狂奔と狂信と狂愛
平時なら清廉で静謐な雰囲気の聖堂。
芸術的なステンドグラスから漏れる光が神秘性を、何十年と何百年とそこに佇み多くの人の祈りや懺悔を受け止める信仰の対象を表す彫像は、まさしくここが神の身元であると伺える。
しかしそんな空間を、轟音と熱が響き渡り続けている。
「あちちっ!」
ベルナデッタの重厚な十字架型の火炎放射器から放たれる業火の射線から大きく避けながら、セシリアはひたすらに駆けて純白の五連装リボルバーから50口径炸薬徹甲弾を撃ち込む。
普通弾丸を避けるなんて出来やしない。が、ベルナデッタは銃口から軌道を予測して身体を捩じるだけで弾丸を避け、逆にセシリアへ業火を迫らせる。
同じ銃系統の武器を扱うが故か、尋常ならざる反射神経故か、少なくとも迫る業火を避けきれず服の端々を焦げさせるセシリアには出来ない芸当。
そんなセシリアは左腕を炎から庇いながら、長椅子を蹴飛ばしてベルナデッタの注意を逸らしてリロードの隙を作る。
「先ほどの様に炎の中を突っ切らないのですか?」
「っさい!」
ベルナデッタの挑発が静かに響くが、セシリアは閃光手りゅう弾を投げて大きく後退する。
一度閃光手りゅう弾を受けたベルナデッタは咄嗟に十字架を盾の様に構えて遮るが、二度目だけあって長く拘束される事は無く直ぐに顔を上げた。
が、セシリアの姿は無い。
唯一の外へ続く扉を背にするベルナデッタを越えた気配はしない為、中に居るのは確実で、事実セシリアは石柱の影に潜んで荒い息を整えている。
「はぁっはぁっ……ヤバい、ちょう逃げたい」
「かくれんぼですか? それとも逃げる算段ですか? 残念ですが、この聖堂はこの扉以外に外へ出れる道はありませんよ」
「ふぅ~。どうしよ、全然勝てる気がしない」
泣き言を漏らしながら、左手首に付けられている真紅のシュシュを見下ろす。大好きな母から貰った、セシリアだけの宝物。
炎に炙られない様に背嚢の中に隠したが、それもどれだけ効果があるかも分からない。
ベルナデッタの火炎放射器は少し触れるだけで全身火達磨だし、最初に炎の中を突っ切った様な奇襲はもう通用しないだろう。
だからこそ接近する隙を探しながら銃撃してるのだが、接近する余裕なんて無いし銃弾も当たる気配も無い。
装備を再確認すれば、手りゅう弾も弾丸も心もとない。
無駄弾を使う余裕も無ければ勝ちに繋がる道筋も見つけられない。
どうしようとため息をつくセシリアの肌がチリッと焼ける。
「!? やばやばっ!」
とっさに石柱から飛び退けた瞬間、つい一秒前まで自分が居た場所が炎に呑みこまれる。
間一髪で避けたセシリアの視界に、ベルナデッタがゆらりと現れた。
「さて、かくれんぼも鬼ごっこも終わりにしましょう」
「っ……」
(落ち着け! 気圧されたら負けだ! まだ魔力はあるし、やりようはある!!)
猫の様に勢いよく全身のばねを使って後ろに飛ぶセシリアは、置き土産に一つ手りゅう弾を残す。
また閃光かと呆れの表情を浮かべるベルナデッタだったが、爆発の瞬間にそれが違うと察し防御態勢を取るが少し遅い。
爆発がベルナデッタを包み土埃が激しく舞う。
その隙を見逃さず、躊躇いなく弾丸を撃ち込むが耳に届くのは鉄に当たる甲高い音。
きっと咄嗟に盾を構えて致命傷は避けたのだろう、しかし立ち止まらずにセシリアはインファイトに持ち込むべく駆け寄った。
「っく、今度は爆発ですか。次から次へと……」
「うぉっ!?」
土埃はまだ濃く舞っているというのに、寸分の狂いも無く火炎放射器はセシリアへ向けられ業火が迫る。
走ったままのセシリアは横にも後ろにも避ける事は出来ず、勢いよくスライディングして避けると火炎放射器の銃口が下げられるのが土埃の中から見えた。
させるか! と心の中で吠えながら銃弾をその銃口に当てる事で射線をずらし、やっとセシリアはベルナデッタの懐へ潜り込む。
「しまっ!?」
「おらぁっ!」
「がはっ!」
滑り込んだ勢いのまま、セシリア長い脚がベルナデッタの腹を蹴り上げた。
無理な体勢のまま放った一撃は軽い物だが、隙を作る確かな一撃。
勢いを殺さないまま、セシリアはすぐさま全身を使って飛び跳ねると空中回し蹴りを叩き込む。
ゴギッ!!
