冥府の花嫁 ヘルベリア
(ごめんなさい。セシリアちゃん……フランちゃん、もう一回だけ会いたかったデス)
矢も尽きた、魔力も碌に無い、武器は父から貰ったナイフだけ。
疲労懇倍で涙の痕が残るヤヤは、化け物を前に立ちあがる気力を失ってしまっていた。
誰も救えなかった。
助ける声を無視した。
助けてくれた人を見捨てた。
そのどれもが、ヤヤの心から抗う強さを奪った。
牙を失った狼は、自虐と諦念の笑みを浮かべたまませめてすぐに死ねる様にと目を瞑って、自分を食らおうと迫る化け物を前にへたり込んでいる。
ぎゅっと小さく身を縮こまらせながら、ヤヤはその時を待つしかない。
「縺薙s縺ォ縺。縺ッ縺薙s縺ー繧薙?縺斐″縺偵s繧医≧」
「縺?>螟ゥ豌励〒縺吶?蜒輔?譎エ繧後〒縺」
「莉頑律縺ョ縺秘ッ縺ッ縺斐■縺昴≧縺ァ縺咎?ゅ″縺セ縺」
化け物がゆっくりと焦らす様に近づき、ヤヤの未成熟の柔らかい身体へ食らいつこうと汚い歯を露出させ、ヤヤの上に影を被せる。
ぶるぶると震えるヤヤの口から、小さな声が漏れた。
「誰か……助けてデス」
「おっけーっしょ」
「へ?」
助けを求める声に、答えが返ってくる。
はっと目を開いたヤヤは、化け物の上から影が落ちて来るのを見つけた。
影。
そうとしか言いようがない程に、影その物だった。
全てを埋め尽くす漆黒の闇が、助けを求める声を聴いて駆けつけたとでもいうのか、化け物の後ろに着地すると、蠢き形を成す。
「呼ばれて飛びでてなんちゃら~。俺! 参上っしょ!!」
「……エロメロイさん、デス?」
「お久、って程でもないけど久しぶりっしょ、犬耳っ子」
「ヤヤは灰狼デス! ってそんな事より化け物が!」
蠢く影が成した形は、黒髪の前髪の真ん中を上げてパーカーに身を包んだ糸目の悪魔エロメロイ。
悪魔である事を証明する、青い肌と真紅の瞳。
軽い言葉遣いと雰囲気が特徴的な、魔界から現れた元魔王軍偵察部隊、非常対策担当が一人。
何やら少年魂擽るポーズと共に現れたエロメロイだが、今ヤヤを食らおうとした化け物だけでなくその背後からも化け物がにじり寄ってくる。
ヤヤの警告に首を回してざっと一瞥するが、完全に囲まれているというのにエロメロイに焦った様子はない。
鼻で一つ笑うと右手を広げた。
「はっ、寄ってたかって女の子を襲うとかダセぇっしょ……ていうかよぉ」
「デッ」
親しみやすいお兄さんと言った雰囲気のエロメロイだが、食い殺された母子の姿を見ると薄く糸目が開かれ真紅の瞳が覗いた。
闇夜に浮かぶ真紅の瞳は、剣呑に光りヤヤの本能が濃密な殺気を感じ小さく悲鳴を零す。
今までの人生で一度も感じた事のない、獣の殺気なんて可愛い物だと思ってしまう濃密な殺気。
一体どれほどの経験、戦闘をこなしたらこんな殺気を放てるのか、幼いヤヤには想像もつかない程の血よりも濃い殺気。
「俺はよぉ、まぁ大概の事は許せる訳っしょ。姉貴にこき使われようが姉貴に蹴られようが、姉貴に……あれ? 俺の姉貴クズじゃね?」
「ぶはぁっ!? はぁっはぁっ」
しかし自分の姉の事を思い出して苦笑いを浮かべると、その殺気も霧散する。
身体が重く感じる殺気が霧散して、溢れる汗と共に荒く短く呼吸をするヤヤは彼の足元の影が蠢いてるのに気付く。
その蠢く影は、ゆっくりとエロメロイの右手に収束し形を成していく。
影は、長い柄から始まる。
「まぁ何だ、この際姉貴の事は置いとくとして……平和ってのは良いもんだと思うっしょ」
身の丈もある柄から、刃が生える。
魂を刈り取る三日月の如き死神の刃。
「上手い飯を食って、夜が来たらベットで寝て、朝を気持ちよく迎えて。友達と冗談を言い合ったり夢の為に努力してよ……そういう何でもない日常ってのは、何よりも得難いもんなんっしょ」
雲から月が顔を出す。
罪人を刈り取るギロチンは、月明かりすら吸い尽くす漆黒の刃。
