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人である証

 



 避難場所へ早く行こうと城壁の上を駆けていたセシリアとマリアとオフィーリア。しかし前後を挟まれ、追い込まれてしまった。

 状況を打開するために手りゅう弾を使い、化け物ごと自爆する事で進路を開くも城壁の外の闇の中へ吹き飛ばされたセシリアだった。


 全身で感じる風と浮遊感が、自分が落下しているのだと嫌でも分かる。


(やばやばやば!!?? 手りゅう弾の位置は調整して即死は回避したけど思ったより城壁高かった!! このままだと普通に落下死する!)


 そして現在背中で風を受けながら落下するセシリアは、自爆と化け物に噛まれた所為で鈍く痛む体を治す暇も無く、必死で何とか落下死なんて間抜けな最後を回避する方法を考えている。


(飛ぶしかない! あの姿になれば飛べる!)


 記憶にあるもう一つの力。

 悪魔であるナターシャ曰く、魔王で父親の力である黒い龍騎士の様な禍々しい姿。マリアを殺された時に怨嗟と憎悪によって覚醒した、まさにチートとしか言いようの無い圧倒的な力。

 その姿になれば空を飛ぶことも出来る。

 咄嗟に思いついたセシリアは、感覚を思い出す。


「…………無理!!」


 しかしどれだけダキナにマリアを殺された、あの時の光景を思い出して怒りに腹の底が煮えたぎっても、姿が変わる兆しは欠片も無い。

 そうこうしてる内にも、刻一刻と地面は迫っている。

 足から着地すれば、即死は免れるだろうか。これが漫画やゲームならヒーローダイブでカッコよく決めるだけだが、生憎ここは現実。

 ビル五階に相当する高さから落ちて、何とか出来るなんて考えは甘すぎる。


「せめて減速すればっ!」


 空中で身を捩じり、血濡れた拳を深く握ると息を一つ浅く吐いて目の前の城壁に突き立てる。


「あ“あ”あ“あ”あ“あ”あ“ああぁぁぁ!!


 ガガガッ! っと肉所か骨すら削りながら右腕を杭に減速を図るセシリアは、その尋常ならざる痛みに吠えて耐える。

 地面まで後3m! 落下速度は未だ危険域。


「まだまだぁ!!」


 ならばと左手も突き立てる。

 手首から嫌な音が鳴り、途端力が入ら無くなれば身体ごと押し付けて更に深く突き立てて。

 右の肘から骨が突き出し、セシリアの顔面を真っ赤に染め上げても堪えろ!

 地面まで後2m! 落下速度漸く低下を見せた。


「止まれぇぇぇえ“え”え“!!!」


 その願いが通じ、次にセシリアを襲ったのは母譲りの魅力的な臀部への衝撃だった。

 遥かに腕の方が痛みは強いのに、意外と臀部への衝撃はセシリアにダメージを与え呻き声と共に、壁からひしゃげた両腕を抜いたセシリアは流石に地面に大の字に倒れ込んだ。


「ぜぇっぜぇっ……治れ……」


 魔法を起動すれば、全身を白い光が包み噛み千切られた傷だろうがひしゃげた腕だろうが、全てが一切合切元の状態に戻る。

 10の時にマリアを救うため、絶叫と激痛の中でセシリアが得た力であり、【正常な状態へ戻す】という願いから生み出された想いでもある。

 出血と激痛で顔面蒼白だったセシリアだが、その日焼けして尚白い肌に血の色を通わせれば、痛みの残滓に顔を顰めながら立ち眩みを覚えているかのようにふらふらと立ち上がる。


「ふぅ……流石に死ぬかと思った。千夏ちゃんがついてるとは言え早くお母さんの元へ戻らないと、こっちであってるよね」


 純白の手に余る大きさのリボルバーに、50口径炸薬徹甲弾を装填しつつ頭上を見上げて元々向かっていた避難場所へ向かっているであろうオフィーリアとマリアとの合流を果たすべくセシリアは駆けだす。