「ミ“ッ”!?」
人体を蹴った感触では無い。
金属を全力で蹴りつけた鈍い音と、骨が軋む嫌な感触と一瞬遅れて伝わった激痛がぶわっと嫌な汗を流した。
何が起こった? 確かに隙を突いたはずなのに。訳も分からず顔を歪めるセシリアが土埃が晴れた瞬間に見たのは、十字架を構えるベルナデッタの姿。
ありえない。態勢を崩した状態で何十キロとある火炎放射器を盾にしたというのか。そんなのセシリアですら出来るかどうか分からない。
だが事実としてセシリアはベルナデッタの十字架を蹴りつけ、空中で態勢を崩すセシリアをベルナデッタは十字架で地面に叩き潰した。
「————!!」
「何で? とお思いでしょう」
骨が何本折れたかも分からない程、身体の内側から嫌な音が鳴り響く。
泥の様な血の塊が口から吹き出し、一瞬にして意識が持って行かれそうになるが咄嗟にベルナデッタへ向けてリボルバーの引き金を引けば彼女はあっさりと後ろへ下がってくれた。
震える弾切れの銃口の先では、細かい傷こそ作っているが致命傷の類は無いベルナデッタが穏やかに微笑んでいる。
「ごふっ……」
「主への献身は身も心も鋼にする物、貴女は私が態勢を崩せばコレを扱えないと思ったかもしれませんが……残念でしたね」
穏やかな口調ながら、片手一本で何十キロもある重厚な十字架を弄ぶベルナデッタには、自分の膂力も忘れて思わず化け物と思ってしまう。
亜人だから? 身体強化の技術が高いから? いや違う、ベルナデッタは信仰という言葉では収まらない、狂信によって意図的にリミッターを解除出来るのだ。
弾切れを起こし苦しそうに身体を起こす事も出来ないセシリアへ、ゆっくりとベルナデッタはトドメをさそうと近づく。
「我は主の従順なる僕。その手は主の敵を屠る為、その言は主への誓いを紡ぐため。その心は主の安寧の為。我、異端審問官ベルナデッタは眼前の悪魔を屠る事をここに宣言しよう」
ガチャッと構えられる十字架の先端、火炎放射器の銃口がセシリアへ突き付けられる。
肋骨所か背骨すら折れているセシリアはそれを前に、悔しそうに睨みつけるだけで抵抗する力なんて見るからにない。
最後まで微笑を崩さないベルナデッタは、聖印を一つ切るとゆっくりと引き金に指を掛けた。
「ご安心下さい。主は寛大です、主の身元でその魂は浄化されるでしょう」
「治れ」
「? ——なっ!?」
完全に勝ちを確信し油断していたベルナデッタの十字架を、魔法を使い傷を治したセシリアの左足が蹴り飛ばす。
まさかあの状態から動くなんて欠片も思っていなかったベルナデッタへ、蹴り抜いた足の勢いをつけたまま身体を捩じり、その顎を蹴り飛ばした。
今度は先ほどは違う完璧な一撃。ベルナデッタの焔の様に明るい瞳が揺れ、セシリアの全力の右ストレートがベルナデッタの頬を穿いて吹き飛ばした。
豪快な音を立てて祭壇に倒れ込むベルナデッタを前に、セシリアは固まった鼻血を噴出しながらゆっくりと立ち上がる。
「はぁ、ふぅ……」
「っぐ……まさか、治癒魔法まで使えるとは……」
「治癒魔法じゃないけど。良い加減見逃してよ」
「それは……出来ま、せん……主よ、慈悲深き我らが主よ——」
確実に顔面に入った一撃は、脳を揺らし頬の骨を折る位のダメージは入った。
その証拠にベルナデッタの視線は彷徨い、気力だけで立ち上がってるのが一目で分かる程覚束ない。
立ち上がるも、十字架を支えにぶつぶつと祈りを捧げるベルナデッタにこれ以上の戦闘は出来ないだろうと判断したセシリアは、踵を返してマリアを探そうと外を目指す。
(大分時間を無駄にした。師匠は無事ママと合流できたかな)