影がそのまま大鎌の形を成し、混ざり一つない黒は美しいと思ってしまう。
その無駄の一切ない、ただ命を刈り取る事だけに特化した武器は、武器であることを忘れる程に本能的な美しさがあった。
その美しい漆黒の大鎌を持つエロメロイは、自分の身体の一部の如き流々な仕草で鎌を弄ぶ。
「そういう普通ってのを心の底から望む奴からすればな、それは普通じゃなくて幸せって言うんっしょ。普通の幸せの為に命を賭けた者達ってのを俺は沢山見て来た……厭って程にな、だからよ」
漆黒の大鎌・ヘルベリアをエロメロイが振るえば、化け物の首をいとも容易く刈り取る。
一体、また一体と息を吐く様に簡単に罪人の罪を償わせる。
普通を壊す罪を。
「許せねぇんだよ。俺達が必死で掴もうとした普通を、こうやって簡単に奪えるような奴はな!!」
吠えながら大きく大鎌を振れば、周囲の壁諸共化け物を両断する。
まるで彼の怒りを表す様に大きく傷跡を作りながら、それでも彼の動きに乱れはない。身に沁みついた戦闘センスは月明りの下で舞う踊り子の様に掴めない。
「きれェデス……」
化け物を蹂躙するエロメロイの舞を、ヤヤは呆然と、その口から純粋な賞賛を送った。
怒りに燃える力強さと、そこにたどり着くまでにどれほどの修練を重ねたか推し量る事も出来ない滑らかさが闇の中を駆ける狩人を彷彿とさせた。
群れで生きる狼とは違う、たった一人で生き、暗闇の中を力強く駆ける獣の姿にヤヤの自然の中で生きた本能が疼く。
——あんな風になりたい。
そう憧れを抱くのは、無理からぬ強さがあった。
「雑魚が! 調子に乗るなっしょ!!」
「エロメさん! また来たデス!」
「はっ! 問題ないっしょ!」
戦いの音に惹かれたからか、はたまた生者の眩い程の煌めきに惹かれたからか、化け物はその数を増していく。
既に狭い通路は化け物の死体で埋め尽くされ、一歩間違えれば足を取られてしまう程。
しかしエロメロイは獰猛な獣の様に口端を引くと、通路を埋め尽くして迫りくる化け物の群れに飛び込む。
「ヘルベリアちゃん! 気合入れるっしょ!!」
エロメロイの呼びかけに答えたのか漆黒の大鎌が揺らげば、その形を更に大きく、禍々しく形を変える。
元々2m程はあった大鎌は、3mを越し眼前に阻む物全てを両断する事が出来る程の鋭さに様変わりした。
ニヤリと満足そうに笑うと、エロメロイは柄に両手を掛けて中に舞い遠心力と共に力強く振り抜く。
「おらぁっしょ!!」
触れる事すら許さない。
蝶を掴もうとすれば鼻先で弄ばれる様に、迫りくる幾つもの化け物の腕の間を滑り抜けながらエロメロイは何度も何度も大鎌を振るう。
血潮が脚を滑らす、脂が刃を鈍らす。
熱い息を吐き、垂れる汗すら鬱陶しい。
「っそ、流石に飛ばし過ぎたっしょ——!?」
化け物の数に限りは見えない。
荒れ狂う濁流の中を抗っているかの様な終わりの見えなさが、エロメロイの体力を確実に奪っていく。
苛立たし気に顔を顰めた彼は、地面に染み広がる血脂に足を滑らせて体勢を崩してしまった。
慌てて体勢を整えるが、一瞬見せた隙は致命的。
化け物達は大挙してエロメロイへ襲い掛かる。
「へ、ヘルベリアちゃん。これは不味いっしょ」
元の大きさに戻った漆黒の大鎌ヘルベリアと共に、エロメロイは冷や汗を流して頬を引き攣らせた。
あと少し、あと少しで倒しきるのに。
エロメロイの耳元を、何かが勢いよく走り抜けた。
「デ―――ス!!」
「!?」
笛を吹く音を奏でながら、一本の矢が化け物の眉間に突き刺さった。
血だらけで、突き刺さった瞬間に折れるボロボロの矢。
誰が撃ったか、一人しかいない。
エロメロイの振り返った先には、もう魔力なんて欠片も無い所為で顔を真っ白にして今にも倒れそうになりながらも、荒い息で震える膝を抑えるヤヤの姿があった。
牙は折れ、震えて縮こまっていたヤヤの、精一杯立ち上がる姿があった。
