ、とりあえずは何とかなったね。根本的解決にはなってないけど」
滝の様に流れる汗をぬぐい、深く深く息を吐く。
ひとまずの峠は越えただろう。だがあくまで応急処置でしかなく、フランの身体を思うなら右目を摘出するのが最善手なのだろう。
アイアスの皺だらけの細い指が、フランの右瞼を開かせる。
精巧な作りの義眼をよく見れば、眼球の役割を果たしている訳ではなくただ目の形をしているだけ。そして、未だ淡く赤く光る右目は魔力を作り出しているのだろうか、熱を孕んでいる。
ただまぁ、当然それに対する処置も怠らない。
四苦八苦しつつも右目の活動を抑え込むと、右目の光は落ち着きを見せた。
「とりあえず、この遺物をなんとかして……これで良し。とと?」
膝を叩きながら立ち上がろうとして、立ち眩みに襲われたアイアスは苦い顔で額に手を当てた。
顔色は悪く身体は小さく震え、時折吐き気に顔を顰めている。神経を使う魔法行使に精神と魔力が疲弊し、傷口から流れる血が体力を奪い、老齢の彼女には過ぎたるダメージだろう。
それでも鞭打って倒れそうになる身体を叱責する。
まだ倒れるわけにはいかないと。
「くっ。もう追うのは無理だね、この子から少しでも情報を得られればいいけど」
フランの身体を抱き上げ、踵を返す。
アイアスの枯れた細い腕ですら簡単に抱き上げられる小さな身体は、12歳だろう年齢を鑑みても軽すぎる。こんな身体でよく戦えるものだと感心する程だ。
「本当に、こんな子供を戦わせて何をするつもりなんだろうね。エリザベス女帝様は」
帝国の政変に併せ、帝国で封印されていた黒龍ファフニールの封印まで解かれた。それに併せ、自分たちの故郷である街まで半壊され、そしてこの騒動だ。疑うなというほうが無理な話。
今にも崩れ落ちそうなこの場所から早々に退避しようとするアイアスの頭上が、けたたましく崩れ落ちた。
その瓦礫の中に、一つの黒い影が混じって落ちてきた。
「あ? 次から次へなんだ——」
「GAァ!!」
「!?」
振り返ったアイアスが見たのは、目の前まで迫った真紅の瞳。
咄嗟にフランを投げ捨てた瞬間、宙に腕が一つ舞った。
真紅の瞳を持つ、黒い龍のような姿の化け物の雄たけびが悲鳴をかき消した。