が、耳に届く音にその歩みは止まる。
「~~♪ ~♪」
「歌?」
外は化け物だらけ。こんな状況で歌を歌うだなんて、気が狂った女しか居ないだろう。
なら良いやと無視して警戒を解こうとしたセシリアの耳に、その聞き覚えのある声が届くと同時に扉がゆっくりと開きだす。
「薔薇の輪っか♪ ポケット一杯の花束♪ ハクション♪ ハクション♪ みんな倒れた♪」
「っ!!」
一切の迷いなく、躊躇いなくセシリアは銃を引き抜くと引き金を引いた。
カチッカチッと空の弾倉を撃鉄が弾いても、セシリアは暫く引き続けた。
五発の銃弾は扉の向こうに居る筈の、歌を歌っていたあの女に当たった筈だ。歌はもう聞こえない。
確かめるべきだ、確かめたい。
ゆっくりと扉に近づくが、その足は止まる。
触れても居ない扉が、ゆっくりと扉が開かれ鋼鉄の腕が見えた。
「酷いじゃん、人が気持ちよく歌ってるのにこんなご挨拶。あたしじゃなきゃ死んでるよ?」
「ダキナ……」
「チャオ! セシリアちゃん」
そこから出て来た顔は、忘れたくても忘れない顔。
褐色の肌、憎たらしい笑顔。ベリーショートのツーブロックの錆色の髪。大胆に肌を露出する格好。
唯一記憶と違うのは、転身したセシリアに砕かれた腕が鋼鉄の両腕に変わってる事位。
しかしいま必要なのはそれでは無い。
五発の弾丸を扉越しに撃ち込んだにも関わらず、ダキナにはかすりもしておらず、以前会った時も弾丸が当たらなかった事をあり、何らかの魔法を使って避けたのだと推察する。
人の気も知らず、笑顔でひらひらと鋼鉄の手を振るダキナを前に、素早く再装填しながらセシリアは銃を構える。
憤怒に燃える彼女の真紅の瞳を受けるダキナは、その憎悪にゾクゾクっと快感を覚えているのか小さく身を震わせ笑みを深めた。
「きもちぃ……」
「しっ!」
「あはっ!」
躊躇う理由はない。
構えなんて一切取らず、隙だらけで悦に浸るダキナに向かってセシリアは地面を蹴る。
一発銃撃するが、寸分たがわずダキナに着弾したにもかかわらず、ダキナの位置が半身分ズレている。
やはり魔法。何らかの魔法を使って弾丸を躱している。しか狼狽える理由にはならない。もう知っているから。
空気を裂く全力の蹴りを唸らせれば、ダキナは上体を逸らして避けた。
やはりそうだ。
ダキナは何らかの魔法を使って弾丸を避けてはいるが、直接攻撃は効く。ならそれで良い。それだけ分かっていれば充分。
銃を素早く納め、両の手を硬く握りインファイトへと移る。
「なんでお前がここに! また街を壊すの!?」
「知らな~い、あたしはセシリアちゃんに会いに来ただけだも~ん」
「ふざけるな!」
体力も魔力もまだまだ余力のあるセシリアの体術は、鋭く激しい。
息の着く暇も無く繰り出される暴力の嵐を、ダキナは余裕綽々に躱すが無暗矢鱈に暴力を振るうセシリアでは無い。
傍の長椅子を蹴り上げてダキナにぶつける。
避けるでは無く蹴り飛ばして長椅子を破壊したダキナの開けた視界に入るのは、こちらへ向けられる銃口。
「またそれ? 芸がないね」
「それはどうかな」
「? !!」
銃口から火が噴き、50口径炸薬徹甲弾がダキナへ迫るがそれを前にしてもダキナは余裕綽々。
しかし弾丸がダキナに着弾する手前で、黒い何かが落ちて来る。
それは閃光手りゅう弾。
一度見られたそれを馬鹿正直に投げても対策を取られるだけだから、フェイントを交えて上空に投げたのだ。
自然落下によって落ちる閃光手りゅう弾の腹を、銃弾は見事に打ち抜き虚を突かれたダキナの眼前で破裂し閃光をもって視界を奪った。