「千夏ちゃんなら大丈夫だよね……でも千夏ちゃんってお姫様だからあんまり戦えない? いやでも、なんかチート魔法持ってるって言ってたけど……ダメだ、やっぱ不安」


 走りながら、頭の中はマリアの事で一杯。

 あの時、トリシャとガンドが殺された日。あの日からセシリアの中で、マリアの存在は大きくなり続けていた。

 マリアと一緒に居たい。

 マリアを笑顔にしたい。

 マリアを護りたい。


(次は絶対傷つかせない。私が絶対ママを護るんだから。私だけが……)


 マリアの隣に、マリアの前に、マリアの傍に居て良いのは自分だけ。

 マリアを護れるのも自分だけ。守って良いのも自分だけ。


 唯一の例外が千夏オフィーリアだけ。

 前世で親友だった千夏だけは咄嗟にマリアの事を任せる位には信用しているが、しかしオフィーリアに守られるマリアの姿を想像したセシリアの表情は、自分でも気づかない内に酷く歪む。


 倒れた篝火に引火し燃え盛る火の傍を駆け抜けたセシリアの影が、悪魔の様に禍々しく歪んでいる。


「莉頑律縺ョ縺秘ッ縺ッ縺斐■縺昴≧縺ァ縺咎?ゅ″縺セ縺」

「邪魔っ!」


 目の前に現れる化け物の頭を荒々しく地面に叩きつけながら、セシリアはただ走り続ける。

 まるで全てが変わったあの日の再現の様に。その時とは違うのは、目の前に現れる全てを怒りの形相で壊す少女の姿。

 血が歪む顔を、綺麗な髪を染めようが荒い息を吐いて駆け続ける。

 真紅の瞳が昏く光る姿は、まさに悪魔と言えるだろう。


 見渡す限りは死体と、徘徊してるか貪ってるかの化け物だけ。

 人の気配はなく避難したか、はたまた殆ど死に絶えたか。どちらかは分からないし、知る必要も無い。

 ただ一目散に駆けるセシリアは、道が合ってるが確信の持てない不安とマリアの安否だけが気になってどんどん表情は険しくなる。


 視線の先に、震えて蹲りながら祈りを捧げる修道女の姿を見つけた。

 逃げられないのだろうか、化け物に囲まれている。


「し、主よ……どうか、どうかこの憐れな亡者に主の寛大な慈悲を……」

「驕輔>縺セ縺、驕輔≧繧薙〒縺」

「縺薙s縺ォ縺。縺ッ縺薙s縺ー繧薙?縺斐″縺偵s繧医≧」

「縺?>螟ゥ豌励〒縺吶?蜒輔?譎エ繧後〒縺」


 ドパンッ!!

 一切の躊躇いなく引き金を引いて、化け物の頭を簡単に破壊する。人型とは言え、元の姿形一つ分からない化け物相手に50口径炸薬鉄鋼弾をぶち込むのに躊躇いなんて起きる筈も無い。