誇り高く、泥臭くも立ち上がるヤヤの姿が。
その姿がぐらりと揺れた。
「もぅ、まりょく……からっぽ……デス」
「ヘルベリア」
「デ!?」
固く血だらけの地面に倒れる前に、エロメロイの影が受け止める。
その雲の様に柔らかくて暖かいんだが冷たいんだが分からない影は、多くの命を奪ったとは思えない程に優しく受け止めた。
最後の力を振り絞って倒れるヤヤを労う様に、影はヤヤの頭を撫でるとゆっくりと血の飛んでない綺麗な場所へ寝かせた。
するするとエロメロイの下へ戻り、再び大鎌の形を成せば心なしか刃は鋭くなっている。
「はっ、子供に助けられるとか情けねぇっしょ。うっし! ヘルベリアちゃん、昔の勘を取り戻したし、気合い入れていくっしょ!!」
吠えるエロメロイが駆ければ、それに答える漆黒の大鎌も蠢いて振り抜く。
気合を入れ直したエロメロイは瞬く間に化け物の群れを一掃し、一息つくと立ち上がる事も出来ずに息を荒げたままのヤヤへ駆け寄った。
「おい犬耳っ子、大丈夫っしょ?」
「だ、だからヤヤは、はいろー、デス」
「良し、魔力切れ以外は問題ないみたいっしょ」
ヘルベリア、とエロメロイが囁けば影はヤヤの身体を布団の様に包み込む。
柔らかいけど暖かくも冷たくも無い。触ってるのに触ってない様な感覚の影は、良く分からないくすぐったさがある。
しかしその影が纏わりついてから、ヤヤの身体を襲っていた徹夜二日目の様な倦怠感と頭痛が少し和らいだ。
「あれ? ちょっと……気持ち悪くなくなったデス」
「気休め程度だけど、ヘルベリアちゃんは魔力を回復してくれるんっしょ」
「影さん……ありがとデス」
ヤヤがお礼を言えば、影——ヘルベリア——は良いって事よ! とでも言う様に影を揺らした。
一つの生物所か確実に意思疎通の出来ているそれが何なのか大いに気になる所ではあるが、それを聞く前にヤヤはエロメロイを見上げる。
「助けてくれてありがとデス。でも、エロメさんは何でここに居るデス?」
「それはこっちのセリフっしょ。まぁ、俺は……俺達は探し物があってな、そしたらこの騒動っしょ。そっちは?」
探し物が何とは言わず、濁したまま肩を竦めるエロメロイに、ヤヤは恥ずかしそうに顔を背けて小さく呟く。
「……ヤヤは、友達に会いに来たデス」
「友達? 随分行動力あるっしょ……で、会えたん?」
ふるふると首を横に振る。
フランを探しに来たヤヤだったが、この国の王都に居るとだけしか情報は無く、更に来て早々この騒動に巻き込まれたのだ、会える筈も無い。
もしかしたらどこかで殺されているかも。嫌な想像してしまったヤヤはきゅっと唇を噛んで小さな手を握りしめた。
その様子を、エロメロイはため息をついて後ろ髪を掻くとヤヤを脇に抱き上げる。
「よっと、軽いなー」
「デデッ!? 何するデス」
「とりあえずここに居てもしょーも無いっしょ。生存者を集めてる所があるから、そこへ行くぞ。ま、運が良ければその友達も居るかもっしょ」
「エロメさん……」
手早く駆けだすエロメロイに担がれながら、ヤヤはエロメロイが誰かを救って回っているという発言に尊敬の視線を向けた。
それだけではない、ヤヤのもしかしたら。という不安に希望を見出させたのだ。ただの気休めではあるが、少なくともヤヤにとってはその心遣いは温かかった。
「よっと、こいつらホント何処にでも嫌がるな……ん? どうしたっしょ犬耳っ子」
「何だか……エロメさんお兄ちゃん見たいデス」
「お兄ちゃんって……俺一応324歳なんだけどなぁ」
化け物の群れを薙ぎ払いながら、息の一つ切らすことなく駆け続けるエロメロイへヤヤは心のままに喋り掛ければエロメロイはやや不満そうにくしゃっと苦笑を浮かべた。
「それより、生存者がいれば教えてくれ。助けられる人だけでも助けるっしょ」
「分かったデス」