緑の閃光は完全にダキナの視界を奪い、セシリアは低い体勢で懐に潜り込む。
「おらっ!」
「がっ!?」
ミシっと気持ちの良い音が拳を伝ってセシリアの拳の中で響いた。
くの字に折れるダキナへ、セシリアのさらなる猛攻が繰り広げられる。
脾臓を貫くリバーブロー。膝を逆に折るハイキック。顎を砕くアッパーカット。
天を仰ぎ口から血を噴き出すダキナへ、一度拳を握り直しトドメのストレートパンチをがら空きの心臓へ狙いつける。
その拳が、金属の腕に包まれ阻まれた。
「効く~♡」
「なっ!? はなっ離せ!」
「また骨が二三本折れちゃった。やっぱり殴り合いは万全じゃないとね」
のけ反ったままセシリアの拳を握るダキナが前を向けば、口から血を流しながらもその眼は爛々と輝いている。
ダメージを受けているのに堪えた様子はない。
何より、セシリアの拳を握る手は万力の様に固くビクともしない。
「っぐ。あぁ……!」
「あはっ、あたしの新しい腕はどう? 良い締め付けでしょ」
ミシミシっと鈍い痛みが走る拳に苦悶の表情を浮かべ、セシリアは抜け出そうと悶えるが外せる気配はない。
痛みから逃れるために蹴りを繰り出すが軽くあしらわれる。
拳を抑えるダキナの金属の腕が、駆動音と共に蒸気を吹く。
「これね、とっても面白い機能がついてるの。あたしにぴったりの一物が」
「!? やばいっ! 離せ!」
本能が全力で警鐘を鳴らす。
今すぐダキナの腕から逃れろ! 離れなければ!
残った左腕で銃を引き抜くが、一歩遅かった。
ダキナの右肘から、一つの棒が伸びる。
矢を引く様に、全力で叩きつけようと振り被る様に。拳を握る手の平のど真ん中に穴が開く。
それはまさしく、今セシリアが左手に持つリボルバーにもある。銃口。
唯一違うのは、ダキナが撃ち出すのは弾では無い。
もっと彼女に相応しい、愛する相手にぶち込む至上の一本。
「その名もパイルバンカーってね」
「ひっ、やめっ——」
「あはっ」
ガッ! ゴンッ!! ブチッメキャッ!!!
「——っ! あああ“ぁ”ぁ“ぁ”ぁ“ぁ”っっっ!?」
絶叫と共に、セシリアが見たのは粉々にひしゃげた己の右手。
指は千切れかけ皮と血管だけで繋がり、手のひらからは骨がむき出しになっている。溢れ出す血の噴水がダキナの身体を赤く彩る。
激痛に身悶えながら後ずさるセシリアを前に、右腕から太くて鋭くて長い杭を吐き出しながらダキナは快感から恍惚と天を仰ぐ。
「あはっ、あははははははっ!」
「ぎぃ、ふーっふーっ! ……な、なおれ……」
「もうこんなのセックスだよね? ね? 最高の玩具だわー」
「死ねっ!」
「あはーっ」
息も絶え絶えに腕を治したセシリアは血走らせた目で銃弾を弾くが、当たり前の様にダキナは避ける。
銃を構えたままのセシリアは、一歩踏み出すのを無意識の内に躊躇ってしまった。
パイルバンカーの腕を持つダキナを相手に、インファイトを持ち込めば掴まれて砕かれる。これが腕や足なら治せるが、頭や心臓なら即死。
しかし銃は当たらない。
慎重にならざるを得ない相手に、セシリアは上手くいかなさに歯噛みした。
「さてさて? 二回戦といこ——っ!?」
「うわっ!?」
突如、二人へ業火が迫る。
完全に予想外の事にダキナは慌てて転げ、セシリアは這う様に地面に伏せてつむじを焦がす炎をやり過ごした。
それが誰によって齎されたかは分かるが、肩越しに振り返り背後のベルナデッタの姿にセシリアは悲鳴を零しかける。
「その声が紡ぐのは主の言葉。その手が振るうは主の願い。その足が進むは主の道。その心があるは主の御許。主よ、我らが主よ。どうか、どうか我らがか弱き主の代行者にそのお力を……」