 何が起こったのか分からず呆然と顔を上げた修道女に、道を聞こうとセシリアは近づく。


「大丈夫ですか。ちょっと道を聞きた——」

「ひっ!? その眼……いやっ! 来ないで!」

「あっちょっと!!」


 しかしその修道女は助けられたにも関わらず、セシリアの真紅の瞳を目の当たりにして悲鳴を上げて覚束なく逃げて行った。

 残されたのは道を聞くことも出来ず、半端に手を上げて見送るセシリアだけ。

 このスペルディア王国にて真紅の瞳は忌むべき対象である事を思い出したセシリアは、深く息を吐いて俯くと。


「っもう!!」


 荒々しく足元の死体を蹴りつけ、血と臓物が激しく飛び散らせる。

 人助けをしたのに、道を聞こうとしただけなのに。何故こんなに怯えられないといけないのか。血濡れた手で顔を覆う指の隙間からは真紅の瞳が覗き、歯ぎしりが一つ鳴る。


「……っ、イライラする。何なのよ皆して悪魔悪魔って……」


 不快感が留まる所を知らない。

 助けられた癖になんて態度だ。この国に来た時の事を思い出せば、そのストレスは更に加速する。


「あーっもう! ホンっとムカつ……誰かこっちに走って来てる?」


 地団太を踏もうとした所で、段々と近づいて来る石畳を蹴る足音に気付いてセシリアは、その音が響いて来る方の角に身を隠し銃を構えながらそれを待つ。

 無視しても良かったが、仮にその足音が生者に依るものなら脅してでも道を聞こう。その内心が表に滲み出て、銃口は足を撃ち抜ける位置に向けられている。


 タッタッタと闇の向こうから響く足音は確実に近づいてきて、僅かに聞こえる荒い吐息が生者なのだと察せられる。

 化け物から逃げて来ているのだろう。しかしそれを銃口で迎えるセシリアの姿に優しさや労いと言った感情は一つも無い。

 何をしてでも道を聞き出そうという敵意が滲む。


 そして、闇の向こうから人影が現れる。


「止まれ!!」

「!?」


 人影に向かって鋭く声を発し制止させた。

 驚き足を止め、肩で息をする人影に向かって銃口を隙なく突き付けながら、セシリアはゆっくりとこちらへ歩く様に声を出そうとした所で思いもよらぬ人物であることに気づく。


「まさか……セシリアかい?」

「? ……その声は、師匠!?」


 人影がゆっくりと月明りの元へ歩きだせば、セシリアは見知った顔に銃口を下ろした。

 魔女のおとぎ話にある黒いローブ。初老であろう事が伺える小皺や白髪混じりの茶髪と、不機嫌そうな物調面と年齢に反しピンと伸びた背筋が特徴的な、セシリアの持つ銃の製作者でもあり魔法の覚醒に関わった師匠であるアイアス。

 予想外の再開に驚くセシリアだが、アイアスの身体の至る所に傷や血がついてるのを見つけると慌てて駆け寄り魔法をかける。


「悪いね」

「うん、それよりなんで師匠がここに? 勇成国に居たんじゃないの」

「アンタらがこっちに飛ばされたって聞いてね、元々この国には来るつもりだったし来ただけだよ」

「そっか……ごめんなさい、心配かけて」

「全くだよ……と言いたいとこだけど、今回は事故だから仕方ないさ。それより、マリアはどうしたんだい? 一緒じゃないのかい?」

「お母さんは——」


 そもそも、今回セシリアとマリアがこの国に飛ばされた原因はアイアスに無いとは言えない。

 まだ若い頃に作った、イナリとアイアスの共同制作物。イナリの空間魔法に依る空間跳躍を、アイアスが何かしらの物に付与させ、門の様な物を作れないかと研究していた物を放置していたのが原因だ。

 二対一体であるそれだが失敗作で放置していた上、片方は記憶も朧げな昔に紛失していたのだ。

 まさかそれが今回起動して、スペルディア王国に飛ばされるとは誰が思えよう。

 だからこその事故というアイアスの言葉。

 常に一緒に居る、ましてやこの非常事態に傍に居ないマリアの事を心配しアイアスが聞けば、セシリアはここまでの経緯を搔い摘んで語る。


「……で、今はちな……オフィーリアちゃんにお母さんを任せて、急いで私が後を追ってるの」

「そのチナツって前世の親友の事も聞きたいけど、今はそんな場合じゃないね。道は分かるのかい?」

「うぅん。さっぱり、さっきも修道女に道聞こうと思ったけど逃げられて……」

「まぁ、この国の信心深い者で良い歳の奴は大体真紅の瞳に過剰反応だからね」


 元々、教会などでは人魔大戦の影響もあって真紅の瞳は悪魔の眼。という認識が強い。事実セシリアも冒険家として活動していた頃は何度も言われたし、着いた二つ名が『母親狂いの悪魔』でもあった。