極力戦闘を避けながら走るエロメロイと、耳をピンと立てて生存者の声を聴き洩らさないとするヤヤ。
しかしエロメロイの眼に移るのは化け物と死体ばかり。
ヤヤの耳に届くのは死体を食らう音と、化け物の聞き取れない鳴き声だけ。
右を見ても、左を見ても地獄。
人の形を残しただけの様々な人間のパーツを継ぎ接ぎした化け物が、生者であった者を喰らっている。
痛ましげに目をそらすヤヤに反し、エロメロイは舌打ちでも鳴らしそうな程に不機嫌そうに顔を顰めながら安全地帯への道を急いでいた。
「!! 人の声デス!」
「おっしゃ! 何処だ!」
「ちょっと待つデス……これは……下からデス」
「下? 下水道か」
ヤヤの狼耳が人の声を拾い、土埃を上げながらエロメロイは立ち止まった。
地面に降りたヤヤはふらつきながらもその音の出所を何とか探すが、それが足元、地面の下から聞こえてきているのだと首を傾げながら伝える。
もしかしたら追い込まれた生存者が、下水道に逃げ込んだのかもしれない。
二人は無言で頷くと、直ぐ傍の下水道へ繋がる道を見つけて暗闇の中へ降りて行った。
二人を迎えるのは、数歩先すら見えない暗闇と鼻の曲がる酷い匂い。
肌に刺さる悪臭が、鼻の良いヤヤにとってはそれだけでダメージになる。
「うぇ……酷い匂いデス」
「まぁ下水道だしなぁ。ほれ、これで口を覆えば少しはマシっしょ」
「ありがとデス。声はこっちから聞こえるデス」
「おっけーっしょ。暗いから足元気を付けな」
慎重に、何処から敵が出て来るか分からない不安と足元を滑らせて汚水の中に落ちたくない一心で、二人はゴキブリの這う壁に手を添えながら歩きだす。
明かりを灯せればいいが、生憎と二人共光源になる物は持っていない。仮に持っていたとしても、こんな下水道の中で火を使えば爆発の危険性もあるから使えないのだが。
段々と暗闇に慣れて来た二人は、少しずつ歩みを早める。
「……聞こえたっしょ」
「デス。話し声、それも複数デス」
耳の良いヤヤは言わずもがな、エロメロイもその声を捉える。
明らかに化け物の鳴き声とは違う、人の話し声。それも複数人の話し声が暗闇の向こうから伝播してくる。
『——ら、ここ——待機——』
『——だよー。——ジナルが——からで——』
『ふぇ——ダメ——命令——』
エロメロイとヤヤは、その断片的に聞こえる会話に顔を見合わせて怪訝な表情を浮かべた。
切羽詰まってるとは思えない声音、何やら言い合っている様子ではあるが焦りや不安と言った物は感じられない。
例えるなら今日の晩御飯を決めかねて言い合っている様な、そんな感じだ。
「(どう思う……俺の勘はこの声は生存者では無いと言ってるっしょ)」
「(もう少し近づいて確認するデス。もしかしたら、この騒動の関係者かも知れないデス)」
「(だな。とりあえずもう少し近くへ行くしかないっしょ)」
二人の脳裏に猜疑心が生まれる。
この声の主は、化け物に追い込まれた生存者のモノでは無いのではないか。
足音を立てないように慎重に、その会話を聞こうと近づけば声は鮮明になる。
「だーかーらっ、ここに居てもしょうがないじゃん!」
「ダメだよ~? オリジナルが目標を起動させたらここを通って逃走って指示でしょ~?」
「ふぇぇ……二人共、静かにしないとダメですよ……」
話し声が鮮明になれば、やはり追い込まれた生存者に依るものでは無いと理解する。
明らかにこの状況を知っている者の会話だ。
二人は頷くと、それぞれ武器を手にする。
エロメロイは影を鎌に成形、ヤヤはナイフを構える。
話を聞こうと飛び出せば、その音に気付いて声の主たちの身構える気配が伝わった。
「ちょーっとその話聞かせて欲しいっしょ」
「デスデス! お縄につくデス!」
「ヤバっ!?」
「逃げろ~」
「ふえぇ、待ってよぉ……」