重厚な十字架を片手で構えるベルナデッタは、ふらふらと歩き祈りの言葉を怨嗟の声の如く呟いている。
その眼は虚ろ、視線も彷徨っている。しかしその身から伝わる殺気は本能的な恐怖を呼び起こすには十分な程、鬼気迫るモノ。
ぞっと身震いを起こすセシリアは前方をダキナ、後方をベルナデッタに挟まれ、ははっと意思に反してから笑いが零れた。
「じゃぁましないでよぉぉッ!!」
「例えその身に黄の衣を纏おうとこの心は主の為に」
「ッ!」
前後から狂った女達が間に立つセシリアへ駆け出す。
一見すれば二体一。
しかし咄嗟に横に飛び跳ねたセシリアへナイフを投げるダキナへ、ベルナデッタは諸共炎を吹かす。
避けきれず熱されたナイフが幾つか刺さるが、それを炎に阻まれ追撃できないのがダキナ。
ベルナデッタはダキナもセシリアも見ていない。ただ目の前に居る敵二人を無差別に攻撃する。
状況は一対一対一。
だからといってセシリアにとって好転する訳では無く、寧ろ無差別に炎を巻き散らすベルナデッタによって聖堂は炎に包まれ出す。
「鬱陶しいわねぇ!」
「主よ、主よ……」
「それはこっちのセリフだ!」
逃げ回るセシリア。それを追うダキナ。状況を更に混沌にするベルナデッタ。
これ以上炎の手を広げられると困るセシリアは、ベルナデッタへ一発弾丸を放つが十字架に弾かれると共に炎がこちらへ迫る。
慌てて転げて避けた瞬間、低い位置にあるセシリアの頭でダキナの蹴りが迫り真面に受けて盛大に長椅子を巻き込んで吹き飛ぶ。
こちらへ追い打ちをかけようと走り出すダキナを視界に、銃を構えるセシリアだがベルナデッタの銃口が向けられてる事を知ると慌ててその場から飛び跳ねて炎から逃れる。
「あちっ! あちちっ!!」
しかし避けきれず炎がセシリアの黒いYシャツの裾に火が付く。文字通りケツに火がついた。
火を消したいが、それをする時間を与えてくれないのがダキナの存在。
「セシリアちゃぁぁあん!」
「死ね!」
「あはっ!」
「しまっ!?」
距離を詰めるダキナへ牽制の銃弾を撃ち込むが、その姿がブレて銃弾は背後に抜ける。
熱と興奮で理性の欠片も無い顔のまま、振り抜かれる拳を咄嗟に左腕で受け止めてしまったセシリアはダキナの腕のパイルバンカーが装填完了している事に気づくがもう遅い。
「ぎゃぁ“ぁ”ぁ“ぁ”あああ!!」
「ふひっ、おっと」
「がぁっ! クソがぁ! なおれ“!」
砕かれた腕を抱えながら、ベルナデッタから迫る炎を無様に転げて避けるセシリア。
身体に纏う炎の手は広がり、腕が治っていく間も火傷と焦燥感が募らせる。
「うぅ、いたい……あれ? 嘘っ! 嘘!?」
腰の違和感に見てしまった。
地面に落ちている自分の背嚢を。
炎がついているそれを。
大事な想いでを。
「やだっ! やめて!」
慌てて拾おうと駆け出すが炎はセシリアを阻む。ダキナの蹴りがセシリアを更に遠ざける。
伸ばしても届かない手の先で、炎はどんどん背嚢を包んでいく。
「いや……いやぁ……」
想い出が、あの日の様に炎の中に消えていく。
そして、中に入っている手りゅう弾に引火して爆発した。
粉々に爆ぜる背嚢。宙を舞う、千切れた真紅のシュシュが灰燼と化して目の前に落ちる。
触れれば、形すら残さず手のひらからこぼれ落ちて。
セシリアの頭の中で、ブチッという音が響く。
「そうやって……」
「あはっ、来ちゃう? 来ちゃう?」
「嗚呼主よ、どうかこの悪魔を討つ力を私に」
触れた訳でもないのに皮膚が裂け、筋肉が膨張する。溢れた血は下に垂れる事無く肌に纏わりつくと、それは黒く変色し瞬く間に光沢を放つ。