 しかしこのスペルディア王国では、10数年前に起こった魅了魔法に依る経済破綻によってもう一つの恐怖の対象として刻まれている。

 魅了魔法を使って欲望のままに生きた一人の少女の眼が、真紅の瞳だったのだ。だからこそ、真紅の瞳は悪魔云々、自分達の国を陥れた忌まわしき証なのだ。


「まぁいいさ、避難場所だろ? 当てはあるからついてきな」

「師匠知ってるの?」

「城の避難場所なんてどこも似た様なもんだからね、大体の予想はつくさ」

「おー。それじゃ急ご、お母さんと早く合流しないと」

「そのブレの無さだけは感心だよ……」


 頼もしいアイアスの先導で、セシリアは再び走り出す。

 元々、数体程度の化け物ならセシリアの相手では無いし、仮に集団で襲われても落ち着いて対処できれば銃に手りゅう弾と、これまた対処には困らない。

 足を止める事無く走るセシリア達は、生存者に一度も会う事無く目的の場所へたどり着く。


「ここだ、確か千夏ちゃんは聖堂へって言ってた」

「ならここしかないね。避難場所にも使える規模なんてここくらいだよ。アタシが先に中を見るから、アンタはここで待ってな」

「分かった」


 中に他の避難者が居れば、真紅の瞳を持つセシリアはパニックの原因になる。

 セシリアが知りたいのはここにオフィーリアとマリアが居るかどうか。

 アイアスの言葉に従って扉前に佇むセシリアは、朗報を待つだけ。

 数分は掛かるだろうなと装備の再確認をしていたセシリアだが、その予想に反して直ぐに扉が開かれた。


 居た? と聞こうとしたセシリアだが、アイアスの更に皺を深めた仏頂面に結果を悟る。


「居なかったの?」

「あぁ、それどころか人っ子一人いやしない」

「何で? 普通こういう所は避難場所でしょ?」

「アタシが聞きたいよ。とりあえず中に入りな、ここに向かうつもりだったんだろ? 入れ違いになるよりは待った方がいい」

「……分かった」


 本当は今すぐマリアを探しに行きたい気持ちをぐっと堪え、アイアスの言葉も一理あると聖堂の中に踏み込む。

 確かに中には人一人いない。

 それどころか、初めから誰一人ここに来ていないのか人の気配すらしない。

 教会や聖堂は、祭事や告解だけでなく緊急時には避難場所にもなっているのは、セシリアだって知っているこの世界での常識だ。

 にも関わらず、誰一人来ていないというのはそれほどに生存者の数が少ないのかとため息が出る。


 長椅子に腰かけて一息つくも、マリアが心配過ぎるセシリアは貧乏ゆすりしたり意味も無くリボルバーの弾倉を閉じたり開いたりと落ち着けない。


「落ち着きな。焦ったって仕方ないだろ」

「分かってるけど」

「親友が一緒なんだろ? ここで合流するんだろ? 心配なのは分かるけど、今は身体を休めな」


 分かってはいるけど、という言葉を飲み込んでセシリアは落ち着きなく腰を深くした。

 マリアが何処に居るのか、怪我はしてないだろうか、怖い思いをしてないだろうか。そう思うだけで冷静さが失われるし、何よりまた失ったらと思うと背筋に薄ら寒い物が走る。


 その様子を心配そうに見つめながら、アイアスは間に通り道を挟んで横に座る。


「師匠。師匠って親友っている?」

「馬鹿にしてるのかい? いるに決まってるだろ」

「だよね」


 聞く側によっては嘲りに聞こえる質問だが、セシリアにその気が無いのが分かってるアイアスは返答だけは不機嫌そうに、しかしセシリアの次の言葉を黙って待っている。

 暑さからか、不安か、セシリアは緩く垂らされている真紅のネクタイを緩めながら口を開く。


「千夏ちゃんはね、前世での親友なの。一人ぼっちで殻に閉じこもってた私を引っ張ってくれた、今でいうならお母さんみたいな存在だったの」


 前世の、愛衣であった頃の家庭環境はごく一般的な家庭崩壊を起こしていた。

 父親は仕事人間で顔を合わせるのなんて週に一度か二度。

 母親は父親との不仲から遊ぶ時間も無く習い事をさせたが、最終的に不倫して育児放棄し、愛衣が居ようと構わず盛り、最後は愛情や後ろめたさの一つも見せず家族を捨てた。

 友人も居なかった。孤高と言えば聞こえはいいが心を閉ざしていた愛衣に、その憂い気な美女に何とか話しかけるのが精いっぱいで、決して踏み込まなかった。愛衣も一歩を踏み出さなかった。