この事態を起こした者の関係者であろう人影は、やたら幼い声でもしや無関係なのではと思ってしまうが、しかし焦って逃げようと背を向ける姿が正解だと物語っている。
とてとてとその幼さに相応しい大きさの、ヤヤと変らない12歳位の背丈の人影はヤヤ達から逃げ出す。
しかし逃がしはしない。
「ヘルベリア」
闇の中で、影が蠢く。
光なんて無いのに、影が動いてるのだと分かる程はっきりとヘルベリアは逃げる三人に這い寄り触手の如き滑らかさで拘束する。
「うぎゃぁっ!?」
「きゃ~」
「ふぇっ!? ふえぇぇ……」
完全に地面から足が離れ、影に空中で拘束される三人へエロメロイは達成感に口元を緩めながら、その顔を見てやろうと近づく。
わちゃわちゃと空中で悶える三つの影は果たして何者か。その声に聞き覚えがあるのは気の所為だろう。
「さてさて、灯り灯りっと」
「あ、ヤヤちっちゃいランタンあるデス」
「さんきゅっしょ」
灯りを灯せば、暗闇で影に拘束され悶える三人の姿が露わになる。
やはり子供。まだまだ未成熟の身体と、その身体をぴっちりと覆う黒いボディースーツが灯りに照らされる。
見覚えのある白い髪が照らされる。
見覚えのある、人形の様な少女の相貌が。しかしその双眸に浮かぶ人間らしさは見た事が無い。
その顔は、その髪は、その声はどれもヤヤには覚えがあった。
「……フランちゃん……デス?」
「こいつ、いやこいつらが?」
「あっ……デ?」
違う、そんな訳がない。フランは一人だ。ヤヤが一人しかいないのと同じように、フランも一人しかいない。
しかしその容姿は、ヤヤの記憶にあるフランとおな……じ……。
「違うデス」
「何が?」
「フランちゃんの右目は綺麗な赤デス。それに右目を覆う火傷痕も無いデス、フランちゃんはあんなに感情豊かじゃないデス」
わーきゃーと騒ぐフランの様な一人。
のんびりとした口調で脱力するフランの様な一人。
涙目で気弱そうなフランの様な一人。
暗くて、小さなランタンでは分かりにくかったが、よく見れば違う。
フランと違う所、それは右目が赤では無く左目と同じ水色。そして右目を覆う火傷痕が無い。兄弟姉妹なんて言葉では収まらない程に同じ顔立ちだが、フランとは確かに違う。
だからこそ分からない、双子? 四つ子? そんな言葉が脳裏を過るが、ヤヤの思考をフランと同じ顔立ちの少女の声が遮った。
「フランってオリジナルの名前? 何で知ってるの!?」
「ん~、これは関係者~? でも見た事ないよ~」
「ふえぇ……皆ダメだよぉ、情報漏洩になっちゃうよぉ……」
「オリジナルってどういう事デス」
先ほどから三人組の口から伝えられるオリジナルという言葉、その言葉の真意を知りたいフランが一歩歩みよれば、三人組はしまったという表情を露わに口を噤んだ。
だがフランの足跡は確かにこの三人組が持っている筈だ、だからこそ何とか知りたいヤヤが詰め寄ろうとするが、ここまで黙って何やら考え込んでいたエロメロイがヤヤの前、三人組の眼前に歩きだした。
「成程、犬耳っ子の友達によく似た顔の女の子と、オリジナル。何となくわかったっしょ」
「な、何が分かったデス!?」
「それは後で説明するっしょ。なぁ、ちびっ子達、お前らオリジナルって言ったな……賢者の石って知ってるっしょ?」
「「「!?」」」
「……デデ?」
エロメロイの言ってる事が分からず首を傾げるヤヤだが、三人組は目を見開いてエロメロイを見つめる。
その反応こそが答えであり、エロメロイは自分の推測が当たった事に何度も頷く。
「凡そは掴めて来たっしょ。そうか、道理で探しても欠片も見つからない訳っしょ。てっきり300年前のままだと思ったけど、誰かが使ってて、その有用性に気付いてるなら探しても見つかる訳ねぇ」
「エロメロイさん、ヤヤにも説明して欲しいデス!」
「マジかよマジかよ、最悪中の最悪っしょ。とりあえず影は掴めたけどまさかもう使われてるなんて……うわぁ、姉貴になんて言や良いんだよ……」