蒼銀の髪は黒く変色し、龍の頭の如き騎士の兜へ変わる。
膨張した手足からは獣の爪が生え、更に太く鋭い尻尾が地面を叩く。
黒く、竜騎士の様な姿。されど全身に走る血管の如き脈動する赤い線は、まさしく悪魔か化け物のソレ。
怒りに歪む真紅の瞳が、笑みを浮かべるダキナと聖印を切り十字架を構えるベルナデッタへ向けられる。
「そうやって私から何でも奪うなぁぁぁaaaAAAA!!!」
獣の咆哮は空気を震わせ、残像を残してセシリアは地面を砕き蹴る。
「っこの前よりはやっ!?」
「GAAA!」
知覚できない速度で肉薄し、拳を振り抜くセシリアへダキナは第六感とも言える反射神経で両腕を交差して衝撃に備えるが、振り抜かれた拳はダキナの両腕を破壊し吹き飛ばす。
吹き飛ばされるダキナがどうなったかを確かめる間もなく、セシリアの姿が炎に包まれる。
轟々と燃え盛る火に炙られる姿が見えないが、その炎から一つの火達磨が空へ跳び出した。
龍の翼を生やしたセシリア。一つ翼を勢いよく開けば炎は振り払われベルナデッタへ急降下する。
「AA!!」
「ぐっ! 経典5章12節、その身にっ纏うっ! 炎は主の愛である……」
急降下からの蹴りは地面を砕く。飛び散る破片に肌を傷つけられながら、ベルナデッタは十字架を盾に後ずさってセシリアからの連撃を躱す。
直前にダキナへの攻撃を見ていたのが一つ、そして十字架という盾の存在が間一髪で直撃こそ免れているが、身体の傍を抜ける拳や蹴りは食らったらひとたまりも無いと冷や汗が流れる。
「しまった!?」
「GAA!」
それでも、追い込まれ後ずさるベルナデッタの背後に炎が迫り逃げ場が無くなった。
目の前にはチャンスを前に拳を引き絞るセシリアが。避ける事叶わず十字架を硬く構えられようと関係ないと、全力で振り抜く。
十字架ごと殴り飛ばし、金属と金属が豪快な音を立ててぶつかる様な音と威力にベルナデッタは炎に彩られる壁にブチ当てられ血反吐を吐く。
その衝撃たるや直撃は免れたというのに、両の腕が折れてしまう程。
「オ“オ”オ“ォ”ォ“ォ”AAA!!」
地面に這いつくばるダキナとベルナデッタを一瞥すると、セシリアは低くくぐもった方向を空へ上げる。
勝利の歓声か、はたまた怒りの咆哮か。しかしその見た目はまさに理性の欠片も無い獣のソレだ。
ガンッ!
「?」
セシリアの頭へ、パイルバンカーの杭が投げつけられる。
痛くも痒くもない攻撃に、鬱陶しいそうに投げられた方へ顔を向ければダキナが殆ど繋がってるだけの腕を支えに立ち上がっている。
「ぐっ、ふはーっふはー……死にかけたわ~」
強壮剤を首筋に突き立て、嗤いながら立ち上がるダキナはまだまだ遊び足りない様子。
「……っ! 主へのっ信仰心がある……限り、この身は不滅……」
紫に変色している両腕をだらんと垂らしながら、ベルナデッタも立ち上がる。
既に十字架を握る事も叶わない。しかし彼女は激痛に顔を歪めながらも、修道服を千切って作った布を口を使って両腕と十字架を縛り付ける。
引き金を引く事は叶わない。しかし腕に縛り付ければ振り回す位は出来ると言外に語る。
「ゥ“ウ”~」
立ち上がる二人を前に、セシリアは唸り声を上げながら苛立たし気に真紅の瞳を細めて低く身構える。
ビタンビタンと地面を叩く尻尾が、本当にイラついてると分かる。
一瞬の静寂。
最初にそれを破ったのはダキナ。
「あっはー!!!」
取れかけている右腕を振り抜きながら、セシリアへ殴り掛かる。
その拳に合わせてセシリアも拳を振り抜けば、一瞬だけかち合った後ダキナの右腕は砕ける。