 でも千夏だけは違った。

 誰もが踏み出せなかった一歩を、愛衣が踏み出せなかった一歩を、固い殻を、孤独を簡単に、無理やり壊したのだ。

 千夏が居たから学校が楽しくなったし、趣味も出来た。笑顔を浮かべられるようになった。

 そして……あの夕陽の中で自分すら理解しきれていない想いを告白した。

『お母さんになって』と。


「千夏ちゃんは親友だよ? 前世云々抜きにしても一緒に居ると楽しいし、この世界の人には通じない事も話せるから気が楽だし……でも」


 言うべきか言わないべきか、傍目には悩んで視線を彷徨わせる様にしか見えないセシリアだが、アイアスは弟子が上手く気持ちを言語化出来ないのだと見抜く。

 そもそも自分がマリアに対してどういう感情を持っていて、それがたった一言で現わせられるにも関わらずそれに気付かない子供だ。

 何となく想像はつくも、黙って耳を傾ける。


「千夏ちゃんとお母さんが一緒に居て、お母さんの隣に私が居ない。お母さんを護るのが私じゃないって思うと……なんかすごく嫌なの。千夏ちゃんを嫌いって思っちゃうの」

「……はぁ」


 面倒くさいな、という内心がありありと浮かぶアイアスのため息が全てを物語る。

 そんなの理由なんて一つしか無いだろう。

 そう言えばこの前も似た様な事を聞かれて、結局答えて無かったなとアイアスは天井の美しい聖母が腕の中の赤子を抱いて微笑むステンドグラスと壁画を見上げた。


「嫉妬だねぇ」

「嫉妬?」


 面倒くさすぎて、とうとうその言葉を口にした。それを口にしたからには、セシリアの気持ちも答えなければいけない。

 セシリアがマリアに抱く、親愛以上のその想いに。


(まぁ、マリアなら大丈夫だろうね)


 仮にここでセシリアが自分の気持ちに気付いても、きっとマリアは拒絶しない。困惑はするだろうが、普段の二人の姿を見ていてそれだけは無いと断言できる。

 だからアイアスはその根拠を語ろうとする。後ろで扉がゆっくりと開いたのに気付かず。


「マリアが好きなんだろ? マリアを護りたいんだろ? そんなの全部独占欲だよ。マリアを取られたくないって言うね」

「どく……それって」

「あぁ、まさしく恋——」


「主は寛容です。故に全てを拒みません。それが例え主に仇名す悪魔だろうと」


「「!?」」


 アイアスの言葉を遮って背後から聞こえる声に、二人は一転して反射的に身構える。

 何時入ってきた? 扉から? 音も気配もしなかった。確かに二人共話に集中していたとはいえ、物音一つしない聖堂の中で扉が開けば否が応でも気づく筈。


 にも拘らず、二人は一切その存在に気付かない所か僅か数m後ろまで近づかれている。

 そこに立っていたのは、2mはあろう大きく重厚な十字架を背負った鬼人種の修道女。

 女にしては高身長で、並みの男より高い。その体つきも、戦闘に従事しているのかはたまた亜人特有の種族性か、純白の修道服に包まれた身体は服の上からでも分かる位鍛えられている。