頭を抱えて自分の世界に引きこもるエロメロイから視線を外し、ヤヤは訳分からずといった困惑顔だが三人組に顔を向ける。
みれば見る程フランと瓜二つ。
右目の赤目とそれを覆う火傷痕が無ければ、フランだと勘違いしてしまう位同じだ。
だがその顔に浮かぶ感情の起伏の多さは、フランとは真逆。
その内の一人、先ほどから元気いっぱいなフラン? の一人がヤヤに話しかける。
「ねぇそこの亜人ちゃん」
「ヤヤの事デス?」
「そう、ヤヤちゃん。フランって言ってたけど、もしかしてオリ……あーし達と違う右目が赤い方を知ってるの?」
声までそっくりだ。
しかし目の前の少女がフランでは無い事は、もう分かっている。フランは自分の事を【僕】と呼ぶし、もっと感情の起伏が無い。
しかしヤヤの知るフランの事を、目の前の少女は明らかに知っている。
ヤヤは確かに頷く。
それを見て、三人組はアイコンタクトを取った。
未だエロメロイの影、ヘルベリアに拘束され足元を浮かす三人組をヤヤは黙って見つめる。
「ねぇ~、そのフランとはどういう関係~?」
「……友達デス」
のんびりとした口調のフラン? の言葉に、少なくとも自分はそう想ってるとは心の中で付け加えながら、答える。
向こうがどう思ってるかは分からないが、ヤヤにとっては確かにフランは友達だから。
「え、えっと……じゃぁどうやって出会いました……か?」
「路地裏で襲われてる所を助けたデス。その後、ヤヤのお財布を探してくれたし、一緒にご飯食べたデス……それと、一緒に花火見たり踊ったりしたデス」
気弱そうなフラン? の言葉に、出会いを思い出してヤヤは懐かしそうに答える。
思い出せばたった二日しか一緒に居た時間は無い。でもそうは思えない程に、ヤヤの中でフランとの思い出は強く残っている。
特に、フランと踊ったあの夜の想い出は、フランの穏やかに歌う歌は今でも鮮明に思い出せる。
「じゃあさ、もしそのフランが危ないって言ったら……どう思う?」
「フランちゃんが?」
フランが危険とはどういう事だろうか、何か危ない目に遭っているのだろうか。
押し黙って俯いてしまうヤヤを、三人組は失意の眼で見つめ、視線をそらそうとしたがヤヤの上げた顔を見て目を丸くする。
その青みがかった灰色の眼には、本人すら気付かない芽生え始めた決意があった。
「ヤヤは助けたいデス。力になってあげたいデス」
はっきりと口にした。
それは願いであり、覚悟。
仲間を第二の家族として扱う、灰狼の誇り高い先祖代々の教え。
仲間と肩を並べられる存在になりたいと思った、幼い少女の憧憬。
力を求めるからには、辛く苦しい絶対の覚悟が必要と語った他者の信念。
そして、困ってる人は見過ごせないヤヤの優しさ。
悩んで躓いて、迷って苦しんで。
フランとの時間はとても短い物だった。
しかし、しかしヤヤの中でフランのあの最後に浮かべた顔が忘れられなかった。
感謝してるようにも見えて、悲しんでるように見えて、怒ってる様にも見えて。
でもヤヤは知っている。フランが優しい女の子だと。
最後の夜。あの日月明りの中で手を取り合って踊ったフランの穏やかな表情が、優しい歌声が、寂し気な笑顔が頭から離れない。
「お願いデス、ヤヤはフランちゃんに会いたいデス。会ってお話したいデス、フランちゃんが辛い思いしてるなら、一緒に乗り越えたいデス」
「……そっか」
ヤヤの答えに満足したのか、三人組は顔を見合わせると何かを決めた表情で頷く。
そして三人して、ヤヤの眼をしっかりと見つめ。
頭を下げた。
「お願い、オリジナルを」
「ウチ達を~」
「皆を助けて」
少女の助けを求める声に、幼い少女は確かに頷いた。
尚、何時までも頭を抱えてヤバイヤバイと顔を真っ青にするエロメロイに、カッコいいと思ったヤヤの熱い気持ちがすっと冷めた。