衝撃を殆ど殺せずにそのままダキナへ振り下ろされるセシリアの拳を前に、ダキナはニヤっと笑う。
「惑わせ。ゴーストガール」
ダキナの魔法が起動される。今まで何度も銃弾を避ける為に使われた魔法が。
振り抜かれた拳の先に居る筈のダキナがブレた。位置がほんの少しズレた。まるで目の前にいる彼女の存在が初めからそこに居たかのように、ダキナを殴ろうとしたはずが、その隣の何もない空間を殴っていたのだ。
確かに感じ取った。ダキナが魔法を起動した瞬間、感覚がズレた。
自分の認識がズラされた。
「あたしの魔法はあたしに対する【認識をズラす魔法】。だから弾も当たらないの、まっこの距離だと意表を突かないと効果ないんだけど」
「GA!?」
全力の空振りで隙だらけのセシリアの腹を、ダキナは左手のパイルバンカーで貫く。反動と衝撃で左腕は完全に砕け散るが、セシリアのどてっぱらに空いた穴に満足そうに笑う。
が、セシリアの背後に迫る影に顔を引き攣らせた。
「あっちょっタンマ——」
「ふんっ!!」
「Gア!!」
腹に刺さったパイルバンカーを引き抜こうとするセシリアを、背後からベルナデッタの十字架がダキナ諸共殴り飛ばす。
受け身一つ取れず錐揉みしながら吹き飛ぶ二人。折れた腕でどうしてそこまでの力が出せるのか、ぶつぶつと聖句を呟くベルナデッタはゆっくりと土埃を上げる二人の下へ近づく。
その土埃を振り払いながら、セシリアは立ち上がった。
「オ“オ”オ“ォ”ォ“ォ”」
そこにダキナの姿は無い。
あるのは、荒々しく杭を引き抜いてどす黒い血を噴き出すセシリアの姿だけ。
痛みは感じてる。死ぬほど痛いからこそ吠え、それが怒りに代わりなけなしの理性が吹き飛ぶ。
そしてダキナを探しているのか、きょろきょろと辺りへ顔を向け、空を見上げた。
いつの間に上ったのか、天井に飾られていたステンドガラスにダキナが腰かけていた。
「あはー、流石にこれ以上は火事もヤバいし腕も無くなっちゃったから退散するねー。チャオー!」
「ア“ア”ァ“!」
あっさりと退散しようとするダキナへ、セシリアは翼をはためかせて追いかけようとする。
しかしそれを許さない存在が。
「逃がしませんよっ!」
「GAァ!」
飛ぼうとした所へ振り下ろされる十字架を、咄嗟に右手で受け止めるが代償として右腕が折れる。
腹の傷穴を治す隙も与えられていないセシリアだが、苦悶の呻き声は漏らすも反撃に蹴りつけた。
ベルナデッタは身を剃らして衝撃を逃がすが、それでも直撃のダメージに罅が入ったのを自覚しつつ無事な方の足を軸に一回転し十字架で殴り続けようとするが、それはセシリアの左腕に止められる。
その瞬間、ドンッという衝撃がベルナデッタの身体を揺らした。
「……ごふっ」
ベルナデッタが見下ろせば、腹にセシリアの尻尾が刺さっている。
泥の様な血を吐き出したのを合図に、ずぷりっと音を立てて尻尾が引き抜かれベルナデッタはへたり込んだ。
度重なる負傷を自己暗示で誤魔化してただけのベルナデッタの身体は、もう立ち上がる事も出来ない程のダメージに白目を剥いて額を地面に打ち付ける。
「オォ……」
邪魔する者はもういない。
セシリアは魔法を起動し、全身に黒い光を纏わせ傷がない【正常な状態】に戻す。
完全に傷が塞がれば、翼をはためかせてダキナが逃げて行った天井から外へ飛び出す。
きょろきょろと辺りを見渡す彼女は、城の方を見つめるとそちらへ翼をはためかせた。
ダキナの姿は無い。だけど、探してたものは見つけた。
理性の無い獣は、本能に従って飛び続ける。
自分が探してるのが何かも分からないままに。