 鬼人種特有の額から天に向かって生える二本の角と、頭巾から覗く焔の色をした髪と瞳が特徴的な、一見優し気な模範的な恰好をした修道女。

 しかしその背に背負う並みの男では持つ事すら困難であろう重厚な十字架と、穏やかな笑顔にも関わらず背筋を走る鳥肌が本能的に危険を訴える。


 相手が修道女という事で肩の力を抜いたアイアスが、一歩修道女——ベルナデッタ——に近づく。


「何だい修道女か、驚いたよ。なぁアンタ、ここは避難場所で合ってるんだよね? 悪いけどオフィーリア姫と蒼銀の髪の女性を見なかったかい」

「残念ですが、そのお二人には会っていませんね……それと、ここは避難場所ではありませんよ」

「何?」

「師匠! 下がって!!」

「なにを——!?」


 セシリアの悲鳴にも近い警告に、肩越しに振り返ったアイアスはベルナデッタから伝わる()に息をのんだ。

 反射的に振り返ったアイアスが見たのは、こちらへ向けられる重厚な十字架の先。

 そこには、アイアスにとってもセシリアにとっても見覚えのある穴があった。

 しかし二人の知る銃口とは違うのがその穴の向こうに光がゆらゆらと、いや、光では無い。それは炎。小さく揺れる炎がアイアスを確実に捉えている。


「悪魔に与する異端者に、浄罪の炎を」

「師匠!」

「舐めるんじゃないよ!」


 まさに銃を構える様に、腋に十字架を挟み片手一本で横に倒すベルナデッタの手が、交差点である持ち手を引き金を引く様に引けば細かい部品が駆動する音がアイアスの耳に入る。

 射線が被り引き金を引けないセシリアの声を背に、アイアスは大きく後ろに飛びながら自身の【物質に干渉する魔法】を起動しベルナデッタと自分の間に地面を変形させて作った壁を挟む。


 刹那、尋常ならざる炎と熱が二人に襲いかかる。

 土壁が縦になってるとは言え、それすら瞬くまに呑みこもうとしている炎は執念深い獣の様にアイアスに迫り、その熱がアイアスの髪や服を焦がす。


 後ろに転びながら距離を取って漸く、炎の手から逃れたアイアスは僅かに身体に焦げ臭さを纏わせながら、冷や汗を流して納まる炎と融解して崩れ落ちた土壁を見つめる。


「はぁっ、はぁっ……死ぬかと思ったよ」

「火炎放射……しかも威力がヤバい」

「炎を放つ、ね……アンタの銃と似た原理だが、この距離であの威力なら相当の凶悪さだね。何より厄介なのは、アレ多分異端審問官だよ」

「異端審問官?」

「異端審問官とは、悪魔を討つ主の剣です」


 聞き覚えがあるような無い様な言葉に首を傾げるセシリアだが、その疑問に答えたのはアイアスでは無い。

 融解した土壁を乗り越え、重厚な十字型の火炎放射器を片手で脇に抱えるベルナデッタ。きっと平時に会えば優しい修道女という印象をそのまま受ける、穏やかな微笑を携えているが、今の状況ならどっちが悪魔だか。


「悪魔……この眼の事」

「えぇ、悪魔とは嘗て人類を窮地に追いやった主の敵。であれば、我ら主の信徒はこの身をとして悪魔を討つ事を命題としているのです」

「私……別に悪いことしてないけど」


 実際、セシリアは悪魔の血を引いてるし真紅の瞳がそれを物語っている。しかし悪い事なんてしていないし、殺される筋合いなんて無い。

 ゆっくりと立ち上がり銃を構えるセシリアに、ベルナデッタは被りを振りながら聖印を切る。


「その存在が罪なのです」

「何それ、頭おかしいんじゃないの」


 悪魔悪魔悪魔。

 この国に来てから真紅の瞳ってだけで散々な目に遭った、悪魔だなんて言われて異様な程怯えられた。

 そしてここに来て悪魔だから殺すと言われ、機嫌の悪かったセシリアはブチッと来てしまう。


「師匠、あいつは私が相手するから師匠はお母さんと千夏ちゃんを探して」

「……逃げるって選択肢は無いのかい」

「逃げられるなら逃げたいけど、逃がしてくれそうにないもん」


 こんな無駄な戦闘、軽くキレてるとは言えマリアの安否に比べればさしたるものだ。本来ならベルナデッタなんて無視してマリアの元へ行きたいセシリアだが、ベルナデッタは今は黙って待ってるとは言え見逃して貰えることは無いだろう。

 二人して戦っても良いが、マリアの安否も気になる。アイアスは逡巡の末頷いた。


「分かった。マリアは任せな、かならず見つけて保護する」

「ありがと……あはは、でもやっぱお母さんを他の人に任せるのは嫌だな」

「ならさっさと終わらして追いかけてきな」

「おっけー、がんばる」


 アイアスを逃がすためにはどうしたらいいか。簡単だ、その手段がセシリアにはある。ぐっと自分が行きたいのを我慢してセシリアは託した。

 背嚢から閃光手りゅう弾を取り出すと、魔力を流してベルナデッタとの間に放り投げ、緑の閃光がベルナデッタの視界を奪った。


「!?」

「師匠! 任せたからね!」

「アンタも! 死ぬんじゃないよ!」


 ベルナデッタの隙を突いてアイアスが側面から走り出し、出口を目指す。

 しかしベルナデッタは完全に目をつぶっているにも関わらず、器用に足音と気配を頼りに完璧にアイアスへ十字架の銃口を向けるが、豪快な炸裂音が轟くと同時にベルナデッタは反射的に十字架を盾にし、3発の弾丸を受け止める。


 ドパンドパンッ!!

 更に二発、計五発の炸薬徹甲弾が撃ち放たれるが、ベルナデッタの重厚な十字架の表面に火花と僅かな凹みを作るだけで気を逸らす程度にしか効果はない。

 しかし今はそれで充分。

 扉が閉じる音が、アイアスが完全に離脱した事を伝えセシリアはリロードしながら目を開けるベルナデッタを見つめる。


「……その武器、私のコレと似てますね。魔導歴の遺物ですか?」

「自作だよ。その言い方だと火炎放射器は遺物なの」

「はい、正式名称は浄罪の焔。代々異端審問局が管理している魔導歴の遺物です、なんでも元々は罪人を処刑する道具だったそうですよ」


 処刑道具に浄罪だなんて、傲慢な名前を付けられた武器を誇るベルナデッタを前に、セシリアは警戒を崩さず一歩距離を取る。

 恐らく火炎放射器の射程はこの聖堂全体に届くだろう、しかしそれはこちらのリボルバーも同じ。

 距離を取って戦うか、一気に懐に潜り込んで戦うか。

 さてどちらが正しいか。


「さて、おしゃべりはここまでにして」


 ガシャン! と駆動音と共に十字架が開かれる、冷却のために銃口部分が開かれたソレは、まさに武器の様相。


「天上におわします我らが主よ、我ら貴方様の信徒は貴方様に仇名す外敵の一切を撃ち滅ぼす事をここに誓います。どうか、このか弱き信徒に御身のお力を」


 聖印を切りながらベルナデッタの持つ十字架から、全てを焼き尽くす業火がセシリアに襲い掛かる。

 一瞬にして酸素すらダメージの一部になる業火は、僅かに後ずさったセシリアを呆気なく呑み込み。


 ドパンッドパンッ!!


 業火の中を突き抜ける弾丸がベルナデッタに迫り、身を捩じって避けるベルナデッタの視界には炎を身体に纏わせながら突っ込んでくるセシリアの姿が。


「火達磨は慣れっこなんだよ!!」

「!!」


 全身に火を纏わせたセシリアのストレートパンチが、まさかの突進に目を見開くベルナデッタの顔面を殴り飛ばした。

 悪魔だ悪魔だと煩わしい敵を吹き飛ばす。

 身体に纏わりつく炎を叩いて消し、火傷を治したセシリアはここまでのストレスが爆発し吠えた。


「悪魔悪魔って煩いんだよ……私はっっ! 人間だ!!」


 人間だと吠える彼女。しかしその形相は鬼の様に歪んでいた。


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